エクストラクラス・アルケミスト
修行を始めてから十日間、ヤクモは極力知り合いと顔を合わせないよう深夜の活動を心掛けていた。
フレンド登録を消した為メールも電話も届かない、完全な孤独。その間彼はひたすらヘイムダルへ潜り続けた。
死地へ籠った甲斐あってレベルは25を突破し、『金兎の感謝』を発動させている今レベルは45。
最早グラズヘイム近郊のモンスターなど倒すだけ無駄であり、ヤクモはヘイムダルをクリアする事で強制的にグラズヘイム前へ転送される仕様にげんなりしながら、再び草原の果てを見る。
リマへ告げた帰還予定を三日も過ぎながら、未だヤクモは己の心と向き合えていない。
力は付いた。レベルは確かに上がったけれど、それだけだ。
狩りの最中、モンスターに幾度もシトラスやシドの姿を重ねてみた。その度に剣が鈍る事を実感し、その都度ヤクモは意気消沈した。
結局、どこまで行っても自分は友人と戦う事になれば、剣を引いてしまうのではないか。
無論、戦うべきはプレイヤーではなくモンスターである事は分かっている。だが今後もプレイヤー同士で力を比べる機会は存在するのだ。
例えば月末、約一週間後にはギルド対抗戦が開催される。
参加したギルドには専用フィールドへの入場権が与えられ、リポップやモンスターの奪い合いを気にせず思う存分狩りを行えるのだが、もし期限を迎えて同点だった場合、代表者同士の対戦で勝敗を決するルールなのだ。
そこで出て来るのは各ギルドで最強のプレイヤー――恐らく九天の徒と当たればシトラスかアマノ、いずれにせよ見知った相手になる。
相手の貢献度を確認出来ない以上同点引き分けなど滅多に起きないはずだが、この世に絶対はない。
それは助っ人としてでも対抗戦へ参加しようと決めているヤクモにとって由々しき問題で――要するに彼は、あまりに悩み過ぎて考えずに良い事まで考えてしまい、半ば不安を忘れる為に狩りへ専心していたのだった。
「……もう一度だ」
かぶりを振って言い放ち、ヤクモは無人の草原で気を引き締め直す。
時刻は午前三時を回った所。休むにはまだ早い。
昼間は宿屋で休むヤクモにとって、日付変更から明け方までが活動時間。一秒も捨てられないと、彼はとうに通い慣れたヘイムダルの方角を眺め、駆け出すべく前掲する。その直後――。
「――精が出るね。それで、この前の話は考えてもらえたかな?」
不意に背後から掛けられた声を受け、ヤクモはため息と共に振り返る。
ここ数日、まるで監視されているのではと訝しむ程に、彼は一人の男から待ち伏せを受けていたのだった。
「……こんばんは、ノックさん。前もお断りしましたが、何度来られても答えは変わりませんよ」
案の定、視線の先に佇む青年を認めて、ヤクモは再び息を零す。
トーナメント以降度々遭遇する細面の青年は、困り果てたように首を傾げながら抑揚のない声で笑った。
「そこを何とか。お願いだよ、君の『金兎の感謝』は素晴らしい。例え効果が三日しか持続しなくても、高額であっても、欲しがるプレイヤーは確実にいるはずなんだ」
眼前で両手を合わせ、ノックはヤクモへ低頭する。
ヤクモがノックと初めて会ったのは九天の徒が主催したトーナメントの数日前、アマノから呼び出されてレベルチェックを受けた時だ。
他のプレイヤーのレベルを覗き見る事が可能なスキルなど特殊も特殊。言わずもがな、ノックもまたエクストラクラス・『アルケミスト』だった。
「アルケミストのスキル、『アナライズ』と『コピー』でしたっけ。自分以外のプレイヤーのステータスを確認し、アイテムを複製出来る。全く、反則染みた性能ですね」
肩を竦めたヤクモは皮肉も多分に込めていたが、ノックはその一切に無関心だと首を振る。
そして召喚したスマホを操作し、道着から黒い貴族服へと防具を変えた。
「そうでもないよ。アナライズは対象へ触れなきゃ発動出来ないし、コピーは三日間の制限付きだ。しかもアルケミストは戦闘用のスキルを持たない。僕はきっと最弱のエクストラクラスなのさ」
見た目を変えた事で心持ちまでも変化したのか、ノックはそれまでとは打って変わり粛然と告げた。
艶のある黒髪をオールバックに纏めた姿は、胡散臭い物言いさえ矯正出来れば由緒正しい貴族で通るだろう。
「まだレベルが足りないだけじゃないですか? パーティに参加出来ない代わりにソロでゲームをクリア出来る、それがエクストラクラスのはずです。アルケミストは大器晩成型のクラスで、後半強力なスキルを習得出来るとかじゃ?」
「その辺は分からないけど、僕はアルケミストの生き方はコピーにあると思うんだよ。貴重かつ強力なアイテムをコピーしてそれをプレイヤーへ売り、得たギアで装備を整える――どう? ヤクモ君もそうは思わないかい?」
