2 交差する④
その日。
結木さくやはいつも通りの一日を過ごし、下校した。
いや、しようとした。
いつもは、少なくとも門までは上谷花と一緒に帰るのだが、今日はクラブ活動(彼女は美術部所属)のある日なので、ひとりで帰る。
HRを出て階段を降り、正門へ向かって歩き出した時、さくやは、自分のそばにメタセコイヤの遥がいるのに気付いた。
いつにないことだ。
「遥さん? どうしたん?」
視線を正面に据えたまま、さくやは囁くようにして問う。
遥の方もさくやの、周りに他の人がいる場合の『木霊さん、いないふり』に慣れているので不審には思わない。
彼は、学園ものの少女漫画に出てくるヒーローめいた、王子様のようなキラキラの笑顔をさくやへ向ける。
「実はさっき草仁さん……さくやさんのお父様に、お会いしました。その時、さくやさんがお帰りになる時、一緒に正門前まで来てくれって言われたんです。今日からしばらく、特別なお客様が小波に滞在する予定だから、紹介したいって」
「紹介?」
(ええー? お客様に木霊さん、紹介できるの?)
そこは、『特別なお客様』なのだから可能なのだろうか?
等と思った途端、急に左の脇腹がシクシク痛み始め、軽く下腹を押さえながら、さくやは顔をしかめた。
一ヶ月ほど前だ。
教室でお昼ごはんを食べていると唐突に、気絶するほどの下腹の痛みが起こった。
以来、さくやはちょいちょい、左脇腹がシクシク痛むようになった。
お医者に診てもらっても異常なしとしか言われない、不思議な痛みだ。
神経的なものか……霊的なものだろう。
どちらであったとしても対処が難しく、さくやは困っていた。
気絶するほど強烈な痛みではなくなったのが、唯一の救いである。
『特別なお客様』が今日来ることは、父から聞いていた。
天津神の系譜を正しく継ぐ方だと真面目な顔で聞かされ、さくやは弟の蒼司と一緒に、思わず吹き出した。
「ふええ、一体ドコの高貴なお方が来はるねん」
からかう口調で蒼司が言うが、父は真面目に答える。
「世俗的な意味では、別にフツーの人や。あ、お医者さんではあるけどな。せやけど、イザナミノミコト(イザナミノミコト? と、さくやと蒼司は目を見張るが、父はスルーだ。この人は時々、自分の知っていることは誰もがみんな知ってると思い込んで話す癖がある)が、半分身内やと言うてはるんやから限りなく神さんに近い方なんは確かやな。その人、仕事中に不幸な事件に巻き込まれて、どエラい怪我しはってな。その時に怨霊に魅入られてしまいはったんや。不浄が少ない小波で、一ヶ月くらい静養ゆうんかリハビリしはる予定で来はるねん。彼は結木のお客さんでもあるけど、どっちかいうたら『小波』のお客さんやな。君ら、失礼のないようにな――特に、蒼司」
「は? なんでオレが名指しやねん」
唇を尖らせる蒼司に、父は真顔で言った。
「今、お前さん『なんやねん、神さんのくせに怨霊に魅入られよったんか、弱っ』って思ったやろ? 顔見たらわかるで。……言うとくけどな。怨霊は恐ろしいぞ。たまにこの辺うろついてる不浄の親玉なんかとは、怖さの桁が違うんやからな」
そばで聞いていた母が、ひどく暗い顔になった。
両親のただならぬ雰囲気に、さすがの蒼司も口を閉ざした。
正門前の桜並木が見えてきた。
桜の中で一番年長の木の前に、父と、ゴージャスなフリルの黒いワンピースを着た小学校高学年くらいの少女、白のオックスフォードシャツに紺のデニムパンツをラフに合わせた青年がいた。
青年の足元には銀色の小さなスーツケースがある。
おそらく彼が『特別なお客様』なのだろう。
父がこちらに気付き、軽く右手を挙げた。
少女と青年も、つられてこちらを見る。
(……え?)
人間ではない。
ふたりを見た瞬間、さくやはそう思った。
特に少女。
何というか……真っ白なのだ、中身が。
人間は大なり小なり澱みや歪みを抱えていて、対峙した瞬間、その人なりの影だったり汚れだったりを感じるものだ。
少なくとも『月の一族』にとってそれは、物心つく頃から自明の事柄。
しかし。
(……真っ白)
少女の中身は、隈なく真っ白。
少なくともさくやには、そうとしか感じ取れなかった。
そして青年の方は。
(……神馬?)
この青年の本性は、気高い不羈の獣だ。
柔らかそうな、ゆるいウェーブのある髪。
長いまつ毛に縁どられた、黒曜石の輝きを持つ黒目勝ちの大きな瞳。
痩せ気味の身体からは、どことなく病み疲れたような雰囲気は揺曳しているものの、それでも、ただ立っているだけで不思議な風格を感じさせる。
彼のその現実の姿と、二重写しのように見える姿は。
輝く白い体毛、銀に近い柔らかなたてがみ、額に細く鋭い角を持つ……
(え?)
夢の丘の、ユニコーン!
「さくや」
父の声に、さくやは我に返った。
「イザナミノミコト。九条さん。ウチの娘のさくやです。さくや、ご挨拶を」
父に促され、さくやは姿勢を正して頭を下げた。
「はじめまして。結木さくやです、よろしくお願いします」
「はじめまして、さくや君……いや。オナミヒメ。私は君のお父上にイザナミの名で呼ばれている者だ。今のところ、ヒトとしては『音無』もしくは『キョウコ』という名を使っている。どの名で呼んでくれても構わない、今後ともよろしく」
「……はい」
幼さの残る声で、尊大ですらある口調で少女――イザナミノミコトは言う。
普通ならムカあるいはモヤッとして当然であろうが、そんな気分になれなかった。
何と言えばいいのだろう?
微かではあるものの、彼女に、食物連鎖の上位存在とでもいうような、本能的な恐怖を感じる。
(これが『天津神』という存在……?)
息を呑んで軽くうつむいたままのさくやの頭上に、優しげな低めの声が響く。
「はじめまして。九条と言います。突然ですけど、しばらくこちらでお世話になります。よろしくお願いしますね」
さくやは顔を上げ、声の主を見上げた。
彼は笑みを作り、軽く目礼をする。少し笑うと、途端に彼は人懐っこい雰囲気になり、さくやは驚く。
「よろしく、お願いします」
どうにかそう答えた彼女へ、屈託なく彼は問う。
「隣の彼は? さくやさんの、お父さん公認の彼氏くん?」
彼の視線は真っすぐ、さくやの隣で控えるように立っていた、メタセコイヤの遥へ向けられていた。




