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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

三叉路

三叉路 ROAD1

作者: 恵/.

 初めまして、恵/.です。こういったサイトは初めてなので、色々至らないとは思いますが、何卒よろしくお願いします。

 さて、この小説は「三叉路シリーズ」と個人的に銘打ったもので、その第一部となっています。「三叉路シリーズ」は三部構成なので、第一部はプロローグ的な内容となっており、キャラの人物関係を表面に出しています。そして、とりあえず完結させることを目標にしたので、終盤がやや手抜きになっています。予めご了承ください。

 「人生は旅だ」と、何処かの誰かが言っていたような気がする。

 「旅」。今でこそ交通手段が発達しているが、昔は「旅」をするのに、自分の足で歩いたものだ。

 「歩く」。何処を? そんなものは決まっている。「道」である。

 「道」。この場合の「道」とは、地図に書いてあるそれとは違う。それは即ち、「運命」。

 「運命」。各人は各々の「道」を、「運命」の上を歩いて生きる。そしてその「道」が平行なら、それらが交わることは無い。だが、そうでないなら、必ずどこかで他の「道」と交差する。そして、それらが複数、同じ地点で、同じ角度で交われば、それらは向きを変える。それぞれが、一つとなって。

 例えば、「道」が三つあったとしよう。そしてそれらが、同じ角度で交わったとする。そうなれば、それは三叉路のような「道」となり、そして真上へと進路を変える。

 一つの「道」は、異能の「道」。人から外れた、そして人から忌み嫌われる存在が、歩く「道」。

 一つの「道」は、孤独の「道」。自らの存在に、価値も意義も見出せず、ただ孤独な「道」。

 一つの「道」は、切望の「道」。失ってしまった大切なもの、本当は得るはずだったもの、それらを取り戻したいと強く願う「道」。

 それらが交錯するとき、果たして「運命」の向きは、「幸福」を向いているのだろうか。それとも「不幸」か。

 それは、時の神にも、幸運の女神にも、創物主にも分からない。


  ◇◇◇


 時は二十一世初頭。科学技術が急速に発達し、過去の信仰―――宗教は別だが―――は忘れられつつある。もう誰も、非科学的な現象など信じたりしないだろう。―――ごく一部の者を除いては。


 五月初旬。学生は春休みの余韻が抜けきり、より一層身が引き締まる頃。ここ「板橋学園」の新一年生達も、例外ではない。

「……ふぅ」

 少年が一人、学園の門をくぐった。いうまでもなく、ここの新一年生である。真っ白な短髪に真っ赤な瞳が一際目を引く少年。すらっと背が高いが、そのためか少しやつれているように見える。

「ったく……。一ヶ月経っても、これだけは慣れないな」

 少年が言っているのは、ここまで来る道のりだ。彼は自宅からここまで、徒歩で一時間ほど掛けて来たのだ。しかし何故、自転車なり、電車なりを使わないのだろうか?

「ほんと、慣れるのだけは勘弁だ」

 そう呟く少年の目には、ほんの少しばかりの哀愁が含まれているように見えた(気がした)。

 少年は、校舎の中へと入っていった。


  ◇


 一方、少年が所属するクラスでは……。


「うぅ、教科書忘れた……」

 少女が一人、右側に束ねられた黒髪を揺らしながら、嘆いていた。その言葉を示すように、鞄の中を探りながら。

「どうしよう、今日の物理」

 どうやら、忘れたのは物理の教科書のようだ。しかも、どうも彼女は物理が苦手のご様子。

「仕方ない、まおちんに借りよっと」

 解決策が見つかったようだ。

「あっ、まおちんだ。おーい、まーおーちーん」

 手を振る少女の目線の先には、先程の少年の姿があった。この二人はクラスメイトのようだが、彼から教科書を借りるつもりなのだろうか?

「うるさいぞ楠川。それと、教科書なら貸さん」

 少年はスタスタと自分の席に着いた。というか、何故それを?

「えー? 何で?」

「お前に貸したら俺が困る」

 ご尤も。二人の席は結構な距離があるため、二人で一緒に見る、という訳にもいかない。

「いいじゃん別に。まおちん賢いし」

「寝言は寝て言え。あと、俺のことを平仮名で呼ぶな」

 少年に言われて、少女は頬を膨らませた。

「じゃあさあ、私のことも名前で呼んで欲しいな」

「呼んでるだろ? 楠川って」

「そうじゃなくって、下の名前で」

「海外じゃあ苗字のほうがあとだ」

「それだと横書きだもん。下とか上とかないもん」

「知らん」

 少年はそういうと、鞄の中から用意を出した。

「ね? 物理の教科書。半分でいいから貸して。お願い」

 手を合わせて頭を下げる少女。

「だったら後半部分だけ千切って貸してやる」

「それじゃ意味無いじゃん! また一年の最初のほうなんだよ? せめて前半貸してよ」

「それだと俺が困る」

「いいじゃん別に。まおちん賢いし」

「会話は堂々巡りしてるぞ。あと、俺のことを平仮名で呼ぶな」

「じゃあ私のことも名前で呼んで」

「呼んでるぞ。楠川って」

「下の名前で呼んで」

「ほんとに堂々巡りしてるな……。それに、お前の名前忘れた」

「あーっ、ひっどーい! こんなに長い付き合いなのに、名前もろくに覚えていないの!?」

「たった一ヶ月の付き合いなのに、ほんとにそう思えてくるぜ……」

 少年は溜息を吐いた。息切れしてきたのかもしれない。

「とにかく、私の名前は仁奈。楠川仁奈なの!」

「強調せんでいいだろうに」

「忘れるまおちんがいけないの」

「だから平仮名で呼ぶな」

「だってぇ、まおちんの字って、難しいんだもん」

「そんなことないだろ? 魔物の魔の字に緒言の緒で魔緒。簡単じゃないか」

「十分難しいよ」

「お前、漢字能力検定一級は絶対とれないな」

「四級も無理」

「自慢げに言うな」

「漢字とか嫌い」

「お前ほんとに日本人か?」

「まおちんのほうこそ、ほんとに日本人なの?」

「知らん。今の親だって詳しいことは知らないし、正直自分が何処の国の人間かなんて知りたくもない」

「国籍は日本でしょ?」

「便宜上な。ほんとのところは全く分からん」

 そこで丁度、チャイムが鳴った。

「つー訳で、さっさと席に戻れ」

 少年は少女を追い払うように手を振った。

「ちぇー、まおちんのケチ」

「ケチとかのレベルじゃねえけどな」

 そんなこんなで、朝のホームルームが始まった。


  ◇


 ……そして、物理の授業。


「それでは、次の問三の問題を―――」

 教師が黒板に公式を書き連ねていく。それをつまらなさそうに見る魔緒と、手を組んで祈りを捧げている仁奈、それとその他真面目な生徒達。どこの学校でも見られる普通の授業風景だ。

 教師は教室を見渡して、目線を一人に向けて固定した。

「それじゃあ楠川さん、前に出て解いて下さい」

「うっ……」

 指名されたのは仁奈。折角の祈りも虚しく、当てられてしまった。しかも彼女、物理が苦手なだけでなく、教科書を忘れてきているのだ。つまり、問三とはどんな問題なのか、それすら分からない。

 そんな仁奈の様子に気づかないのか、教師は無言で彼女を促す。それにただ、たじろくだけの仁奈。そんな様子にざわつく教室。しかしそんな状況でも、救いの神は舞い降りる。

「あれ……?」

 ふとノートを見てみると、そこには何故か、問三の問題文が書かれていた。しかも答えや、ご丁寧に途中式まで書いてある。

 訝る仁奈だったが、都合よく指定された問題とその答えが載っているのだ。ここは存分に利用させてもらうしかない。

 仁奈はノートを手にして黒板の前に立つと、物凄い速さで内容を書き写した。それはもう、コピー機のように、素早く、正確に。

 全て写し終えると、仁奈は自分の席へと戻っていった。

「ま、まあ、大体いいでしょう……。では、解説に移りますが―――」

 教師が解説に移ったところで、仁奈は机の上に突っ伏せた。

 何とか危機を回避することに成功した。だが仁奈は、気づかないで居た。いや、気にも留めていなかった。―――誰が、どうやって、彼女のノートに問題とその答えを書いたかということを。


  ◇


 ……そして、昼休み。


「ねーねーまおちんまおちん。聞いて聞いて。さっきさあさっきさあ」

「一々繰り返すな」

 昼食を摂ろうと弁当を取り出した魔緒の前に、仁奈が現れた。

「だってだって、さっきの物理の問題がね、私のノートに書いてあったんだよ! しかも、答えまでついてたんだよ! 凄いでしょ!」

 仁奈は少し興奮気味のようだ。元々こういう性格なのか、それとも前代未聞の事態に遭遇したことがよっぽど嬉しいのか。

「良かったな。そんじゃ俺は飯を食う」

「えー? それだけなの? 他に感想ないの?」

「ない」

「あるでしょもっと色々と! 「仁奈ちゃんラッキー! これも日頃の行いがいいからだよ! 仁奈ちゃんサイコー!」とか、「仁奈ちゃんは奇跡を起こす天才美少女だ! 凄いな凄いなお嫁さんに欲しいな! 一家に一台仁奈ちゃん!」とか!」

「日頃の行いとそいつの評価が切っても切れない関係なのは分かるが、それだけでべた褒めするのは変だし、奇跡と天才と見た目は関係ないし、それとお前は嫁と家電を一緒くたにしてんのか?」

