夕暮れ時の来訪者
倒れ伏すディアスを見下ろしながら、ヤクモは脳内へ響く煌びやかな鐘の音を聞いた。
対人戦の終わりを告げるファンファーレ。次いで、己の意志に反してスマホが現れディアスの所持品を映し出す。
「ここから一つ選ぶのか……」
挑んだ理由である――もっともヤクモの個人的な願いではあるが――ナズナが持っていたであろうアイテムをヤクモは探す。
所持品一覧にはポーションとディアスが装備している剣と鎧、アクセサリだけで他には何もない。
ヤクモはその中からナズナが必死に取り返すと訴えていた物を予想して、やがてそれがもう無いのだと思い当たった。
二時間の間にディアスが使ったか、売り払ってしまったのだろう。そう結論し、こうなった以上ナズナが僅かでも喜びそうな物を――とヤクモは思案する。
「……ん。これにしよう」
数秒後、ヤクモが選択した物は命拾いの鎧。
武器は初期装備の鉄の剣で不要、アクセサリである無辜の咎人は癖がある。故に致命傷を受けても一度だけ復活出来るこの鎧を、ヤクモはナズナへ渡すと決めた。
慎重に、的を誤らないよう画面をタップした後、『このアイテムで良いですか?』というメッセージの末尾にあるYESを選び、ヤクモは嘆息する。
直後、緩やかに世界が白から黒へ変わっていき、眩い閃光が奔る。
目を閉じたまま、ヤクモはアースガルズへの帰還を静かに待った。
次の瞬間、対人空間に立っていた時と変わらぬ体勢でヤクモは路地裏へ帰還した。
家屋の壁に背を預けながら待機していたナズナは、ディアスが倒れヤクモが立っている事で勝敗を悟り眦を吊り上げる。
「うそ……ヤクモ、勝ったんだ?」
全く信じられないという体でナズナはヤクモを見る。その視線に頷いて、ヤクモはゆっくりとナズナへ歩み寄った。
「ナズナ。君に渡したい物がある。スマホを出してもらえるか」
「ん? なんだろ?」
未だ結果を受け入れられず、半信半疑のままナズナはスマホを召喚する。そこへ、ヤクモは己のスマホを近づけ、アイテムトレードを申請した。
「トレード? 何?」
「命拾いの鎧。役に立つかと思ってな。いらないなら売ればいい」
淡々と告げるヤクモ。その穏やかな、けれど僅かに悲痛を残す表情を眺めながら、ナズナは大きく口を開けて忘我した。
ナズナが我を失った理由は一つ。ヤクモの不自然で無謀な戦いが、全て己の為だったのだと気付いたからだ。
それが嬉しくて、申し訳なくて。ナズナはヤクモが命拾いの鎧を選択したのは自分の大切なものが無くなっていたからだと察し、それでも胸の内が熱くなる事を不思議に思った。
「……そか。おかしいとは思ってたんだよ。あんた、力比べに執着とかなさそうだし」
はは、と小さく自嘲したナズナを見下ろして、ヤクモは所在なげに視線を彷徨わせる。
力に執着がないと言えば嘘になる。やるからには上を目指したいし、何よりそれが仲間を守る事に繋がると信じている。そしてそんな当たり前に気付けたのは、ディアスとの戦いがあったからで――そのきっかけとなってくれたナズナに、ヤクモは今深く感謝していた。
「黒くてごつい鎧だから女の子は嫌がるかもしれないけど実用性は充分だ。きっと、君の力になると思う」
「ん~。前に来てた奴がむさくるしい男ってのがアレだけど、ないよりは良いか。うん、有難くもらっとくよ」
何かを吹っ切ったように告げたヤクモを見上げて、ナズナは大きく頷いて申請を受理する。
そこでようやく笑顔を見せたヤクモだったが、俯くナズナは気付けない。
どうしてなのか、分からなかった。
