救援信号と涙目の少女
道具屋を出て宿屋へ戻ったヤクモとリマは、互いに再びベッドへ腰を下ろしていた。
静かな部屋には剣呑とした空気が充満し、その発生源であるリマをヤクモは恐る恐る覗く。
「――ねえ。どうしてヤクモ君はそんなに運が良いの?」
途端、目が合うのを待ち構えていたかのようにリマが呟く。足を組みながら女帝を思わせる威圧感を漂わせ、純白の少女はヤクモからの返答を待っていた。
あれから、リマは半ば脅迫めいた強引さでヤクモにガチャを回させた。その数四度。結果、ヤクモはレア度三ツ星の『起死回生の剣』、次にこれまた三ツ星の『自然治癒の鎧』、更に三ツ星の『騎士の矜持』を引き当て、四度目でようやく外れ賞の『ヘアカラーチェンジ』を出したのだった。
「……知るか。お蔭で俺は四〇〇ギアの散財だ。おまけに宿代が一泊二十ギア、全部で四二〇ギアがなくなったんだぞ。まだポーションさえ買ってないってのに」
「武器と防具とアクセサリを一つずつ出したんだから良いじゃない。私なんて染色剤が七つよ? これから一週間毎日髪の色を変えろっていうのかしら」
はあ、と大きくため息をついて、二人は共に項垂れる。
ヤクモがガチャで出した自然治癒の鎧は、その名の通り微量ではあるが自然回復効果を持つ物で装備可能レベルは15だ。
ガチャから出る装備品は店売りの物よりも総じて性能が高いらしく、ヤクモはとりあえずレベルが15に上がるまでは初期装備である麻布の服で耐えると決めていた。
「ポーションを三つ買った後残りのギアを全部ガチャに注ぎ込んだってのも驚いたけど、それが全て外れたのもびっくりだな。ある意味、リマは才能があるんじゃないか」
「何の才能よそれ。全っ然有難くないわ。……まあ、その騎士の矜持ってアクセサリ、防御型ナイトなら標準装備してる『かばう』スキルの付与なんでしょ? ヤクモ君にとっては不要なんだし、売ればいくらかにはなるんじゃない」
騎士の矜持を装備した者はモンスターから他プレイヤーへの攻撃を肩代わり出来る"かばう"というスキルを得られる。本来それは防御型ナイトの固有スキルでCTが必要だがこちらはCTなしでクラス制限もない。
アクセサリの装備枠は一つの為金兎の感謝を外さねばならないが、パーティ時には便利だと内心ヤクモは獲得を喜んでいた。
「そう思ったんだけど、こっちはCTなしで好きな時に発動出来てるからな。とりあえず持っておくよ」
「ハイハイ、好きなだけ守れて良かったわね」
やや表情を緩めたヤクモに対し、リマは面白くないと言わんばかりに踏ん反り返る。
しばしの沈黙。数秒後、不意にヤクモは立ち上がり、扉へ向かって歩き出した。
「お出かけかしら?」
「ああ、もうすぐレベルが上がるし、戦闘にも慣れておきたい。リマはどうする?」
「気分じゃないから遠慮しておくわ。これって、もしヤクモ君がゲームオーバーになったらフレンド欄にある名前が黒くなるのよね」
仰向けにベッドへ倒れ込み、リマはスマホを召喚して眺める。
開いた先はフレンド一覧、そこにヤクモの名前とクラスを示す剣の記号が白地で書かれてあった。
「そうだな。マニュアルによるとフレンド削除をどちらかがすると名前自体が消えて、フレンドが死んだら名前が黒字になるらしい。タップすれば通話も出来るからもし何かあればかけてくれ」
「了解。行ってらっしゃい」
気だるげな言葉に背中を押され、苦笑しながらもヤクモは部屋を出て草原へ向かった。
北の広場へ降り立った時、初めてスマホを見たのが午前一〇時過ぎだった。そして今は正午を回った所。実に二時間、気付けばあっという間に経っていたとヤクモは石畳の上を歩きながら思う。
グラズヘイムの往来は広く、両端には街路樹が等間隔で植えられている。見渡せば中心には高くそびえ立つ高級ホテルのような宿屋、周囲に色とりどりの屋根を持つ無数の民家。
本当に仮想とは思えないと、ヤクモは嘆息した。
無理に危険を冒さずにのんびりと時間を過ごすのも良いのかもしれない。そう、すれ違う見知らぬプレイヤー達へ会釈を送りながらヤクモは考える。
