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アースガルズ・オンライン

 ゲームの世界に入り込めたら、自分はどう生きるだろうか。


 平凡な男子高校生である鏑木(かぶらぎ)八雲(やくも)は、時折そんな自問をする事があった。

 彼がかつて抱えていたのは、強く逞しい男として弱い者を守りたい――騎士として生きたい、というものだった。

 しかしそれは現代社会で生きるには邪魔とさえ呼べる時代錯誤であり、八雲も成長するに従って諦めた。

 

 ――けれど、捨てたと思っていた『理想』に、手が届くとしたら――。


 『アースガルズ・オンライン』。

 とある有名企業が兼ねてより研究を進めていた"VRMMORPG"のβテストのプレイヤーに選ばれた時、八雲は人生最大の喜びを表した。

 これで誰かを守る事が出来る。

 漠然と抱きいつの間にか忘れていた理想を今こそ貫けるのだと、少年は歓喜の涙さえ流したのだ。


 実験期間である三ヶ月の間、応募に合格したテストプレイヤー達は企業が用意した医療機関の管理下に置かれ休眠へ入る。

 その間の生活は企業から保証される為、彼らは須らく落選した者達から羨望を集める事になった。


 宝くじ並に当選確率の低い難関を潜り抜けたプレイヤーは二〇〇名。

 老若男女問わず無作為に選出された彼らは、以後現実世界と同じ三ヶ月という時間をアースガルズで過ごすのである。


 ゲーム内でプレイヤーに与えられた目標は一つ、アースガルズのどこかに存在する"塔"の踏破。それをテスト期間の三ヶ月以内に達成したプレイヤーには賞金として一〇〇万円が贈られるのだ。

 

 そして、広い病室に等間隔で並ぶベッドの上、横たわる同胞達を眺めながら八雲も今まさに眠りへ落ちていく。

 行き先は未だ誰も見ぬ地、アースガルズ。これより三ヶ月を過ごす仮想であり自身にとっては現実となる世界へ、少年は旅立って行った。


 

「……凄いなこりゃ」


 次に目覚めた時。中世の城下町を模した石畳の街『グラズヘイム』、その広場に八雲は立っていた。

 事前に聞いていた通りとはいえ、現実と寸分違わぬ青空と映画の中だけのものだったファンタジーの街並みを眺め、少年はしばし瞠目する。


「スマホでステータスを確認出来るんだっけ」


 八雲はおもむろに掌を眺め、スマートフォンの具現を願う。直後、青白い光の粒子(ライトエフェクト)と共に、彼の手の中には目的の物が収まっていた。


 プレイヤーのステータスや現在地の確認、取得したアイテムや装備品の閲覧、他プレイヤーとの交信に用いられる最重要アイテムがこのスマートフォンだ。

 これは概念化している為、衝撃や入水で故障したり、紛失や盗難に遭う心配はない。単純に、取り出そうと思えば手元に出現するし、仕舞おうと願えば一瞬で消える。

 

「ええと、俺が今いる場所は……北の広場か」


 一通りステータスや所持品を眺めた後、八雲は現在地を知り周囲を眺めた。

 混乱を防ぐべく総勢二〇〇人のプレイヤ―はスタート地点を四ヶ所に分散させられており、周囲にいるのは八雲を含めて五〇人。その中に見知った顔がいないかと見渡して、当てが外れた八雲は再びスマホへ視線を戻す。


 グラズヘイムには東西南北四つの広場があり、大和が降り立ったのは北の広場だった。

 各広場からグラズヘイムの中心にある宿屋までは等間隔、街の出口までの距離も変わらない。故に、今こうして八雲がのんびりと景色を眺めている間にも、他の広場にいるプレイヤーの中には狩りを始めている者もいるかもしれなかった。


