五話
山の中腹、洞窟内にある湖の真上に当たる場所で、海藤は横になっていた。營滸の力を使って掘った広さ六畳ほどの洞穴は、思いの外居心地が良い。
しかし、布団は勿論、布団の代わりになるような物もない。寒さは感じないとはいえ、土の上で眠っていては疲れは取れない。そういった日用品を揃えることも、当面の目的となるだろう。
また、食事についても多大な問題が発生しており、そちらは生存に直結している為、早急な解決が求められる。湖から食用の魚を捕ることは可能だが、魚を捌きもせず生食にするのは不可能と言っても構わないのだから。山を探れば幾らかの枯れ枝はあるが、火を起こす技能はない。何らかの対応が必要である。
更に、侵入者撃退に向けて防衛措置を取らなければならない。『迷界』の外を知らない現状、何時侵入者が来るとも知れないのだから、早めに備えておくべきだろう。營滸とその司る土地を手にしているとはいえ、海藤自身の力は対して変わっていないのだ。
やるべきことは山積みである。最優先は食事に関する用具、具体的には火力の用意だが、雪原で身一つ、打開案は出ない。
生魚を口にする必要が高い現状、何とか火を点けたい焦燥感はあるが、焦ったところで火は出ないだろう。先ずは出来ることから順にこなしていくべきだ。
海藤はそう思い直し、立ち上がる。立ち上がるとはいっても、洞穴の高さは海藤が直立するにはほんの少し低い為、膝と背中を少し曲げているのだが。
「先ずはこの土地を迷宮にする。入り口を絞り、順路を設定する。出来るか?」
「無論 此の地汝の想う儘 然りて地の質失うこと勿れ」
「当然。唯一の利点を態々消したりしないよ」
海藤の管理する雪原は荒れた海に添った崖に囲まれ、手を下すまでもなく、生物の侵入を阻む地形となっている。白波の立つ極寒の海を命懸けで渡って来る侵入者は早々いないだろうから、警戒するのは内陸に向かって伸びる平原である。
こちらは海藤の管理するものとは別の山によって天然の経路が出来上がっている。それを利用しない手はない。侵入者の通る道を絞るには多少、積雪量を変化すれば事足りるだろう。
次に考えるのは、侵入者の『迷界』内での行動制限である。侵入者の通れる道、又は侵入者を通さない道を作る必要がある。侵入者に『惑の珠』まで真っ直ぐ進まれては堪ったものではない。
これについては罠などを考察、設置しながら追々形成していけばいいだろう。土地は広いのだから、張れる罠は無数にある。幸い、この土地は搦め手を使うには優良と言える特性がある。
そうして出来上がる『迷界』には、当然のように兵力が要る。罠があったところで、侵入者が罠を避ける又は解除してしまっては意味がないのだ。罠に追い込む役や直接的な暴力を『迷界』に配置しなければならない。
兵力を揃えるなど、人一人に為せる業ではないが、海藤には土地の管理者として營滸の力と、『迷界』の管理者として『惑の珠』の力が備わっている。
營滸の力は、単純なところで気候、地形を己の一部とする。水中で呼吸を可能にしたり、野晒しになっても寒さを感じないようになる力である。
これに『惑の珠』の力がブースターとして加わることで、気候、地形を変動する力となる。だが、飽くまで土地を管理する力を強めているに過ぎない為、土地の性質そのものを変えることは出来ない。
そして、兵力を生み出す力は、純粋に『惑の珠』の力である。土地の性質や力とは無関係に、兵力を生み出すことが出来るのである。
しかし、土地の性質に無関係に兵力を生み出すとはいえ、兵力の運用は土地に左右される。というのも、例えば海藤が洞穴の中で“魚の怪物”を生み出したとして、その怪物は水が無ければ死んでしまうし、水中に鳥を生み出せばどうなるかなど言うまでもない。こればかりは、生物としての性質だから仕方のないことである。
海藤の管理するこの土地の性質として、寒さに耐性のある生物になるのは至極当然。それらを考慮し、罠を張り巡らせ、兵を配置する。
それが侵入者撃退の手順となる。
「めんどくさ」
「汝戯けるな也 汝が頭蓋掻然とする哉」
「冗談だから。……怒るなよ」
つい先刻に受けた激痛を思い出し、海藤は冷や汗を流す。
殆ど脅迫のような状況だが、冥界から解放してもらった恩もある。我が儘ばかり言うわけにもいかないだろう。
營滸が動かないことを確認し、海藤は溜め息を吐く。營滸は怒らせないようにしようと決意して、『迷界』の管理を始めることにした。
「天華流麗にして湖畔雅やか 此の天下保つが我命 断じて保身の為非ず 努々忘失する勿れ」
「はい」
思っていたより怒りの度合いが高い營滸に対し、海藤は自然と敬語になってしまう。対等であるという条件で海藤は營滸と一体になったにも拘らず、早くも上下の繋がりになりつつあることに、海藤は嘆息する。
しかし、海藤にとっては營滸に上に立たれようが気にするところではない。最終的には、營滸にとって海藤は依り代として必要な存在なので、異常な暴挙には出ないだろうと判断してのことだ。
実際に營滸も、無意味で理不尽な状況でなければ海藤に口出しするつもりはない。今回は「めんどくさい」という発言が、營滸の琴線に触れたというだけである。『迷界』の管理を辞められては、營滸の使命、存在意義が失われてしまうのだから、当然と言える。
今回の一件のお陰で海藤が真面目に取り組むようになったのは、營滸と海藤、双方にとって僥倖だっただろう。