現実で待つ両親は、ヤクモがアースガルズ・オンラインの被験体となる事を頑なに反対した。
恐ろしいと、何があるか分からないと、幾度も行われた家族会議。
何故勝手に応募したのかと。今からでも良いから辞退しろと、何度勧められたか知れない。
けれどそれでも、その厚意にとうとう首を振り続けて、ようやく辿り着いた今なのだ。
「……やるだけやろう。皆、お土産を期待してるだろうし」
胸に去来した僅かな痛みと最後には笑って送り出してくれた両親を思い出し、ヤクモは力強く頷いて転送門を目指した。
街を出て草原に立つと、風と共に頭上の太陽が勢いを増したのではないか――そんな錯覚に襲われた。
実際には何も変わっていないのだろう。だが、遮蔽物のない広大な平原が、風に揺れる若草以上に熱を持ってヤクモを責め立てていた。
「よし、まずは練習だ。さっきは無我夢中だったけど、今度はちゃんとスキルも使って確かめないと」
剣を召喚し、ヤクモは周囲を警戒しながら進む。
探すのはモンスターと、救援を求めるプレイヤ―。
フィールドにおいて危険を感じた際、救援信号をスマホから送れば近くにいるプレイヤーには届く。ただ、それを受けるか拒むかは救援を受けたプレイヤーの自由であり、そこまで当てに出来るものではない。
全ては得られるものが『撃破報酬』のみである事が問題だと、ヤクモは思った。
どれだけダメージを与えようと、瀕死まで追い込もうと、結局は最後に手を下した者の一人勝ち。パーティを組んでいれば報酬はそれぞれに分担されるが、ソロであれば独り占め。救援を送るプレイヤーとしては、悩ましい所だろう。
しかし、死ねば終わりのシステム上、危機に陥ったなら迷わず救援信号を発するとヤクモは決めている。大局的に見ればいっとき報酬を失う事など、些細な問題なのだから。
「それにしても人がいないな。まあモンスターも見かけない所を見ると、あらかた倒されちゃったのかな」
北の門周辺はリポップを待っている状況なのかもしれない。そう思い踵を返した直後、ヤクモの耳朶に金属音が響く。
――救援信号だ。
そう一瞬で確信し、ヤクモは草原を見渡す。果たして一〇メートル程前方で、見慣れないモンスターに囲まれるプレイヤーの姿があった。
途端、右手に剣を握りしめたままヤクモは駆ける。
左手にはスマホを取り出し、カメラでモンスターを捉える。
ゴブリン。緑色の体色を持つ小型の亜人、グラズヘイムに広く分布する一般的なモンスターだ。
「くそ、間に合うか……!
小柄なプレイヤー――恐らくは年下の少女が、恐怖に抗いながらも剣を振るっている。
一分程前に見渡した時は影も形もなかった平原に突如として湧いた少女と二体のゴブリン。救援信号を受け取った事で、少女はようやくヤクモの目に留まる事になったのだった。
「金兎の感謝は……装備してる、問題ない!」
最後にステータス欄を確認し、自身の装備品を見届けて、ヤクモはスマホを消滅させる。そのまま、残りおよそ三メートルの距離まで走り込み、勢いに任せて地を蹴った。
「――おおおォォッ!」
空中で両手に剣を握りしめ、落下の重力を味方に付けてヤクモは少女とゴブリンの"戦闘区域"に突撃する。
声が届いたのか、あるいは対峙するゴブリンに影が差した事を不思議に思ったのか。
とにかく、少女は戦闘中でありながら敵から視線を外し――空から舞い降りたヤクモがゴブリンを縦に両断する一部始終を、目に焼き付けた。
「来て……くれた」
小さな口を辛うじて動かして、少女が一瞬力を抜く。抗いようもなく流れる熱情が、涙となって幼い瞳から流れ落ちる。
「無事か――っておい!?」
大地へ激突するように着地したヤクモは、ただの通常攻撃で呆気なく霧散したゴブリンから目を移し、残る一体を見た。
耳朶で鳴り響く軽快なファンファーレはレベルアップを告げるもの。けれど、今は呆けた少女の真横で生き残りが棍棒を振り上げる姿だけがヤクモの意識を支配する。
――間に合わない!
