太陽は今宵も
まんじりともせずに迎えた朝は、雲一つない見事な冬晴れだった。
六畳一間の古びた和室には、高い位置から燦々と惜しみなく陽光が降り注いでいる。
星野は、ただ横になっていただけで疲弊しきった体を起こした。
寒さに身を縮こませながら袢纏を羽織り、目覚めの一服を試みたが相棒のライターが見つからない。虚ろに視線をさまよわせていると、食卓兼勉強机の六十センチ四方の炬燵に置かれたオレンジ色の「ブツ」が目に飛びこんだ。
「あー……」
呻きを漏らして、ぎゅっと瞳を閉じた。再び開いた視界には変わらぬ光景が広がる。いまどき珍しい緑色の砂壁、レトロを超えて歴史的価値すら漂う吊るし型の照明、実家から送られた禍々しい紅柄色の炬燵布団……机上には、オレンジ色の封筒が太陽のような存在感で輝きを放っていた。
(なぜ、この色を選ぶかなぁ……)
口の端に煙草を咥えて、ぞんざいに手紙を手に取る。横長の洋封筒は、文具店でバラ売りされているものだろう。百均や大学の生協で手に入る大量生産品の安っぽさはない。ぴっちりと糊づけされているところが差出人の情熱を密閉しているようで、手にした者を大いに怯ませる。
恋文ともなれば、なおさらだ。
宛名がないのは恥ずかしくて書けなかったからにちがいない。そんなことでどうする!……心でツッコみ、封筒を裏返した。
宮本陽大
端整な筆致の差出人名に目を奪われる。思いがけないほどの流麗な文字で、一体どんな愛の文句がしたためられているのだろう?
「面倒くせえなあ」
吐き捨てて万年床に倒れこむと、舞い上がった埃が朝陽に煌めいた。
「好きなんだ」
昨晩、アパートに押しかけてきた宮本は、開口一番にそう告げた。
炬燵でうたた寝していたところを起こされ、最高に不機嫌な顔で友人を出迎えた星野は、ドアノブを握りしめたまま石化した。
「…………正気か?」
「ああ。出会った時から好きだった。今でもはっきり思い出せる。彼女が坂道を駆け上がってきて、洋弓場の入口に立ち止まってもじもじしていた控えめな姿……あの時、俺の胸には高らかなファンファーレが! そう、ウィリアム・テルの序曲のように――」
「待て。待て待て待て……焦ったぁ。いや、うん、わかった。わかったけど、ウィリアム・テルはなんかちがわないか? 競馬か運動会っぽいだろ」
「とにかく! 俺は恋に落ちたんだ!!」
いっそ地獄に落ちて二度と戻ってくるな!!……そう言い渡してドアを閉めようと思ったが、宮本の声量が近所迷惑寸前に達しかけたため、やむなく中に招き入れた。
「ノリサチこそ俺の求めていた女神だ!」
ちゃっかりと炬燵の一角を陣取った大学の同級生は、卓上の蜜柑を剥きながら意中の女性の名を叫んだ。ノリサチこと則元幸は、二人が所属する洋弓部の後輩である。
宮本が着席するまでの数十秒で星野はすべてを理解した。換気扇を回した台所で煙草に火をつけながら、はしゃぐ友人の恋の末路を想像する。
「星野もいい子だと思うだろ? 素直だし、控えめだし、可愛いし」
「胸もデカいしな」
即座に投げつけられた蜜柑の皮が、足元にべろんと広がった状態で落ちた。
「彼女を下卑た目で見るな!」
「じゃあ、もし、お前がノリサチと付き合っても清らかな関係を続けるのか? 聖人君子じゃあるまいし。大体、あのレベルの女が未経験なわけないだろ」
二度目の投てきは、皮の断片が小さすぎたために宮本のすぐ近くに落下した。星野を見上げる顔は怒っているが抗議はしない。
(素直なヤツ)
煙を吐き出しつつ内心で称えていると、「だってさぁ」と、炬燵に突っ伏した宮本がくぐもった声を上げた。
「俺は未経験なんだから、好きな子にも同じであってほしいじゃん」
激しくむせこんだ星野に、宮本はきょとんと顔を上げた。
君が狙う相手は大概の男が惚れる類の女であり、つまり競争相手は無限に近いと仮定できる。どう考えても勝機ゼロ。ましてや、童貞クンなんてお呼びじゃないですよ……と、端的に諭さなければならない。
「宮本よ」
