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ほおずきの宿 あやかし見聞録  作者: 綿津見
猫と鈴音
13/31

四 (2)


 一人と一匹は階段を上り、「櫟の間」に戻ってくる。

 すっと襖を開けると、中には既に布団が敷いてあった。


「夜顔さんかな」


 そう仮定して、胸中で彼女に感謝する。洗面所に立ち寄ってから布団に潜り込んだ。

 何も言わずとも、のとがその横に入ってきて丸くなる。


 重い水のような眠気に体がどんどん沈んでいくのを感じながら、まだ辛うじて起きている部分で葱生(そうき)は考える。


 ほおずきの宿に来て、祖母と話して、のとは旅館に預けることになった。のとの他にも妖怪は沢山いることが分かって、喋って、宴会のようなことまでした。

 目まぐるしすぎて、一日の出来事だとは信じられないほどだ。今日のことを全て父に話したとしても、そう簡単には信じてもらえないだろう。


 のとが猫又になって以来、葱生の「現実」が今までのそれとは違う方向性を見せている気がする。それはそれで「現実」なので受け入れざるを得ないのだが。


「今日は今までの人生で一番、自己紹介したな……」


 高校に上がったときにもこんなに自己紹介はしなかっただろう。しかもその相手のほとんどが「人間以外」だった。祖母との関連を示すためにとりあえず名乗っておけば間違いないといった感じで、免罪符か印籠のように自己紹介を繰り返した。


 不思議なことが沢山あった。不思議で、これまでの常識から完全には信じられていない部分もあるのだろうが、それでもそういうものだと思えば楽しかった。これが夢だったと後に分かっても、葱生は「面白い夢だった」とすんなり納得して笑ってしまうだろう。


 いかにも眠そうに、のとが小さく鳴いた。葱生は同意するように小さく頷いて、これ以上思考することを止める。底へ底へと引っ張っていく眠気の手は恐ろしくはなく、誘うような心地よいものだった。


 寝なれた布団でも部屋でもなかったが、そんなことは全く意に介さず、葱生は眠りへと落ちていった。





「……ん」


 目を覚ました。

 首をもたげた意識に、既に高いところに上ったらしい太陽の光が浴びせられる。障子越しの光は眩しくはないが、ああ、朝なのだと実感するには十分だった。


 夢を見た覚えはない。しかしすっきりとした目覚めだった。葱生にしては珍しい。

 葱生は横になった体勢のまま両腕を上げて伸びをした。そこで、はたと微かな違和感に気づく。


「あれ」


 起き上がってみると、やはり枕が頭の下から消えていた。視線をあちこちにやってから布団を剥がしたところ、足元に見つかる。


 布団がなくなって温もりが急に奪われたためか、のとが驚いた様子で身じろぎした。


「何でこんなところに……」


 俺はこんなに寝相が悪かったろうか。

 そう思いながら、葱生は枕を拾い上げる。のとがしぶしぶといった感じで布団の上からどいた。敷布団からシーツをとって、三つ折に畳む。掛け布団や枕と合わせて、それらを部屋に入ってすぐの押入れへと放り込んだ。


 スマートフォンを拾い上げ、時刻を確認する。午前九時四十六分だった。葱生は目を瞬かせる。爽やかな目覚めだったから早くに起きられたと思っていたが全然そんなことはなかった。


 祖母の起床時間はだいぶ早そうだ。これが本当に旅館に泊まりに来ているのであれば、好きな時間に起きても問題はないだろう。しかし祖母の家に遊びに来ているという立場上、あまり自堕落に生活しているわけにもいかなかった。父方の祖父母であれば葱生が朝に弱いということを把握しているためそれが普通になっているが、初めて泊まったこちらの祖母ではそうもいかない。


 葱生は慌ててパーカーを羽織り、洗面所へと走った。自宅のアパートにいれば洗面所まで父以外の人に出会う可能性はゼロだが、ここではそうもいかない。跳ねる髪を押さえつけながら洗面所に向かう。


 手っ取り早く朝の準備を終わらせて祖母の部屋へと向かったものの、障子の向こうから返事はなかった。祖母は部屋にはいないようだ。それでは一階だろうかと踵を返したところ、突如顔が湿り気を帯びた。