咄嗟にそう判断し、躊躇なくヤクモはスキルを発動させる。
『味方を"かばう"』。近くにいる仲間を守るだけのそれは瞬時に対象の元へ発動者を転移させ、同胞の死に憤怒の炎を燃やす棍棒を止めた。
「ぐッ! ……恨むなよ!」
刹那、剣で受け止めた棍棒を弾き飛ばし、後方へ吹き飛んだゴブリン目掛けてヤクモはスキルを発動する。
『スラッシュ』。
剣技における基本中の基本。ただの袈裟懸けが、ゴブリンを肩口から寸断し光へ変えた。
「……ふう。大丈夫だったか?」
大きく息を付き、ゴブリンの消滅を見届けてヤクモは少女を振り返る。
未だ忘我の淵にいるであろう少女は、微かに頷いて涙を零した。
生理現象が排除されていると言っても涙は出るし、汗もかく。我ながら不思議だと思いつつも、ヤクモは手持無沙汰に平原を眺めた。
救援信号を送った少女はようやく涙を止め、ごしごしと腕の袖口で瞼を拭っている。
明るい栗色の髪を右側でまとめたサイドポニーテールは幼さを残す少女によく似合う。だが、見た目だけなら前衛よりも後衛向き。ヤクモはどうして彼女がナイトを選んだのかと疑問に思いながら、少女が落ち着くのを待った。
「あ、あの、ありがとうございました。助けて頂いて」
擦り過ぎたのか泣き過ぎたのか、少女は若干瞼を腫らしながら頭を下げる。その最敬礼とも言える慎ましい辞儀に、反射的にヤクモも倣って腰を折った。
「いや、俺達は同じプレイヤーなんだし助け合うのは当然さ。でも、今回はちょっと無茶したな。いくらナイトでも囲まれたら厳しいみたいだぞ」
年下だろうと当たりを付け、ヤクモは気さくに話し掛ける。それは嫌味のない言葉だったが、顔を上げた少女は詰られていると取ったのか再び涙を滲ませた。
「ごめんなさい……私、早くレベルを上げたくて」
見る間に溜まっていく涙。その原因が自分にある事を悟り、ヤクモは狼狽しながらも手を広げて首を振った。
「あ、別にそれは悪い事じゃない! もっと酷い無茶する奴も知ってるしな! ……ま、まあ今日はもう帰った方が良いと思う。良かったら街まで送るけど」
「え……でも、良いんですか?」
右手で瞼を拭い、左手を麻のチュニックの胸元へ置いて、少女は鼻を啜る。
その姿がいじらしくて、放っておけなくて。ヤクモは胸を軽く叩き、大きく頷いた。
「勿論。あ、俺はヤクモ。君は?」
「シトラス、です……」
頼もしく穏やかな少年を見上げ、シトラスは思う。
未だ震えは残っている。牙を剥いて唸りを上げたゴブリンの残像は、しばらくは消えないだろう。
戦うのは怖い――少女の心に深く刻まれた仮想世界の現実。その凍える寒さに、シトラスの頭をリタイアの文字がよぎった頃――。
「うん、良い名前だな。俺ももう少し考えれば良かったかなあ?」
眉根を寄せて、戦闘直後にも関わらず唸り始めた少年。そのあまりに場違いな姿に驚いて、シトラスは少しだけ微笑んだ。