2 交差する⑤
「とんでもない!」
叫ぶように遥は言う。
「僕にはそんな資格、そもそもありません!僕はオナミヒメであるさくやさんの、『にいや』のひとりに過ぎませんから!」
「はあ? に…にいや?」
怪訝そうな九条に、遥は、ブンブンと音がしそうな勢いで首を振り、言葉を続ける。
「はい『にいや』です、ただのにいやです。オナミの木霊は皆、さくやさんの『にいや』『ねえや』『じいや』『ばあや』のようなものですから。僕は、そのうちの一人に過ぎません!」
「は? え? えーと……」
あっはっは、と、イザナミノミコトたる少女は突然、豪快に笑った。
「とりあえず。眼鏡越しに彼を見てごらん、九条君」
そう言われ、首を傾げながら彼は、シャツの胸ポケットから眼鏡を取り出してかけ、再び遥の方へ視線を当て……息を呑む。
眼鏡をかけ、外し、再びかけてを繰り返し、ため息を吐くようにこう言った。
「……なるほど。少なくとも彼、人間じゃないですね。眼鏡越しだと姿が半透明っぽくなる……」
「九条さん」
驚愕して口もきけなかった父が、ようやく喉から言葉を押し出す。
「あの。九条さんには、彼が見えるんですか?」
え? と九条はつぶやく。まんまるに目を見開いている。
「見えます、けど?」
「見えるだろうな」
少女はうなずきながら言う。
「彼は元々、見鬼としての能力も優れている。未だ仕事場では余計なものをカットするこの眼鏡を必要としているくらいには、な。ましてここは小波……普通の土地ではない」
父は眉を寄せた。複雑そうにため息を吐く。
「いや、桜さんの声を聞き取れてはる段階で、さすがはミコトに所縁の深い方やとは思いましたが」
苦笑いをしつつ寂しそうにうつむき、言う。
「私は彼が――縁の深い、木霊の姿が見えません。声は聞き取れますけど」
九条は驚いたように何度か瞬く。
父は淡い苦笑を浮かべたまま、顔を上げた。
「ある時から、私は彼らの姿が認識できんようになって……もう数十年になりますねえ。娘のさくやはなんでか認識できるんですけど、私や息子、私の妻は、残念ながら認識できんのですよ。単純に……、九条さんが羨ましいです」
「……とは言っても」
少女が口をはさむ。
「彼は、小波の地以外では木霊の声を聞き取れないし、彼らの姿も見えない筈だ。ここにあなたがいて、この土地が生きているからこその……奇跡なんだよ、オナミの水神」
いたわるように言うと彼女は、遥へ視線を当てた。
「さて。自己紹介をお願いしても? さくや嬢のにいやさん?」
遥はあわてて姿勢を正し、まずかっきりと90度に腰を折って礼をした。
「申し訳ありません、ご挨拶が遅れました。僕はこの学校の敷地に長く住まう、メタセコイヤです。遥という名で呼ばれています。結木草仁に仕える者であり、及ばずながらオナミヒメの護衛を務めている者でもあります。天津神の皆さま、どうぞよろしくお願い致します」
「……はあ。その、ど、どうもご丁寧に、痛み入ります。えと、頭を上げて下さい、別に、そんなに畏まらなくてもいいんですよ?」
いささか引き気味になりつつ九条が答えると、少女は再び笑った。
「九条君。この挨拶は、真面目な彼の性格もあるけど、行動そのものは彼の立場的に言って、真っ当なんだよ。君は『格』として、遥君の主である結木氏と同格以上だからな」
「え?」
「今はわからなくていい」
彼女は簡単にそう言い切ると、
「オナミヒメ」
と、さくやへ視線を向けた。
「彼を、よろしく頼む。君のお父上と君が、オナミという類い稀な場の要だ。病んだ彼を……癒してやってほしい」
「わ、私に何ができるのか、まったくわかりませんけど」
人形のように美しい顔をした少女の、異常なまでに圧の強い視線にひるみながらも、さくやはなんとか笑みを作る。
「九条さんがお元気になられるよう、協力できることは協力します」
「……頼む」
小さな声でそういう彼女の表情は、瞬間的であったが、病気の幼い子供を気遣う母親のようで、さくやの中に違和感めいた印象が強く残った。
九条が言う。
「あのう、キョウコさん。俺、もうかなり良くなってきてますよ? むしろこちらでは、軽い仕事をさせてもらって、現場復帰に向けたリハビリするつもりで……」
「ああ。君は、それでいい」
なんとなく含みのある口調でそう言い、彼女は形よくほほ笑んだ。
すべての問いをシャットアウトするような、美しくも恐ろしい笑みだ。
そしてその笑みを少し緩め、彼女は言葉を紡ぐ。
「オナミヒメ。我々は君のお父上と一緒に、これから何か所か寄る予定があるのだけど。君も、一緒にどうかな?」
「あ、いえ。すみません、今日はちょっと用が……」
視線の圧に負けるような気分で、さくやはうつむいて首を横に振る。
放課後は自宅の庭で、ナンフウと護身術の自主練習をしているのは確かだが、『用』というほどではない。ないが……イザナミノミコトの近くには、正直に言ってあまりいたくない。
端的に言って、怖い。
上手く言えないが、彼女はあまりにも圧倒的だ。
「……そうか。気ィ付けて帰りや」
父の声に顔を上げ、さくやは、ホッとして軽く笑った。
「うん、先、帰るから」
そしてさくやは客人たちに会釈をし、校門へ向かおうとした。
「……黄泉津姫?」
九条の小さな声が聞こえたような気がしたが。
さくやが振り返った時には、一行はすでに、父が乗ってきた車へ向かっていた。




