第57話 人間主義
ここのところ自民党政権内で眉をひそめる言動が続いている。集団的自衛権問題とか、武器輸出問題とか、竹島・尖閣の領土問題に関する教科書検定とか。靖国参拝もそうだが、その思考の根底には、他国に対する不信感や思い上がり、自国の国益を優先させるエゴイズムがありそうな気がする。
イギリスの歴史学者トインビーが、名著『二十一世紀への対話』の中で語っている。「戦争とは形を変えて行われる外交である――という、あの哲学者然とした、プロイセンの参謀将校クラウゼヴィッツの言葉は、ものごとを話し合いで合意に達しようとする試みと、利害の衝突や見解の相違は暴力でカタをつけようという腕だめし的なやり方との、倫理的相違を無視する言葉であり、人間をわざわざ挑発するようなものです。むしろ、戦争とは外交の失敗に対する報いである、といったほうが真実に近いでしょう。」
戦争だけは絶対に避けねばならない。『戦争とは形を変えて行われる外交である』などという、神をも恐れぬ傲慢さが権力者の心の中に寸分でもあるとすれば、その国は確実に戦争へと導かれていくことになるだろう。権力者の靖国参拝はその兆候かもしれない、との危惧は杞憂だと信じたい。
キリスト教徒で文筆家の佐藤優が近著『地球時代の哲学』の中で、池田大作著『人間革命・第一巻』の冒頭の数行を紹介し、「『戦争ほど、残酷なものはない。戦争ほど、悲惨なものはない』という認識を基点とする池田氏の思想を現実に生かすことが焦眉の課題である」としているが、幸盛はその後に続く『愚かな指導者たちにひきいられた国民もまた、まことにあわれである』という認識もまた必要かと思う。
タカ派の硬い頭の中にありそうな「国のために良かれと思って一生懸命やったのだから人間として参拝するのは当然」という、同じ国家権力者としての身びいき的独善は通用しない。結果として自国他国の多くの人命を亡失させ、大多数の老若男女幼児乳児を不幸のどん底に突き落としたのだから、その責任からは逃れられようはずがない。『愚かな指導者』たちを参拝してやる慈悲心は筋違いも甚だしい。
幸盛が自室で北斗の原稿を書いていると、孫で小学六年生の忠佐がドアをノックして入ってきた。
「ねえ、おじいちゃん、質問があるんだけど」
幸盛はパソコンの原稿画面を閉じて回転椅子を回す。
「なんだ」
「社会科の宿題なんだけど、先生がなぜ人間は戦争をするのか家の人に聞いてきなさいって。お母さんに聞いたら、おじいちゃんに聞いてみればって」
幸盛はニヤリと笑い、即答した。
「それは、人間はバカな生きものだからだ」
忠佐は首をかしげる。
「人間は賢いから、科学が発達してここまで便利な世の中になったんでしょ?」
「まあそうだが」
「どこがバカなの?」
「ところが人間はしょっちゅう大バカになるんだ。忠佐だって、ゲームする時間をけずって勉強をした方がいい、体を鍛えるために毎日トレーニングした方がいい、などと思っていてもなかなかできないだろ。大人も同じだ。人間は誰もが平和がいい、戦争をしない方がいいと思っている。ところが目先の欲望に振り回されてそのことを忘れる大バカなんだ」
「でも、人間はバカだから戦争をする、ってだけじゃ、たぶん先生は笑うだけだよ。他に何かないの?」
「では、人間は自分の幸せしか考えないエゴイストだから、ってのはどうだ。戦争の場合は自分の国さえ豊かになればいい、という国家エゴだな」
「エゴイストって、利己主義者ってことだよね」
「ほお、知っていたか」
「エゴイストにしたってバカにしたって、どうにもならない問題なんじゃないの?」
「たしかにそうだ。日本ユニセフ協会や国連難民高等弁務官事務所や国境なき医師団に一度寄付すると、寄付金を毎月の自動引き落としにしてくれなどとガンガンいってくるが、おじいちゃんはエゴイストだからシリアや南スーダンで子どもたちが何人餓死しようが病気で死のうが寄付は年に一回程度と決めている」
「それって自慢? 皮肉? 自虐? 金額はともかく、寄付しない人の方が多い気がするんだけど?」
幸盛は返す言葉がない。知らぬまに成長しているようで実に頼もしい。ためしに聞いてみた。
「忠佐はどう思う?」
「国境があるからだと思うよ。国境をなくせば国と国との戦争は起こりようがないからね」
「なるほど。しかし、それができないから今でも世界中で戦争や紛争が続いているんだ。じゃ、どうすれば国境がなくなると思う?」
「簡単だよ。世界中の全ての国の人が国境をなくしたいって願い続ければいいんだよ。願い続ければどんな願いも必ずかなうって、いつだったかおじいちゃん言ってたじゃん」