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ほおずきの宿 あやかし見聞録  作者: 綿津見
猫と鈴音
6/31

ニ (2)


「ふむ……、電話で聞いた通りだね」


 祖母はそう呟きながら、袂から眼鏡を取り出した。それをかけて真剣な面持ちでのとを見る。それからのとの胴や尻尾に手を当てて、しばらく様子を見ていた。あたかも聴診器を当てているかのような様子だった。やがて、


「猫又に間違いないだろうね。この子が百余年を生きたかは分からないけれど……生まれたての猫又だろう。尻尾以外は、普通の猫と変わらないくらいのね。そして、まだ不安定だ」

「不安定?」

「そう。体が妖気に馴染んでいないと言うべきか、中身が体に馴染んでいないと言うべきか……。不安定でいるうちに、ほかの(あやかし)に喰われてしまってもおかしくない」

「え」


 葱生は一気に語られた言葉に目を白黒させていたが、「喰われる」という一言に身を固まらせた。のとへと視線を滑らせると、のともまた硬直してしまっていた。そうしていると剥製か置物のようだ。


 やはり、この猫又は人語を解するらしい。祖母の言葉をしっかりと理解している。

 葱生は今更になって納得し、いやそんなことを考えている場合ではないと自分で突っ込みを入れる。ほかにも妖怪の類がいるのかという驚きよりは、こんな子猫のような猫又では一飲みにされてしまうだろうという不安の方が先立った。


「まあ、ここに居る間は大丈夫さ。少なくとも私の目の黒いうちは」


 祖母は一人と一匹の気持ちを和らげるように言った。眼鏡の奥の目尻が下がる。

 祖母は柔和だが、しかし、逆らいがたい雰囲気を醸し出していた。電話でも片鱗を感じたものだ。「優しい」のだろうが、それは「甘やかす」とは決して同じではない。時には厳しく叱ることを厭わないような優しさだ。それは凜としていて、同時にぴんと張られてもいた。この祖母のことを、父方の祖母と同じに「祖母(ばあ)ちゃん」と気安く呼べるようになるまでは時間がかかるだろうなと、葱生は感じていた。


 そう思うと同時に、葱生にとって未知の存在であった猫又をあっさりと検分してみせた祖母に驚きと頼もしさを覚える。落ち着きはらった様子は、妖怪や伝承に詳しい、という程度で済まされるものではないだろう。


「で、今、ここに居る間はと言ったけれど」


 祖母はのとに向き合う。葱生へ話しかけるのと全く変わらない真剣な調子で続ける。


「『落ち着く』までしばらく家にいなさい。葱生の家に戻ることも難しいだろうから。ここなら、お客がその尻尾を見たとしても、さして問題にはならないからね。それで、その後はお前の自由だ。家にそのまま居ても構わないよ。……そのつもりで連れてきたんだろう、葱生?」


 話の先が葱生に変わった。祖母の言葉に何ら否定すべき点はなかったのだが、不意に尋ねられた気がして葱生は面食らう。慌てて頷く。


 のとが鳴いて、祖母の膝を飛び出した。座卓の下をするりと抜けて、葱生の体を駆け上がる。ちょうど葱生の顎の下にのとの頭が収まるような形になった。ぴたりと密着しているので、全体から温もりが伝わってくる。この気温では、ずっと貼りつかれたら暑いくらいだ。

 祖母はそれを見て、楽しげに笑った。


「ああ、葱生はいつでも、来たいときに来ていいんだよ。のとも寂しいだろうし。それから、今日はせっかくだから泊まっておゆき。上りのJRも今日はあと一本しかないし、それで帰るとひどく遅くなるだろうから」


 祖母は一息にそう言って、湯のみを手に取った。それを口元へは持っていかず、しばし動きを止める。葱生が思わず目を留めたところで、


「……それにね、一度、孫とゆったり食事してみたかったんだ」


 祖母は少しだけ目を伏せて、付け加えるように言った。


「はい」


 葱生は答えて、もう一度重ねる。


「はい、お言葉に甘えて」


 祖母は目線を上げて微笑んだ。その目は悪戯好きな少女のそれのように輝いて見えた。


「ありがとう。それじゃあ葱生は、この隣の『(いちい)の間』をお使い。自由に使うと良いよ」

「はい、ありがとうございます」

「旅館にはいつでも来て良いし、好きなだけ泊まっていきなさい。学校の方に支障が出ない限り」

「はい。……あ、でも」

「何だい?」

「旅館にはお客さんがお金を払って泊まっているのに、俺が泊まるのは……」


 見たところ大きな、しっかりした旅館だ。葱生の一月のお小遣いでは、一泊もできないのではないだろうか。出迎えた昼顔の、葱生に対する扱いを思い出す。あれは客同様のものだった。彼女は今後も、口調は崩しても態度自体は変えないに違いない。

