対人戦開始
「ここまでで良いかな?」
「あ。はい、ありがとうございました……」
ヤクモとシトラスは無事北の転送門へ辿り着き、互いに息を吐いた。
遠目で見た以上に背の低い、並べば己の肩にも満たない少女を見下ろして、ヤクモはにこやかに笑う。
「二〇〇人と言っても案外狭い世界みたいだし、また会えるかもな。その時は同じナイトとして勝負だ」
草原から街へ戻る間、二人は互いに自らのクラスを名乗り合った。
ヤクモは防御型ナイト、シトラスは回避型ナイト。ヤクモがモンスターの攻撃に身を呈して仲間を守る壁なら、シトラスは攻撃を避けて敵意を稼ぐ囮だろう。
「それは難しそうですけど、頑張りますね……」
静かに笑い、シトラスは眩しそうに目を細める。
道中、口を開くのはヤクモばかりでシトラスはほとんど押し黙っていた。それが自分の責任だと思い、努めてヤクモは明るく振る舞ったつもりだった。
まだまだだな……。そう結論して、ヤクモは頭を掻く。
やがて、互いに言葉を失った事で別れの時を悟り、ヤクモは無理矢理に笑みを浮かべた。
「じゃあ俺は行くよ。ばいばい」
「あっ……! あ、あぅ……」
爽やかに別れを告げたつもりのヤクモではあったが、シトラスが曖昧に口を噤んだ事で足を止める。
何かを言い掛けて、結局許されない事だと飲み込んだように、少女は掠れた声で「さようなら」と零した。
その姿が振り切り難く、甚だ心配で――ヤクモは膝を曲げてシトラスと同じ目線まで腰を落とし、柔らかに尋ねた。
「シトラス、何か?」
「あ、いえ……」
さて、とヤクモは思案する。
眼前の少女は困った事に頬を真紅に染めている。恐らく、このまま放って行けば間もなく涙を溢れ出すであろう瞳。その輝く双眸を覗いても、理由は伺えなかった。
「ん~。何だろう、ギアがないなら、少しだけは貸せるけど――うわっ!?」
「きゃっ!?」
そこで、突如として脳内で響いた電子音を認め、ヤクモは飛び上がって驚いた。釣られてシトラスも叫び出し、二人は僅かな間互いに顔を見合わせる。
「なんだスマホの着信か……。ごめん、出ても良いかな?」
「ど、どうぞ……」
互いに胸を撫で下ろし、ヤクモはスマホを召喚して耳に当てる。電話口にいるであろう相手は、ディスプレイを見なくても予想が付いていた。
「ハローヤクモ君。まだ生きてる?」
「死んでたら電話に出ないだろ」
遠慮のない、むしろ棘のある言葉にシトラスが身を強張らせたのを悟り、ヤクモは頭を下げながら声のボリュームを落とす。
どうせ大した用件じゃないだろう――そう決め付けて、ヤクモはリマの電話を手早く片付けようと先を促した。
「で、用件は?」
「露店をするから手伝って」
果たしてヤクモの願い通り、リマの返事は簡潔なものだった。
アースガルズ・オンラインはプレイヤー間の取引を認めている。取得したアイテムは全てに転移の可不可が定められており、貴重品は転移不可である場合が多い。
リマの所持品に貴重な物はないと思いながらも、早くギアを稼いでもらって部屋を別にしたいヤクモは、その考えを歓迎した。
「分かった。今から戻る」
「了解。じゃ後ほど」
未練なく切られた通話の後にスマホを消して、ヤクモはシトラスへ向き直る。そして曖昧な笑みを浮かべた少女へ、再び別れを告げた。
「ごめん、知り合いからの呼び出しで行かなきゃならない。シトラスはもう宿は取ったか? まだなら連れて行くけど」
「……いえ。私は他に寄る場所がありますから。今日は本当にありがとうございました」
ぺこりと頭を下げて、直後シトラスは走り出す。瞬く間に小さくなっていく背中へ、残されたヤクモは無事を祈るしかなかった。
「へーいこっちよこっち」
宿屋へ続く長い坂道を登りきった頃、ヤクモは自分へ向けて手を振る少女を認め、足を止めた。
面影はあった。恐らくアレは、自分が知る相手――。そしてヤクモが確信を持てないのは、リマの髪が金色に変わっていたからだ。
「ヤッホー、ヤクモ君。へいへーい」
ととと、と白いロープを靡かせてヤクモへ駆け寄る少女。数秒後、間近で見たリマは、髪だけではなく眉まで金色に染まっていた。
「……何か、凄く」
「ん? キレイ?」
「いや……何と言うか、イメージが変わった」
陽の光を弾くように、リマの髪は彼女自身の呼吸に合わせて揺れている。それがあまりにも予想外で、思いの外似合っていたから、ヤクモはただ率直に感想を告げた。
「はあ。ヤクモ君って本当にアレよね。鈍感というか頭の回転が鈍いというか。クラスの女性陣からそこそこ評価高いのに恋人がいないのは、そういうのが理由でしょうね」