何故こんなにも、胸が高鳴るのか。眼前の少年の顔を、見る事が出来ないのか。
「……ああもう、変な雰囲気になっちゃったじゃん! いい加減起きろディアス!」
「お、おい! ナズナ!?」
突如として癇癪を起こし、倒れたまま呻くディアスの肩をナズナは揺さぶり始める。真っ赤に染まった少女の頬の理由。それに少年が気付ける訳もなく、ヤクモは慌ててナズナを止めに入った。
アースガルズに降り立ってから初めての夕暮れを、自室のベッドの中でヤクモは迎えた。
対人戦を終えた後、ヤクモはナズナ、ディアスと別れて帰宅した。そこで待ち構えていたリマに勝利を報告し、ポーションを使い切った事を告げて怒鳴られ、それを聞き流している内に眠気を感じて横になったのだ。
「起きたのね。随分疲れていたみたい。今日はもうゆっくり休んだ方が良いんじゃないかしら」
ふと、目を開けてぼんやりと天井を眺めていたヤクモへ隣のベッドに腰掛けていたリマが告げる。その声音が超然たる彼女には似つかわしくない程優しげだったから、ヤクモはリマが何かを企んでいるのではと身を強張らせた。
「はあ。ヤクモ君の子供みたいな寝顔を見ていたら毒気を抜かれたわ。だからもう怒ってない。まあギアは耳を揃えて返してもらいますけど」
ふん、と小さく鼻を鳴らしてリマはヤクモを見る。その目が半ば強奪に近い形で借金を乞うた事を忘れていない、と告げていた。
「あ、ああ。そりゃ勿論。……でも、夜中に狩りは危ないし、テレビもないし。皆夜は何をしてるんだろうな?」
「そうねえ。知り合った者同士で今後について相談でもしてるんじゃない?」
耳の痛い話題を変えようと試みたヤクモは、リマが返事もそこそこにスマホを操作している事に気付き、天の助けと問い掛ける。
「何か見てるのか?」
「生産について。暇だったから調べてみたんだけど、ブルーウルフがドロップする『青狼の牙』というアイテムがあれば『青狼の剣』と『青狼の外套』って装備が作れるらしいの。もっとも落とす確率はそんなに高くないみたいだけど」
これよ、とリマはヤクモへ自身のスマホを突き付ける。そこには青い柄が特徴的な曲刀と、同じく青い獣皮で作られた外套が映っていた。
一度遭遇したモンスターはプレイヤーのスマホへ登録され弱点や行動傾向、取得経験値とギア、落とすアイテムが確認可能となる。
SNSの類が存在しないアースガルズ・オンラインにおいて、情報は全てスマホ頼りと言っても過言ではないだろう。
「へえ。剣はともかくマントは格好良いな。素材さえあれば誰でも作れるんだっけ」
『生産』とはプレイヤーがモンスターが落とす『生産素材』を用いて独自に装備品を作る行為を指す。
モンスター自身が落とす装備は『レアリティ』が一律で"通常"となっているが、生産を通せば同じ物でも"高品質"、"最高品質"の順で上がり性能も上昇するのだ。
「そうそう。私も生産して露店に出したいし、レベル上げも兼ねて明日はブルーウルフを集中して狩ってみるのも良いんじゃないかしら」
リポップがどの程度の時間に設定されているかは分からないがレベルの高いモンスター程遭遇は難しい。その点で考えればブルーウルフなら一日も経たずに復活するだろうとヤクモは頷く。
「了解。それじゃ俺はこのまま今日は寝――」
そこで、響いたノックの音に釣られてヤクモとリマは同時にドアを見る。
遠慮がちに扉を叩く来訪者を認め、リマは無言で「出ろ」とヤクモを促した。
「……分かったよ」
借金がある以上強気には出られない。布団からの離脱を拒む身体を強引に起こし、ヤクモは大きく腕を上へ伸ばしながらドアへ赴いた。