6 転換⑥
急に階段の方から物音が響いてきた。
さくやが母と覗きにゆくと、階段の中ほどでしゃがみ込んでいる蒼司がいた。
どういう訳か、きちんと制服を着込んでいる。
「え? 蒼司? え? ちょっと何、どうしたの? 制服なんか着てるし……」
混乱した母の声に、蒼司は顔を上げる。
青ざめ、うっすら汗の浮いた顔でこちらを見、彼は言う。
「かーさ……いえ。月の鏡に申し上げます。アチラへ行き、ツクヨミノミコトより伝言を預かってきました。勝手してスミマセン、お叱りは受けます……でもその前に」
何か食べさせてください。
小さな声で情けなさそうにそう言って、蒼司はガクッと頭を落とした。
母に手を引かれるようにして蒼司は、ダイニングまで来ると用意していた彼の分の昼食を、物も言わずに食べ始めた。
用意した量ではとても足りそうもない勢いだ。
母は無言で冷蔵庫からベーコンを取り出し、さっとあぶって蒼司へ出す。
並行してソーセージも一袋、小鍋でゆがいてそれも並べる。
彼はさっそく嬉しそうに、軽く焦げ目のついたベーコンと湯気の上がるソーセージにかぶりついた。
(よく食べるなあ……)
あきれたような感心したような気分でさくやは思う。
元々蒼司は、儚げな細っこい身体つきから考えられないくらい食べる。
いわゆる『大食い』のカテゴリーに入るほど食べられる訳ではないが、並の成人男性よりは多く食べる。1.5人前は確実に食べる。
基本の霊力が並外れて高い分、余分にエネルギーを使うのかもしれないとさくやは思っている。
お腹が満足したのか、ようやく落ち着いた様子でお茶を口にする蒼司の向かい側に座り、母は居住まいを正して声をかける。
「ツクヨミノミコトから伝言を預かってきた、ということだったけど。一体どういうことなの? 経緯をもれなく説明しなさい」
母の声は冷たい。
母親ではなく、一族の長である者の声になっていた。
蒼司は、口許からそろそろと湯呑みを外すと、背筋を伸ばした。
さくやは無言で蒼司の前にある食器類を下げ、シンクへ持っていて水に浸けた。
「そうね、まずは今朝方の事情から訊いた方が良いかな? どういう経緯で夢の中で不浄に触れるような事態に陥って……鏡の許可も見守りもなく、勝手に『神の庭』へ行ったのか、その辺も含めて事情を説明してもらいましょうか? ……あらかじめ言っておくけど」
母は瞬間的に冷ややかな笑みを口許にはき、続けた。
「嘘やごまかしは許しません。隠すようなら関係者全員を呼んで『月のはざかい』の中で語ってもらいます」
「あー、ちょっと待ってくれへんか?」
急に廊下側にあるダイニングの扉が開き、父が顔を出した。
「廊下まで聞こえてきたけど、『月のはざかい』とは穏やかやないな。どないなってんねん、るりさん」
言いながら父は、何故か制服を着て、ダイニングテーブルの前で硬直している蒼司を見、不可解そうな顔をした一瞬後、何かを納得したようなあきらめたような表情になった。
「はーん。蒼司、お前さん勝手にアチラへ行ったんか? 怖いもの知らずなやっちゃな。お前は甘く考えてるのかもしれんけど、見守りもなしにアッチへ行くってのはな、真面目な話、死んでまうかもしれへんねんぞ。そら……お母さんも怒りはるワ」
苦笑をした後、父は頬を引く。
「蒼司。どうせ事情を説明するんなら、天津神の皆さんの前でも説明してもらおか。父さんはさっきまで野崎の離れへ、九条さんの様子を見に行きがてら、あの人の昼飯を持って行ってたんやけどな。九条さんはやっぱり、お前の浄化の後に怪我がえらいこと悪化してたそうなんやけど、イザナミノミコトが応急処置しはったから、とりあえずは大丈夫なんやそうや。……ナンか、色々と事情が込み入ってきたらしいねん。ウチの者みんなで、野崎の離れへ来てくれ、って、イザナミノミコトが言うてはる。お互いの知ってることやわかってることを全部棚卸して、今後の対策を考える必要があるらしいねん」
父はそこで、ふうっと大きなため息をついた。
「イザナミノミコトが言いはるんには。あの怨霊化した娘さんは、傍系やろうけど『月の一族』らしいって。怨霊で、夢の霊力を自在に操れるとなったら……単なる怨霊以上に質が悪いモンや。月の一族のヒトが怨霊になった時の手強さは……父さんも母さんも、骨身にしみてるしな」
母の顔色がみるみる悪くなった。父は気の毒そうに母を一瞥した後、さくやと蒼司の目を交互に見た。
いつにない、強いまなざしだった。
「とりあえず。みんなで野崎の離れへ行こう」




