第一話2
ブンと風を切る音が鳴り、しゃがんだルクスの頭上を太く長い尾が通り抜けていく。ルクスはそのまま起き上る様にして、拳を上へと突き出すも、その体格に見合わない俊敏さを発揮し、そのゴリラの様なモンスターは後ろに下がった。
ピンク色の体毛に額に硬い毛で出来た一本の角。蛇の様な長く太い自由自在に動く尻尾を持つ猿型モンスター、マッスルモンキーは一瞬だが、後ろに跳んだ時に顔を伏せてしまい、再び上げた時にはルクスが飛び込んでいた。
「チャージナックルッ!!」
ルクスは利き手を後ろにし、肩で体を隠すように反対側の手でその利き手を抑え込む形で飛び込んできており、技名を叫びながらその拳をマッスルモンキーへと打ち下ろした。
ルクスのレベルはこの一ヶ月でかなり上がっていた。時間さえかければ吸収出来る魔力が少ない浅い場所でもそれなりに上げられるが、元々レベルが低かったこともあり、ドガードと組んでいた一ヶ月ではそこそこ深い所で活動していた事もあって、スキルを覚えるまでになっていたのである。
このスキルだが、ランダムとは言い切れないそうだ。元々その人が才能があったものか、その時にもっとも鍛えられた系統のスキルが手に入ると言われている。魔法一辺倒の人間が、剣のスキルを覚える事はあるが、無手での格闘技系スキルを覚える事はまずない。
ラウジなら生きる為に周りの情報を収集する事に注視し鍛えていたし、だからこそその感覚を伸ばした発展系である察知と探知であったし、ドガードは防ぐ事に赴きを置いていたからこそ、自身の防御力を伸ばすスキルを覚えていた。
ルクスが覚えたスキルはチャージと言う一定の溜めを行う事で威力を上げるスキルだ。ルクスの素手で戦うスタイルに置いて威力不足を解消出来る重宝するスキルである。更には魔力を溜める行動である為に焔火の手甲が反応し、その手を火で包む。
ルクスの魔力である以上、ルクス自身を焼く事も無く、ましてや飛竜すら殴り飛ばすその威力が更なる凶悪さを増し、そんな威力で殴られたマッスルモンキーが耐えられるはずもなく、ダンジョンの床に叩きつけられ魔力へと変換されていった。
「おーい、終わったんなら、こっちも助けてくれぇ!!」
「あ、うん。今行くっ!!」
魔石を拾っていたルクスに後ろから声が掛かった。マッスルモンキーはブートマンキーと呼ばれる小型の猿型モンスターと共に行動する事でも有名だ。そのブートマンキーの相手をラウジが引き付けており、鋼鉄の小盾で何とか攻撃をいなしている。
ブートマンキーは二頭おり、攻撃しているのが一頭で、ラウジの足元に魔石が転がっている事から、そこそこの俊敏さを見せつけるブートマンキーの一匹を倒したようだ。声にもそれなりに余裕が感じられるが、それでも協力しないわけにはいかず、ルクスは返答してラウジの方へと向かった。
「やっぱ武器が良いと、それ程苦戦しないよな。」
「そうだろうけど、油断しないでよ?」
「わーてるって。それにこの辺りはまだドガードとよく潜ってただろ?」
戦闘はそれからすぐ終わりを迎える。マッスルモンキーのCランク魔石とブートモンキーのDランク魔石を、魔石同士ぶつかり合い傷つけるのを防ぐ魔石専用の魔石ケースに入れ、ラウジはしみじみと言う。
元々武器と言う分かり易い威力を上げる道具を使わずとも、素の攻撃でもスッポヌークラスは問題にならない程にレベルが上がっている。そんな今真面な武装をしている事で、それが底辺レベルのものだとしても、余裕が生まれていた。
ルクスが武器を持って余裕が出来た事で油断しない様注意するが、ラウジは聞いているのか聞いていないのか。それでもルクスがやや心配し過ぎているきらいがある為、ラウジの反応はそれ程変でもないが、何が起きるか分からないダンジョン内での反応としては正しくもない。
