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ほおずきの宿 あやかし見聞録  作者: 綿津見
猫と鈴音
24/31

七 (3)


 薬師は薬を飲ませ終えて、細々とした器具をまとめた。小袋は口を閉め、すり鉢を腕へ抱え込む。何に使うのかと思ったコーヒー牛乳は、沼田や先庭、薬師にも飲まれなかった。再び仕舞いこまれるのか、瓶のまますり鉢へ放り込まれる。

 沼田は眠った、もとい投げ飛ばされて気絶したままだ。

 

「あと四、五時間は寝たままだと思います。もしかしたら弱い頭痛が起きるかもしれないけれど、後遺症になったりはしないから大丈夫」


 薬師の言葉に、黙っていた祖母が懐から携帯電話を取り出した。時刻を確認して、


「四時か……電話してもぎりぎり許されそうだね」


 と呟く。今度は顔を先庭に向けて、続けた。


「ここで目覚めるよりは、家の方が良いと思うんだ。従業員の板倉を呼んでその車で送っていくけれど、それで良いかい?」

「……、あ……はい。でも、家までは申し訳ないです。駅までお願いしても良いでしょうか。途中からはJRで帰ります」

「分かった。好きにすると良いよ」


 祖母はそっと微笑んで、電話をかけ始める。相手は板倉だろう。


 先庭と沼田は、板倉の息子の方が車で送っていくことになった。板倉親子は旅館の外に家を持っているが、朝食の準備のためにいつも五時前には出勤してきているという。祖母は電話で、沼田と先庭を送るよう話をつけていた。


 板倉が来るのを待つ間、葛西、先庭、葱生(そうき)は縁側に座っていた。


 陽はまだ昇ってきていない。辺りは薄暗いが、空はどことなく青く見える。ぼんやりとした明かりを放っていた灯篭が、何をした訳でもないのに一斉に火を消した。


 葛西は話さなかった。緊張している様子もなく、ただぼうっと庭を眺めているように見える。


 その隣、葛西と葱生に挟まれている先庭も同様だった。既に二人分の荷物をまとめ、いつでも旅館を発てるよう浴衣から私服に着替えている。泣き腫らした目元も、化粧で隠そうと葛西が奮闘していた。先庭はなすがままにされていて、落着いて話はできるものの、どこか心ここにあらずといった状態に見えた。


「……私」


 先庭がぽつりと言った。その目線は自身の膝に向けられていた。


「自分がろくろ首だって、知ってました……。一月くらい前に、夜中にふっと目が覚めて、自分の首が伸びてるって気づいて。それから、昼は何ともないのに、夜、寝ている最中に首が伸びていることが何回か」


 そのときの衝撃は、きっと計り知れないものだっただろう。沼田のように、知人がいるべきところに見たことのない姿があるのを見ても驚くだろうが、自身の変化にも多大なる恐怖を感じるに違いない。


 葛西も葱生も相槌らしい相槌を打たなかった。それを気に留めた様子はなく、静かに涙を零すように先庭は続ける。


「私の母も、そうなんです。叔母は違うけれど、祖母も。だから自分がこうなるかもしれないってことは分かってたんです」


 先庭は息を深く吐いて、吸う。


「夜に首が伸びることがあるって、分かった頃から首に青い筋みたいなものが見えることに気づきました。……まるで、首を吊ろうとしたみたいな」


 髪を右肩に寄せて、服の襟元を少しよけた。首吊りに失敗して本当にこんな痣がつくのか、葱生には分からない。それでも先庭の首にある線は、外せないチョーカーのように目を引いた。


「少し不自然だけれど、マフラーやタートルネックで隠せば何とかなるかなと思っていました。聞かれたら誤魔化して。母もそうしていたし、外に泊まったりしないで、必ず自室で寝るようにすれば問題ないと」


 首元を服と髪で隠した。そうすると、横から肌色は一切見えなかった。言われなければ痣があるなどと気づけない。


「でも、よく会う従兄弟の正次郎くんには、ばれてました。私のこと、心配していたでしょう」


 沼田家にろくろ首はいなかった。先庭と沼田は親族関係にあるが、沼田の両親も子には話さなかったに違いない、沼田は自分にも流れているその血のことを知らなかった。存在すら疑わしいものに自分の従姉妹が悩まされていると、どうして想像が及ぶだろう。


「この旅館……昔、母がお世話になったというこの旅館に二泊して、気持ちを落ち着けたら正次郎くんに話そうと思ってました。でも、心配されていると分かっていても、話すのが怖かった」


