五 (4)
「……さて」
沼田はまだ二階の捜索を終えていないだろう。葱生は歩き出す。のとが擦り寄るようにしてついて来るのを、
「尻尾を見られないようにな」
沼田と先庭に不審がられないよう、念には念を押しておく。すると、のとは得心した様子でじっと葱生を見つめ、不意に後ろ足を蹴った。反射的に広げた葱生の腕に飛び乗り、抱えられてそこに尻尾を埋ずめる。突然の行動に、葱生は呆れて声も出なかった。
まあ、こうして抱えていれば二又の尻尾が目につくこともない。運んでやっているようでやや釈然としないが、どこかに隠れてもらうという行動以外の良策といえば良策だった。
葱生とのとは朝食を摂る部屋を覗き、厨房の様子を伺い「ほおずきの間」へと向かう。どこも閑散としていて、人と妖怪の気配はなかった。念のため奥まで確認して、人の姿がないか見る。縁側に沿って移動し、旅館の庭に影が見えないかと目を凝らすも、やはり見つからない。
先ほど沼田と話した場所に戻ってきたところで、沼田が大またに歩いてくるのが見えた。
「どうでしたか?」
葱生は声を放るが、後ろに先庭の姿が見えない時点で答えは分かっているようなものだ。
あと考えられるとするならば、旅館の北側か、それか外出しているか、といったところだろうか。
「外を見てみましょうか」
「ああ」
相槌を打ちながら、沼田は携帯電話を取り出す。ボタンを何度か鳴らした後、それを耳に当てる。コール音が葱生の耳にも届いた。
「……やっぱり、出ねぇ」
もどかしそうに沼田が呟く。
「電源オフにしてるんでしょうか」
「いや、多分マナーモードだ。サイレントにしてるだろうし、あまり見ないから着信に気づいてない」
玄関へと向かい、靴箱から靴を出す。沼田は靴を突っかけるようにして外に出ると、敷石の上で視線をさ迷わせた。
左に行けば縁側があるはずである。二人と一匹は右に向かう。「ほおずきの宿」は全体を樹木に囲われている。その上でさらに木の塀があるのだが、向かっている方向はより樹が集中しているようだった。林のような一角ができている。
近づいていくと、様々な樹木が集中的に植えられていることが分かった。植えられていると言ってもそれは昔のことで、どれも太さがある立派な樹である。樹は青葉を茂らせているが、暗い森を作り出している訳ではない。塀は奥に見てとることができた。
「菜穂、菜穂いるか!?」
沼田が声を張り上げる。
「先庭さん」
葱生も声を出し、のとが便乗するように鳴いた。
反応は、ない。
葱生たちがいるのはちょうど旅館の角のところで、そこを右に曲がったとしても温泉の壁に突き当たるばかりだ。その壁の向こうは女湯になっているはずで、もうもうと立ち上がる煙だけが見える。
沼田はそれをじっと見つめて、戻ろうと告げた。
その声音には焦りや苛立ちが滲んでいるように見えて、何か話せば気が紛れるかと葱生は声をかける。
「あの、沼田さん。ちょっと気になったんですけど、何でまず俺に声かけたんですか?」
もっと色んな人に声をかけた方が効率も良い。そう続けようとしたが、沼田はすぐには返事をしなかった。
「……、」
「……ああ、それは」
先を行く沼田がゆっくりと口を開く。その表情は葱生には見えない。
「ざわざわするんだよ、この旅館。あんたも感じないか? 客はいないのに、何かいるような感じがして気味悪い」
今度は葱生が押し黙る番だった。沼田は続ける。
「温泉はたしかに気持ち良いし、料理も美味いよ。でも何か変だろ……仲居は一人しかいないし、逆に料理人は二人だけなのに妙に騒がしい。まるで他にも誰かいて喋ってるみたいにさ」
気味悪い、と、もう一度同じ言葉を吐いた。
「菜穂がいるんじゃあなかったら俺は帰ってる。なあ、あんた、分かんないか。この感覚」
分かる、と頷くことはできなかった。しかし真っ向から否定することもできなかった。何か言いたいが、何の言葉も浮かび上がってこない。ただ異物が喉につっかえた感じだけがする。
足元の小石が擦れる音のみが響いて、沼田はようやく振り返った。
「……あ」
葱生の顔を見て、薄く唇を開く。
「あんた、ここの女将の親類だって言ってたな……。悪い」
謝った沼田に、
「いえ」
葱生は目を瞬かせながら返す。謝罪に少し驚いていた。所々引っかかる一面を見せるものの、根は悪い人間ではないらしい。
「でも、耐えられないほどじゃない。さっきも言ったけど料理や温泉は良いし。菜穂は気に入ってるみたいだしな。好みの問題だ、好みの」
取り繕いなのか本心なのか、沼田は重ねた。
「──まぁ、だから、あんたなら聞きやすいかって思ったんだよ。実際手伝ってくれてるし」
