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青い日の君と旅をする  作者: ゆき屋
3/3

最後の青春

 春に向け流れる時間の中、凪紗と栞は旅をしていた。

 まだ青春真っ只中といった栞を連れた旅は、凪紗にも無くしていた青春時代を取り戻させていた。

 笑顔すら無くしかけていたのだが、栞との日々は何を意識しなくても凪紗の笑顔を引き出すことが出来ている。

 そうして二人だけの青春を楽しんでいた。


 誰もが知るような観光名所に赴き。

 またある時は、ただ景色を眺め。

 多少身体を使って遊んだりもし。

 美味しい物を好きなように食べる。


 いつまでもこの時間が続けばどれだけ幸福なことだっただろうか。

 しかし、凪紗には一つ決心したことがある。

 栞との別れが一度訪れた時に、同じ境遇の人達を一人でも多く救おうと、医者になることを決めた時から、凪紗は絶え間ない努力をしてきた。

 その決心は栞と再会しても折れることはない。

 大学へと進めば、これまで以上に凪紗が使える時間は少なくなるだろう。

 つまり四月になれば、こうして栞と旅をしている余裕は無くなってしまうということだ。


 徐々に無くなっていく時間に、凪紗は焦りのような感情を抱いていた。

 それが栞にもっと色々と見せてあげたいという気持ちからか、今この穏やかな時間を終わらせたくないという気持ちから来るのかは凪紗本人にも分からない。

 明確な焦るだけは何となく自覚出来ているだけに余計にタチが悪かった。


 とある県の観光名所である崖から見える雄大な海を眺めながら、そんな思いに耽っていた。


 時期的にもかなり温かくはなってきているが、海沿いはまだ肌寒い。


「栞! そろそろ行くぞ!」


 崖から落ちそうな程ギリギリの場所まで近づいて海を眺める栞を呼び戻す。

 冷やりとしそうな光景だが、栞はなんでもないような顔でそこに立っていた。

 ロングスカートと長い黒髪が海風に靡き、ただ栞がそこに立っているというだけで、とても絵になっている。

 凪紗の声を聞いて軽く返事をして戻ってきた。


 今日はもう遅い時間なので宿に戻ることになる。

 かれこれ半月程は家に戻っていないので、この流れはもう慣れたものだ。

 両親には定期的に連絡しているので、問題は無い。


 宿に戻り明日の予定を確認して寝るというルーティーンをこなす。

 確実に近づく別れを感じながら意識が溶けていった。



 ――――――――――



 三月中旬に差し掛かり、この旅もいよいよ大詰めに差し掛かっていた。

 ラストをどのように飾るかは凪紗の中では既に決まっていが、栞にはまだ話さないでいる。


 夜の移動も体験したいと言う栞の注文を受け、次の目的地である青森までは夜行バスで向かっていた。

 久々に夜起きているので、かなりの眠気を感じている。

 凪紗の隣に座る栞は既に夢の中だ。

 到着までまだまだ時間が掛かるので、凪紗も一眠りしようと思っていたところで、サービスエリアについてしまった。


「栞、僕は少し外に出てくるけどどうする?」


 同じ姿勢だったせいで凝り固まった身体を解そうと思い、寝ている栞にも声を掛ける。

 栞は軽く反応はしたが、起きそうにはないので一人で行くことにした。


 既に辺りは山の中で、少し端の方に行くと真っ暗だ。

 こうして一人になると途端に寂しさが湧いてくるが、思考もクリアになった。


「ふぅ……」


 息を吐くと白い息が出る。

 それを見つめながらこれまでのことを思い出す。


 最初の修学旅行を模倣した旅行から始まり、本格的な旅が始まってから本当に色々なところに行った。

 写真だけでは感じることの出来ない感動が多くあり、人生の中で最も様々な感情を抱いた期間でもある。

 それだけに少し前から感じていた焦りの感情が大きくなっていく。


 今の僕はどうしたいのだろう……、このまま終わって本当に後悔は無いのか?


