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縁露堂怪奇譚  作者: 小林龍巳
はかないもの
4/8

3話





 最低限の灯りだけをつけた薄暗い部屋で、男は頭を抱えていた。自分の最も好む香を焚いているが、気分は一向に上がらない。むしろ、下がっていく一方だ。

 ゆるゆると顔を上げ、娘の部屋の方角を向く。眠り続ける娘の顔を思い出してしまい、またうつむいた。梨の花のようだと言われていた美貌は、見る影もないほどやせ細ってしまった。頬はこけ、眼下は落ちくぼみ、体中に骨が目立つようになった。評判の薬師の栄養剤を呑ませ始めたが、それだけでは改善しないだろう。

 何故こんなことになってしまったのか、とは思わない。理由は分かりきっている。眠り続けるなどという、尋常ではない状態になるほど嫌だったのだ。表面上は違ったとしても、本当は嫌だったのだ。そして、自分はそれに気がつかないふりをした。

 唇をかみしめるほどの後悔がわき上がるが、男は頭を振ってそれをかき消した。今は、娘を目覚めさせることの方が重要だ。そう決起して顔を上げると、暗闇が広がっていた。慌てて立ち上がり、周囲を見渡すがどの方面も黒で染まっている。ほんの一瞬まで座っていたはずの椅子さえない。

 訳が分からずに自分の体を見てみるが、何も起きていない。いや、暗闇のはずなのに、自分の体だけははっきりと見える。

 いよいよ自分はおかしくなってしまったのかと、乾いた笑いが口から漏れる。それでも立ち止まるわけにはいかず、またあたりを見渡すと数歩先に扉が現れた。

 華美ではないが、優美な装飾が施されている気品を感じさせる扉だ。急に現れた扉に後ずさりした男だったが、昔耳にした噂を思い出し息を止めた。

 そこは仙人が開いている店なのだという。

 それに見合う代償を払えば、どんなことでも叶えてくれるのだという。


 娘を目覚めさせることも、できるだろう。


 男は早足で歩み寄り、わらにもすがる思いで扉を開けた。

 ふわりと苦みを含んだ爽やかな香りが男の鼻孔をくすぐる。男が普段焚いている香とは、比べものにならないほどよい香りだ。香りのする方へ目を向けると、長椅子にもたれかかり煙管をふかしている美貌の男がいた。どうやらこの香りは、男の吸う煙草の香りらしい。香のような香りのする煙草を男は知らない。やはり、この店は仙人がやっているのだろう。

 今まで、あらぬ方向を見つめていた、おそらくはこの店を開いている仙人は、入り口に立ったままの男に指線をよこした。

 その底知れない瞳に、身がすくむ。

「いらっしゃい」

「…」

 仙人には不釣り合いな挨拶に思考が止まるも、ここは店だったと改めて気がついた。仙人の座る長椅子と向き合う形で置かれた椅子に、腰掛けるよう無言で促される。まるで幼子のようにためらいながら男は、椅子に近づいた。

 仙人は男が椅子に座ったことを確認し、指を鳴らした。使用人を呼ぶためだったのだろう。茶器を乗せた盆を持った子供が、奥から出てきた。目元の涼しい、男か女か判別のつかない子供である。

 子供は茶を入れ、男と仙人の前に置くと、一礼して部屋から出て行った。

 出された茶を一口飲むと、不思議と心が落ち着いた。それを見計らったのか、仙人は口を開いた。

「ここに来たと言うことは、望みがあるのだろう」

 何を望む。

 ためらいも遠慮もなく、目の前の美しい存在は尋ねる。それに呼応したように、男の望みもするりと口からはき出された。

「娘を目覚めさせて欲しい」

 突飛な願いと思われるかもしれないと男は考えたが、仙人は特に何か感じた様子さえない。まるで自分の抱えている望みなど見透かしているようだった。

「望みを叶えるには、それに見合う対価が必要だ」

「分かっている」

 仙人が男と目を合わせる。鮮やかな紅色の瞳は深淵を覗いているようで恐ろしい。それでも、男は目を逸らさなかった。家のため、娘にはやってもらわねばならないことがある。それに何よりも、このまま死んで欲しくなかった。

 たとえ、娘の想いを砕くことになっても。娘に憎まれたとしても。

 娘に、生きていて欲しい。

 だから、どれほど恐ろしくても目は逸らさない。

 そう強く相手を見返すと、急に仙人への恐怖が消えた。

「いいだろう」

 ふう、と優雅に煙を吹き出し仙人は男から目を逸らした。男がこの店を訪れたときと同じようにあらぬ方向を見つめている。何か考え事をしているようだった。短くはない時間、視線は交わらなかった。

 仙人は一度目を閉じ、男へ顔を向けた。

「お前の望みがかなったら、対価をもらいに行く」

 それまで待っていろ、と言いながら仙人は手を振った。とたんに、景色が男の部屋に変わる。座っていた椅子も男のものへと変化した。

 白昼夢でも見ていたのかと男は放心する。しかし、自分の衣服から漂うあの煙草の香りが、現実だと言っている。

 男は目を閉じ、娘の目が覚めることを祈った。





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