一 (1)
規則的な走行音を後方へとばらまきながら、三両編成の列車は進む。窓の向こうには気持ちの良い青空が広がっている。田植えを待つ田んぼがそれを映しながら流れていく。
「──次は、久高。久高に停まります──」
ほとんど乗客のいない車内にアナウンスが流れる。
ボックス席の一角で、葱生はふっと目を覚ました。
一瞬自分がどこにいるのか分からなくなり、ああ、JRに乗っているのだと思い出す。うとうとしているうちに眠ってしまっていたらしい。手に読みかけの文庫本を持ったままだった。少しずつ読むせいで、随分昔に購入した本なのに未だに読み終わらない。葱生はぼうっと表紙を見つめたあと、それを鞄にしまいこんだ。
強張った首を傾けて伸ばしながら、そのままの姿勢で、目線を足元へと遣る。
財布や本が入った鞄のほかにもう一つ、四角いエナメルバッグが置いてある。運動部の大会のときにでも使うような一際大きなものだ。手を伸ばして、ほんの少しだけ空いていたファスナーを広げる。上半身をかがめて中を覗きこむ。
寝てしまっている間に異常が起きたりはしなかったようだ。ほっと息を吐く。
列車は少しずつ減速して、久高駅へと滑りこんでいった。
葱生は立ち上がり鞄とエナメルバッグを肩にかける。くだか、と慣れない単語を舌の上で転がす。先日、道程を確認する際に教えられた名前だ。
するすると停まった列車から降りた。降りたのも乗ったのも葱生一人だった。列車にはもう乗務員以外乗っていないかもしれない。
久高駅は無人駅だった。切符をどうすれば良いのか分からず視線をさ迷わせた結果、白い箱を見つける。その中に切符を入れながら、Suicaを使わなくて良かった、と安堵する。ICカードをタッチする先も、それを尋ねる駅員も見当たらない。
改札を抜けると、清々しい風が髪を掬っていった。
さて、駅までは辿りついた。スマートフォンに保存したメモの内容を思い返す。ここから先は徒歩だった。残念ながらバスも、タクシーの類もないようだ。
目の前には舗道がすっと伸び、林へと繋がっていた。その向こう側には山がなだらかに横たわっている。駅の後方には田んぼが広がっていたから、そちらの方向の方がはるかに人に出会える確率が高そうだ。
それでもメモに寄れば、まずは林へと向かうとのことだった。より人里から遠ざかりそうな道を前に、葱生は決心を固める。
そのとき、もぞり、腰の右側で何かが動いた。慌ててエナメルバッグの口を開ける。
そこから弓なりに、跳ねるように何かが飛び出した。
「ああ、もう」
葱生はさっと周囲に視線を走らせる。幸いこんな田舎では、数時間経とうが人は現れそうにない。
それを知ってのことだろうか、エナメルバッグから出てきた生き物は葱生を見上げたかと思うと、目を細めて得意げに鳴いた。
「お前、ここまで運んでくるの大変だったんだぞ」
葱生の家にはペットを運ぶキャリーケースのようなものはない。そもそも列車で生き物を運んで良いのかということも分からなかったので、最初は気にかけ通しだった。まあそれも、そのうち慣れて寝落ちてしまったのだが。
葱生の抗議にも我関せずと言った感じで、その生き物は黒い前足をなめていた。
全身真っ黒な猫だった。ビー玉のような両目だけが琥珀色に光っている。子猫と呼べるような歳ではないはずなのだが、生活環境のせいか体格は小さかった。
葱生は猫をしばらく見つめ、まあいいか、と諦めたように呟く。反省を促しても仕様がない。
「行こう」
空のエナメルバッグを背負い直す。
にゃあ。やはり葱生の言葉を理解しているかのように猫が鳴いて、先導するかのように歩き出す。それに伴って尻尾が揺れる。
その尻尾は、根元の辺りで二又に分かれていた。
普通の猫では、ない。
ゆらり、機嫌良さげに振られる二又の尻尾を見つめながら、葱生はこれまでの経緯を思い出していた。
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