 凪紗が欲しかったもの、欠けていたものを栞から貰った。

 それは無くし欠けていた感情の起伏であり、乾いた心に水を注いだように潤いを与えた。

 これ以上を望むのは欲張りすぎだという気持ちがあるが、このまま終わっていくことを想像すると、何とも釈然としなかった。


 ならばと理由を考えてみる。

 答えは本来ならすぐ出たのだ。ただ今まで自覚しようとせずに目を背けていただけだったのだ。


「……好きだって伝えたいのか」


 凪紗はずっと栞のことが好きだった。

 その気持ちは再会しても変わらず、それどころか旅をする中で想いはどんどん大きくなっていた。

 気持ちを伝えていなかったのは一重に凪紗を縛る後ろめたさからだ。

 無論、今でもそれが消えた訳ではないが、栞の言葉に救われ日々を過ごしている中で、好きだと伝えたいという気持ちが勝るようになっていたようだ。

 変化は凪紗自身でも、こうして一人になり静かに考えてようやく自覚出来る程だったが、逆に自覚出来てしまえばもう止まれそうになかった。


 この旅の終わり、最後に行くあの場所で栞に好きだと伝えよう。


 凪紗にとって大事なのは結果ではなく、気持ちを伝えることにあった。

 勿論栞が受け入れてくれれば嬉しいが、そうではなくても構わなかった。

 こう表現すると栞に対して若干不誠実なようにも聞こえてしまうが、そういうわけではなく、上手いこと言葉に出来ないだけだ。


 想いを伝えることを決めて、もう少し何か感じるかと思っていたのだが、思っていた以上に落ち着いていたどころか、心が軽くなった感覚さえあった。

 何に対してかは分からないが笑みが零れた。


「……戻るか」


 気付けばそれなりに時間が経っていたので、それまで目の前に広がっていた山々に背を向けて、バスに戻ることにした。


 席に戻ってくると栞が目を覚ましていた。


『おかえり凪君。遅かったね』

「空気が美味しかったからついね」


 それだけだは無いのだが、後になれば栞も分かることなので今はまだ何も言わなかった。


『そうなんだ……、私も少し外の出てみようかな』

「いいんじゃないか? まだ時間もあるし。付いて行こうか?」

『んー、そうだね、凪君も付いてきてくれたら嬉しいかな』

「了解。それじゃあ行こうか」


 今度は栞と共に外の空気を吸いに来た。

 凪紗の隣で栞は大きく深呼吸している。


『確かに美味しいねー! 頭がスッキリしてきたよ!』

「そういえばちゃんとした山って行ってなかったな。折角だし青森に着いたら少し行ってみるか」

『いいね! あ、でも虫とか沢山いそう』

「それはまあ……栞は虫とか苦手なのか?」

『あんまり得意ではないね。絶対に無理って程でもないけど。凪君は?』

「僕は別に大丈夫かな」

『まあ、だよね。そんな感じがした』


 ゴキブリやクモ等は苦手な人が多いが、凪紗はそういった虫に関しても問題なく触れることが出来た。

 基本的に実害が無ければ大丈夫なのだが、その辺が凪紗らしいと言えるだろう。


 それにしても山を見ることはあっても、行ったことがないのを今まで忘れていたなんて……。


 海に関しては浜辺や岩肌までは行ったことがあった。

 山はどうすれば行ったと言えるのだろうと考えると、やはり登山道を登ったりするのがイメージとして浮かぶ。

 今向かっている青森、もっと言えば東北にも調べれば登れる山が沢山あるだろう。


「バスの中で色々と調べてみようか」

『そうだね! となれば善は急げだよ!』

「もういいのか?」

『うん! 山に登るならもっと美味しい空気を吸えるだろうしね!』

「そうか」


 念のためにトイレだけ済ませてからバスに戻ってくる。

 二人が戻って間もなく出発の時間になり、バスは再び走りだした。

