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路地裏の宣戦布告

 対人戦闘を了承した事で溢れ出した光。その眩い輝きに目を細めたナズナが次に目を開けた時、彼女と相手の男――ディアスは路地裏から白い空間へ転移していた。

 何もない広々とした部屋。音もなく風もなく、手抜きとさえ思える程の殺風景な空間でナズナは剣を召喚する。


「……へえ。ここがそうなんだ」


 ブルーウルフからドロップした『青狼の剣』を構え、ナズナはディアスを睨む。

 ナズナの手に握られた曲刀は初期装備である『鉄の剣』に比べて僅かではあるが性能が高く、極力ギアを節約して進むと決めていた彼女にとっては有難い武器だ。


「予想はしていたがギャラリーも審判もいねえとはな。喜んで良いぜナズナ。お前が這いつくばっても笑うのは俺一人だ」


 対して、高らかに言い放つディアスの獲物は鉄の剣。

 筋骨隆々とした若く逞しい男ではある。が、リアルの身体能力を横一線で抑えられているアースガルズにおいては無関係、更に武器だけを比較すれば自分が有利――そう思いながらナズナはディアスの出方を伺った。

 

 ナズナがディアスから声を掛けられたのは、初の狩りを終えてグラズヘイムへ帰還した時だった。

 陸上部に属するナズナの健康的な小麦色の肌とボーイッシュな黒髪に惹かれたと、眼前の男は恥ずかしげもなく宣った。

 それを適当にあしらって背を向け、しつこく付きまとわれた結果がこのザマだ。


「笑われるのは慣れてるよ。私、成績良くないし」


 ディアスの挑発を受け流し、ナズナは低く前掲する。

 彼女が選んだクラスは回避型ナイト。持って生まれた動体視力を活かす為に――また、未だ結果が出ない短距離走への憧れもあって、ナズナはこれが天職だと思っている。


「そんなもん見りゃ分かる。お前が男に免疫がねえ事も――なっ!?」

「はぁッ!」


 最後まで言わせず弾丸のように駆け、ナズナは渾身の一撃をディアスへ叩き込む。

 スラッシュ。ナイトの戦技において基本中の基本であり始まりの技。通常一太刀で終わるはずのそれは、初撃を終えても翻り――。


「――次!」

「がッ――!?」


 袈裟懸けに下ろした剣が、赤いライトエフェクトを残しながら風を切って真横に流れる。

 ナズナが発動したのは『ダブルスラッシュ』。スラッシュを三〇回使用する事で"ランクアップ"する基本技(スラッシュ)の発展型だ。

 とにかく先行したい――そう考えていたナズナは、開始から三時間程度の間に早くも次のステップへと進んでいたのだった。


 深々と肩口から斬り裂かれ、ディアスはたたらを踏んで後退る。

 被弾は派手なエフェクトを残したが見た目ほど痛みはなく、出血や骨折の疑いもない。ただ、視界が赤くぼやけた事で侮れないダメージを受けたとディアスは直感し、歯噛みした。


 アースガルズ・オンラインにおいて体力(HP)は可視化されていない。

 プレイヤーは攻撃を受ける事で視覚に異常を来たしていき、HPが減れば減る程視界が赤く染まっていく。

 それは起死回生や捨て身など認めない圧倒的な理。この世界において負傷は漏れなく敗北に繋がるのだ。


「……やるじゃねえか。今の技は何だ? 俺は知らねえぞ」

「その内覚えられるよ。んじゃサヨナラ」


 男が力なく項垂れた事で戦意を失ったと悟り、再びナズナは前掲する。

 直後、小刻みに左右へ身体を揺らしながら、的を絞らせぬよう少女はジグザグに疾駆する。ダブルスラッシュのCTは五秒。既に終わっている――!


「これで――!」


 再度、赤い軌跡が二度ディアスを薙ぎ払う。避けようともせずに直撃を受け、苦悶の声を上げた男はゆっくりと後方へ倒れ――。


「……掴んだぜ」


 ――剣を薙いだままの姿勢で眺めていたナズナの細い腕を、捕えていた。


「なっ……」


 反撃する余力など見当たらなかった。

 手応えは完璧。故に、終わらずとももう一撃叩き込めば済むとナズナは楽観視していた。

 その油断が、彼女の敗北を決定付けた。


「――え、あ……」


 直後、ナズナは自身の胴を貫いた剣を見下ろした。

 ディアスは左手でナズナを掴んだまま、右手に握った剣を突き出したのだ。

 平常だったナズナの視覚が急速に赤化し、世界が朱く変化していく。

 痛みはない。呼吸も変わりない。ただ、一撃で戦闘不能にまで追い込まれた事実だけが、ナズナの脳内で疑問と化して渦を巻く。


「あん、た……何で……!」

「『無辜の咎人』。俺が拾った(ドロップした)アクセサリは"自分が受けたダメージを一度だけそっくりそのまま相手へ返す"効果を持つ。致命傷を受けても死にさえしなければその分のダメージを敵に与えられるって寸法さ。ったく運営もエグいよなあ? こんなもん、使うのはマゾ野郎くらいだろうに」