 仁奈の飛躍した例示に対し、淡々と突っ込む魔緒。因みに魔緒は、既に弁当に手を付け始めていた。

「まおちんのお弁当、おしいそ」

「やらねえぞ」

 いきなり話題が変わっていることには突っ込まないようだ。

「ケチ」

「それを言ったからといって、何かが変わったりはしないぞ」

 確かにそうだ。


  ◇


 ……数分後。


「ったく……。なんで俺が、お前の昼飯を世話せねばならんのだ?」

「いいじゃん。たまには奢ってよ」

 魔緒と仁奈が、並んで廊下を歩いている。どうも、魔緒が仁奈に奢らされるようだ。仁奈がいつもよりご機嫌なのは、そのせいだろう。

「言いたくはないけどな、いつも俺ばっかり奢ってる気がすんぞ」

「気のせい気のせい」

 そう返す仁奈の笑顔が引き攣ったのは、それも気のせいなのだろうか。

「今日は学食で新メニューが出るんだって」

「あからさまに話題を変えるな」

「なんでも、パンとご飯を組み合わせたものにパン粉を塗して溶き卵で包んで揚げたものをパンでサンドしたんだって」

「炭水化物に炭水化物を組み合わせて油で揚げて、更にパンで挟んだのか……。カロリー高そうだな。大体、溶き卵はパン粉を塗す前じゃないのか? とりあえずやめとけ」

「うん、そうする」

 魔緒が先程の会話を忘れたようで、仁奈は内心ほっとした。実際は、追求するのを面倒に思っただけなのだが。

「それと、あんま金ねえから、高いもん頼むなよ」

「はーい」

 渋っていた割には、奢る気はちゃんとあるようだ。

「それと、ちょっとトイレに行きたい」

「今じゃなきゃ駄目?」

「駄目だ」

 魔緒は、トイレのほうへ足を向けた。

「んもう。女の子連れといてトイレなんて行かないでよ」

「排泄だけは自分の意志で何とかできん」

 心なしか、魔緒の歩行速度が速まっているように思える。我慢の限界が、迫っているのだろうか。

「あっ、待ってよ。私もトイレ」

 仁奈も小走りして、再び魔緒と並んで歩く。

「女子トイレは方向が違うぞ」

「いいじゃん別に」

「よくない。男子トイレで用を足す気か?」

「あっ、そっか」

 おいおい。

「……素で言ってたのか」

「じゃあ私は女子トイレに行って来るね」

 仁奈は踵を返すと、大きく手を振りながらトイレへ向かった。

「……大丈夫、なんだろうか」

 そんな彼女を、魔緒は不安げに見送りつつ、トイレへと急いだ。


 ……女子トイレへ向かった仁奈はというと。


「うぅ〜。意識した途端に、尿意がぁ〜」

 もじもじしながら走っていた。実は結構恥ずかしいことを口走っているのだが、気づいてはいないようだ。

「トイレトイレトイレトイレトイレェ〜!」

 連呼するな。あと、叫ばないで欲しい。しかも、ちゃんと前を見ていない。そのうち誰かとぶつかるんじゃないかと、冷や冷やする。

「「きゃっ!」」

 ほら見ろ、正面衝突した。

「あたた……」

 額を押さえる仁奈。自分一人だけならまだしも、他人に迷惑をかけたら自業自得では済まされない。

「んもう何よ……」

 声を上げたのは、さっき仁奈とぶつかった女子生徒。長い黒髪を左側に纏めた少女。目付きが鋭いという点を除けば、容姿が全体的に仁奈と似ている。束の位置のせいか、鏡写しにも思える。

「……あんた」

 仁奈が、露骨に顔を顰める。

「もう少し、落ち着いて行動したらどうかしら?」

 少女は、静かに言った。

「……気をつける」

 仁奈は静かに立ち上がり、制服についた汚れを払った。そしてそのまま、通り過ぎようとする。

「それと、また陰陽魔緒と一緒なの?」

 その一言で、仁奈の足が止まった。

「彼がどんな人か知らないけど、貴女のことを知ったら、今まで通りにはいかないわよ」

 案ずるような少女の声。何やら、深い意味が込められているようである。

「……ほっといて」

 仁奈はそれだけ返すと、再び歩き出した。少し、駆け足で。


 ……その頃魔緒は。


「楠川の奴、どこほっつき歩いてんだ?」

 学食の入り口で、仁奈を待っている魔緒。……本当は、最初から奢る気だったのではないのだろうか?

「まさかとは思うが、あまりの空腹で野垂れ死んでるんじゃないだろうな……」

 いや、それはないだろう。

「出すモン出し過ぎて、必要なエネルギーまで出しちまったとか……。在り得るな」

 ほんとに、絶対にないと思う。

「それならさっさと見つけねえと、大変なことになる」

 既に、君の頭が大変だ。

「こりゃ、探したほうがいいな」

 結論自体は決して間違っているとは言えないのだが、そこに至るまでの途中経過が凄すぎる。

 仁奈を探そうと、魔緒が学食を後にしようとしたとき、仁奈がやって来た。

「なんだ楠川、無事だったのか。てっきり、どっかで餓死してんのかと思ったぞ」

 魔緒は冗談―――本人は本気だが―――を言うが、仁奈は俯いていて、無反応だ。

「ん? どうした、ぼうっとして」

 魔緒に指摘されて、初めて反応を示した仁奈。―――反応といっても、顔を上げただけだが。

「……お前、まさか」

 魔緒はそれを見て、何か気づいたようだ。だが仁奈は、首を横に振った。

「ううん、違うの。そうじゃない。ただ……、ちょっと体調崩しちゃったみたいで」

 仁奈は笑顔を見せた。ただそれは、いつもの無邪気なそれとは違い、無理をして笑っているように見えた。無論、魔緒にも。

「だからね、折角なんだけど、奢ってもらうのまた今度にして」

 そんな仁奈を見ても、魔緒は表情を変えない。しかし内心は、仁奈のことをとても案じている。その証拠に―――

「駄目だ」

「え?」

「え、じゃねえ。お前から頼んだんだから、ちゃんと奢られろ。例の新メニュー、三人前頼んでやるからな」

 そう言うや否や、魔緒は仁奈を手を取り、学食に無理矢理引っ張り込む。

「ちょっ、ちょっとまおちん!?」

「安心しろ。食いきれなかったら残りは俺が食う」

「そういうことじゃない!」

 戸惑う仁奈だが、魔緒に手を引かれて歩く姿は、どこか嬉しそうだ。


  ◇


 ……そして、その日の夜。


「ふぅ……、今日も疲れたぁ〜」

 風呂上りの仁奈。自室の机に座って寛いでいる。

「……でも、まおちん、優しかったなぁ〜」

 今度は一転、蕩けたような表情になる。

「まぁ〜、おぉ〜、ちぃ〜ん」

 目付きが段々、怪しくなっていく。実は、彼の幻影が見えているんじゃないのだろうか。

「はぁ〜、まおちんに会いたいなぁ〜」

 溜息を吐く仁奈。物思いに耽る乙女のようにも見えるが、実際には独り言が多いだけの危ない人だ。

「まぁ〜、おぉ〜、……すぅ」

 どうやら、眠ってしまったようだ。そんな所で眠っていては、風邪を引いてしまうんじゃないのだろうか?

「……まおちん」

 だがしかし、その寝顔がとても幸せそうなので、そんな野暮なことは言わないでおこう。


  ◇


 ……翌日。


「まおちんおはよう」

 教室に入るなり、態々魔緒の席まで来て朝の挨拶を述べる仁奈。

「よう」

 魔緒はそれだけ返すと、欠伸を一つ。

「あれ、もしかして寝不足?」

「まあな」

 よく見ると、彼の目が充血している。目の下に隈もある。

「もう、だめだよまおちん。若いからって飛ばしてると、ろくなことないんだからね」

「同い年のお前に言われたくない」

「にしてもさ、今日は今日で数学があるんだよね」

「宿題なら写させん」

 ばれていたようだ。

 こっから先の絡みについては割愛する。


  ◇


 数学の授業の時間になった。


「はーい、皆さん。大事なお知らせがあります」

 教室に入ってきた数学教師が、手を叩いて生徒の注目を集める。

「今日の数学は自習にします。大人しく勉強していてください」

 大人しく、と言われたのでさすがに騒ぐものはいなかったが、皆内心喜んでいることだろう。

「珍しいな、一時間目から自習なんて」

 一人呟く魔緒。ふと仁奈のほうを見やると、これ幸いと宿題に勤しんでいた。

「やっぱり、ちと派手にやり過ぎたか?」

 またしても独り言。しかし今度は、少し違った内容だ。


 今日は、残りの授業も全て自習となった。


  ◇


 ……放課後。


「ねーねーまおちん、一緒に帰ろ?」

 帰り際にも魔緒の席に寄る仁奈。やはり、彼に気があるのだろうか?

「別にいいが……、宿題は終わったのか?」

「当然だよ。自習時間に全身全霊を込めて終わらせたんだから」

「ならいいが」

「はは〜ん、さては信用してないな?」

「正直どうでもいい」

「またまたぁ、それなら最初っから訊かないでしょ?」

「妙なところで鋭いな……」

「ふっふっふっ、今日の仁奈ちゃんは一味も二味も三味も違うのだ」

「そんなに味があんのか?」

「やだなぁ、単なる言葉の綾って奴だよ」

「そんな言葉は聞いたことがなかったが……、まあいいか」

 魔緒は立ち上がると、鞄を背負った。

「帰るならさっさとしろ」

「はいはい」

 仁奈が魔緒の隣に来ると、二人は並んで教室を出た。


  ◇


「ねーねーまおちん」

「何だ?」

 隣の仁奈からの呼びかけに、面倒臭そうに応じる魔緒。

「まおちんって家どこ?」

「結構遠い」

「どのくらい遠いの?」

「徒歩一時間はかかる」

「遠っ!」

 驚きを、漢字一字に込めて表現する仁奈。

「だから遠いって言ってるだろ」

「それにしたって遠すぎるでしょ?」

「それで他人に迷惑掛けた覚えがないからいいんだ」

「迷惑ならもう掛かってるよ」

「誰に掛けたって言うんだよ?」

 心外だと言わんばかりに問う魔緒。

「だって、そんなに遠いと私が遊びに行けないもん」

 仁奈は少し拗ねたような口調で言った。これは暗に、彼女が魔緒の家に行きたいと言っているようなものだ。つまり、仁奈なりの親愛を込めた一言だったのだ。しかし、

「だったら来るな」

 魔緒は、小さな拒絶を示した。

「……うん。ごめんね、変なこと言っちゃって」

 そのせいか、少し俯く仁奈。

「まあ、どうしても来たい、って言うならバスに乗れ」

「……え?」

 仁奈は、勢いよく顔をあげた。

「校門前のバス停から総合病院行きのバスに乗れるから、それの終点の二つ手前で降りれば直ぐに分かる。どうしても分からなかったらその辺の誰かに訊け。懇切丁寧に、お得な情報と一緒に教えてくれるはずだ。っておい、聞いてるか?」

 自宅への経路を説明していた魔緒が、仁奈が半ば放心しているに気づいた。実際は、あまりに突然ゆえに言葉が出なくて思考も停止していただけだが。

「ぼさっとしたまま歩いてると危ないぞ」

 魔緒の忠告も、今の仁奈には無力だ。

「しっかりしろ。って、危ない!」

「きゃっ!」

 急に魔緒が、仁奈の肩を掴んだ。

「ったく、電柱にぶつかるとこだったぞ」

「へっ?」

 仁奈は慌てて横を見てみると、電柱がすぐ目の前まで迫っていた。このまま進んでいたら、確実にぶつかっていただろう。

「ご、ごめん……」

「気をつけろよ。最近、何かと物騒だからな」

 そう言いながら、魔緒は仁奈の肩から手を離した。仁奈はその手を名残惜しそうに見ていたが、すぐに諦めたようだ。

「……うん。気をつける」

 そうしたら何故か、急に気恥ずかしくなった。へまをしたのが恥ずかしいのか、彼の手を名残惜しく思ったことが恥ずかしいのか、その辺りのことは分からない。だが、場の空気を変えたくて、とっさに話題を変えることにした。