 また長い移動の時間になるが、調べ事も出来て栞も起きていたので凪紗は退屈することなくいることが出来た。

 詳しく調べることも出来るのでお互いに意見を出し合いながら、いざ行く山を決める。

 凪紗は最終的には栞の希望を優先するので、栞が一番に食いついていた蔵王山に行くことにした。

 山形と福島の県境にある山のようなので、凪紗が最後に行こうと思っている場所を考えても丁度良かったというのもある。


 こうして予定が固まったところで、凪紗も眠気の限界がきたので着くまで仮眠を取ることにした。

 栞は起きているようだったので、何かあれば起こすようにだけ告げて、椅子に身体を預けて重たい瞼を閉じた。



 ――――――――――



 最後の旅の舞台である東北地方にやってきた。

 山に方にはまだ雪が残っており、それも相まって寒さを心身に感じさせた。

 行く先々で肌に感じるものは違う。これも旅の一つの楽しみと言えるだろう。


 まずは朝食にすることにする。

 軽めに済ませて青森の名産である林檎を使った果汁飲料も美味しく頂き、腹も満たされたところでいつものように観光に乗り出した。


 慣れた足取りで周っていく。

 土地勘は勿論無いが、多くの場所を歩いているうちに方向感覚だけは養われていた。


 口に出る感想に関しても変化がある。

 始めの頃は様々な感想を持っても上手く言葉で表現出来なかったが、今となってはかなり柔軟な言葉選びを凪紗も栞も出来るようになっていた。


 残り時間が半月無い中、旅自体は焦らずに見たい所をゆっくりと訪れては穏やかな時間を過ごしていく。

 同じ東北の中でも県により特色が出ているので、その違いを比べてみるのも面白いものだ。


 各県で周るのに掛かる時間も違うので日は疎らに、終わりの日まで後三日に迫ったところで予定していた蔵王山の麓に凪紗と栞はいた。

 初心者にも優しい山だとは調べがついていたが、それでも登山をするうえで必要最低限の準備はしっかりとして挑む。

 いくつかのルートがある中でも楽なコースなのだが、凪紗も登山経験等殆どないので、時間もかなり余裕を取ってある。


「準備は大丈夫か?」

『私は大丈夫だよ! そんなに用意する物もないしね。凪君は?』

「僕も準備オーケーだ。それじゃあ行こうか」


 栞の幽霊という特徴は今までの旅で幾度となく見てきた。

 食事の味や温泉の温度は感じることが出来るが、気候による寒さ等は感じない。

 更に服が汚れたりはしなく、怪我もしない。

 極めつけは宙に浮いたりなんてこともやって見せてくれたことがある。

 つまりは日常生活においてほぼ全てに都合がいい状態にあるのが栞なのだ。


 凪紗は気を付けるように言っているが、実際は凪紗本人さえ気を付けていれば大丈夫なのだ。

 そんなことは凪紗も分かってはいるのだが、一見普通の人にしか見えないのでどうしても心配してしまう。

 栞もそれを受け入れている節があるので、自然な流れとなっていた。


 そんな訳で凪紗の準備も万端だということで、初めての登山に遂に挑む。

 比較的歩きやすく整備された登山道を、時折ある案内看板の指示通りに進んでいく。

 栞は疲れを知らないのか軽い足取りで進んでいくが、凪紗はそうも行かず、脹脛が攣りそうな感覚を覚えながら足を進ませていた。

 途中で凪紗の様子に気が付いた栞の提案により少し休憩する。


「ごめん、今まで体力作りなんてしてこなかったから……」


 旅でかなり歩いていたので体力もある程度付いていると凪紗は思っていたのだが、そうでもないのか、それとも登山になるとまた別になるのか、予想よりも厳しいものだった。


『私こそ気にせずに進んじゃってごめんね。なんか幽霊になってからは肉体的な疲れもあんまり感じなくなってるみたいなんだよね』

「それはまた……便利なもんだな」