「星野!!」
世間知らずの生息子をやんわりと諭そうとしたところを遮られた。
炬燵から飛び出した宮本は、蜜柑の皮が散乱する床に這いつくばった。ぽかんとする星野に向かい、悪代官に年貢の取り立て延長を懇願する庄屋のように両手を合わせている。
「俺の恋文、ノリサチに渡して!!」
*
二人の出会いは、大学の洋弓部だった。
「初心者大歓迎! 大学から始めた人ばっかりだよ。運動神経とか関係ないし、女の子もたくさんいるよ~」
いたいけな入学当初、巧みな誘い文句に乗せられた星野は、うかうかと洋弓部に入部した。サッカーやバスケのような肉弾戦とはワケがちがう。弓を引くくらいなら俺にもできるだろう、と。
無論、それは甘い考えであった。
洋弓部には、三人の王が君臨していた。
一人目は主将の輪島。
ずんぐりとした体型に激しすぎるパーマ頭で、後ろ姿はほぼオバちゃん。滅多に発声せず、そのくせただ突っ立っているだけでも威厳漂う雰囲気は大仏を彷彿とさせる。天パだという事実に新入部員全員が驚愕した。
二人目は副将の桐原。
「ぴしゃげるぞ、わりゃあ!」が口癖の仁義あふれる男(注:ぴしゃげる=広島弁で「お仕置きよ!」の意)。体格・顔つき・言動すべてが武闘派だと物語る熱い漢。
三人目は学連担当の末永。
女子支持率No1。白皙の貴公子は甘い微笑で女子を悩殺し、同じ笑顔で男には再起不能の強烈な毒を吐く。
三年生である三魔王たちに従い、週三回、地道に練習を重ねる日々が続いた。中立を表す数字「三」が連なるが、魔王たちの実権は確固たるものだった。
当然、素人が最初から弓に触らせてもらえるはずがない。
走りこみ、片手腕立て伏せ、腹筋に背筋……地道を超えて地味すぎる体力作りの繰り返しである。構内の端、周囲は雑木林という安全第一をモットーに設けられた洋弓場(=原っぱ)で、星野は早くも挫けかけた。
他の新入部員も似たり寄ったりだったが、宮本だけは別だった。
「おっつかれー!!」
毎回、輝く笑顔で現れる彼が、部活が楽しくてたまらない異常者なのか、ただの能天気なのかはわからなかった。
慎重派の星野は、出会って間もない相手にいきなり胸襟を開く真似はしない。
成績や容姿などの目に見える物差しによって階層分けが行われるのが学校という戦場の掟である。
自分が属するのはどんな集団なのか?
上位者はどんな人物なのか?
それらを心眼で可視化できれば、自ずと身の置きどころは定まってくる。
星野のこれまでの学生生活は概ね平穏であり、つまるところ「石橋を叩いて、さらに何人かが渡るのを見届けてから、おっかなびっくり渡ってみる」という、ビビリな性格ゆえだった。
常にビカビカと笑顔をふりまき、初対面だろうが三魔王だろうが、臆することなく接していく宮本という男は要注意人物に他ならない。
「おーい、ほっしの!」
星野の警戒をよそに、宮本は石橋など渡りもせずに大ジャンプで飛び越えてきた。
構内で出くわせば、星野に連れがいようと気にもせずに笑顔で呼びかけてくる。河童顔負けの真緑色のパーカーや、トムソンガゼルの顔面がでかでかと印刷されたTシャツ姿の彼が現れるたびに肝を潰した。
どこで買うのかと目を疑う奇抜な服、ぼさぼさの伸び切った黒髪、ひょろりと痩せた体から放たれる若干掠れた声が妙に男くさい。風采は「売れないロックミュージシャン」といったところか。胡散臭さ満点の容姿に、素直で快活な性格がじつにアンバランスである。
そんなミスター変人が、避けられ疎まれているかというとそうでもない。
よくよく観察していると、宮本は特定の集団とツルむ習性は持たず、一人気儘に構内を闊歩している。にも関わらず、彼の周囲には多くの人が群がり、自然と輪が形成された。しかも、女子率が高い。
ハーレムの中央でへらへらと笑う宮本を目撃するたびに星野は首を捻った。
見てくれの悪い男ではない。小作りながらも整った顔で、とくに黒目がちの瞳は子供のようで愛嬌がある。
(でも、モテとはちがうような……?)