「ぶ、物騒と言えばさ、最近学校で生徒や教師が行方不明になってるんだって。知ってる?」

 仁奈が振った話は、今日学校で聞いたものだ。何でも、生徒と教師合わせて十名が、ここ数日行方不明なのだ。安否などは不明。警察も動いているが、大した成果はあげられていないらしい。

「知らねえ」

 魔緒はそう言うと、一人で先に歩き出してしまった。

「あっ、待ってよぉ〜まおちん」

 それを追いかける仁奈。

「どうしたの?」

 彼に追いつくと、再び彼の隣に並んで歩き出した。

「……」

 しかし魔緒は、仁奈の呼びかけに応じない。

「ねーねー、まーおーちーん」

 仁奈は魔緒の目の前で手を振ってみるが、まったく反応がない。

「まおちんってばぁ!」

 今度は大声をあげてみるが、やはり無反応。

「変なまおちん」

 この後魔緒は、ついに一言も発しなかった。そして、途中で仁奈と別れたのにも気づかなかった。


 ……夜も更けてきた頃、またもや仁奈の部屋。


「……あぁっ!」

 何を思ったか、いきなり飛び跳ねる仁奈。

「宿題、学校に置いてきちゃった……」

 宿題?  確か、数学の宿題は終わっていたはずだが……。別の教科のだろうか?

「どうしよう、まだ終わってないのに……。よりにもよって化学のだし……」

 ああ、化学か。いかにも彼女の苦手そうな教科だ。

「しかも、化学の山村、すっごく厳しいし……」

 山村とは、化学教師のことだろう。

「でも、もう九時だし……。だけど、提出期限明日だし……。だからって、こんな遅い時間に出歩くのは……」

 今まさに、彼女の中で理性と惰性が壮絶な戦いを繰り広げていた。理性に包囲されつつも惰性が隙間を縫って這い出し、怒涛の攻めにもしぶとく粘る。まさに、典型的な葛藤である。

「それに、明日学校に行ってからやれば……。あっでも、化学の授業は一時間目だし……。だけどたけど、誰かに見せてもらえばそれを写して……。って私、宿題見せてもらえるような友達いないじゃん……。うわっ、何か言ってて自分で虚しくなってきた……。あっだけど、まおちんなら……」

 ついに、彼に頼る案が出たか。

「……でも。まおちん、なんか変だったからな」

 仁奈は、今日の帰り道のことを思い出していた。彼と、魔緒と一緒に歩いて、途中で少しぼうっとして。そしてその照れ隠しの後、彼の様子がおかしくなったこと。

「うーん……、よし。取りに行こう」

 何かを決心したように頷く仁奈。尤もその決心は、とても初歩的だが。それとも、彼女にしては進歩したと言えるのだろうか。


  ◇


 そして仁奈は、夜の学校へとやって来た。律儀に制服も着ている。

 校門は鍵が掛かっていたので―――誰も見ていないのをいいことに―――よじ登って乗り越えた。

 幸い、校舎の入り口の鍵は掛け忘れてあった。……この学校のセキュリティは大丈夫だろうか。

「……うぅ〜、夜の学校って思ったより怖いなぁ」

 いつもはどうということもない校舎。だがそれは、昼間の話だ。夜は当然のことながら、辺りは真っ暗。民家や街灯からも遠く、おまけに今日は新月である。非常口などの灯りも、壊れているのか点灯していない。そんな中、星が出ているのが唯一の救いか。

 とは言っても、無人の校舎は彼女の恐怖を煽る。本当に人がいないならいいのだが、「誰かがいるかもしれない」と思えてしまう。そのいるかどうかも分からない誰かが、どこかから現れたら。と、怯えているのだろうか。

「幽霊とか、でない……よね?」

 尋ねられても困る。というか、そっちに怯えていたのか。

 そうこうしている内に、仁奈は教室へと辿りついた。途中、何度か転んだことは、敢えて言うことでもないだろう。

「……失礼しまぁす」

 無人の教室に入るのに、態々そんなことを言わなくてもいいだろう。それとも、本当に幽霊が出ると思っているのだろうか?

 仁奈は、音を立てないように注意しながら、自分の席へと向かう。

 机の中から宿題の問題集を取り出し、持参した鞄に入れる。

 目的を達して、素早く教室から出る。

 一つ目と二つ目の動作を行うのにそれぞれ五分も掛け、三つ目の動作を行うのに十秒も掛からなかった。それはつまり、全身の神経を集中させた直後に全力疾走をしたわけだ。

 そんなことをすれば、血管や心臓はかなり消耗しただろう。それらを回復させるために、周囲への注意が希薄だったとしても不思議はない。更に、彼女は幽霊に怯えていた。故に―――

「いやぁぁぁぁぁ!」

「ひぃぃっ!?」

 思わず飛び上がってしまったとしても、誰も責めたりはしないだろう。


  ◆


「……暗いわね」

 女子生徒が一人、夜の校内を歩いていた。何故生徒と分かるかと言うと、この学校の制服を着用しているからだ。

 女子生徒は、長い黒髪を左側に纏めている。目付きが悪く、今は別の場所にいる仁奈と瓜二つ。そう、先日仁奈と一悶着あった少女だ。何故、この時間に学校にいるのだろうか?

「まったく、何で宿題を忘れたりしちゃったのかしら?」

 あんたもか。


 人には、人生の転機というものがある。それは人との出会いであったり、不幸な事故だったり、色々だ。

「きゃっ!」

 彼女の場合はまず、今夜であろう。

「何よもう……。転んじゃったじゃない」

 少女は振り返る。そして、

「……何よ、これ?」

 足元に転がっているものを見て、少女は驚愕する。人である。人が、少女の足元に転がっている。

「人……、なの?」

 少女は、転がっている人を見て硬直した。先程の言葉は、何とか振り絞ったものだ。

 言葉を口にするだけでも難しいというのに、その上、

「ひぃっ!」

 頭上から雫が滴り落ちてきて、

「きゃっ!」

 更に、

「ひぃぃっ!」

 上から、もう一つの人体が降ってくれば、

「ぃ……、いや……」

 精神的な負荷が祟って、

「いやぁぁぁぁぁ!」

 発狂してしまっても、おかしくないだろう。


  ◇


「な、何……?」

 仁奈は恐る恐る、声のしたほうへ振り向く。それも、必要以上にゆっくりと、時間を掛けて。

「も、もしかして、……幽霊?」

 などと呟くも、それに答える者などいない。

 しばしの沈黙。しかし、無人だと思っていた校舎から悲鳴が聞こえてきたのだ。その直後の沈黙というのは、少々辛いものがある。

「……ねえ、誰か居るの?」

 その問いに答える者は、やはりいない。もっとも、いるほうが怖いかもしれないが。

 またしても沈黙。あれ以来、何の物音も聞こえず、あの悲鳴の正体も不明なままだ。言い知れぬ不安と恐怖によって、いよいよ仁奈の緊張はピークに達する。足は竦み、声帯は音を発することを拒む。瞳には涙が溢れ、全身はガクガクと震え出す。このままでは恐らく、失禁してしまうのも時間の問題だろう。

 そんな仁奈の背後で、音がした。足音、というよりは物音に近い。何かを叩くような音。いや、それよりも小さい。喩えるなら、何かに何かを重ねたような音。

 とにかく、音がしたのだ。無論、この静かな状況で、仁奈がそれに気づかない筈がない。というか気づいている。だが、今の仁奈には振り返る勇気などというものは残されていなかった。

「……ぃ、ぃぁ」

 声にならない叫びが、仁奈の口から洩れる。全身が既に青ざめ、というか最早、青を通り越して真っ白になっている。極度の緊張のためか、唇も口の中も乾き切っており、そのくせ肌からは冷や汗が大量に溢れている。

 そうしてる内にも、音は段々と近づいてくる。それはつまり、音の発信源も近づいているということだ。

 それにも気づいた仁奈は、いよいよ実感した。―――自分の命が、かつてない危険に晒されているということを。


「誰なのにゃ?」


 と思ったのも束の間、のほほんとしたソプラノが聞こえてくる。

「へっ……?」

 思わず素っ頓狂な声をあげる仁奈。あまりに緊張のない声に釣られて振り向くと、そこには―――

「う〜ん、暗くてよく見えないのにゃ」

 少女がいた。右手で、真っ赤に光る瞳を擦っている少女。かなりの高身長だ。その短い白髪頭の天辺には、あろうことか猫耳が生えていた。この学校の制服を着ているのを見るに、この学校の生徒なのかもしれない。

「……誰?」

 その明らかに異様な形をした少女に臆することなく(というか拍子抜けしたために緊張が解れ)、言葉を発した。

「うにゃ、その声は仁奈ちゃんなのにゃ?」

 少女は、首を傾げて尋ねる。そしてグイっと顔を近づけると、仁奈の顔を覗き込んだ。

「えっ? えっ?」

 見知らぬ少女に顔を近づけられて、困惑する仁奈。少女の瞳が妖しく光っているせいか、先程の恐怖が戻りかけているのかもしれない。

 少女は暫く仁奈を凝視していたが、やがて顔を離し、

「やっぱり、仁奈ちゃんなのにゃ」

 笑顔で頷いた。

「えっと、……誰?」

 とまあ、至極当然な反応を見せる仁奈。知らない人にいきなり名前を呼ばれたのだ。まず、相手が誰なのかを確かめるのは基本中の基本。というか、条件反射的にそうしてしまうのだろう。

