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5 月と語らう①

 どこからともなく涼やかな笛の音が聞こえてくる。


 円はハッとし、身を起こした。

 どうやらうっかり眠り込んでいたようだ。

 時計を確認。

 30分ほど眠り込んでいたらしい。


 夢かと思ったが、やはり笛の音が聞こえる。

 円が今いるリビングダイニングに面した、昔風のすりガラスの引き戸を開けてみた。

 そこは小さな庭になっていて、紅葉しかけた楓などが植えられていた。

 音色は庭の向こう側から聞こえてくる。

 沓脱石(くつぬぎいし)の上にあるサンダルを借り、円は、音のする方へ歩いていった。



 せせらぎの音が大きくなってくるのと同時に、笛の音もはっきり聞こえてくる。

 かなり年輪を重ねたと思われる木々の間を抜け、そっと覗く。


 小さな池と、古びた祠。

 そのそばに平らな草地があり……譜面台に楽譜を乗せ、銀色に輝くフルートを奏でている黒髪の美少年がいた。


 深い緑の中、柔らかな秋の木漏れ日を浴び、水のせせらぎとセッションしているフルート吹きの美少年。


 出来過ぎなくらいの美しい風景、まるで古い時代の少女漫画のような一場面だ。


(ウチの母なら、竹宮惠子の世界だと騒ぎそうだなぁ)


 マンガ好きの母のことを思い出しつつ、円は静かに、フルートを吹く少年を見る。


 彼が結木蒼司だということは、一瞬後、わかった。

 昨日彼がとんでもない目にあったのも、『習い事』のために小波の外へ出ていたからで、その習い事がフルートだとも聞いている。

 円は音楽に疎いが、彼のフルートが中学生離れした腕前なのはさすがにわかる。


(これは……『愛の挨拶』かな?)


 音楽に疎い円でさえ、耳に覚えのある曲だ。

 クラシックの有名な曲を引っ掛かることもなくさらっと奏でるなんて、中学生の趣味というには本気度が高い。


(彼は音楽を志しているのかな?)


 素人の耳だが、そうであっても納得できる音色(おと)だ。



 やがて曲が終わり、結木蒼司はフルートを口許から外し、円へぎこちなく頭を下げた。


「こんにちは。スミマセン、うるさかったですか?」


 円は首を振り、本気の拍手をする。


「うるさいどころか。すごく上手いね! かなり長くやってるの?」


「3~4年くらい、です」


 うつむいてもぞもぞとそう答えた後、蒼司は急に顔を上げた。


「あの。九条、サン」


「何?」


「昨日は……ごめんなさい。オレがうっかり……」


 円は慌てて手を振る。


「いやいや、そこは気にしないで。キョ、じゃなくてイザナミノミコトも言ってたでしょ? 怨霊が相手なんだからどうしようもないよ」


「……あの。イザナミノミコト、は?」


 やや上目遣いで彼は問うた。


「ああ。彼女は昨日、あのまま戻ったよ。あの人に距離や時間は大して意味がないからねえ」


 それを聞き、あからさまに肩を落とす少年に、


「どうしたの? 彼女に何か用があった?」


 と訊くと、彼はうつむき加減で


「用、ってか。オレ、昨日、あの人にちゃんとお礼、()うてなかったなぁって……」


 ともぞもぞ言う。

 この、目を合わせないでぼそぼそしゃべる感じ、いかにもこの時期の少年らしい。昔の自分を見ているようで、円としてはなんだか気恥ずかしくなってくる。


「……ああ。でもまあ、彼女そのうちまた来ると思うよ。仕事の都合もあるしそもそも気まぐれな人だから、いつ来るとは言えないけどね」


「あ……そう、なんですね」


 しゅん、と彼は肩を落とす。なんとなく気の毒になり


「もし彼女がふらっと来たら。蒼司君がお礼を言いたいって言ってたこと、ちゃんと伝えておくから大丈夫だよ」


 円がそう言うと、蒼司は不意に顔を上げ、じっとこちらの瞳を見た。

 無遠慮なまでのその視線は、挑んでくるような尖った圧があった。円は戸惑う。


「九条サン。九条サンはイザナミノミコトと付き合い、長いんですか?」


「え? うーん、長いっていえば長いかな、高校生の頃からの付き合いではあるし。と言っても途中で彼女、五年ほどアチラへ帰ってたから、延べ年数で考えたら7~8年? まあ……長い、かな?」


「アチラ?」


 怪訝な顔の蒼司へ、円は少し考えてからこう答えた。


「俺も詳しいことはわからないけど。彼女の本来の世界……神道的にたとえるなら『高天原』になるのかな? そっちへ帰ってたんだよ」


「……ふうん」


 蒼司は考え込むように下を向き、独り言のようにこうつぶやいた。


「あの人。やっぱり、ホンマに神様なんやなぁ」

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