 八雲は「あれで殴られたら死にそうだ」と第一印象で感じたマニュアルを思い出す。目当ては狩りの項目に書かれていた、"敵の再配置(モンスターのリポップ)"だ。


 モンスターは撃破されると再配置まで時間が掛かる。それはプレイヤーが安全に先へ進む為の保険であり、成長(レベルアップ)に関しての壁でもあった。

 "モンスターと遭遇せず安全に進める"という事は、言い換えれば"レベルアップに必要な経験値を得られない"という事だ。

 つまり、敵の取り合いは期間が定められている以上、死活問題なのである。


 しかし、理解した上でも軽々とは狩りに赴けない事情があった。それはアースガルズ・オンラインが"プレイヤーの復活を認めていない"という点だ。

 これは負けた時点で脱落を余儀なくされる一発勝負。

 故に、クリアしさえすれば順番に関わらず全員が賞金として一〇〇万円を得られる以上、プレイヤー達は慎重に慎重を重ねて行動する事を心に決めていた。


 物欲の薄い八雲にもまた、人並みには欲望がある。

 大学進学を控えた今僅かでも金は必要で、他のプレイヤーと同じように八雲もまたクリア賞金が応募理由の一つだった。

 で、あるならば。この場でただ漫然と、立ち尽くしている場合なのか――そう考え、八雲はぼんやりと視線を彷徨わせた。


 先に動けばモンスターは選り取り見取り。しかしスタート直後は誰もが戦闘など未経験。

 どんなモンスターがいるかも分からない、その攻撃がどれ程痛みを伴うかも知らない。

 更に三ヶ月もの猶予があり、椅子は人数分用意されている。よって八雲の目に映る他のプレイヤー達は、まずはこの奇妙な世界を楽しもうと観光気分で目を輝かせていた。


 弛緩した空気の中、互いに探り合いながらも談笑を始めるプレイヤー達。その輪から外れ、八雲は決意する。


 何事もスタートダッシュが肝心だ。

 確かにクリアに時間制限はない。だが先発と後発を比べて後者が必ずしも有利という事はないだろう。

 必ず、両者に旨味が与えられているはずなのだ。

 

「……よし、行こう」


 スマホのディスプレイにグラズヘイム全体のマップを映し出し、八雲は目的地である出口を確かめる。


 三ヶ月という時間が果たして長いのか短いのか、今は誰も分からない。ならば動くのは早い方が良い。この決心が鈍らぬ内に、早く、一歩でも先へ――。

 和気藹々とする広場のプレイヤー達に背を向けて八雲は歩き出す。行き先は『イザヴェル草原』、モンスターが徘徊する危険地帯。そこに希望があると信じて。



 常夏を思わせる強い日差しの中、そよ風が草を揺らす平原に八雲は立つ。

 身に付けている麻で編まれた長袖の道着は見た目には通気性がよろしくない。アースガルズ・オンラインにおいてプレイヤーの生理現象が存在しないのは幸いと言えるだろう。


 北の広場から出口まで五分程歩いたものの、途中すれ違うプレイヤーはいなかった。北の広場には日和見のプレイヤーが集中したんだろうと、八雲は心細さとともに開放感を覚える。


 見渡す限り緑の絨毯。振り返れば白亜の街グラズヘイム。頭上にはさんさんと太陽が輝き、遮蔽物のない平原を渡る風は心地良く髪を撫でていく。

 予想していたモンスターは影も形も見当たらない。もっと街から離れる必要があるのかもしれない。


 ああ、でもそんな事は置いておいて、このまま寝転がって空を眺めていたい――不覚にもそう思った八雲の目が、次の瞬間見慣れない物を捉えた。


 一〇メートル程前方、背の低い草の影で金色の物体が揺れているのだ。周囲に他に動くものがないせいか、その揺らめきは殊更目を引いた。

 

「あれは……」


 距離を詰めず、その場に立ち止まって八雲はスマホを召喚する。そしてカメラモードへ切り替え、金の異形を撮影した。すると――。


「――レア度五つ星、ゴールドラビットだって……?」


 モンスター照会で浮かび上がったのは、アースガルズに"一体"しか存在しない最希少種(レアモンスター)『ゴールドラビット』。

 金の体毛と蒼い瞳を持つ以外現実に存在する兎と変わりないそれは、説明によると能力自体は最下級で得られる経験値も僅か。ただ、落とす金――『ギア』は、プレイヤーが軍資金として与えられた一〇〇〇ギアの一〇倍、一〇〇〇〇ギアに及ぶらしい。

 おまけにリポップなし。つまりこの敵は一度倒されれば二度とアースガルズに蘇る事はないのだ。


「ま、まさかこんな大物とお目に掛かれるなんて。こりゃ絶対逃がす訳にはいかないぞ……!」


 マニュアルによれば宿屋の宿泊費が一泊一〇ギア。プレイヤーは睡眠欲以外の欲求を遮断されている為、食事を摂る必要はない。よって、生活するだけなら実験終了まで一切稼がずとも間に合うのだ。

 だが、せっかくのMMORPG、煌びやかな鎧や強力な武器が欲しい――そんな、ごく当然の思考に行き当たり、八雲は標的が逃げないよう祈りながら徐々に距離を詰めていく。


 ――数秒後。拍子抜けする程あっさりと獲物へ接敵した八雲は、意を決した自分に気恥ずかしさを覚えながら右手を伸ばす。

 感情のない目で自身を見上げるゴールドラビット。その小さな身体を見下ろして、八雲は一つ息を吐き――刹那、彼の手に光が瞬き青い剣が顕現した。


「……よし。少し不安だったけどスマホと同じ要領だな」


 視線を獲物から外さずに、八雲は重さを感じない剣を軽く振る。

 