女性にとっての宮本は恋愛対象ではなく、「直立するレッサーパンダ」や「歌って踊れる地方のゆるキャラ」的位置づけである。「明るくて面白いし、飄々とした雰囲気は友人としてはアリ。でも、恋人にするには奥行不足なんだよね~」……女子的評価はそんなところだ。
よくも悪くも真っ正直な宮本という男に、星野は気づけば胸襟を全開にさせられていた。
「お前の服装は公害レベルだ。なんだそのゼブラ柄のシャツは! 目がチカチカする」
「星野こそカラスの化身かよ。黒で統一すればモードを気取れると思ってんのか!」
お互いをけなし合うほどの仲に発展した頃、事件は起きた。
前期試験も終わり、夏休み目前の八月初旬。
洋弓部の恒例イベントであるバーベキューが大学近くの浜辺で開催されたのだが、開始時刻の十九時を過ぎても宮本は現れなかった。何度か携帯に連絡したが応答はない。気にしつつもヤキソバなんぞを作っていると、背後で忍び笑いが聞こえた。
「ざまみろ。三年に気に入られてるからって図に乗り過ぎなんだよ、アイツ」
「今頃、洋弓場で一人肝試しか」
一つ上の二年生たちの会話が、野菜を炒める音の合間に耳に飛びこんできた。
もう一度、電話をかけたが通じない。舌打ちして携帯をジーンズのポケットに押しこむと、同級生に菜箸を託して駆け出した。
(ったく……)
自転車に飛び乗り、街灯もまばらな夜道を疾走する。砂浜を走った足は鉛のように重く、明日の筋肉痛を想像して気が滅入った。
周囲の景色は夜陰に融解し、水の張られた田んぼが時折ぬらりとヘッドライトを弾く。蛙たちの合唱を掻き消すような駆動音を立てながら、自転車は闇を切り裂き、大学へと直行した。
洋弓場の夜間照明が灯っているのを見た瞬間に安堵の息が漏れた。
(よかった……いや、よくない。よくないぞ……すっげえ、しんどい!)
ホッとしたのも束の間、徐々に怒りがこみ上げてきた。緩やかな坂道を立ちこぎでペダルを踏み、怒っている理由が自分でもよくわからない。
体育館裏に位置する洋弓場は、建物を直角に曲がるまでは全貌を視認できない。汗だくで到着した星野は、白熱灯に煌々と照らし出された光景を前に大きく息を吸いこんだ。
「宮本ォォ!!!!」
原っぱの中央に寝転がっていた友人に渾身の叫びをぶつけた。
がばりと起き上がった彼は、夜目にも眩しい黄色のポロシャツ姿である。「おお、星野!」などと、呑気に手を振る宮本の首を絞めたい衝動に駆られた。
「お前……なんで、ここ……」
怒りと疲労と脱力で息も絶え絶えである。よろめきながら草地を踏み、体についた土を払っているお気楽な友人の元へと歩み寄った。
「なんで、電話に出ない?」
眉間に皺を寄せて詰め寄り、夜中の洋弓場で一人仰のくという狂態について問い質すのは後回しとした。
「バイト中に海に落とした。再起不能なのだ」
「バイト? なんの?」
「ワカメの養殖手伝い」
予想外の職種を聞き、うっと詰まった。ワカメ……ありえなくもない。ここは山海の自然に囲まれたシーサイドキャンパスである。海からの強風が吹き荒び、講義棟の床を蟹が横切るのだから。地元の重要産業に携わる労働意欲は素晴らしい。
「あ、笑ったな? 俺が海で悪戦苦闘している様を想像したな?」
「笑ってない」
否定したが、ワカメまみれで溺れる宮本の姿が浮かび耐え切れなくなった。雑木林がささめく夜の洋弓場に、星野の笑い声が響き渡る。力尽きて座りこむと、飄然と佇む宮本から目を逸らして口を開いた。
「お前、二年に騙されたんだよ。会場はここじゃない。浜辺だ」
「そっか」
短く答えた彼の声は、普段と同じ調子だった。
辺りを覆う夜気が重く伸しかかり、凡庸な慰めも、笑いに変えようとする気概も萎えさせていく。
