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扉の前で

 結局、トキムネはヤクモの帰還を持ってメンバー集めを打ち切り、四人でヘイムダルへ挑む事を決めた。

 刻一刻と迫る夕暮れのプレッシャー以上に、遅々として進まない現状に全員が集中力を切らす事を恐れたのだ。

 これより臨むはヘイムダル、足を踏み入れる度に姿を変える暗き迷宮。

 それを乗り越える為に、慢心も油断も跳ね除け万全を期す。今回のトキムネの判断は正しく英断と呼べるタイミングだっただろう。


「すんなり着いちゃったね。いやあトッキ―って記憶力半端ないなあ」


 軽薄な物言いではあったものの、賞賛したマサキに悪気はない。

 むしろ、道中遭遇したモンスターを流麗な動きで圧する様は、この場における誰もが実力者と認めるものだった。


「その呼び方はどうにかならないか……」


 怪訝な表情を浮かべながら、トキムネははしゃぐマサキと対照的に押し黙るヤクモを見た。

 キングモールを共に相手取った時、彼は少年の我が身を顧みない暴挙に憧憬さえ抱いたのだ。

 だと言うのに、今日のヤクモの動きは精彩を欠いており、まるで別人だと思う程頼りない。


 そしてリマもまた、南の広場で見せた顔とは全く違い、ヤクモを心配しているのか終始表情を強張らせている。

 攻撃魔法も回復魔法もそつなくこなしてはいるが、結果以外に目を配ればそれは"危うい"の一言だ。


 ここまでリマはヤクモを最優先して行動し、結果同じ前衛であるトキムネとマサキを軽んじてしまっていた。

 戦い慣れた草原ならそれでも通用するだろう。しかし未体験であるヘイムダルでも通用するとは、トキムネはどうも思えなかったのだ。 

 まるでヤクモとリマ、トキムネとマサキの二つのパーティが同時に進んでいるようで――トキムネは暫し黙考し、忸怩たる思いで呟いた。


「とりあえず、心の準備が出来たら教えてくれ。やっぱり調子が悪いってんなら引き返しても良い」


 弱音を含んだ問いを受けて目を丸くするマサキから視線を外し、トキムネは静かに周囲を見る。

 けれど、彼の思いとは裏腹に。ヤクモとリマは互いに頷き、半ば義務感から顔を上げた。


「うんうん。ヤクモンもリマっちもそう来なくっちゃ。勿論俺も行きますよ!」

「……分かった。くれぐれも無理はするなよ?」


 草原の片隅に置かれた騎士の石像、その眼前へスマホを掲げ、トキムネはディスプレイに現れたヘイムダル侵入を問う選択肢のyesをタップする。

 直後に振り返り、胸を力強く叩いたマサキを眺め、トキムネは光に包まれながら自身の悩みが杞憂に終わるよう願った。



 白光に包まれ目を閉じたヤクモ達が再び視界を捉えた時、そこは既に迷宮内だった。

 薄暗い一本道、足元には湿った石畳、顔を上げれば壁には松明が揺らめいている。

 見た目にはよくある古い地下道ではある。しかしその実、密封されているのか風も水音も感じない無音の世界。

 ヤクモは一つ息を呑み、改めて気を引き締め直す。

 

 ムツキの言葉は未だに胸へ突き刺さっている。

 確かに自分は他人を守れる力などない。それどころか己が身を守れるかさえ怪しい雛鳥だ。

 だが、それでもこの矜持を失えば、自分は自分でなくなるのだ。

 故にこれからは、そうこの先は。今度こそ誰も失わず守り通すと誓うのみ。


「……息苦しいな。早く行きましょう。このままここで立ち止まっていたら、転移石を使いたくなる」


 剣を召喚しながらのヤクモの呟きを受け、リマとマサキも同時に頷く。

 彼ら全員が肌で感じていたのだ。この迷宮は、ただ在るだけでプレイヤーを蝕むのだと。


「同感だ。その前に改めて言うが、やばくなったら迷わず転移石を使う事。勝てないと俺が判断したら撤退を叫ぶから、その時は必ず従う事。陣形は俺とマサキが前衛、その後ろにヤクモ、後衛にリマだ」


 トキムネを除く全員が再び首是し、武器を召喚する。

 クリア条件である迷宮の最奥に棲む"ラビリンスボス"を目指し、ヤクモ達は足を踏み出した。



「トッキーは右!」

「分かってる!」


 ヘイムダルを進むヤクモ達は侵入から数えて六度目の戦闘を行っていた。

 相手は草原にも出現するゴブリン四体。ビフレスト産という事でレベルが上がっているが、その行動傾向は全員が理解しており、手こずる危険性は皆無である。


 モンスターには反応範囲が設定されており、基本的にそれはプレイヤーの可視範囲より狭い。

 よってヤクモ達は一本道の先にモンスターの一団を認めた際、モンスターの反応範囲ギリギリからタイミングを合わせて雪崩れ込む戦術を取っていた。

 これがウィザードの集団であればわざわざ接近するリスクを負わず遠くから攻撃魔法を放てば済む。もっとも、攻撃を受けた時点でモンスターはプレイヤーへ迫ってくるのだが、魔法の効果範囲を考えれば接触する前に充分終わらせる事が出来るのだ。