深々と嘆息したリマへそのまま言葉を返したいと憤りながら、ヤクモは魅入られたように金の髪を眺める。
外見を変更出来ない仕様のアースガルズ・オンラインにおいて、プレイヤーはほとんどが大人しい髪色だ。そこにあってリマの輝く金髪は異彩を放ち、現世に迷い込んだ異世界人を思わせた。
「……まあいい。それで露店は?」
「はい。今からやるから、ヤクモ君はサクラをお願いします」
「サクラ?」
「そう、サクラ。私がここで染色剤を売るから、貴方は大げさに驚いて一つ購入するの。効果の程は私自身の髪色で証明済み。これで売れないはずがないわ」
ククク、とほくそ笑むリマを見下ろして、ヤクモは僅かに首を傾げた。
確かに売れるかもしれないと、ヤクモは思う。事実宿屋の前は人通りが多く、多くのプレイヤーがリマを眺め、遠巻きにひそめき合っているのだから。
「……分かった。お前がギアを得れば不本意な同棲も終わるしな。でも、今から驚いても意味がないんじゃないか? ここでずっと二人で話してるんだし」
「ええ、だからヤクモ君は宿の周りを一周してきなさい。君が再び現れたら私がヘアカラー要りませんか~って叫ぶから、すぐ駆け寄る事。一人は心細いしね」
「……ああ、お前に任せておけば安心だよ。何もかもお構いなしで勝手に決めるんだから」
「ありがとう。よく言われるわ」
皮肉を真に受けて笑みを浮かべたリマへ唖然としながらも、ヤクモは言い付け通りその場を離れ、宿屋の裏側へ向かった。
外周を一回り。安請け合いしたものの結構距離があるなと、ヤクモは高くそびえる宿屋を見上げる。
中世を思わせる家屋とプレイヤーの服装に比べて、宿屋だけが現代風。その異物感もじき消えると納得し、ヤクモはのんびりと歩を進めた。
その後、漫然と足に任せて歩く中、ふと民家の路地裏から人の声を聞く。
幻聴ではない。確かに男女の言い争う声を聞いて、ヤクモは耳を澄ました。
『近寄らないでって言ってるでしょ。どいてよ、私行く所あるんだから』
『釣れないねえ。女一人じゃ危険だからと厚意で言ってるんだぜ?』
『ここじゃ男女の力の差なんてないよ。あるとしたらレベルの差。あんた、今いくつ? 私はさっき4になったんだけど』
どちらも若いプレイヤーに思える男女が、険悪な空気を散らしながら争っている。
そこに介入すべきかどうか、ヤクモは思案した。
アースガルズ・オンラインにおいて、プレイヤー間の揉め事が起きたとしても、運営が手を下す事は無い。原則としてプレイヤーキルは不可能であり、売買でのトラブルや狩り中の過失などは被害者が泣き寝入りするしかないのだ。
『ほう、奇遇だな。俺も4だ。なら二人で狩りをするのに問題はねえよな?』
『お生憎様。ソロの方が経験値もギアも美味しいし、ドロップアイテムも総取り出来る。あんたが私より強くないんならパーティを組む理由はないね』
『……なるほどな』
徐々に男の声が熱を帯びる。
口数は減ったものの、声色は低く威圧を含んだものへ変わっていく。
『って訳でサヨナラ――ん、まだ何か?』
『どちらが強いのか、対人戦で決めようぜ。勝者は敗者の所持品を一つだけ戦利品として奪えるし、負けても死にはしないただのお遊びだ。お前が俺より強いのなら悪くない提案だろ?』
対人戦。本来闘技場の用途として作られたプレイヤー同士の勝負は敗北しても死亡しない。経験値や所持金が半減するなどもなく、デメリットは"アイテムを一つだけ奪われる"事だ。
開始初日の今日にあって、奪われて困るようなレアアイテムを持っているプレイヤーは稀だろう。互いにレベルもスキルも時間的に上げるのは限界がある今、腕試し以上の意味はない。
『全然魅力を感じない提案ね。対人戦じゃ経験値がもらえない。大した物も持ってないプレイヤーを倒す時間がもったいないわ』
女の言葉はもっともだと、ヤクモは頷いた。
気心の知れたフレンド同士ならば、まだ意味があるのかもしれない。互いに切磋琢磨して、腕を磨き、健闘を讃え合う――そんなシナリオは、敵意を抱く相手には到底あり得ないだろう。
『ふん。ゴチャゴチャほざいてはいるが、結局は負けるのが怖いだけじゃねえのか? ええ? ナズナさんよ』
『……上等じゃない。やってやるわよ』
そこで、男の挑発に乗せられたのか――もっとも、埒があかないと判断しナズナと呼ばれた女性が敢えて受けたのかもしれないが――ヤクモが聞き耳を立てる男女は、互いに対人戦を行う意思を固めた。
「ま、参ったな……どうすれば良いんだろ、これ」
数秒後、開始を告げる発光が瞬き路地裏を照らし出す。ヤクモはとうとうその場から微動だに出来ず、成り行きを見守ると決めるしかなかった。