二年生たちの不穏な空気は感じていた。
早くに部に馴染み、皆を和ませる宮本は、三魔王たちから可愛がられていた。加えて、高校からアーチェリー部に属していた彼は二年生以上の腕前である。ただでさえ反感を買いやすいのに、宮本はときに先輩相手にも射形の助言をしていた。
見かねて注意した星野に、宮本はつぶらな瞳を見開いただけだった。
「なんで? 欠点を指摘して上達する方がいいだろ?」
――あの時、もっと強く止めていれば。
結局、星野は注意を諦めた。
バーベキューで二年生たちの会話を聞いた途端、責任の一端が自分にもある気がして、居ても立ってもいられなくなったのだ。
「星野、ありがとうな」
明瞭な声に顔を上げると、いつもの笑顔にぶつかった。
傷つき、弱った姿に憐れみを求める自虐の笑みではない。「星野!」と、大声で呼びかけて手を振るいつもの宮本だ。
「参ったよ。誰も来ないし、携帯はないし、とりあえず弓を引いてみたけど、全然集中できないし。木がざわざわするたびにチビりそうでさ。観念して寝転がってみた」
「バカだ。やっぱ、バカだな、お前」
「うるせー」
カカッと笑い飛ばすと、宮本は再び原っぱに寝転がった。疲労困憊の星野もつられて仰のいた。
(あ……)
真上を向いた途端に流れ星を捉えた。首だけをもたげて軌跡を追ったが間に合わない。じっと目を凝らした先には、夏の一等星・アンタレスが静かに燃えていた。
あの夜の出来事は、二人の胸の奥に閉ざされたままだ。
進級し、三魔王たちが現役を引退すると、新三年生たちからの風当たりは強まったが、彼は変わらなかった。後輩や女子部員たちからも慕われ、部のムードメーカーとして揺るぎない人気を博している。
邪気のない笑顔を見るたびに、夜中の洋弓場で仰いだ宮本の笑顔を思い出す。
太陽のような人……ありきたりな比喩は、褒め言葉でしかないと信じて疑わなかった。明るくて、皆から注目されて、いないとぽかりと穴が開くような……自分の居場所を死守するために、一歩引いて人間観察を続ける星野とは真逆の存在だ。
宮本の言動には、偽りも、裏表もない。
周囲を魅了する明瞭さも、上級生たちのプライドを傷つけた実直さも、すべて本物だ。
万物に恵みをもたらす太陽が、強靭な輝きのせいで誰も寄せつけない孤高の存在であるように。
*
人の恋路など、馬糞まみれでかまわない。
心底そう思いながら、星野は大学へと続く緩やかな坂道を上っていく。
(新年を迎え、ようやく学年末試験も終わったというのに。こんな片田舎で、しかも夜中に、俺は一体なにを尽力しているのだろう……)
宮本の襲撃を受けて、丸一日が経過する。日中、外には一歩も出ずに悶々と無意味な時間を過ごしただけとなった。頭上で輝く冬の星々を仰ぎながら進むうちに、洋弓場の夜間照明が視界に映りこんだ。
(やっぱりいた)
大きく一つ息を吐き、わざと足音を立てて近づいていく。
「お前のおかげで、俺は色彩感覚がおかしくなりそうだよ」
無数のパンダがプリントされた鮮やかなミントグリーン色のシャツ……相変わらず奇天烈な服装で的前に立っていた宮本は、ハッと顔を向けた。白々と灯された頭上からの照明に、驚きが映し出される。
真冬の、それも夜に自主練習に来る理由は彼が変人だから……だけではない。
日中の定期練習では後輩や同級生から指導を請われ、なかなか自分の時間が作れないこと、そして、的中を連発すると上級生に疎まれるからだ。
宮本の弓構えは、彼の気質通りダイナミックである。
振りかぶって下ろされる弓、大きな動きから綺麗な十字を描く立ち姿、腕ではなく背筋を使って引き絞られる弦……的に向かう宮本は、日頃のふざけた姿からは想像できない凛とした気を纏う。