 アースガルズ・オンラインは剣と魔法の世界をイメージしておりプレイヤーが選べるのは剣を武器とする『ナイト』、魔法を使用する『ウィザード』の二種類のクラスである。

 更にナイトは"攻撃"、"防御"、"回避"、ウィザードは"攻撃"、"回復"、"補助"の『タイプ』をそれぞれ選択する事になる。


 八雲はマニュアルでそれを知った瞬間、迷わず『防御型ナイト』を選んだ。

 一度決めれば二度とは変えられないと知りながら、それでも選んだ理由は"戦いとは誰かを守る為に行うもの"という理想を彼が思い出したからだ。

 しかし、ここに来てその矜持が少年に、剣を振り下ろさせる事を躊躇わせてしまう。


「う……」


 近づけば近づく程、見れば見る程眼下の獲物は可愛らしい小動物で、剣を掲げた自分でさえも敵と認識していないらしい。

 つぶらな瞳を瞬かせながら、赤い鼻をすんすんと鳴らしながら、ゴールドラビットは八雲を見る。その姿に八雲は最早、剣を下ろす下ろさないではなく、取りこぼさずに掴む事で精一杯だった。


「でも、俺がやらなくても他の誰かがやるんだよなあ……」


 不意に漏れた弱音は、実際正しい。

 八雲が見逃してもゴールドラビットの価値を知った者がその命を刈り取るだけなのだ。ならば、どうせ救われない命なら、自分が糧にしたとしても許されるのではないか。

 ……そう、八雲が思い込む事が出来て、迷いなく剣を振り下ろせる人間だったなら。恐らくこの金の兎は彼の前に姿を現さなかっただろう。


「――ん。早く逃げろよ。お前、こんな所にいるとすぐ殺されちゃうぞ」


 剣の消滅を終え、腰を屈めて八雲はゴールドラビットの鼻先へ指を近づける。か弱い獣はしばらく少年の匂いを嗅ぎ、やがて小さく鳴いて――直後、光の粒子へ変わり消えた。


「え……? あ、あれ?」


 数瞬前までゴールドラビットが存在していた空間、その場所に瞬く白い光を認め、八雲は瞼を擦る。

 確かにいたはずだ。仮想とは思えない、熱を持って鼓動と共に身を震わせる小さな獣、その瞳をまだ自分は覚えているのだから。

 そして、いくら待っても光が消えない事を訝しみ、手を伸ばした瞬間――光は帯状となって八雲の身体へ吸い込まれた。


「――へ?」


 チャリン、と硬貨を地面に落としたような音。それを耳朶に認め、八雲は確かこれはアイテムを取得した時のものだと思い当たる。

 反射的にスマホを取り出し、八雲は所持品を確認する。そこでは『回復剤』(ポーション)の他に『金兎の感謝』というアイテムが増えていた。

 

「なになに……"金兎の感謝。孤独な兎からの贈り物。単独戦闘(ソロ)時装備者のレベル+20。転移不可"――だって!?」


 アイテムカテゴリはアクセサリ。指輪の形をした戦利品、そのスマホに映る"NEW!"と縁取られたタグを八雲は震える指でタップする。

 瞬間、装備済みを示す青い枠が金兎の感謝に現れ、八雲は乾いた唇を舌で舐めながら自身のステータスを確認する。


「……マジ?」


 レベルは、確かに21。先程確認した時と比べて各ステータスが跳ね上がっている。

 スキルは技の習熟度により成長する為変化はない。だが、レベル上限が100のアースガルズ・オンラインにおいて、八雲は開始数分で五分の一まで到達してしまったのだ。

 これでは反則(チート)――そう思いながらも、多少の制限はあるのだからと八雲は無理矢理に自分を納得させる。


 単独(ソロ)でなければ指輪の効力は得られないという。しかしせっかくのMMO、孤独に一人でゲームを進める気など八雲は毛頭ない。

 更に誰かを守るという彼の理想に基づけば、これは全くの戦力外。故に"こいつは単なる保険"――そう思い込み、八雲は深呼吸しながら胸元を手で抑える。


「い、一度外してみよう」


 再び所持品欄に画面を戻し、金兎の感謝をタップ。青枠が外れ、ステータスを見るとレベルは1に戻っていた。


「……他にアクセサリはないし、次に何か取るまでは付けておくか」


 未だ動悸は収まらない。一つ、二つと呼吸を重ね、八雲は数分後、ようやく息を吐く。

 あまりにも出来過ぎた始まりに釈然としないものを抱えながら、少年はグラズヘイムへ向き直った。

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