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ほおずきの宿 あやかし見聞録  作者: 綿津見
猫と鈴音
4/31

一 (4)


 翌日、仕事から帰宅した父は義母、つまり葱生(そうき)の祖母へと電話をかけた。


 葱生が見守る中、電話は案外すぐ繋がった。父は丁寧な挨拶をする。向こうの祖母には見えないにも関わらず頭を下げる。面識があり、年賀状や暑中見舞いの遣り取りをしていると言っても、祖母と電話をするのは本当に久しぶりらしい。父はどこか慣れない様子で、自身や葱生の生活についてしばらく話していた。


 やがて長い前置きを経て、のとの話に移る。荒唐無稽ととられてもおかしくない話だ。父は数年前から面倒を見ている野良猫がいるというところから、回りくどく、探るように話し始めた。しかし祖母に核心を言い当てられたのか、


「やはりお義母(かあ)さんには敵いませんね」


目尻を下げて、その後は安心した様子でのとの特徴を告げていく。 

 盛んに相づちを打ちながら、父は葱生に親指を立ててみせた。その親指の詳しい意味は分からないが兎にも角にも話は順調に進んだようで、葱生も肩を下ろす。


 二十分あまり電話は続いた。のとが葱生と父の間を落ち着かない様子でうろうろとしているのを掴まえる。のとにあまり走り回られて、電話の向こう側まで聞こえるような物音を立てられても困る。喉を撫でたりして気を引いて、葱生とのとはしばらく過ごした。


 葱生が痺れかけた足を組み替えた頃、父が相変わらず携帯電話を耳に当てたまま、空いた手で葱生を手招いた。電話を代われということらしい。頷いた父から、葱生は電話を受け取った。ゆっくりと耳へ持って来る。


「もしもし、──葱生です」

「ああ、久しぶりだねえ。と言っても葱生は覚えていないかもしれないけれど……」


 電話口から落ち着いた、重みのある女性の声が届く。深く懐かしんでいる声音だった。記憶にないはずなのに、葱生もまたひどく懐かしい気分になる。


「お久しぶりです」


 丁寧語でぎこちなく返すと、


「そう硬くならずとも良いんだよ。似たもの親子だねえ」


 祖母はからからと笑う。葱生親子と長年疎遠になっていたことなど全く気にしていない風だ。ひとしきり笑ったあと、ふっと口を噤んだ。電話空間の緩んだ空気が少し張り詰め、葱生は思わず姿勢を正す。


「それで、猫又のことだけれど、一度(うち)へ連れておいで。見てみよう」

「はい」

「もう聞いているかもしれないけれど、家は旅館でね。その猫又……のとと言ったね、のとだけ連れてくれば良い。お父さんが仕事で忙しそうであれば葱生だけでもおいで」

「はい、」

「家の連中も喜ぶよ。そうだねえ、急ではあるけれど……次の土曜日には来れるかい。三連休であることだし」


 葱生は壁のカレンダーに目を遣る。土曜日曜と休日が続いて、その次の月曜が昭和の日。祝日だった。カレンダーの予定の欄には何も書かれていない。帰宅部の身には、良くも悪くも予定がなかった。


「大丈夫です」


 たしかに急ではあるが、のとをいつまでも家に置いておくことはできない。父と一緒であれば車で行くことになるが、行けなければJRを乗り継いで一人でも行けるだろう。一人での移動に戸惑う歳でもない。