ただこの辺りが、ここ一ヶ月で潜り慣れている事も確かで、その時と比べてもラウジのレベルも上がっていた為、罠や不意を打たれる事も無く、装備が確りとした物に代わっている為に心配する事もない。
「それに、ほら。第一層の終わりも見えて来たぞ。」
「この下の階層とボス部屋…」
「後はあのクイーンスパイダーだな。」
少し歩いた視線の先、そこは第七階へと通じる階段があり、その先にはあの第七階とボス部屋が待っている。緊張したように呟くルクスに苦笑し、それも仕方がない事だろうとラウジも思う。
一ヶ月前のあの日、物語に憧れる子供なルクスに現実を突き付けた相手だったのだから。目の前で親しくなった知り合いを殺されているのだから。
竜種すら軽々下す自身の実力、ましてやダンジョンでレベルが上がり、何でも出来る気がしていた所にそれである。気後れしても仕方がない。
「ほら、怖がってても仕方ないだろ?臆病風に吹かれちまったか?」
ラウジが元気付ける様に茶化しながら声を掛ける。ラウジの言い様にムッとしながらルクスは言い返そうとして、ラウジが苦笑している事に気付いた。
「ほらな。もう怖くなんかないだろ?その程度なんだよ。冒険者なんかやってると命の重さなんてさ。」
「…ごめん。」
「良いって、怖く無くなったんなら、行こうぜ。」
「うん!!」
自身の軽い言葉にルクスが怒った事を悟ったラウジがルクスに言い聞かせる。冒険者と言う仕事に就いていると、人も魔物も、全ての命は軽くなると。生きていかなければならないからこそ、簡単に命を賭けてしまう。たった一つしかないその命を。更にはその命を簡単に摘み取ってしまう。
でもその言葉にはルクスに現実を見せようとする厳しさと、ルクスを勇気づけようとする優しさが含まれており、怖がっていたのはラウジも同じ。ルクスは自分がラウジに甘えていただけと考え謝る。
だがルクスの謝罪を気にしないというスタンスで許し、目の前のボス部屋に続く扉を指差し、ルクスに声を掛ける。もう怖く無いと思える程にラウジに励まされたルクスはボス部屋に向かって歩を進めた。
「ルクスっ!!上っ!!」
「っ!?」
ラウジの掛け声にルクスは瞬時に転がるようにしてその一撃を回避する。ボス部屋に入った瞬間こそ、一ヶ月前の様に地面を見てしまったが、それはダンジョンが成長したすぐ後だった為に、クイーンスパイダーがまだ巣を張っていなかった事を思い出す。
ラウジの察知にも引っかからない隠密性を発揮してきたのは、そもそも罠を張り延々と獲物を待ち伏せるスパイダー系モンスターの面目躍如だろうか。だが不意を打たれたルクス達にとっては厄介この上なかった。
案の定天井を見上げると、六角形の立派な巣が出来上がっており、その上にクイーンスパイダーが鎮座していた。その獲物を取る為に発達した前足二本を振り上げた状態で。
振り下ろした前足は、それこそ地上に居るルクス達に届く筈が無かったのだが、その前足から糸を吐き出したのである。アサシンスパイダーも似たような事をしてきたが、どうやら見た目巨大な蜘蛛であるクイーンスパイダーも同じ事が出来たようだ。
速度こそ大したことが無いが、それでも不意を打たれた事には違いなく、ルクスはラウジと距離を離されてしまっていた。
「如何するの、ラウジ。降りてこないと攻撃出来ないよ!?」
「もう少し、我慢してくれ。もう少しなんだ。」
「分かったっ!?」
どうしても濃い一か月前の戦闘を前提で作戦を練ってしまっていた。巣は張られていたとしても、それでもクイーンスパイダーが地上に降りてくる瞬間はあるはずだと思い込んでいたのである。だがクイーンスパイダーは高い位置にある巣の上から降りてこない。それどころか正確に狙いをつけて糸で攻撃してきたのだ。
