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ほおずきの宿 あやかし見聞録  作者: 綿津見
猫と鈴音
10/31

三 (3)


 最後に、祖母は二階の一室へ葱生(そうき)を連れて行った。中は他と同じく和室で、ただ葱生の部屋として宛がわれた「(いちい)の間」とは異なって、使い古された様子の箪笥や机が置かれていた。障子と反対側の壁には絵が飾られている。


「……ここは」


 祖母がゆっくりと言った。


奏枝(かなえ)の部屋だよ」


 障子に手を触れたまま、中へは足を踏み入れないでいた葱生は目を見開く。


「そうだねえ……あの子が結婚する前、働きにここを出るまで使っていた部屋だから、何年前になるか……」


 祖母は指折り数え始める。葱生の母である奏枝が使っていた部屋。母と父が結婚したのは葱生が生まれる一年前だというから、母がこの部屋を使っていたのはおそらく二十年ほど前までだろう。それでも部屋は清潔に保たれているようだった。祖母か仲居か、いずれにせよきちんと掃除の手が入っているようだ。正常に流れる空気は部屋の主がまだ健在であるかのような雰囲気さえ醸し出していた。


 祖母は部屋の奥まで歩を進める。つられるようにして葱生も中へ入った。祖母は何か考えているのか、しばし黙ったままでいた。それを急かすことももどかしく思うこともなく、葱生はぼんやりと部屋の中を眺めていた。亡き母を強く想起させるようなものは部屋にはなかったが、ふと目を留めた床の間の写真立てには、家のアルバムで見たことのある写真が古ぼけた感じで収まっていた。結婚する前、付き合いたての父と母が笑っている。


 悲しさのあまり泣き出しそうだ、というほど感傷的にはならなかった。ただ、幼い頃に別れた母の思い出の残滓がこの部屋で風化させられることなく大切に扱われていることを知って、その事実に心が微かに震えた。


 緩やかな沈黙を破って、葱生に背を向けたままの祖母が口を開く。


「ここの妖たちが、奏枝のことを『お嬢』と呼んでいたのに気付いたかい?」

「……え、ああ、はい」

「あの子はね、私と同じように妖たちの姿も声も、全て視ることができたんだ。だからあの騒がしいくらいの妖たちの中で育った」


 先ほど見た、大きさも見た目も様々な妖怪たち。祖母や母は日常的に彼らを見て、ともに暮らしていた。葱生にとっては夢かと思うほどの非日常が、祖母や母にとっての普通だったのだ。


「でもね、幽霊なんかと同じように、妖も、視られる人間と全く視られない人間がいるんだ。その中間の、声だけ聞こえたり、存在だけ朧気に感じられる人もいる。広樹さんはこの宿に来たとき、気配は分かるけれどそれ以外は感じられなかった」


 広樹というのは葱生の父のことだ。そういえば、以前のとをどうするかと話し合った折、妖怪について「前は視えなかった」と話していた気がする。


「視えない人にとって、視える人が何もないところで一人楽しそうに話しているところは気味悪く映る。声や気配だけ分かる人は、ざわざわとして落ち着かない。全て視える人は稀だけれど、場合によっては幻覚が見えるようになったと思って心を病んでしまう……。だからね」


 祖母は振り返った。その顔には穏やかな微笑が浮かんでいた。


「葱生はどうか、と少し心配していたんだ。でも、問題なかったみたいだね。」


 さすがは私の孫で、奏枝の子だよ。祖母はおかしそうに小さく笑う。


 妖怪のいる旅館。それが、葱生と父が、母方の祖母と疎遠になっていた理由の大部分だったのだろう。正直なところ温泉に入ったくらいでは葱生は頭を整理しきれていなかったが、それでも祖母と喜びを共有するくらいの余裕はあった。


 そこで祖母が思い出したように言う。


「ああ、そうだ。夕食を私の部屋でとると話したろう?」

「はい」

「……それがね、さっきの話で騒がれて、『ほおずきの間』でやることになってね。葱生に頼むことは別にないんだけれど、人数は多いと思ってておくれ」


 「ほおずきの間」。先ほど聞いたばかりの部屋の名だった。この宿で一番広い和室だ。


「……そんなに?」

「ああ、気にしなくて良いよ。見ていて分かったと思うけれど皆上機嫌だったろう? 騒ぎたいだけなのさ」


 葱生は頷く。広い「ほおずきの間」を使うなどと、宴会をすると言っているようなものだ。自分は宿泊客ではないのにどれだけ気を遣ってくれるのかと少し気後れしたが、祖母がそう言ってくれるのだ。先ほどのしんみりとした雰囲気はどこにもなく、祖母が楽しそうなのであまり後ろ向きに考えるのも申し訳ないだろうと、深く気にしないことにした。


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