「にゃ。私のほうは初めましてだったのにゃ」

 少女は、左手に持っていた分厚い本を閉じた。先程の物音の正体は、この本のページが擦れた時のものなのかもしれない。

「私は猫田ねこた魔似耶まにゃ。呼ぶときは、平仮名にしてほしいのにゃ」

「ま、まにゃ……?」

「そうなのにゃ。まにゃ、なのにゃ」

 魔似耶、と名乗る少女は、笑顔でそう繰り返す。

 その笑顔に幾分安堵させられて、仁奈はほっと一息吐く。

「にゃ。落ち着いたのにゃ?」

 魔似耶は、再び仁奈の顔を覗き込む。

「あっ、えっと……うん」

 仁奈は、何故か顔を赤らめながら答えた。

「にゃ? どうしたのにゃ?」

 魔似耶のほうもそれに気づいたようだ。

「顔……。そんなに近づけられると、恥ずかしいよ」

「にゃっ、ごめんなのにゃ……。私は目があまりよくないのにゃ」

 魔似耶は慌てて顔を離す。

「そうなんだ」

 この暗い中では、視力も殆ど関係ないのでは? と思った仁奈だが、そんな野暮ったいことを一々口にする彼女ではない。それよりも―――

「それで、こんなとこで何してるの?」

 今一番気になっていることを尋ねた。そう、魔似耶が何故、この夜の学校にいるのかということだ。

「にゃ……。それは、とっても答えにくい質問なのにゃ」

 魔似耶は、頬を掻く仕草をしながら苦笑する。

「どうして?」

「うにゃ〜。あんまり普通の人に言わないように言われてるのにゃ」

「ふ〜ん……」

 仁奈は、それ以上訊くのはやめることにした。これでも、他人のプライベートには深入りしないようにしているのだ。―――ある一人以外に対しては。

「仁奈ちゃんこそ、何でこんな所にいるのにゃ?」

「私? それがその……、宿題を忘れてきちゃってさ」

「取りに来たのにゃ?」

「うん、そう」

 なんとも、情けない話だ。

「でもにゃ仁奈ちゃん、夜の学校は危険が一杯なのにゃ。だから、無闇に入っちゃ駄目なのにゃ」

 諭すような口調でたしなめる魔似耶。まるで、妹に言い聞かせる姉のように。

「危険ってなあに?」

「うにゃ。危険というのはだにゃ、たとえば」

「たとえば?」

 魔似耶は、左手に持っていた本を開くと、

「こんなことにゃ」

 仁奈に背を向け、

「魔術解放」

 何やら身構え、

「放て、閃光!」

 呪文のようなものを唱えると、

「!」

 眩い光が、辺りを満たした。


  ◇


「な、何……?」

 所変わって、先程の少女。少女、では誰だか分かりにくいので名前を言おう。彼女の名前は清田七海。この学校の一年生である。

 彼女は先程まで発狂していた。だが、突然の出来事―――背後からの強い光―――によって正気を取り戻したのだ。

「も、もしかして……、この学校にいるっていう、幽霊?」

 宿題を忘れただけでなく、幽霊を信じているとは。見た目もそうだが、彼女は仁奈と、色々似ているようだ。

「やだ、どうしよう……。早く宿題を取りに行かないといけないのに……。で、でも、幽霊なんだから……。そうよ、幽霊が相手なんだから、仕方ないわよ……」

 仕方ないを連呼する七海。何が仕方ないのかは訊くだけ無駄だろう。訊けないし。

 仕方ないを連呼しつつも、七海はその場を離れようとしている。……もしかしたら、ただの現実逃避なのかもしれない。

 とは言っても、歩く先が光源のほうなのは、本当に仕方ないのであろう。


  ◇


「うにゃ。一般生徒だったのにゃ」

 その頃、魔似耶はうっかりうっかりと呟いていた。

「へっ?」

 まったく事態を飲み込めていない仁奈。それも、無理はないだろう。

「念のために、ただの閃光しておいてよかったのにゃ」

 そう言いながら、魔似耶は本を閉じる。

「……念のため?」

「にゃ。もしも閃光の矢、とかだったら大変だったのにゃ」

 閃光の矢、というのがどんなものかは分からないが、とにかく物騒な代物だということは理解した仁奈。それと同時に、彼女の背中に悪寒が走る。

「あっ、安心するのにゃ。私は穏便派なのにゃ」

 それはつまり、下手な真似をしたら始末する。そうともとれる言い方ではあるが、仁奈は寧ろ、滅多なことでは騒ぎは起こさない。というように解釈した模様。

「それにしても、あっちのほうは確か……」

「確か?」

「確か……、死体が二つ」

 それを聞いて、仁奈は全身の血がざぁっと引くのを感じた。何せ、死体である。しかも、二つ。尋常ではない状況である。

「あっ、あの子なのにゃ」

 魔似耶が指差す先には、頭を抱えた少女がいた。早足で、こちらに歩いてくる。

「あっ、あいつは」

 すると、少女のほうも二人に気づいたようだ。

「あら、魔似耶じゃない。それに……、何で貴女が?」

 少女―――七海だが―――は、魔似耶を見て安堵し、仁奈を見て訝るような表情を見せた。

「何でもいいでしょ」

 まさか、宿題を忘れたから取りに来たとは言えない。

「にゃにゃ。二人とも、どうしたのにゃ?」

「どうしたもこうしたも」

「っていうか魔似耶。貴女、何でこんなとこにいるのよ?」

「にゃ〜。それは秘密なのにゃ」

「ほんとに神出鬼没ね。ていうか、語尾に「にゃ」をつけるのやめなさい」

「嫌なのにゃ」

「喧嘩売ってるの?」

「売ってないのにゃ」

「だったらにゃをつけないで」

「嫌なのにゃ」

 堂々巡りしているぞ。

「そう。だったら……、えい」

「にゃ!」

 七海は、魔似耶の猫耳に手を伸ばす。

「そのふざけた飾を取りなさい!」

「嫌なのにゃ!」

 その猫耳を必死に押さえる魔似耶。

「このっ、いい加減観念しなさい!」

「嫌ったら嫌なのにゃ!」

「もうっ! なんでこんなに背が高いのよ!?」

 魔似耶の身長は、七海達よりも頭一つ分以上高い。それ故に、猫耳を取るのに手間取っているようだ。

「やめてほしいのにゃ!」

「だったらさっさと外しなさい!」

「嫌なのにゃ!」

 七海の手が届きそうになると魔似耶が頭を振って躱し、それを追いかけてもまた躱され、そしてまた届きそうになると更に躱される。

「えいっ」

「あっ!」

「にゃ!」

 だがそれも、仁奈が魔似耶の耳を取って、終わったようだ。

「あ、貴女ねぇ!」

「何よ!」

 何故かヒートアップする仁奈と七海。だがしかし、

「にゃ〜……」

「魔似耶!」

「大丈夫?」

 魔似耶が倒れたことで、直ぐにクールダウン。

「魔似耶! しっかりしなさい! ああもうっ、あんたのせいよ!」

「何よ! あんただって取ろうとしたくせに!」

「うっさいわね! 取ったのはあんたでしょ!」

 出来てなかったようだ。

「……うぅ」

「「え?」」

 呻き声が、聞こえてきた。問題なのは、声のトーンだ。二人の声は、アルトとソプラノの中間くらいの高さ。魔似耶の声はソプラノトーン。だが、先程の呻き声は明らかに男性のもの。つまりこれは、この場にいるものの声ではない、ということだ。

「だ、誰……?」

 周りを見回す仁奈。

「何か、下のほうから聞こえた気が、するんだけど……」

 二人は、ゆっくりと下を向いた。そこには、ぐったりとした魔似耶が一人。

「まにゃ、……だよね?」

「魔似耶、……よね?」

 二人は顔を見合わせた。だが未だに、謎の呻き声は聞こえてくる。そしてその発信源は、魔似耶である可能性が高い。

「どうなってるのかしら?」

「さあ?」

「……ん」

 二人が首を傾げていると、魔似耶が起きた。

「あっ、まにゃ……ぁ?」

「まったく、人騒がせなんだか……ら?」

 だが、起きたのは魔似耶ではなく、

「……よくも、やってくれたな」

 何故か、この場にいないはずの、魔緒であった。

「まおちん!」

「陰陽魔緒!」

 思わず飛び退く二人。……尻餅搗くほど驚かんでも。

「んなに驚くな。」

 魔緒は、頭を押さえながら呟いた。ナレーターと同じ感想を抱かれると、フォローに困る。

「なななな何でまおちんがこんな所に?」

「あああああんた、そんな格好で何してんのよ?」

 話の流れを見ると分かると思うが、実は魔緒が魔似耶だったのだ。つまり今、彼は女子生徒の制服を着ていることになる。

「それについては魔似耶に訊け。それと楠川、その髪留め返せ」

 仁奈から猫耳(魔緒曰く髪留め)を引っ手繰ると、魔緒はそれを頭につける。

「まおちん?」

「陰陽魔緒?」

 二人はそれを、やや複雑な思いで見ていた。

「うにゃ〜」

 しかしもう既に、魔緒はそこにはおらず、代わりに魔似耶が現れていた。

「うにゃ。仁奈ちゃんたら酷いのにゃ。いきなり耳を取ったりしたら死んじゃうのにゃ」

「死んでないじゃん」

 ご尤も。だがあんたも、それが比喩だと分かれ。

「っていうか、これは一体どういうことなの? 説明しなさい!」

 七海が、きつい口調で問いただす。

「うにゃ。まあ、簡単に言うと、魔似耶は魔緒なのにゃ」

「ふ〜ん」

「ふ〜ん、じゃないわよ。それで納得できるわけないでしょ?」

 何でそんな説明で納得できるのか。

「にゃ。魔似耶は魔緒の体を借りてるのにゃ。でも魔似耶は女の子で、魔緒は男の子なのにゃ。だから、女の子の格好じゃないと魔似耶は外に出て来れないのにゃ」

「へー」

「へー、じゃない」

 この訳分からん説明を、何故理解できる。

「でもにゃ七海ちゃん。これ以上簡単な説明はできないのにゃ」

「いいからさっさと説明して!」

 凄い剣幕で捲くし立てる七海。

「にゃ。魔似耶は、そもそも人間じゃないのにゃ。だから、詳しいことは魔緒に聞いて欲しいのにゃ」

「だったら陰陽魔緒に代わって!」

「うにゃ。魔緒にこの格好は辛いのにゃ」

 そりゃそうだろう。女装癖があるわけでもないのに、女子の制服は辛いものがある。

「大体、女子の制服なんてどこで手に入れたのよ?」

「にゃ? これは魔緒が作ったのにゃ」

「まおちんが?」

 まさかのハンドメイド。

「にゃ。魔似耶が出てきやすいように作ってくれたのにゃ」

 制服を作ってしまうなんて、どんだけ器用なんだ?

