14 月と水とめぐる夢とⅢ③
体調が戻るまでここで暮らしなさいとイザナミノミコトに言われ、蒼司は、しばらく旧野崎邸の離れで寝起きすることになった。
たとえ帰宅しても家族は皆入院しているから、蒼司は独りきりで困るだろうから、と。
当然、学校も休む。
熱は下がったとはいえ、蒼司自身も自分の体調が万全ではない自覚があった。
軽い食事と水分を取る以外、彼は一日の大半、部屋に延べた床でうとうとしていた。
それでも蒼司は幸せだった。
すぐ近くにイザナミノミコトがいて、常に自分を気に掛け、世話を焼いてくれるという生活。
ずっとこのままでもいいとさえ、チラッと思った。
(……阿呆か。それやったらミコトのお世話になっているだけで、ただメーワクなだけやん)
蒼司はミコトの世話になりたい訳ではない。
いやまあ、本音を言えばこうして世話をしてもらえるのは嬉しいが、それでは彼女の役に立てない。
蒼司の究極の目的は、ミコトのお役に立ってミコトに認められること。
君がいてくれてよかったと、心から彼女に笑ってもらうこと。
そうでなければ、彼女の下働きに立候補した甲斐がない。
(早よう元気にならな)
うとうとしながら彼は思う。
二日ほど経った。
少なくとも蒼司の体感ではそうだ。
このところ眠ってばかりだし、いつ起きても外が薄暗いので時間の感覚がない。
イザナミノミコトは、ここ最近、空模様がはっきりしない日ばかりだと言っている。
「この天気……どうも新手の【dark】が小波をうろついてるせいのようだな。あの怨霊が入り込んだ、後遺症のようなものだろう。……蒼司くん。体調はどうだ?」
「しつこい眠気はありますけど、何処かが痛いとかだるいとかはないです」
蒼司が答えると、イザナミノミコトはかすかに表情を曇らせ、言った。
「……そうか。本調子ではない君に負担をかけてしまうが、手伝ってもらえないだろうか?」
言った後、彼女は目を伏せた。
「……と言うか。申し訳ないが、手伝ってもらえないと困るのが正直なところだ。頼まれてほしい」
「もちろんです! 何をやればいいのですか?」
前のめりになってそう言う蒼司へ、彼女はほっとしたように笑んだ。
「そうか。すまない、恩に着るよ。……君の月の鏡に、うろついている不浄を捕らえてほしいんだ。怨霊ではないからさほど君の負担にはならないだろうが、それでも甘くみる訳にはいかない。もちろん私からも、出来るだけのサポートはする」
「わかりました! 任せて下さい!」
勇んで答える蒼司へ、彼女は薄く笑んだ。
その笑みにはどこか陰りというか、抑えた嘲りのようなものが閃いた、ような気が、蒼司はした。
が、彼女はすぐいつもの端正な真顔に返り、
「よろしくお願いする」
と言って軽く頭を下げた。
神格の彼女に頭を下げられ、すっかり舞い上がってしまった蒼司は。
そのかすかな違和感を、意識の外へ追いやってしまった。
蒼司は制服に着替え、イザナミノミコトと共に目的地へ向かう。
津田高校の敷地のそばだった。
なんとなく嫌な感じがしたが、そこでいつもあの怨霊と出会ったからだろうと蒼司は思った。
「蒼司くん」
目的地へ着いた時、イザナミノミコトが蒼司を呼んだ。
「君は今、体調が万全とはいえない。だから……」
言いながら彼女は、どこからともなく平たい錠剤を取り出した。
「これを飲んでくれないか? 一種の強壮剤になる。噛んで服用できる形にしてある」
わかりましたと彼は答え、錠剤を口に入れ、嚙んだ。
一瞬、吐き出したくなる衝動に駆られたが、涙目になりながら何とか飲み下す。
飲み下した瞬間、視界にふっと紗がかかったような気がしたが、すぐ晴れた。
「……来たぞ、蒼司くん」
鋭い囁きに、蒼司は身構える。
高校の敷地内に、大きな黒い影がゆらめいている。
「……我が名は結木蒼司」
蒼司は祝詞をとなえる。
「光と闇のあわい・生と死のあわいである蒼においてすら、自らで自らを司どる者であれかし、との願いにより名付けられし者。我が真名において命じる。不浄なるものよ、月の鏡に映る己れを見つめ、己れの真の姿を知れ!」
鏡を向けた途端、聞き覚えのある声が蒼司の耳へ鋭く響く。
「……蒼司さん!」
(え?)
彼は混乱した。
この声は、メタセコイヤの遥のもの……。
「しっかりしろ、蒼司くん! まやかしだ、騙されるな!」
空気を切り裂くようなイザナミノミコトの声。
蒼司はハッとして鏡を持ち直す。
「騙されるか、この、不浄め!」
叫び、彼は鏡へさらに霊力を込める。
「鏡の中へ縛られろ!」