そういう理由か、と葱生は頷いた。この旅館を否定されたような気がして言葉に詰まったが、妖怪が視えないという沼田にしてみれば、それは気配だけを朧気に感じるという状態なのだろう。気配すら感じることができなければ不快感も覚えなかっただろうが、自分で調節できるものでもなさそうだ。正体が分からないものがいる感覚を、「気味が悪い」という言葉に落とし込んだとしても非難はできない。「この旅館には妖怪がいるんです」と伝えることも、今の葱生にはできなかった。
話しているうちに旅館の玄関へと戻ってきて、靴を脱いで床へと上がっていた。
階段の前を通り過ぎて、角を折れる。縁側があり、すぐ沼田たちの部屋である。
「……あ」
沼田の口から声が漏れる。両目もめいっぱい見開いて、
「菜穂!」
大声を出した先には、女性がいた。
先庭菜穂。今まで散々探していた女性だ。
「……正次郎くん」
女性も驚いた様子で、沼田の名を呼んだ。沼田はあからさまに安堵した様子で、ずかずかと先庭に近づいていく。
「どうしたの、正次郎くん」
「俺は菜穂を探してたんだよ! 今までどこにいたんだ!?」
「え、女将さんのところに……つい話し込んじゃって」
先庭の肩を揺さぶらんばかりの沼田の剣幕に、先庭は戸惑った表情を見せた。それは、自分がなぜ探されていたのか分からない、といった風に見えた。
対して、沼田の方は心底安心した様子である。良かった、と何度も繰り返していた。
二人の会話を後ろで見ていた葱生は、困惑を覚えて話しかけられないでいる。そこに、沼田から視線を外した先庭の目が留まった。
「正次郎くん。後ろの方は?」
「あ? ああ、菜穂を探すのを手伝ってくれって頼んだんだ。……ええと」
「浅川です」
葱生は自ら名乗った。先庭は沼田の前に出て、葱生に向き直った。
「浅川さん。先庭菜穂です。わざわざ私を探してくださり、ありがとうございます」
先庭は九十度、綺麗に礼をした。カーディガンにロングスカート。肩甲骨を越える長さの黒髪に、やはり今日もマフラーを巻いていた。
「ほら、正次郎くんも」
沼田の背中を押して頭を下げさせる。沼田はそれに抵抗する素振りを見せたが、
「……まあ、助かった。礼を言う」
それでも礼を述べた。葱生も頭を下げる。
「ご迷惑をおかけしました。ありがとうございました」
先庭が重ねて謝辞を述べた。このままでは延々同じ言葉を重ねられそうだったので、そんな大したことはしていないと葱生は手を振る。散歩のついでだと伝えると先庭はようやく納得したようで、沼田とともに同じ部屋に戻っていった。戻りながらも、先庭が沼田を叱りつけている声が聞こえてくる。先庭の方が年下に見えたが、関係性はどちらかというと、先庭が姉で沼田が弟だというように見える。
一体何だったのだろう。
葱生は息を吐く。
釈然としない感じはあるが、探し人が無事に見つかったのであれば問題はない。何はともあれ良かった、と言えるだろう。大事に至らなくて何よりだ。
ポケットからスマートフォンを出して時刻を確認すると、十二時になろうかというところだった。あとは昼食を摂って、それから板倉に駅まで送ってもらう。それでこの宿とはしばらくお別れだ。
のとに促されるようにして踵を返したとき、ばたばたと慌しい足音が聞こえた。
「ちょ、ちょっと待ってくれ」
振り返らずとも声の主が分かる。つい先ほどまで話していたからだ。
沼田は靴下が滑るのか危なっかしく近づいてきた。つい先ほど部屋に戻ったばかりだというのに今度は何なのか。
「頼みがある」
先庭に聞こえないよう配慮しているのか、妙に小声だった。葱生が何か問いかける前に、沼田は先手必勝とばかりに続ける。
「夜、菜穂を見張るのを手伝ってくれ」
「……はぁ?」
葱生は明からさまに怪訝そうな声を出してしまう。
「声が大きい……!」
沼田が慌てた様子で人差し指を立てる。大の大人にそのジェスチャーは似合わなかった。が、それをつっこむことは許されない雰囲気であったし、沼田本人に気づく余裕もなさそうだった。
「昨日の夜も寝ないで、隣の部屋で、何か不審なことが起きないか見張ってたんだ。昨日は何もなかった。でも今夜どうかは分からない」
沼田は危機迫る表情で言う。
従姉妹が伝言なく部屋を離れたくらいで探し回ったり、寝ずの番をしたり──何が目的なのか。葱生には見当がつかない。そんなことに自分が荷担しなければいけない意味も分からなかった。過保護が過ぎるというか、それはストーカーとも言えるのではないか。葱生は訊かざるを得なかった。
「見張るって、何で……」
その質問は、さすがに沼田も想定していたのだろう。思いつめた様子で唾を飲んで、いっそう声を潜めた。
「菜穂はここで自殺するつもりに違いない。俺はそれを、止めたい」