「でもにゃ、見た目を重視したせいで裏地とかはついてないのにゃ」

「よく見ると、スカートとか少し長いね」

「それは魔緒の趣味なのにゃ」

「とにかく」

 七海が話を止める。

「ちゃんと説明する気はないのね?」

「ちゃんと説明したのにゃ」

 魔似耶はあくまで説明したと言い張る。

「まあいいわ。それじゃ、私は帰るから」

 七海はそう言うと、スタスタと歩いていく。

「あっ、待つのにゃ」

 魔似耶に呼び止められて、立ち止まる七海。

「何かしら? 私は色々と忙しいの」

「一つだけ訊きたいなのにゃ」

 魔似耶は間を置くこともなく、こう続けた。

「七海ちゃん、向こうで死体を見なかったかにゃ?」

 いともあっさりと、まるでそれが大したことではないように。

 だがしかし、それはあまりに非日常的な問いで。

 しかも、さっきその光景を目撃した上でそれから目を逸らしている七海にしてみれば、今一番思い出したくないことで。

 だから、彼女は自身の精神状態を安定させるために、そのことは忘れ続けなければならず。

 だがそれも、こうもはっきりと問われれば、嫌でも思い出してしまうわけで。

 何が言いたいのかというと、七海はあの惨劇を思い出してしまい、顔面蒼白になっている、ということだ。

「七海ちゃん?」

 さすがにそれに気づいたのか、魔似耶は七海の顔を覗き込む。

「……あ、貴女、まさか」

「まさか?」

 首を傾げる魔似耶。続きを促すが、七海がなかなか続きを言わないので、

「まさか、私が殺したと思ってるのにゃ?」

 自分で察して、口にした。それも、驚愕を誘う台詞。とは言っても、薄々は予想できていたが。

 この場が一瞬で、凍りついた。忘れていたがここは暗闇で、その上での魔似耶の発言。仁奈と七海の不安は、時間の三乗のペースで増していく。

 そんな沈黙を破ったのは、この雰囲気を作り出した張本人である魔似耶だった。

「ばれちゃったなら、仕方ないのにゃ」

 だがその言葉は、二人の望んだものではなく。

 寧ろ、聞きたくなかったもので。

「そうなのにゃ。あの二人は私が、うにゃ、魔緒と魔似耶の二人で殺したのにゃ」

 しかも、それを態々補足してくれて。

 それて再び、沈黙は訪れる。今度は、不安が恐怖に変わって。

 ―――そう。

 この無垢な―――

 そう思っていた少女に対する―――

 恐怖に、支配されて。


「でもにゃ二人とも、本当に怖いのはこれからなのにゃ」


 魔似耶は、そんな二人の心を見透かしたように、そう言った。

「本当に怖いのは、この学校そのものなのにゃ」

「「……えっ?」」

 仁奈と七海の声が、同調する。

「全ては、この学校に問題があるのにゃ」

 仁奈には、魔似耶の言っていることが分からない。それは七海にも言えることで。だが彼女の反応は、少し違っていて。

「……ふざけないで」

 小さく、呟かれた声。無論、七海の声だ。

「ふざけないでよ! あんたが殺したんでしょ! 今生徒や教師が行方不明っていうのも、全部あんたが殺したからなんでしょ!」

 続けて、怒声。恐怖などというものは、先程の台詞で既に吹き飛んでいる。

「ご名答なのにゃ。でもにゃ七海ちゃん、もしも殺さず放っておいたら、大変なことになってたのにゃ」

「何が大変よ! 人殺しのくせに言い訳すんじゃないわよ!」

「聞くのにゃ!」

 魔似耶の一喝で、場はまた静まり返る。だが、今度の沈黙はすぐに終わった。

「私だって、殺したくはなかったのにゃ。でもにゃ、あれはもう、人じゃなかったのにゃ」

 そう語る魔似耶には、表情や感情というものが感じられなかった。後悔しているような台詞も、そのせいで上辺だけのものに成り下がってしまう。だが今度は、七海も怒鳴ったりしない。

「この場所の、気に当てられてしまって、もうただの抜け殻だったのにゃ」

 そして魔似耶は、左手に持っている本を掲げた。

「これは、魔道書なのにゃ。ただの抜け殻と化した亡者を葬って、人々へ危害を加えないようにするための魔術。それを記した本なのにゃ」

 そしてそれを胸の辺りで抱くと、

「私は、魔緒と魔似耶は……。これを使って、みんなを守ってただけなのにゃ」

 そう言って、顔を伏せた。

 何度目になるか分からない沈黙。だが今度は、かなり気まずいものになってしまった。

 一人が他方を責め、その他方が、悲痛な思いを口にする。他方の声が無機質なものとなったのも、自分の心の内を悟られまいとするためなのか。他の二人も、そう思っていた。

 だが、こんな空気もいつまでも続かない。

「にゃ!」

 魔似耶が、不意に顔を上げる。

「そ、そんな……、おかしいのにゃ。今日の二人で、場は、気は正常化したはずなのにゃ。なのに、どうして……?」

「ど、どうしたの、一体?」

 今まで黙っていた仁奈が、魔似耶に問いかける。

「……また、亡者が現れたのにゃ」

 亡者。つまりは、魔似耶の言う「気に当てられた抜け殻」という奴なのだろう。

「それって、つまり……」

「犠牲者が、増えたのにゃ」

 魔似耶は、ゆっくりとそう告げた。


  ◆


 校舎の片隅。そこに、使われていない物を仕舞っておく倉庫がある。倉庫と言っても、余っている部屋を物置として使っているだけだが。

 そんな、いかにも忘れられていそうな場所に、生徒がいた。着ている制服から察するに、男子生徒のようだ。

 男子生徒は、この部屋で寝ていた。倉庫という言葉から想像できるように、この部屋はとても埃っぽい。そんな所で、何故寝ているのだろうか。

「……うぅ」

 男子生徒が呻き声を上げる。目が覚めたのだろうか。

「……あれ? 俺、何でこんな所に……」

 おや、どうやら好きで寝ていた訳ではないようだ。

「ゴホッ、ゴホッ。……ったく、何なんだよ?」

 男子生徒は、周囲を見回す。だが、ここがどこなのかは分からないようだ。

《何か、探してるの?》

「!」

 突如聞こえてきた声に、戸惑う男子生徒。

《ふふっ、安心して。私はあなたの味方よ》

「み、味方?」

 謎の声に、問いかける男子生徒。

《そう。味方よ。だから、何も怖がらなくていいわ》

 男子生徒はふと、不思議な感覚に支配された。これはそう、まるで何もかもを委ねたくなるような安心感。包容力満ち溢れた言葉に、すっかり安心しきってしまったのかもしれない。

「そうか、味方か」

《ええ。ついでに言うと、私はあなたの願いを叶えることができるわ》

「願い?」

 声の主が頷いた、ような気がした。いまだ実体が見えないので、具体的な動作は分からないのだ。

《そうよ。あなたにだって、願いの一つや二つ、あるんでしょ? 私はそれを叶えられるの》

「どんな、願いでもか?」

《当然。ただし、願いを叶える以上はそれ相応の対価が必要よ》

「何だよ、その対価って?」

 声の主が微笑んだ、ような気がした。

《大したことじゃないわ。ただその体を、私に貸してくれればいいの》

「なんだ、そんなことか」

 男子生徒は、声の主が出した条件を、呑むことにした。


 この時、彼は知らなかった。

 声の主が言った、体を貸すということの意味を。

 願いを、叶えるということを。

 そしてその、対価というものを。


  ◇


「……にゃ」

 魔似耶は、左手に持った本を開いた。

「まにゃ……」

「魔似耶……、貴女まさか」

「魔術解放」

 二人の声を遮るように、魔似耶は呪文を唱えだした。

「光の檻。反響、隔離、息吹、鉄壁、氷壁」

「……!」

「何よ……、これ?」

 仁奈と七海の足元が、光りだした。

「異なる物を分かつ壁となりて、囲う」

 その光は輪になって、二人の周りを囲うように広がる。

「現世と冥土を隔てよ」

 そしてそこから、光がドームのように、二人を包み込む。

「包め、閃光」

 やがてその光は落ち着き、半透明な半球となった。

「二人とも……、そこで大人しくしててほしいのにゃ」

 魔似耶は本を閉じると、どこかへと駆けていった。


  ◇


「……ねえ」

「……何よ?」

 ここは結界の内側。中にいるのは、仁奈と七海の二人だ。

「この壁、何なの?」

「知らないわよ。私が知るわけないでしょ?」

「そうだけど……」

 二人とも、会話をしているというのに全然目を合わせようとしない。

「大体、訊きたいのはこっちよ。一体何なのよ、この非常識な現象は」

「私が知るわけないでしょ?」

「ちょっと、まねしないでよ」

「まねしてないもん」

「喧嘩売ってるの? だったら買ってあげるわよ?」

「喧嘩売ってるのはそっちでしょ?」

「何よ?」

「何?」

 こらこら、ガンを飛ばすな。


  ◇


「……ねえ、もうやめない?」

「……そうね」

 数分後。息を切らせる仁奈と七海。いい加減、口喧嘩も疲れたのだろう。

「てか、こんなことしてても何にもならないし」

「それはそうだけど……」

 二人は、自分たちを囲む壁を見上げた。と言っても、見上げるほど高くないが。高さはせいぜい、二メートルといった所か。

「どうするの? この壁」

「どうするって言ったって……、どうしろって言うの?」

「そうだよね」

 結局二人は成す術もなく、壁に囚われたままなのであった。


  ◆


 二人が口論していた頃、魔似耶は廊下を疾走していた。

(……急ぐのにゃ)

 魔似耶は、とても焦っていた。それもそのはず、「犠牲者」が更に、しかも急に出たのだから。

(それにしても、どうなってるのにゃ?)

 魔似耶の気掛かりは、専らその「犠牲者」にあった。何故、このタイミングで「犠牲者」が出たのか? 何故、この学校なのか? そもそも、……何故、こんなにも「犠牲者」が出るのか?