 先庭はそう話して、


「……化け物と、言われるのが怖かった」


 ぽつりと呟くように付け加えた。


 葱生は何も言えなかった。独白になりつつある先庭の話をただ聞いていた。


「正次郎くんの目に化け物として映ったままでいたくない。いたくないから、あの薬を、飲ませてもらいました」


 先ほど薬師が、気絶している沼田に飲ませた薬。あれのことを指しているのだろう。気にかかっていた薬の話に、葱生は密かに目を見開いた。それに先庭は気づかない。


「……この二日間のことを覚えていないのは、寂しいけれど、……お互い落ち着いた状態で話して、分かってもらいたいから」


 深く深く息を吐いて、先庭は顔を上げて正面を見た。


 空が白み始めている。右手にたなびく雲から濃い橙色に染まっていく。空気が入れ替わるかのごとく空の色が変わる。そこに最初は遠慮がちに、やがて騒々しく小鳥の囀りが混じる。


 遠くで車の音がした。


「来たようだね」


 と、祖母の声が三人の背中にかけられた。本来は先庭の部屋であった薄暗闇に、祖母が待機していたのだった。

 葱生と葛西は腰を浮かす。玄関の方向へ気を取られていたせいで、先庭の頬に一筋涙が流れていったのには気づかなかった。話を聞く相手がいなかったところで、こうして先庭は喋っていたのだろう。それは気持ちを整理するのに必要な作業だった。


 間もなく板倉親子が姿を見せる。板倉は事情をすっかり把握している様子で、ひょいと沼田を背負ってみせる。沼田がまるで子供に見える扱いだった。


 板倉、その背中の沼田、祖母、葱生、先庭、葛西がぞろぞろと玄関へと向かう。玄関を出て門をくぐった先に中型の乗用車が止められていた。荷物をトランクへ詰め込み、沼田を後部座席へ乗せる。無理にシートベルトはつけず、横へ寝かせておく。走行の振動で怪我をしないか確認したあと、板倉が運転席についた。


 先庭は他の皆に向かい合った。


「……ありがとうございました。色々ご迷惑をかけて、すみません」


 祖母は黙って首を振った。先庭は、葛西や葱生にも頭を下げる。本当にありがとうございました、と礼を重ねて、車のドアに手をかけた。しかしそれを引かず、数拍後、ゆっくりと首をこちらに向ける。


「……あの」


 躊躇う声。


「また来ても、良いですか? ……できれば、正次郎くんと一緒に」

「いつでもおいで。そのほおずきを持っている限り」


 祖母は笑顔を浮かべた。先庭はきょとんとして、カーディガンのポケットからほおずきを取り出す。それをまじまじと見つめ、やがて感極まった様子で頷いて、車に乗り込んだ。


 発進し徐々に速度を上げる車の中から、先庭は旅館を見つめていた。祖母や葱生に向けて何度も頭を下げていたが、驚いた様子で目を瞠った。葱生もその視線を追ってみる。開いた門の奥から、妖怪を含め沢山のものたちが先庭へ手を振っていたのだった。煙が高いところを渦巻き、小さいものがぴょこぴょこと跳ねている。


 先庭は目を丸くしながらも、最後は思わずといった様子で笑って手を振っていった。


 そして車はどんどんと小さくなっていき、角を曲がって見えなくなった。


 見送った一行はしばらく余韻に浸り、旅館へと戻る。庭は太陽の光で輝いていた。すっかり朝だ。


「葱生」


 縁側で、祖母が葱生に声をかけた。


「こんな時間だけれど、少し寝たらどうだい。夜はほとんど寝てないだろう」

「……うん」


 祖母の言葉に甘えて、沼田が使っていた部屋で仮眠することにする。父が午前中に来たらそのまま帰ることになってはいるが、葱生には整理する荷物もほとんどない。この旅館を去る準備には手間取らないだろうから、少しばかり寝ていても構わないはずだ。

 「杉の間」の障子に手をかけて、思い出したように振り返った。祖母を見る。


「一つだけ、聞いても良い?」

「何だい?」

「あれは……あの薬は、記憶を操作するためのもの?」


 薬師が沼田に飲ませた薬のことだ。「二日分」、「この二日間のことを覚えていないのは、寂しいけれど、」……旅館にいた二日分の記憶を消してしまったのだろうか。

 祖母はゆっくりと首肯した。


「彼の場合には、ああした方が良いだろうと判断した。あの子には了承を得ているよ。完全ではないから何かきっかけがあれば戻るとは思うけれど、薬によってこの二日間のことは曖昧になっているはず」

「そっか」


 ありがとう、と回答の礼を述べて葱生は部屋に入った。


 自殺。ろくろ首。化け物。薬。記憶。

 言葉が浮かんでは、歪な螺旋を描いて脳内を巡る。しかしこれ以上の思考を放棄して、葱生は布団の前まで体を引きずった。沼田が仮眠用に敷いていた布団だ。着替える気力もなく、ただパーカーを脱ぎ捨てて、掛け布団もかけず倒れこむ。障子の向こう側は明るかったが、そのまま泥のように眠りこんだ。


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