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むかしむかし、京の都に三人の侍がいました。名前は、平貞道(碓井貞光)、平季武(卜部季武)、坂田公時(坂田金時)と言います。
この侍たち、酒呑童子退治や土蜘蛛退治などの伝説で知られた源頼光が率いた四天王の中の三人で、中でも金時公時は童話『金太郎』でも有名な人物です。
その風貌はきらきらと輝き、腕の立つ侍たちで、度胸もあって思慮深く、実直な性格だったと、物語では伝えています。
また、『坂東武者』で知られた本場、東国でも活躍し、人々に恐れ敬われた侍で、あるじの源頼光も有能な部下として、先陣を切らせたり、殿を任せられたりしたとも伝えられています。
さて、この三人、京の都は一条にある源頼光の屋敷にいました。
四天王のもう一人、源綱(渡辺綱)は、あるじ頼光のお供に出かけていて昨日から屋敷をあけていました。
この日は、賀茂祭の『返さの日』でした。賀茂祭は、現在、葵祭として知られています。
『返さの日』とは、祭りで神事を終えた巫女とお付きの女性たちが紫野という場所に帰る日です。華やかな若い女性たちが行列をつくり、京の街を通ります。
屋敷の一画から、男の声が聞こえてきます。
「さて、どうしよう……。どうやって、おなごたちを見に行こうか……。兵ども三人が馬で連れ立って紫野まで移動するのは、必死な感じがして恥ずかしいし……」
とまで言ったところで、野太い声の持ち主が話を引き取りました。
「……確かにそれは露骨だな。都の者に、『あれが東国の田舎侍か』などと指差されたくはない」
最初に切り出した男が再び口を開きます。
「……かといって、顔を隠して歩いて行くのも良い案ではなかろう……。とはいえ、おなごたちの行列は見たい。さて、どうするか……」
短い沈黙のあと、別の男の声が聞こえてきました。
「じゃあ、こういうのは……。『なんとか』とかいう偉いお坊さんがいたろう? あの方から牛車を借りて見に行くのはどうだ?」
野太い声の男が言います。
「おいおい、俺たちゃ牛車なんて乗ったこともないし、乗る作法も知らんのだぞ。京の都じゃ、都会じゃ……。血の気の多い若い殿様に因縁でもつけられて、供の者に牛車から引きずり出され、ボコボコにされたりでもしたらどうする? 武士の恥であるし、つまらないことで死にたくはないぞ……」
牛車の案を出した男が応えます。
「じゃあ、おなごが乗っている車に思わせれば、多少の失礼があっても許されるのではないか? 下簾を降ろして、着物の裾をちらりと垂らすなどしてさ……」
当時、女性が牛車に乗る際には、外側の簾の内側に、さらにもう一張、簾を垂らすならわしになっていました。これを下簾と言います。そのような牛車を女車と呼んでいました。そして、たいていの女車は、下簾の隙間から女性物の着物の袖や裾をちらりと見せていました。
男性が乗る牛車を、女性が乗っているように見せかけるこの方法は、他の古典作品でも描かれています。
「おお! それは妙案! さっそく寺に使いを遣ろう!」
最初に話を切り出した男の弾んだ声が屋敷の中に響きました。
「女車か……。う~む、仕方なかろう……」
野太い声の持ち主も、しぶしぶ承諾したようです。
(つづく)