3 追憶①
『義昭の楠』との面会を済ませた後、結木氏は円たちをスーパーマーケットへ連れて行ってくれた。
明日以降、食事は自炊が基本になる。
食材の買い出しは必須だ。
今日の夕食は結木氏が自宅に招いてご馳走してくださるというからそれに甘えるが、少なくとも、宿舎で飲むお茶の茶葉や朝食用の食材の準備くらいはしておきたい。
買い物をしていると、キョウコさんは興味津々の顔で円の手元を覗き込む。
「九条君。君は料理が出来るのか?」
2㎏の米、食パン一斤、500㏄の牛乳パック、そして塩や砂糖、醤油の小瓶、一番小さい瓶のオリーブオイルやバターなどをカートに入れていると、彼女はそう問う。
「出来るというほどでは。でも、仕事をするようになってから一人暮らしですからね、ある程度は自分で身の周りのことが出来ないと、どうしようもないですし」
「君は本当に手がかからないな。スイは偉そうにしていたが、何もできなかっただろう?」
思わず円は吹き出す。
円の師匠に当たるスイこと角野英一氏は、【eraser】としては超一流だったが、こういう日常的なあれこれにかなり疎い人であった。
米も水も入れず炊飯器のスイッチを入れ、何故ご飯が出来ないのか首を傾げるという、今時マンガでも描かれないような失敗を、素でやらかすような人だった。
「……確かに。でもあの人もあの人なりに、頑張っていましたよ」
思い出すと、ちょっとしんみりする。
彼が倒れたのは、ちょうど今時分の季節だった。
長年の無理がたたったのだろう、倒れた時、すでに彼の全身はボロボロだった。
結局【Darkness】との戦いの後、半年ほどで彼は亡くなってしまった。
本人は自らの死に納得していたのかもしれないが、円は当時、ひどく寂しかった。
たった一人の相棒にして戦友、そして同時に、彼以上に『恩師』と呼ぶべき人は今後も現れないであろう、そういう人であったから。
結木氏も買い物を済ませ、ニコニコと待ち合わせの場所へやってくる。
「フツーの家のフツーの夕飯ですけど。お近づきのしるしに是非お二人でお出でください。午後の七時ごろ、お迎えにあがりますんで」
そう言う彼に、円は礼を言って頭を下げる。
「オナミの水神。私は彼より先に、あなたと一緒にお宅へお邪魔したいのだが。構わないかな?」
突然キョウコさんがそう言うので、結木氏は一瞬、驚いたように目を見張った。が、
「はい、どうぞ。歓迎いたします。古いあばら家ですが」
と答えた。
「すまないな。私は、あなたのお家にいる木霊さんとはまだ会ったことがないのでね。早めに挨拶したいんだ」
そして彼女は円を見上げた。
「という訳だから。君はこれから宿舎へ行って、荷物の整理でもやっていてくれ。夕食時にまた会おう」
そんな訳で円はスーパーマーケットから宿舎へ送ってもらい、キョウコさんはそのまま、結木氏と結木邸へ向かった。
(それはそれとして……)
どうやらキョウコさんは、円と一緒に夕飯をごちそうになるつもり(結木氏もそのつもりのようだし)だが。
果たして彼女、人間と同じ食事ができるのか?
一見するとヒトのようにしか見えないが、彼女は決してヒトではない。
そこそこ長い付き合いの円でも、彼女と一緒にお茶を飲んだことは何度かあるが、一緒に食事をした経験はないのだ。
まあ、お茶が飲めるのだから食事もできるのだろうが。
そんなことをぼんやり考えながら、円は買ってきた食材を小さな冷蔵庫へ入れたり、持参してきた当面の着替えを仕舞う。
食器類や調理器具を確認する。電気ケトルがあったのでお湯を沸かし、ティーバッグで紅茶を入れ、買ってきたシャインマスカットを半房、洗って皿へ入れる。
マスカットを食べながら、ゆっくりと濃く淹れたストレートティーを飲んでいると、普段は忘れているあれこれが思い浮かぶ。
(……あゆ)
大学二年生から四年生までの約二年、恋人と呼べる付き合いのあった女性のことを、円は不意に思い出す。
彼女はシャインマスカットが好きだった。
地方にある、ちょっとした総合病院のお嬢さんだった彼女。
『家業』を継いで発展させるのが夢だと、きらきらした目でよく言っていた。
その夢に向かい、一生懸命学んでいる姿は健気で、円はそんな彼女に惹かれた。
彼女も円を愛してくれていた。
愛してくれていた、と思う。
どういうタイプの『愛』なのか、別れた今、さすがに断言する自信はないが、円の一方的な『愛されている』という思い込みだけで、さすがに二年も続かなかったろうから。
だが二人は、何かが決定的に嚙み合わなかった。
円の自覚では、金銭感覚の違いがそのひとつであり、大部分である気がしていた。
奨学金をもらいながらヒーヒー言って大学に通う円と、経済的に余裕のある彼女とでは、色々な面でお金の使い方が違ってくる。
円の感覚では、スーパーで安売りのデラウェアを買うように彼女は、高級スーパーや一流の青果店で正価のシャインマスカットを買う。
この違いは、積もり積もると大きい。
『家業』のため、政略結婚をしなくてはならない。
要約するとそんな理由で、彼女は円から離れていった。
円は、『婿がね』として相応しくない、ということらしい。
そうかもしれないと、脱力するような気分で納得していた。
円の愛情も、その頃には擦り切れていたのだろう。
最近、たまの贅沢としてシャインマスカットを買うくらいの経済的な余裕が出来てきた。
一時は見るのも苦しかったシャインマスカットだったが、今はまあ、普通に美味しくいただいている。
たまに食べると、とても美味しい。