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ほおずきの宿 あやかし見聞録  作者: 綿津見
猫と鈴音
15/31

五 (1)


 葱生(そうき)と葛西は部屋に移動した。そこには既に多くの妖怪たちがいた。葱生が探そうとした時には見つからなかったのに、一体今までどこにいたのだろうか。


 どうやら新しい客が来たときには、この部屋に集まるのが通例らしい。薬師が座布団に座っていて、その周りを他のものたちが取り巻いていた。和服の男の子が二人、薬師を急かすように肩を叩く。


「あ、坊ちゃん」


 葱生たちが近づくのに気づいた老人が、薬師の前に座布団を二つ用意してくれる。葱生は礼を述べて、座布団に座り込んだ。


 薬師は水筒の蓋をキュルキュルと開け、黒く丸い盆に直接中身を注ぎ込んでいるところだった。透明で、湯気は立たない。水のように見える。盆は艶々としていて、まるで鏡のようにも見えた。皆が背伸びをしてその盆に注目する。


 薬師が盆の淵に手を添える。やがてそこには旅館の門が浮かんできた。敷き詰められた白石の向こうに門が見える。そこに昼顔の後ろ姿があった。ちょうど扉を開こうとしているところのようだ。


 盆には監視カメラのごとく、俯瞰する形で旅館の様子が映っていた。


「さて」


 薬師がそう呟くと、盆の中の風景はズームしたように門に近くなった。仲居姿の昼顔に続いて、二人の人影が現れる。


 先を行くのは、二十代半ばに見える女性だった。長めの黒髪に、ロングスカートを着用し、旅行用のボストンバッグを斜め掛けしている。全体的におとなしめの配色で、あまり目立つ方ではなさそうだ。盆から表情までは読み取れないが、浮き立ちはしゃいでいるといった風には見えない。


 続いて現れた男性は、先の女性よりは年上に見えた。スーツ姿だが、前のボタンは留めていない。変に着慣れた感じがある。細身でも大柄でもなく、荷物は仕事用と思しき鞄だけだった。彼は朝顔と女性の二人にやや遅れて歩いていく。


 三人が旅館の玄関に消えると、カメラが切り替わった。盆には旅館の内部が映し出される。玄関には旅館の女将である祖母が待機していて、新たな客に挨拶をしているところだった。


 葱生は座ったまま、玄関の方向に視線を向ける。本当にあそこに、祖母と宿泊客二人がいるのだろうか。薬師の表情は顔の前の半紙で読み取れないが、楽しげに見えた。それを語るかのように半紙の文字は「楽」である。隣に座る葛西は、真剣な面持ちで盆を見つめていた。ろくに瞬きせず、声も発さない。


 自分とのとがこの旅館に来たときも、こうして見られていたに違いない。どういう原理で別の場所での出来事が盆に映り込んでいるのかはさっぱり分からないが、こうして皆が熱心に覗いているということは本物のようだ。そこに見られるのは警戒というよりは、やはり好奇心のようだった。


 盆の映像は高さを保ったまま、先導する昼顔と、客二人の背中を追っていく。


「マフラー?」


 盆を凝視したまま薬師が呟いた。葛西が興味深そうに顔を近づける。


「ほんとだ、マフラーね……この季節に」


 これ、と言って葛西は盆の中の女性を指差す。たしかに彼女は首に黄色のマフラーを巻いていた。四月下旬だというのにストールではなく、マフラーを。


 周りの小さな妖怪たちが畳の上でぴょこぴょこと跳ねる。それは自分も見たいと主張するようだったが、同時に、ただ周りに合わせて跳ねているだけにも見えた。


「寒がりなのかしら」

「それか矢鱈お気に入りなのかも」

「半紙がお気に入りの人も世の中にはいるものね」


 つつくような葛西の声音に、葱生は思わず笑いを零す。向かい側の半紙が抗議するように揺れた。薬師は何か言いかけて、


「……っと」


 盆へと戻る。

 三人は一階の部屋の前へと辿り着いていた。縁側に近い部屋だ。先ほどまで葱生がいた辺りである。


 老人が子どもたちに静かにするよう示して回る。


 盆の中では、昼顔が振り返って何事かを話していた。その内容は分からなかった。盆は映像は見せてくれるが、音声までは拾えない。昼顔の話のあと、女性がすぐさま首を横に振る。それを後ろで見ていた男性が、あからさまに肩を落とした。それは女性には気づかれなかったようだが。


 昼顔は穏やかな笑みを浮かべて、隣り合った障子を開けた。そしてその二部屋を示す。女性と男性はそれぞれ部屋に入っていく。その前に、男性が女性に何か話しかけたようだったが女性の反応はどこかそっけなかった。すっと障子の奥に消える。男性は釈然としない表情を浮かべて、また部屋に入って入った。


「すっごく分かりやすいわ」


 葛西が感嘆するように言った。男の心情の移り変わりのことだろう。


「『お部屋はどうなさいますか?』『別々で』って感じかしら」

「にべもない感じでしたねえ。──さて、これで終わり」


 薬師はそう言って、盆を持ち上げた。水筒の蓋を再度開け、盆の水を水筒に戻す。初見の葱生を慮ってか、


「部屋の中までは見れないんですよ。プライベートスペースだから」


 補足してくれた。たしかに、これで対象の一挙一動を追えるようであれば立派なストーカーになってしまう。門から部屋の前まで追える時点で、既にやや怪しくはあるのだが。


 新たな客の観察を終えて、他の妖怪たちはそろそろと部屋を去っていった。新たな宿泊客がどんな人物か掴めるまでは、相手を驚かしたりこちらが脅かされたりすることがないよう、身を隠しつつ過ごすらしい。


