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遠い記憶。
わたしを呼ぶあの人の声。
やさしく柔らかい、いとおしい声。
質素な生活だった。それでもしあわせだった。
戦いは日に日に激しさを増したけれど、
あなたがいてくれれば、なにも怖くなかった。
そう、あなたさえいてくれれば
「イブ?」
そう呼ばれて、イブは声の方向へと向き直る。
男は笑みを浮かべながら、イブの顔を覗き込む。
「疲れたかな。少し休もう」
イブは首を横に振る。ただでさえ足を引っ張っているのに、これ以上迷惑はかけられない、と言うように。
男はそんなイブをみてくすりと笑うと、壁にもたれて座り込む。
「じゃあ僕はここで休もうっと。イブはどうする?」
イブは一瞬きょとんとした顔をするが、意味を理解したらしく男の隣に腰掛ける。そして、男の顔をじっと見つめる。
「どうしたの。そんなに見てもなにも出ないよ?」
男は困ったように笑うが、逆にイブは物憂げに下を向く。男はそんなイブの髪の毛を手に取り、呟くように話す。
「髪の毛、切れちゃったね。守りきれなくてごめん」
イブは何度も首を横に振り微笑んだ。イブの言いたいことは、言葉にならなかったが、それでも充分に男に伝わった。
男はやさしく続ける。
「切りそろえてあげるよ。ナイフしかないからいびつになっちゃうかもしれないけど。ほら、あっちを向いて」
イブは言われた通りに男に背を向ける。男はナイフを取り出して、イブの髪の毛を切り始める。
「イブ、きみは何者なんだ?」
イブの髪の毛が床に落ちる。
「塔の人間がふたりして、きみを必死に追いかけて来た。きみはただの囚人じゃないね?」
一房。ニ房。髪の毛が切り落とされていく。イブの身体は硬直し、しかしナイフのために振り向けないでいる。
「なんてね」
男はにこりと笑う。
「きみが僕の敵なら、不可解な行動が多すぎるし、そうでないにしてもきみは話せない。これ以上の詮索は無駄だ」
男はいつもの朗らかな声を出す。イブはあからさまにほっとした顔をする。そして、さみしそうな、諦めのような顔を。
「僕には、記憶がないんだ」
男がそう言葉をこぼす。イブは弾かれたように男の方を向く。
「起きたら、ぼろぼろのコールドスリープの装置のなかにいた。僕の他にも外には何人かの生き残りがいたけど、誰も僕を知らなかった。お手上げだよ」
男はそこでイブの異変に気付く。イブは大きな目を潤ませて、力なく首をふると俯いてしまった。
「どうしたんだイブ。変な話をしてしまったから、悲しくなってしまった?」
イブは反応を示さない。ただ、音にもならない嗚咽を漏らすだけだった。
「ごめん」
男は戸惑いの表情を浮かべる。
「僕はここをマッピングするためにここに来た。外の連中と、ここに乗り込むときの下調べとして。こんな騒ぎにする予定じゃあなかったけど、こうなってしまったからには仕方ない」
イブは顔を上げる。目の前には男の真剣な顔が見える。
「協力してほしい。僕らはここを占拠しようとしているわけじゃない。世界を再建するために、ここの塔の人間と手を組みたいんだ」
イブはまた泣きはじめる。男には、その涙の意味がわからなかった。男はただ、どうしていいか分からずに、イブが泣き止むのを待つしかなかった。