(うにゃ。あれこれ考えるよりも、早く行かないとなのにゃ)

 魔似耶は、先を急いだ。


  ◇


 数十秒後、魔似耶は倉庫の前に辿り着いた。

 焦る気持ちを抑え、乱れた呼吸を整える。

 見るからに建てつけの悪そうな扉に手を掛け、ゆっくりと開いていく。

「あら、お客さん?」

 その途中、妙な声が聞こえてきた。口調は女性のものだが、声は男性のものなのだ。

「にゃ……、誰なのにゃ?」

 魔似耶は扉を開ききると、中にいた男子生徒に声を掛けた。

「私? 私はねえ」

 男子生徒は不気味に笑う。

「この体を乗っ取った、ただの女の子」

「ただの女の子は、体を乗っ取ったりできないのにゃ」

 魔似耶は、鋭い視線を男子生徒に向ける。

「そんな怖い顔しないでよ。折角の可愛い顔が台無しよ」

「構わないのにゃ」

「釣れないわね」

 ふふっ、と微笑む男子生徒。気色悪い。

「最近、生徒や教師が亡者と化してるのも、あなたの仕業なのにゃ?」

「亡者? 知らないわね」

 男子生徒は肩に掛かる髪を払うような動作をして、

「まあでも、ここ最近はこの辺の人間に寄生して、魂を食い尽くしてるけど」

「やっぱり、なのにゃ」

 魔似耶はずっと気になっていた。

 確かに、この学校の気は乱れている。それに加えて、学校という特殊な環境だ。精神的に疲弊した生徒や教師が、乱れた気に当てられてしまうのはよくあることだ。それが原因で、人間の核とも言える魂が狂うのも、極稀にだがある。

 以上の点を踏まえても、魔似耶はどこか引っかかっていた。

 幾ら、気が乱れていても。

 幾ら、学校という場所が特殊でも。

 幾ら、昨今の日本社会はストレスなどの精神問題を抱える人が多いからと。

 十人。今日のも含めると十二人は、幾ら何でも多すぎるのではないかと。

 その疑問も、たった今解明された。

「あなたが、生徒や教師に取り憑いて。そして魂を喰らって」

 魔似耶は左手の本を開き。

「みんなを、亡者にしていたのにゃ」

「だったら何? まさか、ここでやり合う気?」

 男子生徒、いや、男子生徒の皮を被った女を、しっかり見据え。

「魔術解放」

 右手を前に突き出して。

「射抜け、閃光!」

 そこから、光を放った。

 光は男子生徒を目掛けて、射抜くように飛んでいく。

「!」

 そして光は、男子生徒の左胸を貫いた。

 血飛沫を上げながら、男子生徒は倒れた。

「……呆気ないのにゃ」

 魔似耶は、顔に付いた返り血を拭う。言うまでもなく、男子生徒の血だ。

 魔似耶は本を閉じると、倉庫から去った。


  ◇


 ……仁奈達はと言うと。


「……あれ?」

 仁奈と七海を囲っていた壁が、突然消えた。

「どうなってるの?」

「分からないわ」

 戸惑う二人。もう彼女達を閉じ込めるものはないのだが、それでも動けずにいた。

「とりあえず、魔似耶が戻るまで待ったほうがいいわね」

「そんなぁ……」

 途方に暮れる仁奈。時刻は既に十時を回っているのだ。いい加減帰りたいのだろう。

「貴女ねえ、今の状況を分かってるの?」

「状況……、って何?」

「ああもう! 何でそんなに緊張感がないのよ?」

「キレないでよ!」

「あんたのせいでしょ!」

「人のせいにしないでよ!」

「二人とも、喧嘩はやめるのにゃ」

「「口出ししないで!」」

「にゃっ……!」

 仁奈と七海が振り向いた先には、驚いて縮こまる魔似耶がいた。

「魔似耶! 貴女一体どこ行ってたのよ!?」

 魔似耶に掴みかかる七海。だが、身長差のせいで縋りついているように見える。

「く、苦しいのにゃ……」

 一方、魔似耶は呻き声を上げている。襟首を掴まれ、呼吸が困難になっているのだ。

「だったらさっさと白状しなさい! まさかとは思うけど、また誰かを殺してきたんじゃないでしょうね?」

「せ、正解なの、にゃあぁぁぁぁ!」

 悲鳴を上げる魔似耶。もっとも、最後のほうは悲鳴にすらなっていなかったが。

「馬鹿! 何でそんなことするのよ?」

 怒鳴り声をあげる七海。その顔は、涙でぐちゃぐちゃだった。

「そんな、取り返しのつかないことを……。馬鹿! 馬鹿馬鹿馬鹿!」

 七海は駄々っ子のように泣き叫ぶ。

「馬鹿……、ばかぁ」

 そして、泣き崩れた。

 そんな七海を、魔似耶はただ、儚げに見つめていた。だがしかし、いつまでもそうしている訳にもいかず、かといってどうすることもできず。

「……ごめん、なのにゃ」

 とりあえず、謝った。

 七海が顔を上げる。眼球は充血し、瞼は少し腫れぼったくなっている。そんな目からは、今もまだ大粒の涙が流れている。

「ごめん、じゃないわよ」

 七海は泣きじゃくりながら涙を拭う。

「七海ちゃん、それと仁奈ちゃんも。今日はもう帰るのにゃ」

「……うん」

 仁奈はそんな雰囲気を察したのか、早足でこの場を去る。

「ほら、七海ちゃんもなのにゃ」

「……分かった」

 七海は立ち上がると、魔似耶に背を向ける。

「今度やったら、承知しないんだから」

 彼女はそう言い残すと、駆け足で去っていった。

「……心配、掛けちゃったのにゃ」

 魔似耶は、そんな二人を見送った。


 夜は、これから更けていく。



 ……翌日の学校。



「おはよう、まおちん」

 いつも通り、魔緒に挨拶する仁奈。

「……相変わらずだな」

 それに対し、ごく平凡な感想を述べる魔緒。

「……」

「……」

 そして、二人とも黙ってしまった。

「……」

「……」

 暫しの沈黙。この二人、チャイムが鳴るまでこうしているつもりだろうか。

「……ねえ」

「……何だよ?」

 と思ったら、会話が再開していた。

「ほんとに、まおちん?」

「意味が分からんぞ」

 不安げな仁奈の問いに、呆れ顔で呟く魔緒。まあ、無理もないだろうが。

「ほんとに、まおちんなの?」

 それを受けて、再び問い直した仁奈。殆ど変わっていないが。

「何当たり前のこと言ってんだ?」

「ううん、何でもない」

 仁奈はそう言うと、自分の席へ戻った。

「……まあ、言いたいことも分かるけどな」

 魔緒も、自分の席へ着いた。


  ◇


 ……そして、昼休み。


「あら」

「げ」

 教室の入り口で鉢合わせする仁奈と七海。

「陰陽魔緒はいるかしら?」

「さあ」

 嫌な子のように返す仁奈。

「まあいいわ。自分で探すから」

 七海は気にせず、教室に入り込む。

「だめ」

「何でよ?」

「何でも」

 往生際が悪いぞ、仁奈。

「まったく、幼稚にも程があるわよ」

「むぅ〜」

 むくれる仁奈。図星なのだから、仕方ないのだが。

「って、そうじゃないわ。陰陽魔緒を探さないと」

「まおちんに何か用?」

「用、って程でもないけど……。とにかく、陰陽魔緒はどこよ?」

 苛つきながら催促する七海。今にも舌打ちしそうなくらいだ。

「教えない」

「知ってるのね?」

「うっ」

 どうも、ボロを出してしまったようだ。

「まったく……。もういいわ、埒が明かないから自分で探す」

 ずかずかと、教室に踏み入る七海。今度ばかりは仁奈も、止めるようなことはしなかった。


 ……数分後。


 散々教室を探し回った挙句、七海は魔緒を見つけられなかった。

「ったく、何でいないのよ?」

 七海は悪態吐きながら教室を出て行った。

「せぇーふ」

 ほっと一安心の仁奈。

「にしてもまおちん、どこ行ったんだろう?」

 というか、知らないのか……。

「呼んだか?」

「あ、まおちん」

 と思ったら戻ってきた。

「なるほど、清田の奴が来たのか」

「何で知ってるの?」

「時間省略だ」

「省略?」

「こっちの話だ」

 魔緒ははぐらかす。

「てかお前ら、何でそんなに仲悪いんだ?」

「別に、悪いって訳じゃないんだけど」

「そうか」

 魔緒は頷くと、溜息を吐いた。

「喧嘩するほど仲がいい、って奴か」

「うぅ〜」

 唸る仁奈。その表現が気に食わないのだろうか。

「ま、程々にな」

 仁奈は何か言いたげだったが、彼女が口を開く前にチャイムが鳴る。


 昼休みが終わった。



  ◇


 ……放課後。


「あれ? 帰らないのまおちん」

 教室には、仁奈と魔緒が残っている。他の生徒の姿はない。

「その前に、やることがあるからな」

「やること?」

「昨日のこと、お前も気になるだろ?」

 昨日のこと。即ち昨晩のことだろう。それが分かったのか、仁奈はそれ以上何も言わなかった。


  ◇


「……見つけたわよ。陰陽魔緒」

 数分後、七海が教室にやって来た。

「やっと来たか」

 待ちくたびれた、とでも言いたげな魔緒。

「……」

 一方、仁奈は黙りこくっている。

「説明してもらうわよ。昨日のこと、貴方のこと、全部」

「いいぜ。俺に答えられることならな」

「じゃあ早速、聞かせてもらうわ」

 七海は少し間を空けると、再び口を開いた。

「貴方は、何者なの?」

「何者なの、か」

 魔緒は少し考えると、

「それはどういう趣旨の質問だ? 質問の趣旨が分からんと答えようがない。国籍を問われれば、日本人だと答えることができる。年齢を尋ねられれば、十五だと答えられる。だが、何者かと問われても答えようがない」

「……捻くれ者」

 七海は小さく呟くと、

「訂正するわ。貴方は、貴方と魔似耶は、一体どういう関係なの?」

「訊き方があれだが……、まあいいか」

 魔緒は、色々と突っ込みたい衝動を堪えつつ、

「ぶっちゃけ、俺も全部把握していないのだがな。俺が魔似耶について知っていることは少ない。まあ、喩えるなら二重人格ってとこだろうな」

「なるほどね。簡潔な説明をありがとう」

 かなり手抜きな説明に、軽く頷く七海。

「じゃあ二つ目の質問、いいかしら?」

「いくらでも」

「そう。それじゃあ今度は、貴方が人を殺している理由を聞かせて貰おうかしら」

 遂に来た。今まで二人を静かに見ていた仁奈は、心の中で呟いた。それこそが、仁奈が、仁奈と七海が一番訊きたかったことだ。

「それについては魔似耶が話したと思うが……。改めて聞きたいというなら説明してやる。耳の穴をかっぽじって良く聞け」

 そう言われて、素直に耳の穴をかっぽじる仁奈。

「まず、この世界の構造からだ。この世界には、俺らの体を形作る物質の他にも様々なものがある。魔術を行使するために必要なマナや、魂を形成する霊質がな。これは、どっかの無名な学者が出したっていう論文の概要だ。周りには相手にされなかったらしいが、実際はかなり正確な説だ」

