2 交差する②
「……なるほど。九条さん、怨霊に魅入られてしもたんですか」
結木氏の表情が変わる。
軽く眉根を寄せ、ため息を吐くような感じで彼は、言う。
「アレは……魅入られてしもたら、どうしようもないですからね。天津神の御力は問答無用なものですけど、相手によったら、その問答無用すら問答無用で叩き潰して、執着してきますから。もともと霊力の高い人間がすさまじい思いでもって怨霊化した場合、生身の人間では対峙するにしても限界ありますからねえ……」
奇妙なほど実感のこもった言葉だった。怪訝な顔をする円へ、結木氏は淡い苦笑を浮かべる。
「あ、はは。若い頃から人間ならざるものとの付き合いがあるって、さっきも言いましたけど」
少し照れたような困ったような顔になってうつむくと、結木氏は紅茶に口を付けた。
「実は。怨霊さんとガチンコ勝負をやったこと、まあ一回だけですけど私、ありましてねえ。いやあもう、あの時は大変でした。真面目な話、死にかけましたし」
「し、死にかけ……た…って!」
円が目をむくと、結木氏は軽くうなずく。
「はい。あの時はさすがに、ちょっとまずかったですね。まかり間違うたら死んでましたし。今の妻が黄泉平坂まで追いかけて引っ張ってくれんかったら、ここでこうしてのん気にお茶いただいたりしてません」
にこやかに彼は、とんでもないことをサラッと、世間話のテンションで言う。
「私も私の知り合いの木霊も、天津神の御力でもって不浄を叩き潰す、なんてことは到底出来ません。それでも国津神に当たる、まあ言うなら知り合いの神さんがいまして。ギリギリまでは我々で怨霊さんと話をして、後はその神さんに下駄を預けて何とか眠っていただきましたけど。まあ、それだけのことが大仕事でした。自分の命を的にせんと怨霊さんをフリーズさせることが出来んのだそうで、その時に私は死にかけた訳ですが……」
「あ、あの? ゆ…結木先生?」
(おいおい。そんな、何でもない思い出話みたいに語るような、内容か?)
目を白黒させている円へ、キョウコさんはなんだか楽しげに笑った。
「……どうだ、九条君。君の輝かしい実績ほどではないかもしれないが、彼も百戦錬磨の、素晴らしい戦士だろう? むしろ搦め手を使った対怨霊戦では、彼の方が経験豊富だ。スイのような直接攻撃に長けた【eraser】を欠いた今、二重三重の防御線を張り巡らされた小波の地で心身を癒し、満を持して君の怨霊と対峙した方がいいと思うのだがな、私は」
そこでふと、キョウコさんは真顔になる。
「どうあがいてもこの不浄――【dark】とは。君は、対峙する必要があるようだからな」
そう言い、彼女は思い出したように紅茶を一口、飲んだ。
「角野英一にとっての安住幸恵ほど、深い因縁ではないが。好むと好まざるとに関わらず、君自身の根幹に関わってくる【dark】――怨霊のようだ。避けられないと覚悟し、心して迎え撃ちたまえ」
円はうつむき、半ば仕方なく冷めかけた紅茶を飲んだ。
降ってわいたこの災難になんと答えたらいいのか、彼にはまったくわからなかった。
結局。
一週間ほど後の十月の頭から、円は、小波で1ヶ月ばかり『転地療養』の名目で過ごすことが決まった。
それまでは基本、【home】で過ごすことにもなった。
「【home】は一種の無菌室だ、怪我がもう少し良くなるまではここにいるのが一番いいだろう。ただ……ずっと無菌室にいるのは、生き物として決していいことではない。清らかなものも不浄なものもある環境へ徐々に戻ってゆかないと、健康的にというか当たり前に生きて行けなくなるからな。無菌室の次は、不浄の少ない小波で身体を慣らし、そこから通常の『外』へ出られるようにしよう」
「……そうですね」
何を思い出したのか結木氏は一瞬、暗い顔をした。
しかし彼はすぐ、独特の柔らかな笑みを浮かべてこう言った。
「私は今、市がビオトープに設定してる地元の旧家の庭の管理を、妻と一緒に任されてまして。今のところはまだ、ビオトープ部分含めてそこのおうちの物件なんですけど、『離れ』に当たる建物は研究の拠点として市が借り上げて無償で使わせてもらってます。一時的に住まう分には事足りるだけの設備は整ってますし、あれでしたら、そちらで住めるように手配させていただきましょう」
ずいぶんと公私混同ではないかと円は困惑したが、
「実は市の方で、乳児検診やワクチン接種をするのに必要なお医者さんが不足してまして。どうでしょう、九条さん。滞在中はそちらをボランティアで手伝っていただく約束で、設備の使用料金はチャラ、ということにしませんか? 週に一、二回、保健センターの方でお手伝いいただくことになると思いますけど。聞く話によると、ホントに市の方ではお医者が足りんで困ってるみたいですし」
そういうことならば、と、円も納得する。
小児科医だけでなく医師全体が不足気味なのは、どこの地方都市でも抱えている問題だ。




