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ほおずきの宿 あやかし見聞録  作者: 綿津見
猫と鈴音
21/31

六 (3)

 月の明るく、音を吸収しているかのごとく静かな夜だった。黒々とした空にぽつりと浮かんでいる月は、はっとするほどに白く丸かった。月明かりのおかげで、この時間でも縁側が照らし出されているように見える。


 沼田の部屋は「杉の間」だった。部屋の構造は葱生(そうき)の「櫟の間」と変わらない。座卓のある和室だ。


 部屋の電気を点けていないため、室内はぼんやりと暗かった。暗いが、障子の向こうを人が通っても気づけないほどではない。部屋の隅に置かれた行灯(あんどん)が仄かな光をもたらしていた。障子のように(わく)に貼られた紙に、橙色の炎が透けている。

 

 本格的に寝入ってしまわないよう、葱生は体育座りで壁にもたれかかるという姿勢でいた。


 少し離れた場所では沼田が胡坐を掻いている。透視を試みるかのごとく、隣の部屋へ続く壁を凝視していた。


 この場にのとはいない。


 昼間、沼田に会って話した後、葱生とのとは昼顔に遭遇した。先庭が見つかったこと、それから葱生がもう一泊することになったことを伝える。すると昼顔は穏やかに微笑んで、のとを温泉へと連行していったのだった。もはや恒例となりつつあるが、のとの嫌そうな態度は変わらない。初日、二日目であれば夕食の前にはのとは戻ってきていた。しかし今日は異なり、葱生が夕食を摂っている間にも帰ってこなかった。


 ただ祖母との夕食時に夜顔が現れて、のとが戻ってこない旨を告げに来た。夜顔は昼顔と全く同じ着物を身につけていた。何度見たところで顔立ちも同じである。やはり、下ろされた髪と驚くほどに無表情だという点で見分けるしかない。


 夜顔は丁寧に腰を折って、のとのいない理由を告げた。


「昼顔によれば、あと少し温泉に浸かればのと様は安定するだろうとのことです。そのため今夜は戻ってこないと思われます」

「ありがとうございます」


 葱生の言葉にも、


「お礼であれば私ではなく昼顔へお伝えください」


 と淡々としていた。


「いえ、夜顔さんにもこうやって伝えてもらったりしてるので……」


 夜顔は口を閉じ、まじまじと葱生の顔を見た。そこに感情の機微は読み取れない。やがて、


「楽しみにしていてください」


 そう言って、


「……と、昼顔が申していました」


 踵を返していった。


 そういう訳でのとが戻ってこないまま夕食を摂り終え、早々に温泉に入る。沼田に会うこともなく、河童と少し言葉を交わした。


 それが今から三時間ほど前のことである。時刻は現在、午後十一時過ぎ。


 葱生と沼田は、三時間ごとに見張りを交代しようと取り決めた。今は沼田が起きている番で、午前一時になったら今度は葱生が受け持つ。見張りと言っても直接先庭を監視できる訳ではないので、何か気になる物音がしたら片方を起こすことになっていた。先庭が遅くまで起きていたりお手洗いに向かう可能性はあるが、昨晩の見張りではそういうことはなかったそうだ。


 葱生が午前一時から四時までの見張りを終えたら、また沼田が四時から七時まで起きている。確保睡眠時間としては葱生の方が長いのだが、自分が言い出したからと言って沼田は譲らなかった。


 葱生は立てた膝に腕を置いて、それに頭を預ける。押入れには布団があるのだから引いて寝ても良かったのだが、それをすれば朝まで絶対に目覚めないだろうと分かっていた。ロングスリーパーである上に睡眠も深い。沼田に揺り動かされて起きられなくてはまずかった。隣の先庭にばれないように見張るのが目的で、葱生を起こすために騒がしくしては本末転倒してしまう。


 眠りづらく、ただ動かないことで頭と体を休めるような三時間だった。波打ち際で足を海に浸しているような気分でいた時、葱生は肩を揺り動かされた。


「……おい」


 潜めた声で呼ばれる。

 瞼を押し上げると、沼田が目の前で膝を着いていた。一瞬事態を飲み込めず、ああ、見張りをしていたのだったと思い出す。何か起きたのだろうかと尋ねるように沼田を見ると、


「一時だ」


 と腕時計を示された。葱生の見張りの時間だ。


「四時まで頼む」


 沼田は言葉少なにそう言って、押入れから布団を引っ張り出してきた。丁寧に掛け布団までかけて、中に潜り込む。寝息が聞こえてきたのは、おどろくほどすぐだった。前日は徹夜しているはずなので無理もないのかもしれない。布団を全く出さなかった自分に比べて思い切りが良いなと思いながら、葱生は立ち上がった。


 強張った四肢を伸ばすため、薄暗闇の中でストレッチをする。起きていることが目的なので、時間をかけてこれでもかと言うほど念入りに行う。


 スマートフォンの明かりは目に眩しすぎて、画面を点灯させるのは止めにした。アプリのゲームやネットサーフィンをする気分ではない。


 更けていく夜はどこまでも静かだ。暗闇の中から新たな暗闇が生まれては、引き伸ばされて拡散していく。それに寄り添うように月が光の筋を伸ばす。その光は闇を排除するものではない。排除するという表現は、人工灯といった白々としたきつい光に似合うのではないだろうか。同じ日本に、いや、そこまで言わずとも、少し人のいる方に出て行けば、無数の光に照らされた眠らない街がある。そのことが妙に不思議に思えた。


