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縁露堂怪奇譚  作者: 小林龍巳
はかないもの
7/8

6話





 令嬢と青年、二人以外は誰もいない世界で彼女は笑う。彼女にとって、優しくて甘い夢の中で。けれど、これは夢だ。夢は、いつか覚めるもの。

 今が、その時だ。

「また来たの」

 令嬢はこちらを睨み付けてはいるが、昨夜のような形相ではない。また、追い出せば良いと考えているのだろう。けれど、今夜はそうはいかない。

「帰って!」

 令嬢が叫ぶが、風が巻き起こり紅陽と朱蓮の髪を揺らしただけだった。紅陽は目を閉じることすらしない。

「何でよ…」

 昨日とは違う状況に令嬢は瞠目する。今まで自分の思い通りになっていた世界が、言うことを聞かない。彼女は初めての事態に、歯がみした。

「無駄だ。昨日よりも強く結んだ。私たちをここから追い出すことは、もう出来ない」

 紅陽の言葉に、令嬢は怒りで頬を染める。

「帰って…」

 令嬢はそんなこと信じないとでもいうように呟く。

「帰って」

 先ほどよりも強い風が巻き起こるが、やはり紅陽と朱蓮の髪を揺らすだけだ。

「帰って、帰って、帰って!帰りなさいよ!」

 暴風が二人の衣服と髪をたなびかせる。紅の髪を踊らせる紅陽に、状況も忘れみとれた。しかしそれは一瞬のことで、そんなときではないと朱蓮は前をむき直す。大声で叫び疲れたのだろう。令嬢は肩で息をしていた。なぜだか、とても哀れを誘う。

「もう分かっただろう。無駄だ」

 紅陽が冷徹に声をかけるが、令嬢は折れない。ただ、こちらを睨み付けるだけだった。

「これから、ずっと、恋人を模した人形とごっこ遊びをするつもりか」

 令嬢は顔を歪ませた。ああそうかと、朱蓮は気がつく。

 彼女が一番、分かっているのだ。ここは現実ではなく、隣にいるのはあの青年ではないと。

「ええ、そうよ」

 それでもここに、いたいのだ。

「現実のあの人は、私の結婚が決まるとすぐに、別れを切り出したわ。一緒に逃げることすら、考えてくれなかった」

 顔を俯かせ、拳を握りしめ、体を震わせて。彼女は全身で怒りと悲しみを表した。

「本当は一緒にいたいだとか、愛してるとか…そんな言葉さえかけてくれなかった」

 令嬢がゆっくりと顔を上げる。その瞳は強く、けれど悲しく揺れていた。

「だから私はここにいる!本物じゃなくても、私を愛してくれる、私だけを選んでくれるあの人がいるここに!」

 彼女の言葉はもう、のどを切り裂くほどの絶叫となっていた。ありきたりでも、胸を傷つけるほどの想いがそこにはあった。



「でも、もう一度会いたいんだろう?」



 静かな言葉に彼女は凍り付いた。その言葉は、彼女の心を砕き、奥底にしまい込んでいたもう一つの願いを引きずり出す。

「本当は、あいつが何を考えてそうしたかだなんて、分かっているんだろう?」

 紅陽はゆっくりと、令嬢との距離を詰める。

「だから、憎めても、嫌いには成れなかった」

 夢の世界でも一緒にいたいと願うほど、まだ、好きなのだ。

 彼女は顔を歪ませ、涙がこぼれるのを耐えている。

「もう一度、現実のあいつに、会いたいんだろう?」

 令嬢の唇が震える。朱蓮には聞こえないが、彼女は何かをか細く呟いたようだった。


 空に、亀裂が入った。ばらばらと青色のかけらが降ってくる。

 建物にはひびが入り、見る間に瓦礫と化す。

 世界が、崩壊していった。


 夢が、覚めた。





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