 葱生はそのまま、しばらく部屋にいた。薬師は仕事を抜けてきたところだったようで、名残惜しそうに抜けていった。葛西や他の残ったものたちと過ごす。


 二人の子どもが様子を伺うようにして寄ってきた。丈の短い甚平を着た二人で、ともに五歳くらいの男の子に見えた。幼さを湛えた瞳がじっと葱生を見る。


「遊ぶか?」


 葱生は親戚の数も少なく、子どもと触れ合うような機会が皆無に等しかったが、この時は自然と誘いの言葉が零れ出た。


 彼らに手遊びを教えてみる。手で狐を形作って揺らすと、子どもたちは花ひらくように笑って、葱生の手を小さな手で包んだ。蟹、鳩と他の形も見せてみる。


 部屋には、五十音を囀る雀がいた。「は」「こ」など、一匹につき一音を高い声で鳴くのだ。雀らしい鳴き声も出せるのだが、こちらが手を打って合図してやると順々に一言を披露してくれる。


「た」「こ」

「こ」「た」「つ」


 十匹ほどいる雀たちを並べ替えては、合図をして一音ずつ発声させる。限られた十音でどんな単語ができるか、葱生と子どもたちは遊びに興じた。子どもたちは見た目のわりにほとんど言葉を話さなかったが、感情の流れは非常に分かりやすかった。面白く感じたときにはぎゅっと目を瞑り、笑い声を上げる。


 子どもたちは単語が思い浮かばなくなると、葛西を見上げる。葛西は悪戯っぽく目を細めてヒントを出す。葱生も声を立てて笑った。


 そうしていると時間の過ぎるのはあっという間だった。新たな宿泊客二人の姿を見かけることはなかった。それを少し残念に思う。


 この旅館のことをどこで知ったのか、どうして泊まりに来たのか聞いてみたかった。温泉のある旅館だから、日常を離れて寛ぎに来たと言われれば納得できる。できるが、この旅館は、あまり外泊経験のない葱生の目から見ても特殊だ。旅館に入るのにほおずきが要るという点だけを挙げても。


 祖母の宿は、こんなにも不思議で、面白い。

 笑いながら、葱生は素直にそう思った。最初は戸惑いや驚きが感情の大部分を占めていたが、それはやがて好ましいものへと変化していた。今までの常識を覆す存在に、目を瞠ることもある。それでも拒絶を覚えるのではなく、そういうものもあるのだと好意的に捉えられるようになっている自覚があった。


 自分の知らない世界があった。

 祖母が見守り、母が育ち、父が視られなくて惜しんだ世界が。


 そこはとても賑やかで、これまで父と二人で過ごしてきた、友人も特別多い方ではない葱生にとっては新鮮だった。帰るのがだんだん惜しくなってくる。投げ出したいほど、家や学校が嫌だというわけではなかったが。


 それを祖母に話すと、祖母は顔を綻ばせた。


 夕食は二人で、祖母の部屋で摂ることになった。部屋で向かい合いながら、夕食を持ってきてくれるのを待つ。宿泊客が全員顔馴染みの時は宴会形式にしてしまった方が都合が良いしやはり盛り上がるらしいが、今日はそうはしない。他の宿泊客二人も部屋で食べるそうだ。


 やがて、障子越しに声がかけられる。祖母の返事に障子が引かれ、膝をついた夜顔が姿を見せる。髪は下ろされていて、その奥に覗く顔からは感情が読み取れない。彼女はわざわざ名乗らなかったが、昨日と同じ髪型にこの表情ということは、ここにいるのは「昼顔」ではなく「夜顔」だろう。冷たい印象までは受けないものの、同じ顔で朗らかに笑う昼顔を思い返すと不思議な感じがする。


「失礼します」


 夜顔は部屋に膳を運び入れてくれた。一人で二回運んだのか、既に二人分が揃っていた。


「それから」


 夜顔が裾を整えた後ろから、


「のと!」


 のとが二又の尻尾を見せた。昨日ほど弱ってはいないようだ。自分で歩いて戻ってきていた。


「おかえり」


 葱生がそう言ってのとの頭に手を乗せると、のとは目を細めた。

 手を合わせて夕餉を始める。のとが時折ねだるのでそれを与える。


「そういえば」


 思い出して、葱生は祖母に問う。


「この宿に入るためのほおずきって、どうやって手に入れるの」

「ああ」


 祖母が頷く。


「あれはね、この宿に来るための鍵のようなものだね。それか名刺といった感じか……」


 食事を口にしながら、ゆっくりと祖母は話す。


「初めて来たお客さんに渡したり、その人が誰かに譲ったり……そういうことで巡っているんだよ。だから、そう簡単に手に入るものでもないね。まあテレビや雑誌で取り上げられるような宿ではないから、存在を知って、ほおずきを手に入れようとする人も稀だけれど」

「じゃあ今日のお客さんも、誰かから譲られたってこと?」

「ほおずきを持っているということは、そういうことだろうね」

「でも、それって」


 葱生は客二人の後ろ姿を思い浮かべる。マフラーをした女性と、スーツ姿の男性。


「望まないお客さんが来る可能性もあるんじゃないの?」


 その疑問に、


「それはどこの旅館だって同じさ」


 祖母はからからと笑う。


「ほおずきの宿は、温もりを望んでやって来た者には開かれるんだよ」


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