「星野、俺の射形見てくれ」
練習中、そう頼まれるたびに、微かな嫉妬と喜びが入り混じる。星野も団体戦ではレギュラーを勝ち獲れるが、個人戦では宮本の足元にも及ばない。そんな彼から信頼を置かれたという些末な優越感。
俺は小物だ。
いつも、無表情で応じながら、遠い存在である友人が眩しくてならなかった。
「星野?」
呼びかけられて、我に返る。
宮本は、矢をつがえた弓を手にしたまま、背後に立つ星野をじっと見つめていた。純朴そのものの黒い瞳に見据えられ、道中、固めたはずの決意が揺らぐのを感じる。
(いわなきゃ。俺は……こいつの友人、だ。俺がしょうもない嫉妬を抱いたり、窮地を救ってやれないヘタレでも、宮本は俺を友だと認めてるんだ。だから……応えなきゃ)
珍しく風のない静かな夜に、言葉を失った唇から白い息が立ち昇る。星野が口を開くよりも、一歩先に宮本が沈黙を破った。
「手紙を返しにきたんだろ? 俺もずっと後悔してたんだ。迷惑かけて、ごめん」
明朗な声が、真冬の冷気とともに虚しく通過していく。驚きにつられて顔を上げてしまった星野は、宮本ともろに視線がぶつかった。
そこには、星野が焦がれるいつもの笑顔はなかった。
すべてを悟ったといいたげな、落ち着き払った悲しい笑顔を前に、胸の内からなにかがこみ上げてきた。
「ふざけんな」
感情に任せて言葉を吐き捨てると、瞠若する宮本を睨みつけた。
「物分かりのいいふりして、諦めたつもりになって、なにもなかったことにするのか? そんなの、俺と大差ないだろ。孤立しても、自分の道を突き進むお前のこと、馬鹿だと思うよ。でもな、俺は――」
一気にまくし立てたが、最後の言葉に詰まった。斜めがけのリュックを手に取り、乱暴に中をまさぐる。数歩の距離を詰めると、つかんだものを宮本の胸に押しつけた。
「俺は、馬鹿なお前が好きなんだ。……恋文くらい、自分で渡せよ。きちんと玉砕してこい」
昨晩、託された手紙が差出人に戻ったのを見届けると踵を返した。
(俺にできるのはこの程度だ。……あとは、失恋後に愚痴を聞いてヤケ酒に付き合ってやればいい)
満足と虚しさとを噛みしめながら、来た道を戻りかけた。
「星野!」
振り返るのと、宮本が手紙を空に放ったのはほぼ同時だ。
ブーメランよろしく上空に飛ばされたオレンジ色の封筒が、闇夜を背景に鮮やかに浮かび上がる。
弓を構えた宮本の動きは早かった。
鋭く放たれた矢が夜空に軌道を描く。パンッとはじけた音が、唖然とする星野の鼓膜を震わせた。
見事に手紙を射抜いた矢の落下先に視線を置いたまま、宮本は静かな声で告げた。
「さっき、ノリサチが来たんだ。……彼氏と一緒に。ラクロス部の一年で、クリスマスから付き合い始めたんだって」
彼らしい溌溂とした物言いは健在だった。冴えた真冬の夜に、弓を片手にまっすぐ立ち、憐憫など無言で跳ね返している。
(……カッコよすぎんだろ。宮本のくせに)
ようやく弓を置いた彼の脇をずんずんと通り過ぎ、原っぱの中央辺りに落ちた矢を拾い上げた。
「宮本!」
呼びかけにようやく顔を向けた彼は、星野が振って見せたものにくわっと両目を見開いた。
「こら、俺の手紙……開けるな! あ――――っ!!」
「拝啓、則本幸様。福寿草の花が春の訪れを告げる季節となりました……って、寒中見舞いかよ!!」
洋弓場には、星野の大笑いと宮本の怒号がわんわんと響き渡った。天空を彩る満天の星々が驚き落ちてきそうなほどの騒動である。
あっさりと宮本の手に渡った恋文の封筒は、真冬の夜には眩しすぎる太陽のオレンジ色だった。