「そんな妄想癖に付き合うつもりはないんだけど?」

「そう焦るなよ」

 あまりに突拍子もない話に、さすがの七海も馬鹿馬鹿しくなったようだ。仁奈に至っては、もはや論外だ。

「つまりだな、人間の体は物質、霊質、そしてマナで構成されている。そのバランスが崩れると、人間も壊れる。肉体的にも、精神的にも」

 要するに、栄養バランスが崩れた状態。体がおかしくなるのも無理はない。

「それが、亡者の正体?」

「ああ。奴らに理性なんてものはないからな。ゾンビと大差ないさ。放っておけば、人々を殺して回るだろうな」

 何とも、現実味のない話だ。魔術がどうの魂がどうのではなく。それが原因で人がおかしくなるなどと、いきなり言われても実感なんか湧くはずもない。

「なんか、狐につままれた気分だわ」

 七海は、頭を振りながら呟く。

「聞きたいのはそれだけか?」

「ええ、もういいわ。これ以上聞くと頭がパンクする」

 額を押さえ、目を瞑る七海。眉間に皺が寄っていることから、脳の処理が追いついていないのだろう。

「そうか。なら楠川、お前はどうだ?」

「へっ?」

 完全に蚊帳の外だった仁奈は、突然名前を呼ばれて変な声を上げた。

「お前は何か訊きたくないのかと言ったんだが……、ないならいい」

「えっ? ちょっ、ちょっと待って!」

 呆けていた仁奈は、慌てて声を上げ、思わず転びそうになる。

「答えてやるから、少し落ち着け」

「……う、うん」

 深呼吸をする仁奈。すぅ、はぁ、すぅ、はぁ。

「えっと、まおちん」

「何だ?」

「えっと、えっとね」

 もったいぶるようにもじもじする仁奈。

「まおちんは、ほんとにまおちん?」

 そして、躊躇いがちに、そう問うた。

「またそれか」

 一方魔緒は、やや呆れ気味に呟く。

「だって……、まおちんがほんとにまおちんなのか、不安なんだもん」

 仁奈は、瞳を潤ませながら、そう言った。

「ったく、お前のことはよく分からん」

「答えて、くれるんでしょ……?」

「分かった。答える」

 魔緒は暫し考えた後、

「俺自身は変わっていない。少なくとも、俺がお前に会ってからは一度もな」

 そう答えた。

「……良かったぁ〜」

 ほっと胸を撫で下ろす仁奈。

「それだけか? それなら俺は帰るが」

「あっ、うん。またね、まおちん」

「じゃあ、私も帰るわ」

 魔緒と七海が立ち去り、仁奈だけが教室に残った。

「……ようし、私も頑張ろ」

 そして、彼女も教室を去った。



 ……そして、数日が経過した。



「よう、楠川」

 朝の教室、いつものように挨拶を交わす生徒達。魔緒も彼らと同じように、仁奈に声を掛ける。それもいつも通りだ。ただ違うのは、

「……おはよう」

 仁奈の表情が、いつもより暗いことだ。

「どうした? 元気と明るさの特売日みたいな陽気さがお前の取り柄だろ?」

 さすがに、魔緒が気づかない筈もなく。何気に失礼な物言いだが、仁奈は無反応だ。

「おーい、聞こえてるか?」

 魔緒は仁奈の眼前で手を振ってみるが、やはり無反応。

「おい、いい加減にしろ」

 魔緒は少し口調を荒らげてみるが、それでも無反応。

「ったく、新手の嫌がらせか?」

 それでさすがに諦めたのか、魔緒は自分の席に着いた。


  ◇


 ……昼休み。


「陰陽魔緒、いるかしら?」

 七海が教室に入ってきた。

「お前なぁ、何他所の教室に来てんだよ?」

 それを、露骨に嫌そうな表情で迎える魔緒。

「あら、他所のクラスに来ちゃいけないなんて校則、ないと思うわよ」

「そういう問題じゃない」

「じゃあ、どういう問題よ?」

 魔緒は額を押さえて、頭痛を堪える。先日の一件以来、七海は毎日のように教室にやって来るのだ。だがその度に、仁奈の機嫌が悪くなり、無用ないざこざを起こすのだ。それだけならまだしも、魔緒もそれに巻き込まれてしまう。つまり、それだけ魔緒の苦労も増えるということだ。

