2 交差する⑥
宿舎に落ち着き、円はホッとする。
周りを立派な樹木が、文字通り『林立する』中にあるこの屋敷――旧野崎邸――の、離れ。
町中とは思えない、清浄な森の香りがする。
どこかの高級な別荘地にでも来たような雰囲気だ。
(……すごいところだな)
この屋敷自体もすごいが、この土地そのものが常識を逸脱している。
小波という町自体は、別にどこにでもある地方都市だろう。
無味乾燥で十把ひとからげな建物の賃貸マンション、その合間にあるコンビニや百均のような店舗。
小中学校や、おざなりに作られた雰囲気の小さな公園。
時々、個人経営に近い小さな工場が、思い出したようにチラホラあるのが唯一、この町らしい風景かもしれない。
だが……。
結木さくや(と、メタセコイヤの遥)と別れた後。
円たちは結木氏の車に乗せてもらい、津田高校から【eraser】・波でもある楠の大樹に『会いにゆく』ことになっていた。
小波神社という小さな神社の神木だという話だ。
車を鳥居の前の空き地に停め、神社の境内に足を踏み入れた瞬間、神社中の樹木がざわめいた。
(ツカサ、お帰りなさいませ)
(こちらは……)
(なんと! 天津神でいらっしゃる?)
(天津神! 天津神!)
(オナミへようこそ、やんごとなき方々!)
なんというか……伝説の大スターが現れた、とでもいう雰囲気になった。
「静かに」
穏やかだが威厳を感じさせる声が境内に響く。
途端に木霊たちがぴたりと黙った。
社務所のある辺りから、黒の紋付に袴姿の壮年の男性が現れた。
身長が2m近くありそうな、厳めしい巨漢である。
彼はこちらへ歩いてくると、さながら昔の武士が君主を前にした時のように腰を落とし、片膝をついて頭を下げたので、円は驚愕した。
「お初にお目にかかります。私はこの地に長く住まう楠、『義昭の楠』と呼ばれている者であります。ヒトとしては大楠義昭と名乗っておりました。何卒よろしくお願いいたします」
「え? えーと……」
円は思わず辺りを見回す。
誰か、ものすごく偉い人が後ろにいるのかなとも思ったが、彼が頭を下げて挨拶をしているのは、どうも……自分、らしい。
「丁寧な挨拶、痛み入る。だが彼は、おそらくもっと気楽な付き合いを好むだろうから、そんなに気遣っていただく必要はないよ『義昭の楠』。君の主である結木氏と同じように、心安く接してやってくれ」
キョウコさんの言葉に、彼は頭を上げ、軽く笑んで立ち上がった。
笑った途端、びっくりするほど人懐こい表情になる男だ。
「それではお言葉に甘えて。……改めまして。はじめまして、エンノミコト。私は『義昭の楠』あるいは大楠義昭とも呼ばれている楠です。小波へようこそお越しくださいました。何もない田舎町ですが、のんびりと過ごすのにはいいところです。どうぞゆったりお過ごしください」
「え? あ、は、はあ……ありがとうございます」
(エンノミコト?)
茫然としている円へ、キョウコさんは笑う。
「わかっていない顔だね、九条君。まあ、当然だろうが。ひとつひとつ説明しようか。まず、彼が木霊なのはわかるね」
「ええ……、まあ」
にこやかに立っている『義昭の楠』を見つつ、円はうなずく。
そもそも円たちは、楠に『会いにきた』のだ。
流れ的にも、『義昭の楠』を名乗る彼が木霊であることはわかる。
さっき会ったメタセコイヤの遥と、醸し出す雰囲気とでもいうのか、言うに言えない何かが同質だと感じるから、そこは円もさほど疑問に感じない。
「そして。彼らから見れば九条君は神格者。『ミコト』なのだよ」
「はいい?」
なんじゃそりゃ。
「あまり自覚はないだろうが。君は、世界でも指折りの大怨霊であった【Darkness】をひとつ完全浄化した、つまり世界を救った神の、ひとりだ。並の【dark】なら君の姿を見ただけで恐れをなして逃げてゆくし、国津神に従っている精霊なら通常、君に敬意を表して頭を下げる。我々【管理者】は君を【eraser】・エンと呼ぶが、わきまえのある精霊たちは君を『エンノミコト』と呼ぶだろう」
「えんの、みことォ……?」
(えぇえ?……マジかよ)
安物のファンタジー小説か、と、思わず円は心でツッコミを入れる。
初めて【eraser】としての能力が顕現した頃もあまりに非現実的すぎて、どんな厨二だと自らにツッコミを入れたが。
『エンノミコト』は、それ以上に持て余す。
というより恥ずかしい。
ギャー、と叫んで逃げたくなる。
「ギャー、と叫んで逃げないように」
円の心を読んだように、キョウコさんが釘を刺す。
「勘弁してくださいよぉ……確かに【eraser】ではありますけどね、俺はフツーのにーちゃんです」
ぼそぼそと抗議の声をあげるが、キョウコさんは高笑いをするだけだ。
「それでは、エンノミコト。今後はあなた様をなんとお呼びいたしましょうか?」
『義昭の楠』に問われ、円は、きちんと名乗っても挨拶してもいないことに気付く。
「ああ、すみません。挨拶が遅れました、九条円と申します。ですから、九条とか円とか、そちらで呼んでいただければ」
「承知いたしました、九条様」
「あの、様呼びは勘弁して下さい」
「それでは、九条さん。今後ともよろしくお願いいたします」
「はい、よろしくお願いいたします」
どっと疲れた。