「じゃあ待っているよ。その前に小包を郵送するから、それを必ず持っておいで。来方を書いた紙も入れておくよ」

「はい、ありがとうございます」


 小包とは何だろうと思いつつも、葱生は礼を述べる。

 電話の向こう側で、祖母が微笑んだのが分かった。再び空気が柔らかく緩む。


「楽しみだ」


 お父さんによろしく頼むよ。そう言って祖母は電話を終えた。携帯電話の画面に「通話終了」の文字が浮かび、暗転する。

 葱生はしばらく黒い画面を見つめて、それを父へと返した。


「お義母さん、何だって?」

「土曜においでって」

「土曜か!」


カレンダーを振り返り、


「土曜は行けないなあ……」


 父はうなだれた素振りを見せる。


「いいよ、俺一人で行ってくるよ」

「うーん、日曜なら行けるってわけでもないからなあ……、葱生一人に行ってもらうほかないか」


 うん、と葱生が頷くと、父は指折り数え始めた。


「久高までJRで四時間か……」


 呟くようにそう言って、


「やよいちゃんに一緒に行ってもらうか?」

「一人で行けるよ……」


 子供の時分と同じような反応をする父に思わず呆れた声音で返す。それから葱生は立ち上がりカレンダーの前に向かった。のとが興味深そうについて来る。


「土曜に出かけるからな、それまでおとなしくしておくんだぞ」


 葱生が話しかけると、のとは了解したのかどうか、相槌のように短く鳴いた。

 土曜の予定を書き込むべくペンの蓋を外すと、きゅぽん、と子気味良い音がした。



***



 速達で祖母から届いた小包には、小さなメモが入っていた。

 そのメモを頼りに左右を林で覆われた道を進んだ。道には車がすれ違える程度の広さはあるものの、車がやってくる気配はない。繁る葉がざらついたコンクリートに柔らかい影を落としている。


 葱生は先を行く猫を追う。のとは雑草に頭を突っ込んだり突如現れた蝶に跳ねてみたりと一直線には進まないため、そう焦らずともすぐに追いつける。


 のとはJRで眠っていたときを除いて、朝からずっと興奮している様子だった。もともと好奇心旺盛な性質ではあったが、土曜が近づくにつれてそれがますます加速しているようだ。


 対して葱生は、緊張や不安といったものが奥底で渦巻いているのを感じていた。はじめは祖母と、祖母の経営するという旅館に対して純粋な興味のみがあった。しかしそれらとの邂逅が現実味を帯びるほど、マイナスとも言える感情が首をもたげてくるのだった。

 電話で話した祖母は優しかったけれど、顔が思い浮かばないことに変わりはなかった。その点においては初対面と同じだ。電話で受けた印象から、記憶の中の母と同じカテゴリに当てはめることもできなさそうだった。顔の浮かばない身内という、どこか奇妙さのある相手に会いに行くということが緊張を生じさせる。

 それでも、その緊張は決して後ろ向きな感情だけで構成されたそれではなく、母の育った家に行くこと、旅館を訪れることといった心浮き立つものも含んでいるものだった。様々な感情はぐるぐると渦巻いて複雑な色合いを見せる。楽しげに先を行くのとが恨めしいとさえ感じられた。


 久高駅から十分ほど歩く。そこで道がY字型に分かれていた。どちらに進めば良い? と言いたげに、のとが葱生を振り返る。祖母からのメモを再び確認する。


「ええと、次は、右だな」


 左側の道の先を見ると、そちらの方が華やかな人里に繋がっていそうだった。しかし、メモはきっぱりと右だと示している。まあ、一般住宅ではなく旅館だというから、人里離れた場所にあってもおかしくはないだろう。

 思わず小さく苦笑いしながら、葱生はまた歩き出す。


 道はやがて緩やかな傾斜がつき、車一台分の細さへと狭まっていった。山の方へ向かっているようだ。


 葱生はポケットからスマートフォンを取り出して、時刻を確認した。午後一時五十八分。だいたい電話で伝えた通りの時間だ。


 一歩一歩踏みしめるように足を踏み出して、なだらかな坂を上りきる。道は平らに戻った。そして右側に、


「……うわ」


 思わず声をあげる。


 右側に、木造の高い塀が見えていた。塀に近づいていくと塀は今目の前に見える面だけでも普通の一軒家を五、六軒足しても超える長さを有していた。塀の向こうには木々の上部が見える。中の様子はそう簡単には覗けなさそうだ。