 やれやれと肩を竦めながら、ディアスはナズナの身体から剣を引き抜き一歩下がる。それをきっかけにナズナは力なく前のめりに倒れた。

 そしてもう、どうやら立ち上がる事は出来なさそうだと、ナズナは床に伏せたまま唇を噛んだ。


「……ふざ、けんな。なら、どうして私は倒れて、あんたは立って、いられる……!」


 苦悶と怒りを滲ませながら首だけを動かしてナズナは問う。

 その必死の問い掛けをディアスは一笑に付した。


「そりゃ俺の鎧のお蔭だ。『命拾いの鎧』は一度だけ致命傷からの復活を許してくれる。俺はお前の攻撃で致命傷を負い、鎧の力で復活したんだよ」


 ディアスの哄笑が響く中、ナズナは敵の黒い鎧が青白く発光している事に気付き、己の無警戒さを憎む。


 初見の折、ディアスが初期装備ではない事は気が付いた。武器は戦闘時のみ召喚し平時はしまっておくが、防具を身に付けずにいる事は不可能だからだ。

 ただ、その巨躯から恐らくクラスは防御型ナイトで、身に纏う鎧は防御力を上げるだけの物だろうと、ナズナは愚かにも決め付けていた。

 スキル付きの装備が存在する事をマニュアルで確認していたものの、こんな序盤から手に入るはずがないという先入観も心底にあった。ナズナの敗因を挙げるとすれば、この二点だろう。

 

 戦闘終了を告げる鐘の音が響き、無垢な空間が消滅していく。

 アースガルズへの帰還。しかしその到着を待たず、ナズナは意識を失った。



 発光が消えた路地裏へヤクモが足を運んだ時、そこはもぬけの殻だった。

 確かにいがみ合う男女がいたと、ヤクモは思う。その姿が消えた事で、対人戦は立ち合いを行う者達のみが隔絶されるのだと彼はおぼろげながら理解した。

 呆然と立ち尽くしたまま数分が過ぎた頃。ヤクモは自分が何故立ち去らないのかと自問する。


 だって嫌がっていた。

 多分拒んでいた。

 声の主である恐らく若い女性は、男の誘いに嫌悪感を浮かべながら抗っていた風に思う。

 当人同士しか分からない、他人が立ち入るべきではない事情もあるだろう。

 ……けれど、それでも。困っている者がいるのなら、それがか弱い者ならば尚更、救いの手を差し伸べないと――。

 

 ――そこで、再び空間が明滅した。あまりの光に手を翳してヤクモは目を閉じる。数秒後、彼が次に目を開けた時、眼前にはヤクモを認めて訝しむ男と、地面へ俯せに倒れた少女がいた。


「何だお前?」

「あ、いや……」


 巨体を仁王立ちさせて見下ろすディアスから視線を逸らし、ヤクモは倒れたナズナを心配げに見る。


「……そうか。彼女の方が負けたのか」


 ヤクモの表情が驚きから若干の非難を宿した事を悟り、ディアスは首を傾げながら吐き捨てた。


「ナズナの仲間か? 敵討ちなら受け付けてるぜ」


 能面のように表情を消したまま、ディアスは鼻で笑う。しかしディアスの敵意を込めた視線を、ヤクモは正面から受け止めた。


「……いえ。俺はただの通りすがりですから」


 戦う理由がない。

 力のない者を守りたいという気持ちはあっても、挑んで負けた少女の戦いを汚す資格は自分にはない――そう結んで、ヤクモはディアスから視線を外し足元を見る。

 間もなく少年の拳が固く握られて、それを認めたディアスが僅かに頬を緩めた頃、倒れ伏していたナズナが意識を取り戻した。


「う、ぐ……」


 戦闘で減少したHPを回復する手段は、アイテム及び魔法の使用、あるいは時間経過である。

 そのいずれもが届かない今、ナズナが平常時の十全を取り戻すには少なくない時間が掛かり、彼女は這いながらもディアスへ手を伸ばす事しか出来なかった。


「……覚えて、なさいよ。絶対、取り返す……!」


 どうにか、血を吐くような叫びを伝え終えてナズナは再び顔を落とす。

 だが、彼女の死力を振り絞った願いに近い宣戦布告を、ディアスは容赦なく切り捨てた。


「もうお前とやる気はねえよ。って事でサヨナラ」


 そうして、ディアスは未練なく躊躇なく踵を返す。

 自身が傷付けた少女を振り返りもせず、路地裏へ投げ捨てたままヤクモの横を通り過ぎ――直後、袖を掴まれた事を悟りディアスは足を止めてヤクモを睨んだ。


「何だよ?」

「……対人戦。やりませんか」


 自分でも何故そんな言葉が口を付いたのか、ヤクモは分からなかった。

 ただ、言わなければならないと思ったのだ。

 眼前で倒れたまま動かない少女が取り返したい物を、自分が代わりに取り戻さなければならないと感じたのだ。


 沈黙が流れ、ディアスはヤクモを値踏みする。

 武器も防具も初期装備。恐らく駆け出しだろう。ならばまだポーションも残しているはず。お望み通り、その青臭い正義感ごと分捕ってやる――。


「良いぜ。だが俺の方はまだ回復まで時間が掛かる。そうさなあ、二時間後で良いか?」

「分かりました。場所はここで?」


 決然たる眼差しを秘めたヤクモ。そのいじらしい姿に薄笑いを浮かべながらディアスは深く頷いた。

 

「楽しみにしとく。まあ負けたらナズナに慰めてもらえばいいさ」


 高く、腹の底から可笑しくて仕方がないと言わんばかりにディアスは笑う。その背中を眺めながら、ヤクモは固く歯を噛みしめた。

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