それこそ蜘蛛のモンスターとしては正しいのであるが、それでも本来と比べて、やけに高い位置に巣を張っている。あれではルクスが空中を駆けあがろうとしても、そこに到達するまでに糸で迎撃されるだろう。
ラウジは小盾で散発的に、ルクスに対する攻撃に比べて少ない糸での攻撃を防ぎながら、何かを見極めようとしていた。その事にルクスは返事を返そうとして、糸の攻撃で中断される。
「分かったっ!!ルクスっ、こっちに来いっ!!」
真っ直ぐルクスに向かってきた糸を、何度目かになるか分からない程回避して、そんな時ラウジが叫んだ。その言葉に従い、ルクスは後方に打ち込まれる糸を無視してラウジの方へと走る。ラウジもどうやら外周に沿って走っているようで、中々距離は縮まらないようだが、それでも外周部の一点で足を止めたラウジは盾を傘の様に天井に向け、その盾を鞘に入れたままの小剣で支える。
ラウジに追いついたルクスが、ラウジの意図をくみ取り、その速度を維持したまま盾へと飛び乗る。
「外から二番目。まっすぐ上の糸だ。間違っても横糸を踏むなよっ!!」
「分かったっ!!」
そこにクイーンスパイダーが糸を打ち込もうとして、体を向け、前足をそこに向けようとして、天井から生えていた水晶が邪魔をする。そこに向けられるように最短で動こうとするのなら、獲物を捕獲する時に使う粘着性の糸を伝わなければならず、一瞬だが硬直してしまった。
ラウジの掲げられた小盾を踏み台に、膝を曲げて踏み込んで大ジャンプ。天井に到達するのではと思える程の跳躍力を見せてルクスはラウジに指摘された糸に飛び乗った。
蜘蛛の糸には自身が移動する為に張られる、粘着性の無い糸と、獲物を捕らえる為の粘着性のある糸がある。ラウジはそれを見極めようと、ルクスに攻撃が集中しているのを良い事に小盾の端からクイーンスパイダーの行動を観察していたのだ。
糸の差にはすぐさま気付いたが、どうやってそこまでルクスを運ぶか思案していた。その時に目に入ったのは天井に無数に生えている水晶。天井の高い位置に巣が張られた事で水晶の一部が巣の形を歪めていたのだ。
後はルクスに向かって攻撃をしているクイーンスパイダーの行動を操る事で、一瞬のチャンスを作り出したという訳である。
ラウジの指摘した糸に足をつけたルクスは、クイーンスパイダーに向かって糸の上を走りだす。巣の上に来られた事で慌てたクイーンスパイダーは何もしてこない。その事を良い事に、後一歩で距離を詰められる所まで来たルクスは、糸が撓むのを気にせず、真っ直ぐクイーンスパイダーに向かって飛んだ。
「ファイアっ!!」
慌てて真面に防御すらしないクイーンスパイダーに拳を当てた瞬間、少しはマシになった初級の火の呪文を唱える。焔火の手甲は火の呪文を強化する事が出来、強化された火の追加攻撃も食らったクイーンスパイダーは魔力となって霧散してしまったのだった。
「やったじゃねぇかっ!!」
「うんっ!!」
魔力となって霧散してしまった事でスキル降誕の発動の心配もいらないだろう。霧散してしまった糸から投げ出された形になったが、慌てず宙を蹴って降りて来たルクスに駆け寄るラウジ。二人して大喜びする。
「でも、魔石が無かったんだ。」
「ああ、ボスは魔石を残さないんだ。その代わり、あれ。」
「宝箱?」
「そっ、レア宝箱。」
落ち着いたルクスが少し落ち込み気味にラウジへと、クイーンスパイダーが魔石を残さなかった事を告げる。だがラウジは気にせずに中央を指差した。そこにはやけにキンピカと輝く宝箱が置かれており、ラウジ曰く珍しいアイテムが入っている宝箱なのだそうだ。