 これが、祖母の旅館であるはずだ。民宿よりは大きいだろうかと想像を巡らせていたが、その想像よりも立派だった。塀がこれだけ大きいならば中も広いに違いない。さっそく中に入ろうと周囲を見渡す。

 が、塀に入り口と思しきものは見つからなかった。しかし、塀をぐるりと回って入り口を探すのも難しそうだ。途中で木々に阻まれてしまいそうで、旅館としては不親切だろう。葱生はメモの通りに道を来たはずで、こちらが正面玄関側でなかったとしても勝手口くらいはあって良いはずだった。


 のとが葱生の足元で急かすように鳴く。


 葱生は穴が開くほどメモを見つめる。方向音痴のきらいがある訳ではないと自負していたし、改めて確認しても、駅からは正しい道順を来ていた。

 メモの最後には「着いたら、同封したもので知らせてください」と書いてあった。


 まだ塀の中には入れていないが、これを着いたと見なして良いのだろうか。


 葱生は鞄に手を伸ばして、紙の箱を取り出した。中のものを潰してしまわないための、小さいながらも作りのしっかりとした箱だ。これもまた祖母から送られてきたものだった。


 箱を開け中身を手のひらに出す。ころんと飛び出たそれは、ほおずきだった。袋状の(がく)が鮮やかな橙赤色をしている。中に実はなさそうだったが、指で摘むと何か入っていそうな重みがある。軽く振ってみると、


 ……からん。


 小さく音がした。下駄の音と鈴の音を掛け合わせたような、軽やかに弾む音だ。

 祖母からの荷物を確認した際、葱生も父も首を傾げた。メモはわかるが、このほおずきは何に使うのか。純粋に贈り物かとも考えたが、メモの「同封したもの」が他に何もなかったために持ってきてみたのだった。


 これは、鈴やベルなんかの代わりなのだろうか。来客を知らせるために店の扉につけられていたり、店員を呼ぶために飲食店のテーブルに置かれていたりするような。


「……まさかな」


 こんな小さな音では聞こえるはずがない。そう思いつつも、ほおずきを鳴らしながら歩く。


 からん、ころん。耳に心地良い音だ。


 塀の曲がり角まで来てみたが、そちらに入り口があるとは思えなかった。どうしたものか、と佇んだとき、のとが足に体を擦り付けてきた。葱生が怪訝な顔で見つめても同じ動作を続けるので、しばらく考えてようやく来た道を戻らせたいのだと気がついた。


 にっちもさっちも行かないのもあって、素直にのとに従ってみる。そこで葱生は目を見開いた。


 まるで先ほどからそこにあったかのように、塀に門が構えられていたのである。屋根のついた立派な迎門だった。それは葱生が気づかなかったことの方が「不自然」であるかのように、堂々たる様子で立っていた。たしかに先ほどまで、何もなかったはずなのだが。


 のとが満足げに鳴いた。


「そうだな、あったな、入り口……」


 葱生は門に向かう。門の脇には木札が掲げられていた。流麗な文体で「ほおずきの宿」とあった。やはりここが旅館で間違いないようだ。


 葱生は鞄を背負いなおし、のとを腕に抱えた。エナメルバッグに収まって顔だけ出してもらおうかとも思ったが、それはのとに拒否される。

 祖母に会うだけだ、緊張することはない。

 呼吸を整えて扉に手を伸ばしたところで、


「あら、すみません」


 手が触れる前に先に開いた。戸の前に、着物姿の女性が立っていた。


 落ち着いた紅梅色の着物を着て、長い黒髪を高い位置で一つに結わえている。年は二十代半ばくらいだろうか。

 彼女は丁寧に礼をして、ゆっくりと笑んだ。


「葱生さまですね。ほおずきの宿へようこそ、お待ちしておりました。私がご案内させていただきます」



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