「これで終わりッ!」


 突然の襲撃を受けて右往左往するゴブリンを問答無用で切り伏せて、マサキは額の汗を拭う。

 討たれたゴブリンは光と共に消滅し、後には何もない石畳が残っている。


「うーん、やっぱ数が多いね。これ、敵は常に集団で配置されてるのかな」


 二〇分程彷徨っているものの、その間遭遇したのはいずれもが集団であり、単独のモンスターはいなかった。

 マサキの言葉を受けて、これがヘイムダルの特徴なのだと各々が理解した直後、トキムネが弛緩した空気を引き締めるべく声を上げる。


「マサキ、お前は先行し過ぎだ。敵の正面に立つと射線が重なってリマが魔法を撃てなくなるから気を付けろ。ヤクモも無理に出ようとせず俺とマサキに任せてくれ。もし戦闘中に背後にモンスターが現れて挟み撃ちになったら、誰がリマを守るんだ」


 手厳しいトキムネの注意を受けて、ヤクモとマサキは共に項垂れる。

 前衛の性とでも言うのだろうか。

 人が四人横に並んで歩けるかどうかの狭い通路で、ヤクモとマサキは互いが互いとも前へ出ようと焦り、時に肩をぶつける事すらあった。

 それは急増パーティ故の連携不足が原因でもあったのだが、トキムネは胸中にこの綻びが後々大きな災いを呼ぶのではないかという不安を感じ、どうしても言わずにはいられなかったのだ。


 静まり返った迷宮に四人の息遣いだけが響く。

 ヤクモは全くその通りだと顔を伏せ、自身の焦りの原因を探し、マサキはリマの好感を欲するあまりスタンドプレーに走っていた己を恥じた。

 

「まあまあ。ここまでは上手く行ってますし。それよりもトキムネさん、この先、大仰な扉があるけどあれがボス部屋かしら?」


 話題の転換を試みたリマが指差した先。

 湿った壁に合わせて所々腐食した鉄扉が、プレイヤーを飲み込むべく静かに佇んでいた。


「らしいな。というか俺も初めてなんだから分からんよ」

「ヤクモ君はヘイムダルの情報を聞いたんでしょう? 何かないの?」


 突然の指名を受けてヤクモが狼狽し、マサキを含めた三人の視線が集中する。

 未だムツキの幻影に苛まされるヤクモにとって、説明事など無理難題に等しい苦行である。だが、それをかき消さねばならないと思い直し、ヤクモはシトラスの言葉を反芻しながら呟いた。


「ああ、ええと……ボスを倒すか、脱出地点に到達すればとりあえず外に出られる。で、脱出地点はボス部屋の直前とボス部屋の中、後はランダムにどこかへ設置されてるんだって。ボスは強いけど倒せないレベルじゃない。ただここでしか現れない特殊な敵だから攻撃方法に用心しろ、って事だった」

「ふむふむ。部屋の中にはボスだけ? それとも雑魚の取り巻きもいるのかな」


 マサキの問いを受け、ヤクモは鉄の扉を見詰めながら黙考する。

 シトラスの言を用いればボス一体のみのはず。だが侵入する度に姿を変えるヘイムダルにおいて、絶対が存在するだろうか。

 マニュアルにも無限の形を持つとしか記載されていなかった迷宮だ、心構えはしておくべきだろう。そう結び、ヤクモは逡巡の後、マサキへ返した。


「いないとは言っていた。でも決め付けてかかるのはまずいと思う。頼りにならなくて悪いけど、扉を開けるまでは分からない」


 煌々と燃える松明に照らされたヤクモの顔は、日の光の下とは違って影を落としており。故にマサキは、朴訥な少年の言葉を重く受け止めた。

 確かにこれは遊びではなく、この世界の命を失うかどうかの瀬戸際である。

 慢心は危機を呼び、自分のみならず惹かれた女性をも危険に曝す。ならば是が非でも生還する為に、自分もまたこの少年程の危機感を持って然るべきなのだ。


「オッケーヤクモン、それで充分。へへ、なんかさ、不謹慎だけど楽しくなってくるよな?」

「生憎俺は吐きそうだよ」


 熱い友情の返礼を期待したマサキだったが、冷然としたヤクモの肩透かしを受け前のめりにつんのめる。

 だが、この底抜けに明るい少年の激励はヤクモの身体を芯から温め、迷いに囚われていた戦意を燃え上がらせた。


「でもサンキュー。マサキのお蔭で力が抜けた気がする」

「お、おう。それなら良いんだけどね」

 

 互いに苦笑を浮かべ合う少年達を眺めながら、トキムネは緊張感の欠如に嘆息し、リマは静かに頬を緩めた。

 果たして、彼らが向かうは未知の扉。その先に眠る未来を信じて、四人は決然と前を見た。

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