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現実恋愛

隣の席の橙くん

作者: 猫じゃらし


 甘い香りが秋を象徴する花の季節。

 朝は空気が澄むほど冷え込み、日が昇れば残暑を思わせるほど気温が上がる。


 寒さと暑さが混在する秋の始まり。

 小さな(オレンジ)色の花が、大きな存在感で告げる夏の終わり。



「うわ、あっつ……」


 昼食後の、選択科目授業。

 普段は使用していない教室内は蒸し暑く、熱を逃すためにと開けられた窓から涼やかな風が入る。窓を開けた張本人、隣の席の男子から秋によく香る花の匂いが流れてきた。


 (通称、(オレンジ)くん)


 クラスも出身校も違う、何も知らない彼のことを私は心の中でそう呼んでいる。


「お前、また甘い匂いがしてる」


 予鈴が鳴り終わった、残りはほんのわずかとなった休み時間。離れた席からやってきた橙くんの友人が、からかうようにそう言った。


「そう?」

「すげぇするよ。香水でもつけてんの?」

「なんもつけてないよ」

「女子みたいな匂いするって」

「えー、柔軟剤じゃないの」


 笑う友人に、橙くんは特に気を留めることなく素直に返している。手元では授業の準備をしているので、もしかしたら空返事なのかもしれない。


 その間にも窓から入り込む風に、甘い花の香りが漂う。


「花の匂いがするなんて、女子みたいじゃん」

「女子でも花の匂いなんてしなくない?」

「じゃあ、女子より女子かよ」


 準備を終えたらしい橙くんが手元から顔を上げた。

 いたずらに絡む友人を見上げ、からかい返すように口元が弧を描く。


「女子より女子らしいからって、俺に惚れんなよ?」


 その表情に(うわぁ……!)となったのはきっと私だけだと思う。

 すぐに本鈴が鳴り、橙くんの友人は「惚れるか」と笑いながら自分の席へ戻っていった。


 残された二人の余韻に、私はうっかり橙くんと目を合わせてしまった。


「あ、ごめん。うるさかった?」


 尋ねられたタイミングで教師が登壇し、指名された生徒が気怠げに号令をかける。

 私は急ぎ首だけ振って否定を伝え、始まった授業に声を潜めて弁解をした。


「あの、すごくいい匂いがするなって」


 そこまで言って、「あっ」と言葉を止める。さっきのやりとりを聞いていた上で、これは失礼だったかもしれない。

 窺い見る私に、橙くんは目を丸くしたあと静かに吹き出して笑った。


「そんなに匂いする?」

「う、うん……」

「そうなんだぁ」


 橙くんは自分のワイシャツの匂いをすんすん嗅ぎ始めた。

 朝は寒いのできっとカーディガンかブレザーを羽織っているんだろうけれど、日差しがあたたかい今は半袖のワイシャツ姿だ。

 胸元の布を手繰り寄せる腕が筋肉質で、その手首につけられた腕時計に私は再び(うわぁ……!)となった。


 ひとしきりワイシャツを確かめた橙くんは「自分じゃわかんないや」と嗅ぐのをやめた。


「でも、甘い匂いは外からだと思うんだけどね」

「外から?」


 風が橙くんの髪を揺らして通り過ぎる。

 その中にはやっぱり甘い香りがあって、すぐに流されてしまうその香りを無意識に鼻が追ってしまう。


「金木犀の匂いでしょ。この匂いは俺、わかるよ」


 ふわふわと優しく、それなのに確かな芳香は改めて金木犀そのものの香りだと私も思った。

 教室中を包み込むような花の匂いはどこまでも甘くて、それでいて爽やかな気持ちにもさせてくれる。


 授業中とはいえ、心地よい秋の昼下がりだ。


 会話が途切れると橙くんは隠すことなく大きなあくびをした。その奔放さをいつもうつされていることを、橙くんは知らない。


(橙くんの由来は、昼寝を誘うおひさまからなんだよ)


 コツ、コツ、と教師の持つチョークが黒板を軽快に叩く。その音が耳に心地よく、そよぐ風は涼しいのに、降りそそぐ日差しはあたたかい。

 昼食後でお腹が満たされていることも大きい。


 隣の席の彼は我慢せずにあくびをしていて、それから少し経つといつもなら眠ってしまう。

 突っ伏して規則正しく上下する背中を、眠気に耐えながら私は横目に見ることになるのだ。


(……今日は、まだ起きてるんだ)


 もう、三度目のあくび。

 さすがに我慢できず、私もうつされて小さくあくびをした。涙が滲んでぼやけた景色に、橙くんが動いた気がした。


 その瞬間、腕をツンツンとつつかれた。


「めずらしいね。眠いの?」


 わたしをつついたシャーペンを引っ込めて、かわりに橙くんがちょっとだけ身を乗り出している。

 あくびに気づかれたのも、涙目を見られたことも恥ずかしい。


(眠いの? って、いつも橙くんにつられてるよ……!)


 内心で言い返していると、自分こそ眠たげに瞳をとろんとさせた橙くんは腕枕で昼寝の態勢に入った。


「一緒に寝ちゃう?」


 見上げられて、「怒られる時も一緒だけど」と微笑まれて。私はもう(うわぁ……!)となるしかない。


 あたたかな日差しを背中に受けた橙くんは、まさにひだまりそのもの。

 金木犀とは違う、けれど甘くて優しい彼の匂いが鼻を掠めていく。


「あ、また金木犀の匂い……」


 誘われるように瞳を閉じた橙くんは、すぐに寝息をたて始めた。ゆっくりとした呼吸が大きな背中を上下させる。


(金木犀の匂い、だけど……)


 橙くんの髪をさらっていく風が、私の熱くなった頬を撫でる。

 やってきた金木犀の甘い香りに、その中にある橙くんの匂いに気づいてしまった。


(金木犀とは、違う……)


 甘くて爽やかな秋の花は、私にとって恋の香りになってしまったかもしれない。






 おしまい



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― 新着の感想 ―
[良い点] めっちゃ素敵……。恋、しちゃいますよね。文章からでも恋しちゃう……。また?って感じかもですが、感想再び♪ やっぱり空気感とか、文章表現がめっちゃ好きです。物語そのものも凄く素敵で、主人公が…
[良い点] 香りにのせて、とても気持ちよさそうなお昼寝タイム。 恋の香りと優しいひとときに癒されました~(´艸`*) 好ましく思う異性の香りって、遺伝子のお知らせですよね! 惹かれちゃうの納得!
[気になる点] ゆ…… いや、ナンデモナイデス。 [一言] きゅんきゅんする素敵なお話でした!
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