「う、わ、何」


 反射的に目を閉じてからおそるおそる確認すると、煙のような雲のようなものが目と鼻の先に浮かんでいた。もやもやとたなびく水蒸気のようなものだ。


「……?」


 前進することも後退することもできずにいる葱生の前で、その煙の表面に何かが浮かんできた。水蒸気をスクリーンに映し出されたのは葱生の顔だった。その顔はきょとんとした様子で葱生を見つめ返した。まるで鏡のようだ。そう思っていたら、怪訝に思う葱生に向けて、満面の笑みを見せた。葱生本人もなかなかしないような邪気の全くないものだ。


 煙の表面の顔はいっそう笑みを深めて、やがてぐにゃりと歪んで消えた。葱生が思わず声を上げそうになったところで、代わりに祖母の顔が浮かび上がってくる。やはり笑顔だった。そして煙は、階下へと向かって素早く飛んでいった。

 それを見送ったのとが、階段の方へと歩を進め始める。葱生も追うようにして歩き出す。


「結局、何だ、一階にいるって言いたかったのか……?」


 先ほどの煙は階段の踊り場にいた。葱生たちが気づくと、再び祖母の顔を映し出す。眉がつり上げられていた。面と向かっては言えないだろうが、鬼のような形相である。


「え、怒って」


 階段を一段飛ばしに下りていく。のとも一気に踊り場までの距離を跳躍した。

 そうして焦りつつ向かった縁側で、


「怒る? まさか」


 からりとした祖母の言葉に迎えられた。


「昨日も言ったけれど、好きに過ごしていいんだよ」


 祖母は今日も着物をきっちりと着込み、髪を結い上げていた。一分の隙もない様子で、ただ仕事はないのか縁側でお茶を飲んでいたようだった。葱生は祖母に促されて、その隣に座る。諭すような調子で言われて、焦って走ってきたのが気恥ずかしくなった。


「何だってそんな、私が怒っていると思ったんだい?」

「それは、煙が……」

「煙?」

「廊下に、顔が浮かび上がる白い煙がいて」

「ああ」


 祖母は頷いた。


「厨房によく出るんだ。板倉親子と気が合うようでね。基本的には、旅館中を好きなようにふらふらしてるね」                                       

 どうやら祖母のよく知る存在だったようだ。葱生にとっては怪奇現象でも、祖母にとっては日常だというものがこの宿には沢山あるのだろう。

 もしかしてと思い、ついでに足元にあった枕の話をすると、それも妖怪の仕業かもしれないという話だった。


「多分、座敷童だよ」

「座敷童」


 葱生も聞いたことがあった。家にいれば、その家に繁栄をもたらすという幼い子どもの妖怪だ。

 河童に天狗に座敷童。葱生が聞いたことがある妖怪がことごとくいるこの旅館は、全くもって期待を裏切らない。それともその妖怪たちが、種族として物凄く数がいるということなのだろうか。


「まあ、何でもかんでも分からないことの原因を妖に求めるのはいけないけどね。それにしても、葱生は何というか……からかい甲斐があるのかね」


 祖母がからからと笑う。葱生としてはそんなことを言われても嬉しくないのだが、祖母がこうも楽しそうだと強く反論することもできない。

 のとが長く鳴いた。

 それを契機に思い出したように、祖母が手を打つ。


「そういえばね、葱生。帰る日程だけど、明日なら買出しの車で、隣駅まで連れて行ってやれるんだ。隣駅の方がJRの本数は多いし、明日にしないかい」


 葱生は「ほおずきの宿」に来る道程を思い返した。久高駅に駅員がおらず、駅に止まるJRの本数も少ないことを考えると隣駅から帰った方が良さそうだ。


 加えて、まだのとや祖母と離れるのは惜しかった。今日は日曜だが、幸い三連休なので明日も休日だ。帰るのには時間がかかるが、もう一泊するくらいは大丈夫だろう。


「うん。お言葉に甘えて」

「良かった」


 それから二人は雑談を交わした。

 その後、祖母はやることがあると言って自室へと戻っていった。もしかしたら起きてくるのを待ってくれていたのかもしれない、と思いながら葱生はその背中を見送った。


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