一か月前は降誕で新しいボスが出て来た為、クイーンスパイダーを倒しても出てこなかった。アサシンスパイダーには逃げられたので倒してはいない。慌ただしくダンジョンを出た為に、ルクスにその辺りを説明し忘れていたのだ。
「うおっ、魔法の袋が入ってたっ!!」
「魔法の袋?」
「あ、ああ。」
開けてみればやけにラウジが興奮する品が入ってた。一般的にも売られているが高価であり、とても万年金欠であるラウジにとっては憧れの一品であった。
どんな大きさの物でも二十種類、十個まで入ると言われている魔法の袋である。素材を求めて駆けずり回る冒険者にとって十個までとはいえ、大きさを変えずに入れられるこのアイテムは人気の品であり、また上位の冒険者なら必ず持っている品でもあった。
「それって、これと同じ?」
「…魔法の巾着じゃねぇか。なんで持ってんだよ?」
「家出る時にお母さんに持たされたんだ。」
ラウジの説明を聞いたルクスが腰から小さな布の袋を取り外しラウジに見せる。それは壱種類だけではあるが、その入り口から入る物であれば幾らでも入れる事の出来る魔法の巾着と呼ばれる、魔法の袋の亜種の様なアイテム。当然これも高い。
そんな高価なアイテムをあっさり持っているルクスに問い詰めると、冒険者になる為に家を出る時に母親に持たされたらしい。ルクスがラクシズ村に来た時に、レウの鱗を売った大金が何処に消えていたのか不思議に思っていたが、なるほど魔法の巾着に入れていた訳だ。
ルクスの親がどれだけ過保護何だというツッコみを入れそうになるが、冒険者になるという息子に贈る物としては最適だし、魔法の袋とは違い、大物取引をする豪商や金銭的に余裕のある裕福な家系にはもちろん、そこら辺の一般家系ですら少し頑張ればどうにかなってしまう程度の値段である。
先祖代々借金しか残せていないと言っても過言ではないラウジにとっては、それは夢の様な話ではあったが。
「…で、これ売るか?」
「う~ん、どっちでもいいや。なんならラウジが持っててよ。」
「おいおい、良いのかよ。」
「うん。」
これがもしラウジ一人であれば、ラウジは間違いなくそのまま使っていた。それこそ借金返済の為にギルドに取り上げられない様に隠して使う。
だがこれはパーティーを組んで手に入れた物である以上、半分はルクスの物であるし、そう言った場合もう一つ手に入れるか、金銭に代えて分けるのが普通である。出なければ騒動の元になり易いからだ。
勿体無いと思いつつ、ルクスが居なければここまで来れていない事も踏まえて、ラウジは本当に残念だと思いつつ、ルクスに如何するか問うた。
だが金銭的に余裕のあるルクスにとっては、魔法の袋を売る必要もないし、どちらかと言うと冒険者っぽいアイテムに心惹かれるも、自身では使いこなす自信も無い。だからこそ、ラウジに譲った。
ラウジは口では遠慮した様な言葉を発するも、その声色は喜色に溢れ、目が輝いている。嬉しいと全身で表しており、そこまで喜んで貰えるのならとルクスも嬉しくなってしまった。
何時までも二人でニコニコしている訳にもいかず、ラウジがいそいそと魔法の袋を装備したのを確認して、ルクス先導の元第一階層のボス部屋を後にしたのだった。横目に一階への転送陣を見ながら、階段を下りていく。
「さーてと、此処からは第二階層だぜ?」
「フィールドみたいになってるんだよね?」
緊張気味に、普通なら階段を降りても扉は現れないが、その例外が階層を跨ぐ時であり、目の前に現れたその扉の前で互いに顔を見合わせる。緊張を解そうと二人でオフザケをしようと口を開くも、結局は確認みたいになってしまった。二人顔を見合わせ苦笑し、そしてその扉を開けた。