 葱生の思いに対し、祖母はそんなことか、といった体で返す。


「女将の孫息子が、気にしなくて良いんだよ。それに」


 のとがすっかり「旅館の猫又」の顔をして、葱生を見上げる。


「それに、『ほおずきの宿』が葱生の思っているような宿とは、限らないからね」


 微笑む祖母につられて葱生も口角を上げた。

 二人ともしばらく黙ってお茶を飲む。飲み終えた頃、祖母がほうと息を吐いて再び口を開いた。


「のとのことは任せておいで。家の温泉にはね、妖気が溶け込んでいるんだ。妖が生きていくに必要な、ね」

「溶け込んでいる……ナトリウムみたいに?」

「そう。温泉は他にも、疲労回復、リウマチ、肩こりにも効くよ」


 普通の温泉に掲げてある効能に列挙できるようなものらしい。


「その温泉に少しずつ入って、妖気に慣らしていくんだ。ああ、葱生が入っても全く問題ないからね」


 祖母があまりにもさらりと言うので、葱生は驚くところなのかどうか分からなくなる。視線を感じてのとを見ると、きょとんとした眼差しでこちらを見つめていた。


「温泉。……風呂だよ」


 風呂、という語を出した瞬間に、のとは尻尾を強く上げて毛を逆立たせた。尻尾が見事にY字を描いていた。


「あー……」


 予想通りの反応である。落着くようにと手を出せば、素晴らしい反射神経で飛び退りそうだ。のとの反応に、何事かと祖母が目を丸くした。


「こいつ、風呂嫌いなんです」

「なるほどねえ」

「水なら良いみたいなんですけど、なぜかお湯を嫌がって」


 祖母は神妙な様子で頷く。


「まあ、苦手ってだけならそのうち慣れるだろう。温泉は気持ちが良いから早速入っておいで。昼顔にお願いするから」


 祖母が事もなげに言うや否や、障子がすっと引かれた。廊下に、着物姿の女性が膝をついて控えていた。仲居の昼顔である。葱生をこの部屋へ案内した後、一度離れたはずなのにいつ戻ってきたのだろうか。足音などは一切聞き取れなかった。


「失礼します」


 昼顔は素早くのとに近寄って、逃げられる前に抱き上げてしまった。警戒するのとに対して、何気なく無駄のない動作だった。


「のとちゃん、それでは行きましょう。善は急げです」


 そのまま葱生や祖母に軽く頭を下げて部屋を出て行った。のとが抵抗する間もない、あっという間の出来事だった。のとは今もまだ目を白黒させているに違いない。


 のとと昼顔が去った跡をしばらく見つめる。祖母が笑いを零しながら立ち上がって、


「それじゃあ宿の中を案内しようか」


 廊下へと出た。葱生も荷物を持って、後をついて行く。

 まずは葱生の部屋となる櫟の間へ向かう。櫟の間は祖母の部屋からすぐ近くにあった。角を曲がって、隣である。柱にかかった札には「櫟」と書いてあった。「イチイ」と脳内でカタカナに変換していた葱生は、漢字でこう書くのかと札をまじまじと見つめる。


 そうしているうちに祖母が障子を開け放ち、部屋の中を示した。


 基本的に作りは祖母の部屋と同じだった。掛け軸が飾られた床の間があり、その横に低く窪んだスペースがある。前に座れば机のように使用できそうだ。書院造はこの書院の名を冠しているのだが、葱生はそれを知らない。

 広さは八畳ほどだろうか。他に家具がないのでそれ以上に広く感じた。一人で寝ることを考えれば十二分だ。


「荷物を置いたら下に行くよ」


 祖母の言葉に、葱生はエナメルバッグと鞄を下ろす。いつもの癖で、スマートフォンはポケットに入れた。


「ああ、それと」


その様子を見た祖母が付け足す。


「送ったほおずきがあったろう? 敷地の外に出るときはそれを持っていくようにね」


 葱生は屈みこんでほおずきを取り出す。振ってみれば、やはりからんころんと不思議な音はするが、


「このほおずきには、何の意味が?」

「そうだねえ……旅館のお客さんである証かな。家はね、電話なんかでお客さんの予約を受け付けていたりはしないんだ。ちょっと特殊でね、そのほおずきを持ってきたら、その人がお客さんだということになる」

「……うん。特殊」

「だろう?」


 だからちょっと特別なほおずきでね。

 祖母は楽しそうに言う。宿の名前にもなっているくらいだ、特別なものなのだろう。

 葱生は素直に、ほおずきを反対側のポケットへとしまった。落とさないように気をつけなければならない。潰れはしないか、と心配になったが指で摘んでみれば案外丈夫なようだった。


 櫟の間を出て、再び祖母が先導する。来た廊下を戻るのかと思ったが、そのまま直進していく。突き当りを左に曲がると、そこにも階段があった。



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