「とにかく、用もないのに来るんじゃねえよ」

「用ならあるわよ」

「何だよ?」

 訝る魔緒に、悪戯っぽい笑みを向ける七海。そんな二人を見ていた他の生徒は、七海の意外な一面を目撃して驚いたり驚かなかったり。

「貴方に会うっていう用事がね」

 語尾にハートマークを付けたくなるような調子で、ウィンクをする七海。

「気色悪いっての」

 不愉快だ、と言わんばかりに吐き捨てる魔緒。

「もう、照れちゃって」

「お前、キャラが変わってるぞ」

 キャラ崩壊は深刻な問題だ。

「そんなこと言ってたら、人は変われないのよ」

「とりあえず、今は変わらないでくれ」

 そうしないと、後の展開に響く。

「で? 何で貴方は私のことを嫌うのかしら?」

 キャラが戻ったようだ。良かった。

「お前は……、何というか、その……。あれだ、あれ」

 魔緒にしては珍しく、煮え切らない態度だ。

「何よ?」

「特に理由はないんだが……」

「ないの?」

「それでも、強いて挙げるとすれば……」

「すれば?」

 魔緒は少し躊躇いつつも、

「波長が合わない」

 具体性の全くない、しかしそれ以上具体的に表現できない理由を述べた。

「そうかしら。私は結構気が合うと思うけど」

「気は合っても波長は合わない」

 そして、それは本心のようだ。

「まあいいわ。今日はあの子もいないみたいだし」

 七海は諦めたように首を振ると、周りを見回した。

「そういや、お前に訊こうと思ってたことがあるんだが」

「何かしら? スリーサイズ以外なら教えてあげるわよ」

 それ以外は何を訊いてもいいのか? と思う魔緒だが、話が脱線するので突っ込まないでおいた。

「お前と楠川、何で仲悪いんだ?」

「……」

 その問いに、七海は押し黙った。

「どうした? 答えてくれるんだろ?」

 魔緒が茶化すように言うと、七海は口を開いた。

「仲が悪い訳じゃないわ」

「そうかよ」

 二人とも、同じ答えだ。

「ま、俺の知ったことじゃないんだがな」

 魔緒はそう呟くと、どこかへと立ち去った。

「……さすがに、気づかない訳がないわよね」

 一人残された七海は、そんな言葉を、意味有り気に呟いて。

 その表情が、哀愁に満ちているような気がして。

 そんな七海を、遠くから見ていた者がいて。


 話は、更にややこしくなりそうだ。



  ◇



 放課後の図書室。そこに、魔緒の姿があった。

 彼は書庫で古新聞を漁ったり、パソコンで何かを調べたりしていた。他にもよく分からない専門書を探したりもしている。

「……さすがに、実名は公表されてねえよな」

 一通り調べた後、魔緒は小さな落胆を漏らした。この発言から察するに、誰かのことを調べていたのだろう。

「とはいえ、役所の記録を見れるコネなんてないしな」

 しかも、かなり危ない橋を渡ろうとしているのかもしれない。

「しゃーねえ、休日潰すか」

 そう呟くと、魔緒は図書室から立ち去った。



 ……明くる日。



「……」

 仁奈は覚束ない足取りで廊下を歩く。すれ違う生徒とぶつかりそうになりながらも、仁奈は教室へと向かう。

「……はぁ」

 そして、ため息。

「どうしたのよ、一体?」

「……あんたは」

 仁奈の前に、七海が現れた。

「ふぅん? 確かにこれじゃあ、陰陽魔緒が心配するのも無理ないわね」

「まお……、ちん?」

 殆ど虚ろだった仁奈の目に、僅かな光が灯った。

「この分だと、かなり重症ね」

「……何が?」

 仁奈は、低い声で呟く。

「へぇ、自覚してないのね。貴女が、陰陽魔緒に依存しきってるってことを」

 七海の小馬鹿にしたような含み笑い。それが、仁奈を苛立たせる。

「言いたいことがあるなら、はっきり言って」

「そう? それじゃあそうしようかしら」

 七海は、表情を引き締める。

「陰陽魔緒は、私達のことを調べてるわ」

 重々しく放たれた言葉。それは、仁奈の心に強い衝撃を与えた。

「しかも、貴女の両親のことも調べてるみたいよ」

 仁奈はもう、返す言葉も気力もないようだ。

「このままだと、彼に何もかも知られるわよ」

 そう言い残し、七海は立ち去った。

「……」

 仁奈は暫しその場に佇んでいたが、やがてどこかへと歩いていった。



 ……そして教室。



「……眠い」

 魔緒は大きな欠伸を一つ。恐らく、徹夜で何かを調べていたのだろう。

「っと、楠川だ」

 とか言ってる内に、仁奈が教室に入ってきた。

「おーい楠川。今日は元気か?」

「……」

 魔緒は仁奈に呼びかけるが、彼女は反応を返さない。

「……いで」

 と思ったら、小声で何かを呟いた。

「……かないで」

 その声は段々と大きくなり、

「私に……、私に近づかないで!」

 最後のほうは、甲高い叫び声となっていた。

「……」

 突然の仁奈の叫びに、魔緒は返す言葉もない。

「……」

 仁奈は無言で、教室の外へと飛び出していった。


 それをただ見ているだけの魔緒に、教室が騒然としていることなど、分かるはずもないだろう。


  ◇


 その頃、飛び出していった仁奈はというと。

「……」

 トイレの個室で、声を押し殺して泣いていた。そろそろ授業が始まる時間で、この女子トイレにも他に誰もいないのだから、好きなだけ泣いてもいいと思うのだが。


  ◇


 こうして時間が過ぎ、そろそろ涙も涸れてきた頃。仁奈もいい加減泣き疲れたらしく、目を擦りながら個室から出てきた。

「……みっともない、私」

 鏡に映った自分を見て、呟く仁奈。

 折角、気遣って貰ったというのに。知られたくない、ただそれだけで、あんなことを……。どうして、あんなことを言ってしまったのだろうか。

 そう思えば思うほど、自己嫌悪に陥る仁奈であった。


 仁奈は顔を洗い、ついでに涙も洗い流して、トイレを出た。

「……はぁ」

 そしてため息。

「……まおちんに、酷いこと……しちゃったな」

「気にしてないから安心しろ」

「……良かったぁ〜」

 ほっと胸を撫で下ろす仁奈。そしてハッとする。

「まおちん!」

「気づくの遅いぞ」

 トイレの出口の傍に、魔緒がいた。この時間にいるということは、授業をサボっているのだろうか。

「な、ななな何でまおちんが!」

「俺がいちゃ悪いか?」

「悪くないけど……」

 とはいえ、女子トイレの前で待ち伏せというのはどうなのだろうか。

「ま、折角だしサボるか」

 何が折角なのかは置いといて、

「でも、私……」

「となるとやっぱり、図書室だな」

 魔緒は一人頷き、

「んじゃ、さっさと行くぞ」

「えっ? ちょ、ちょっと!」

 仁奈の手を取って、走り出した。


  ◇


 ……そして図書室。



「ん? 結構人いるな」

 授業中だというのに、図書室には十数名の生徒がいた。

「ったく、授業サボって何してんだか」

 それはお前もだ。

「少なくとも、貴方にだけは言われたくないわね」

「清田……、お前もか?」

 七海までもがサボりだとは……。

「失礼ね。私たちのクラスは自習なのよ。それより、」

 七海は仁奈のほうへ目を向けると、

「貴女、何で陰陽魔緒といるのよ?」

 まるで咎めるような口調でそう問うた。

「……ごめん」

 何故か謝っている仁奈。

「おいおい、何でお前がそんなことを―――」

「貴方は黙ってて」

 魔緒の台詞を、七海がぴしゃりと遮った。

 そして再び仁奈のほうへ向き直ると、

「ごめん、じゃあ分からないわ。ちゃんと説明して」

 有無を言わせぬ威圧感と、それを強調する鋭い視線。目線を逸らした仁奈も、それらから逃れることはできないようだ。

「説明して」

 催促する七海。

「それとも何? このままでいいの?」

 そしてそれは、段々ときつい言葉になっていく。

「無視する気?」

 七海は言いたいだけ言った後、今度は魔緒に目を向ける。

「貴方もよ。この子のためを思うなら、二度とこの子に近づかないで」

「……何かと思えば」

 魔緒は呆れたように呟く。

「お前に何の権利があるって言うんだ? いや、たとえあったとしても、俺は嫌いな奴の指図は受けない」

 そして、はっきりと言い放つ。

「……そこまで嫌われていたのね」

 だが、七海が漏らした台詞は、先程のそれとは結びつかないもの。ただ純粋に、魔緒に嫌われたことを嘆くだけのものだ。

「俺はお前が大嫌いだ。たとえ、どんな理由があってもな」

 魔緒はそういうと、一人で図書室の奥に進んでいった。

「……とりあえず、邪魔者はいなくなったわね」

 七海は彼を見送ると、やれやれといった様子で呟いた。

「それじゃあ、さっきの問いに答えて貰おうかしら?」

 そして、仁奈をまた見据えた。

「……」

 仁奈は、ゆっくりと口を開いていく。



  ◇



 チャイムが鳴った。


「……」

 七海は、ゆっくりと立ち上がった。というか、二人とも椅子に座っていたのか。

「……」

 仁奈も立ち上がる。

「……私は、反対だから」

 そう言い残すと、七海は図書室を後にした。


「清田の奴、帰ったのか」

 少し遅れて魔緒の登場。七海が帰るのを待っていたのだろうか。

「……まおちん」

 仁奈が振り返る。その表情はなにやら、言い表しがたいものがあった。

「んじゃまあ、教室に戻るか」

 彼はそう言うと、一人で図書室を出て行った。

「……」

 一人残された仁奈は、ただそこに佇むだけだった。



  ◇



 ……そして週明け。


「ふぁ〜……。眠い」

 大きな欠伸をしながら登校して来た魔緒。

「おはよう、まおちん」

「楠川……」

 彼を出迎えたのは、いつも通りの仁奈だ。魔緒に向けられる笑顔も、本来の彼女のそれだ。

「どうしたのまおちん? 間の抜けた顔して」

 仁奈は首を傾げる。

「いや、何でもない」

 実をいうと、魔緒は気になっていた。何故仁奈が、いつも通りの彼女に戻っているのかと。

 だが、魔緒は敢えてそれに触れなかった。

「変なまおちん」

 屈託のない仁奈の微笑みに、魔緒は安堵を覚えるのであった。


  ◇


 ……放課後。


「……」

 無言で帰り支度をする魔緒。

「……」

 仁奈も、帰り支度をしている。

「……」

「……」

 教室には、他に誰もいない。まるで、彼らに遠慮したかのように、皆帰ってしまったのだ。

「……揃ってるわね」

 七海の登場。何時ぞやの場面のようだ。

「……来たか」

 魔緒が、待ってましたと言わんばかりに呟いた。

「来るに決まってるでしょ」

 来ないという選択肢もあると思うのだが。

「……」

 仁奈は、静かに立ち上がった。

「楠川」

 そんな彼女を、魔緒が呼び止める。

「話がある」

 それは決意の篭った声。彼は、決めたのだろうか。

「清田」

 そして魔緒は、七海の方へ向く。

「お前にも、聞いて欲しい」

「分かったわ」

 頷く七海。

「んじゃまあ、どっから話すかな」

 自分から切り出しておいて、そんなことを抜かす魔緒。

「じゃあまず、俺が何を調べてたかについてなんだが」

「調べ事してたの、まおちん?」

 おいおい、この前七海が言っていたことを忘れていたのか。

「……続けるぞ。俺が調べてたことだが、それはお前らだ」

 二人の表情が、険しいものに変わっていく。

「お前ら、見た目はそっくりな癖に名字は違うし仲は悪いし、姉妹にしか見えねえのにそれが本当かどうかも分からねえし」

 魔緒が今述べたことは、二人の少女を精神的に穿った。

「時々、先生方の手伝いをするんだがな。そん時に偶然、お前らの個人情報を目にした。実を言うと、それがきっかけだったんだが。とにかくだ、俺はその時、お前らの血液型を知った」

 今まさに、少女達の何もかもが、暴かれようとしている。

「お前らの血液型は、Rh−のAB。何千人に一人の割合でしかいない希少な血液型だ。それが同じ学校の同じ学年にいて、しかもそれがそっくりな二人。となれば、普通は双子を疑うだろ?」

 隠してきた素性、決して公にできない秘密。それらは最早、秘密ですらない。

「知り合いの伝手で、お前ら戸籍を調べさせて貰った。そしたらお前ら、案の定双子じゃないか」

 ……双子。この少女達の関係を、端的に言い表した言葉だ。だが、

「名字が違うのも、両親が離婚しているということで説明がつく。ただな」

 魔緒は、予てからの疑問を口にする。

「何でお前らが、あんなに他人行儀なのか分からねえ。お前らの挙動を見るに、自分たちが双子だって気づいてたんだろ?」

 そう、最大の疑問。この少女達は何故、こんなにもいがみ合っているのだろうか。ここまで引っ張るほどのことでもないが。

「……話っていうのは、それだけかしら?」

 静かに話を聞いていた七海は、ぽつりとそう漏らした。

「というか、そのつもりだったんだがな」

「そう……」

 そっと目を伏せる七海。そしてその目が開かれた時、その瞳は微かに潤んでいた。

「でも、この子にそれを話す覚悟があるのかしら?」

 彼女は、仁奈のほうを見やる。仁奈は、唇を噛んで俯いていた。

「これは、俺の好奇心に過ぎないからな。無理強いする気は端からない」

「……ううん、話す」

 仁奈が、顔を上げた。しっかりと開かれた瞳は、真っ直ぐ魔緒を見つめている。

「だから、聞いて」

「ああ」

 魔緒は、小さく頷いた。


  ◆◆◆


 昔々、ある所に双子の姉妹がおりました。

 姉妹は、それはそれは仲が良く、どんな時でも一緒でした。

 しかしある日、姉妹の両親が別れてしまいました。

 それにより姉妹は、離れ離れになってしまいました。

 姉のほうは父と共に、妹のほうは母と共に。

 幼き姉妹は、別れという苦痛と再会への希望を抱きながら、それぞれの道を歩みだしました。


 数年が経ち、姉妹に転機が訪れました。

 姉妹の父親は新たな女性と結ばれ、姉のほうには新たな母ができました。

 新たな母は、まさに良妻賢母と呼ぶべき女性でしたが、姉が妹の話をするのを嫌いました。

 そのため姉は、妹との再会を果たせずにいました。


 一方、妹のほうにも転機が訪れました。

 姉妹の母親は新たな男性と結ばれ、妹のほうには新たな父ができました。

 新たな父は、気が短く家族に平気で暴力を振るう男で、妹は彼に虐げられていました。

 そのため妹も、姉との再会を果たせずにいました。


 更に数年後、それはまた起こりました。

 妹の新たな両親が、罪を犯してしまったのです。

 彼らは刑に服し、残された妹は親族の元を転々としました。

 それでも、姉妹が再会することはありませんでした。


 姉妹が再会したのは、彼女達が高校に進学した時でした。

 姉妹は同じ学校に進学し、クラスこそ違えど、同じ校舎で学ぶこととなりました。

 姉妹は校内で再会を果たし、しかし、その喜びを噛み締める間もなく、またも決別してしまいました。

 いえ、正確には、姉が妹を突き放したのです。

 それは決して、妹を嫌っていたからではなく、姉の母に、妹のことを知られまいとしたためでした。

 妹はそれを知らされ、されど自分の過去を知られまいと、渋々それを承諾しました。

 そして姉妹の間には、深い溝が出来てしまいました。

 姉は、妹の過去に対する無意識の抵抗。

 妹は、両親の目を気にする姉に対する不信。


 それ以来、姉妹はまるで他人同士のように振舞いました。

 念願の再会を、果たしたにも拘らず。


  ◇◇◇


 仁奈が話し、時折七海が補足した内容は、このようなものだった。


「……そうか」

 魔緒は、そっと呟く。

「満足したかしら?」

 七海は、静かに問うた。

「ああ。十分理解したさ」

 魔緒は仁奈のほうへ向く。

「ありがとう」

 彼はその一言だけを告げると、教室から出て行った。


「もう、終わりにしたほうがいいのかしら?」

 魔緒が出て行った後で、七海が呟いた。

「うん。これ以上、こんなことしてても意味無いしね」

 それに頷く仁奈。


 いつかのように、微笑みあう二人。それはただ、無垢な笑顔。無邪気な笑い声。以前のような柵など、存在する余地すらない。




 ……翌日。




「おはよう、まおちん」

 陽気な仁奈の声が、朝の教室に響き渡る。

「ああ」

 魔緒は、静かにそれに答える。

「ところでまおちん、数学の宿題写させて」

 ウィンクしながら頼む仁奈。

「断る」

「え〜? いいじゃん別に」

「自分でやれと言っている」

 このやり取りも最早定番と化している。

「そうよ仁奈」

「あっ、お姉ちゃん」

 ここで七海のご登場。

「それじゃあお姉ちゃんに」

「駄目」

 仲の宜しいことで。

「陰陽魔緒。くれぐれもこの子を甘やかさないで頂戴」

「承知している」

「そう」

 こちらも仲が宜しいようで。

「私達、結構気が合うと思うんだけど」

「同じネタはやめろ」

 いや、宜しくないのか?


  ◇◆◇


 姉妹の道は、この時交差した。次は、誰の道が交差するのか。


   〜THE END OF ROAD 1〜

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