4 小波で暮らす②
蒼司はいつの間にか小波神社にいた。
「大楠義昭君。突然だが、緊急の用があって参った」
蒼司の腕を握ったまま、彼女が楠へ向かって声を張った。
「どうなさいましたか?」
すぐに大楠の応える声が境内に響き……すぐさま彼の気配が、ピン、と緊張したのがわかった。
「蒼司君に付けられたモノの、浄化をお願いしたい」
簡単にそう言い切る彼女へ、大楠は困惑したように言葉を詰まらせた。
しかし彼女はかすかに口角を上げ、大丈夫だとこれまた簡単に言い切った。
「『戦闘エリア』を設定する。君はいつも通りに浄化してくれればいい。コレに関しては……エンに任せる訳にはいかないんだ。いくらなんでもコレと関わり合うのは、彼の体調からいってまだ早すぎる」
「……承知いたしました」
緊張のはらんだ声で大楠が答え……境内の空気が変わった。
少女は会心の笑みを浮かべる。
「久しぶりに見たな、大楠義昭の本気の姿。頼もしい限りだ。君は本当に神職の姿が似合うな」
「いえ。この姿が一番、浄化の念を集中できますので」
蒼司にはよくわからないうちに、少女――イザナミノミコトと大楠は、話を進めている。
それにしても大楠の声に余裕はない。彼のこんなに余裕のない声など、蒼司は物心ついて以来、聞いたことがなかった。
(そんな……ヤバいもんが引っ付いとるんか?)
蒼司には全く自覚がない。
自覚がない分、余計に恐ろしい。
(あのおねえさん、一体何者やってん!)
蒼司が状況についていけずに硬直しているうちに、イザナミノミコトは不思議な台詞を呪文か祝詞のように呟く。
「【管理者】を原点に、XYZ軸を設定。原点からそれぞれ絶対値3……小波神社周辺部の座標エリアを記録体へ【drag】。仮置き。只今よりここを、戦場エリアに設定する」
蒼司の視界が一瞬、くにゃり、と歪む。
「【eraser】は制限を解除。【管理者】が許す、結木蒼司にまとわりつく【dark】を浄化せよ!」
「承りました」
重々しい声と同時に、蒼司の目の前に厳めしい顔立ちの神職の男が現れた。
(……おおくす、さん?)
目が合った瞬間、神職の男はかすかにほほ笑んでうなずいた。
彼が身に着けているのは、黒の烏帽子と沓、白一色の装束。
浄衣と呼ばれる装束ではないかと、『月の一族』の者として教わった知識から蒼司は思う。
男――大楠は厳めしい表情で耳に覚えのある祝詞を唱え始めた。
『祓詞』だ。
「……かしこみかしこみもまをす」
唱え終わった彼はそっと腕を伸ばし、蒼司の頭の上に大きなてのひらを乗せた。
その瞬間、身体の中をさあっと澄んだ風が吹き抜け、鼻の奥へ薄荷のような香りが抜けた。
蒼司は思わず目を閉じる。
「戦場エリア解除」
イザナミノミコトの声。
静寂。
恐る恐る、蒼司は目を開けた。
宵闇に沈む小波神社は、常と変わらず静かだった。
「良かったな。君に付けられた余計なものは、大楠さんが祓ってくれた。もう大丈夫だ」
尊大な口調の後ろにある、心からのいたわり。
人形じみた無表情な顔に浮かぶ、あるかなきかの思いやり。
蒼司は彼女から目が離せない。
「帰ろう。少し遅くなったから、きっとご家族が心配している」
棒立ちになっている蒼司の肩を叩くと、彼女は深くなり始めた宵闇の向こうへ声をかけた。
「ありがとう、大楠君。世話をかけてしまった」
「いいえ」
葉擦れの音を鳴らし、大楠は答える。
「蒼司さんが無事なのが一番です。私だけでは完全に祓うのは難しかったでしょうから……ミコトに感謝します」
「いや、アレを呼び込んだきっかけは我々だ。感謝するのは私だよ。世話をかけてしまうだろうが、今後もあの子をよろしく頼みたい」
「もちろんです、ミコト」
彼女は再び蒼司を見ると、ほんのり笑んだ。
「では帰ろう。急いだ方がいいだろうから……【転移】」
彼女の声と同時に蒼司は一瞬、眩暈に襲われた。
ハッと気づくと彼は、自宅の前に立っていた。