 このまま何も起こらない気がする。

 行灯の奥に透ける炎をぼんやりと見つめながら、葱生は考える。


 何事もなく夜が明ければ、葱生もそうだが、沼田と先庭はこの旅館を後にする。それには何の問題もない。こうして夜通し見張っていたことが徒労に終わったとしても、それは寧ろ歓迎すべきことなのだ。そうしたら、明朝、沼田に何を言うべきか。先庭曰く「思い込みの強い」沼田に、沼田曰く「なかなか決意を変えない」先庭。それもお互いが話し合えば、何とかなりそうに見えた。沼田には先走り勝手に行動する面が見えたが、先庭を思う気持ちは本当だろう。先庭が何か抱え込んでいるのなら、せめて吐き出させてやれれば良い。そうすれば、沼田が不安を抱えて旅館までついて来るようなことも今後はないに違いない。帰り道にでもきちんと話し合うべきだと、葱生は言ってみようと決めた。自分は全くの他人だが、一晩付き合わされているのだ、それくらい干渉しても許されるだろう。


 疲れている沼田の代わりに朝七時まで起きていても良いかとも考えるが、沼田を起こさなければ起こさないで、朝に叱られるように思われた。気を利かせたつもりが、変なところで沼田の律儀さを見る結果に終わるような気がする。


「…………」


 畳に背中をつけて寝転がり、片膝を手で胸の方へ寄せる。そうやって脚の裏を伸ばしていく。


 一人で過ごす夜は久しぶりではなかった。母が亡くなってから、父方の祖父母の家で過ごしたこともあったが、基本的には父との二人暮らしだった。父は夜や休日には葱生といようと努めてくれていたが、仕事の都合上そうはいかない時もある。鍵をもって自宅に入り、ありあわせのもので夕食を作り、父と顔を合わせられないまま寝付いてしまう日もあった。小学校の高学年くらいから一人で自室で寝るようになったので、それも考えると就寝時に一人だというのは、寧ろ普通でもあった。

 

 この旅館が賑やかすぎるのだ。


 別に常に誰かと一緒にいたい訳ではない。一人の時間がないと息が詰まる、とも思う。しかしほおずきの宿に、人間であれ妖怪であれ常に誰かしらがいるものだから、一緒に食事を摂る、雑談をするでもなく空間を共有するということの居心地の良さが身に染みるように感じられていた。望めば一緒にいてくれるという贅沢が、あまりにも簡単に手に入る。


 それはもしかしたら、学校であればクラス、部活動という場で得られるものかもしれなかった。葱生はクラスに親しい友人が何人かいるが、全員と必ず仲良くなろうという気概でクラスメイトと接している訳ではなかった。そもそも二年に上がってクラス替えがあったので、一言二言しか言葉を交わしたこともないクラスメイトもざらにいる。もしかしたら卒業までそのままかもしれなかったが、居心地が悪くなければそれで良いと思っていた。部活動にも所属していないから、親密な交友関係というものを数多く持ってもいない。それに特に不満感を覚えてもいなかったし、今こうやって考えたところで、これから積極的に動こうという決意も湧いてこなかった。


 それでもこういう心地よい空間は、あるに越したものではない。葱生の常識から外れていて驚かされることも多々あるが、自分を受け入れてくれる柔らかい場所。それが他ならぬ母のいた場所、祖母のもつ場所であることを嬉しく思う。祖母が旅館の女将である限り、クラスや部活動と違って、月日の経過によって自然と解体されることがない。


 また来よう、と言葉を舌の上で転がす。思いは既に帰宅後へと流れ始めていた。


 そしてそれを断ち切るかのように、ガタン、と大きな物音がした。


 葱生は夢から覚めたかのごとく立ち上がる。音は壁の向こうから聞こえた。先庭の部屋だ。


 スマートフォンを取り出して、さっと時刻を確認する。午前二時を回ったところ。先庭は寝入っているような気もするが、音がしたのは事実だ。聞き間違えるような音量ではない。


「……沼田さん」


 布団のところまで移動して、沼田に声をかける。


「沼田さん、今、何か倒れるような音が」


 説明を重ねると、沼田は意識を覚醒させたのか、掛け布団を剥ぎ取った。目元を擦りながら起き上がる。


 そのまま、僅かに開けていた障子をそっと押し開き、葱生と沼田は廊下に出た。


 物音は先ほどの一回だけで、静寂が広がっている。先庭の部屋から聞こえた物音は、眠っている先庭がつい何かを蹴飛ばしてしまっただけかもしれなかった。そしてそのまま、それに気づかず寝入っているということもあるだろう。そんな中、先庭の部屋を訪れたりしたら、夜這いか何かかと思われてもおかしくない。いくら葱生が祖母に見張りの件を伝えていると言っても、先庭自身は何も知らないのだ。


 しかし、もしかしたらということがある。沼田の考えている通り先庭が自殺を図ろうとしているのであれば。この廊下での躊躇いは、後悔してもしきれないものとなる。


「菜穂」


 沼田が口を開いた。

 迷いのない声だった。


「菜穂、俺だ。入るぞ」


 その宣言を、先庭が耳にできたかは分からない。返事を待たず、沼田は先庭の部屋の障子を引いた。


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