楽しげに言い放つノックであったが、ヤクモが別段興味もないと言わんばかりに仏頂面を浮かべていた事で、苦笑を浮かべながら咳払いを零した。
「ごめんごめん。ヘイムダルへ行きたいんだよね。足止めして悪かった」
「……いえ。せっかく来て頂いてるのにこちらこそごめんなさい。ただ、やっぱり俺は期待に添う事は出来ません」
深々と頭を下げ、ヤクモは瞑目する。
例え一瞬であっても、効果が三日だとしても、渡す訳にはいかなかった。
元より金兎の感謝は転移不可、奪われる心配などなくノックが支払う報酬は破格のもの。だとしても――誰かを、それが敵であっても守ろうとした結果の奇跡を、己が矜持そのものと思えたからこそ、ヤクモは貸し与える気にはなれなかったのだ。
「うん、分かった。諦めるとするよ。君が拒む理由は他人が自分と同じ力を持つ事を嫌がるから、なんて俗なものじゃないみたいだしね。そして気が向いたら九天の徒に入ってくれると嬉しいな。アマノさんは歓迎するだろうし、シトラスも喜ぶから」
飄然と呟き、ノックは穏やかに笑って踵を返す。
その背に再び辞儀を送り、ヤクモが振り返った直後。光の粒子を閃かせながら、眼前へ現れたプレイヤーがいた。
「え――」
「……あ」
所々破れた白いローブから覗くのは、きめ細やかな肌と艶めかしい太股。
ヤクモが目を瞬かせながら見上げた先、同じく瞠目するサモナー――ルファリエが佇んでいた。
「おや? ルファリエ、君もヘイムダルからの帰りかい? 惜しいな、君がエクストラクラスじゃなければヤクモ君とデートも出来ただろうに」
気配を察し、振り向きざまに軽やかに言い放ち。頬を引き攣らせるヤクモと冷然とした表情を浮かべたルファリエを残して、ノックはグラズヘイムの転送門へ消えて行く。
残された二人は暫しの間沈黙し――やがて、ヤクモがとりあえず挨拶をしようと口を開きかけた頃、機先を制すようにルファリエが呟いた。
「……こんばんは、兎さん。目が冴えて眠れないのなら、私と鬼退治でもどうかしら」
「こ、こんばんは……その、鬼退治ってのは一体?」
ヤクモの問いを受け、月光に塗れた銀髪を手で梳きながら、ルファリエは物憂げに黙考する。
その姿が夜のせいか、月の下のせいか、どうしようもなく蠱惑的に見えて。ヤクモは破裂を危惧する程拍動する心臓を抑えながら、じっと答えを待った。
リマと並ぶ長身ではあるものの、ルファリエの身体は女性らしい丸みを帯びている。それは痩身のリマとは真逆であり、曲線美を誇示するように肌へ張り付くローブは、少年の心を千々にかき乱した。
「夜間のみ出現するレアモンスター『レッドオーガ』。単なるゴブリンの上位種、それをどちらが倒せるか競争しない? 錬金術師が言った通り私達はパーティを組めないけれど、どちらかが救援信号を送る事で共闘は出来るわ。出現場所は掴んであるから良ければ案内するけど」
一息に告げ、ルファリエは表情を失くしたままヤクモを見る。
その顔が以前闘技場の控室で見た彼女とは重ならず、答えに詰まりながらも辛うじてヤクモは問いを放った。
「……俺がいなくても貴方なら一人で倒せるんじゃないですか。巨大な蛇を召喚出来るんでしょう?」
リマから聞いた話を思い出し、ヤクモは訝しむ。
目の前に立つ女性は、その姿からは想像も出来ない禍々しい蛇を従える王。現状最強に近いプレイヤーであると、およそ他人を賞賛する感情が欠落しているとさえ思えるリマが畏怖していたのだ。
ならば自分の力など必要ないはず。いや、言葉通りただの戯れなのかもしれないが……。
煩悶するヤクモをよそに、しかしルファリエも悩んでいた。
思わず口を付いた誘いの言葉は、全く彼女の本心ではなく。実の所、ルファリエもまた少々面喰っていたのだ。
兎の加護を得ているとノックが語っていた少年。その瞳は何もかもを見透かすように純真で、月の光に劣らぬくらい澄んでいて。だからこそ、見詰め続けられれば自身の"何か"が露呈する――そんな予感が、力技とも呼べる強引な誘い文句をルファリエから引き出したのだった。
「召喚は出来る事なら使いたくないのよ。あれはHPを消費するし、CTも長いから――」
言い終えて、ルファリエははたと口元を抑え、失念したとそっぽを向く。
自らの弱点とも言える秘中の秘を漏らしてしまうとは、この少年は魔眼でも持っているのだろうか――。
――そうして、彼女が苦々しく頬を歪めながら覗き見た少年は、瞠目したまま頷いて。
「……何か、見た目より間抜けな人なんですね。言っちゃ悪いけど」
微かな憐憫の情と、その数倍の親しみを込めながら。苦々しげに俯くルファリエへ、穏やかな笑みを見せた。