 これまで栞が疲れたと言ったことは殆どなかったのだが、ここに来てその理由が明らかになった。


 それから水分をしっかり取り、足も休ませたところで再び歩き出す。

 ペースを少し落とし、その代わりに山道に生える普段は見かけないような植物に目をやったり、野鳥などの声に耳を傾けながら進む。

 植物に関しては凪紗も全く詳しくないので、なんだろうこれ程度の興味にしかならなかった。

 万が一毒なんかがあったら危ないので極力触れないようにも注意する。

 と、いってもその心配も栞には無いのだが。


 他のことに意識を割くようになった分先程よりも会話も増えて、登山に対するキツイという気持ちが薄れていた。

 気持ちが楽になれば、それからの道のりも順調だった。


 昼前になる頃には、この山を選んだ一番の理由である御釜を一望できるところまで来ていた。

 エメラルドグリーンに輝くこの湖は、他の湖には無い幻想的な様子を作り出していた。

 蔵王山には他にも樹氷等の見どころもあるのだが、それよりも栞が興味を引かれたのはこの景色だったようだ。


『綺麗……』


 数々の景色を見て尚ここに来て栞の口から零れた感想はシンプルなものだった。

 目を輝かせて見入っている様子に凪紗の顔には思わず笑みが浮かぶ。


 しばらく見入っていた栞だが唐突に振り返り、少し寂しそうな表情を浮かべて凪紗の顔を見た。


『この楽しい旅も、もう終わりなんだね……』

「栞……」


 栞の言う通り、もう本当に時間がなかった。

 明後日には帰らなくてはならない。事実上明日が最後の旅になるのだ。


『凪君、改めてありがとう。私の……夢が叶ったよ!』

「楽しかったか?」

『もう、そんなこと聞かなくても分かるでしょ? さいっこうの旅だったよ!』


 寂しさを感じさせる表情を一点、眩しいくらいの笑顔で栞は答えた。

 その顔を見れただけでも、あの時栞の旅をしようと言って良かったと凪紗は思えた。


 本当ならここで喜びだけを噛み締めて終わりたいのだが、そういうわけにもいかない。


「これからどうするんだ?」


 栞の目を真っ直ぐに見つめて凪紗は問う。

 この問いの()()()()とは、この後の予定の話ではなく旅が終わったその先のことだった。

 答えを聞くのはとても怖かった。それでも、聞いておかなくてはならないこと。凪紗には栞を連れ出した時からその義務があった。


『大丈夫。もう、凪君に迷惑は掛けないから』


 栞の答えは具体的なことを一切告げないものだった。

 それでいて凪紗のことを考えた、どこまでも栞らしいものでもあった。


「……大丈夫って、何か当てはあるのか?」


 凪紗としてはどんな答えが返ってきたとしても、なるべく力になるつもりであったし、あれこれ言わずに栞に委ねようと思っていた。


 それでも聞いてしまった。

 大丈夫と迷惑という言葉に引っかかりを覚えた。それどころか、嫌な予感すらしてしまったからだ。

 心が嫌な意味でざわつくような、そんな感覚があったのだ。


『凪君……』


 答えを待つ凪紗に、栞は名前だけを呼んで近づいて来る。

 そして、何も告げずにただ凪紗の身体を抱きしめた。


「栞!?」


 困惑する凪紗の胸元に栞は顔を埋める。

 十秒程そうしていただろうか、やがて栞が凪紗の顔を見上げるように顔をあげた。


『心配しないで? 私は本当にもう大丈夫だから』

「だからそれはどういう……」


 凪紗の言葉はそこで止まってしまう。

 顔をあげた栞の瞳には涙が浮かんでおり、それ以上は何も聞くことが出来なかったのだ。

 今まで栞が泣いているところなど、見たことがなかった。

 だからだろう、言葉が詰まってしまってしまったのは。


 同時に嫌な予感が大きくなっていく。

 どうしてもその真意を問いたかったが、やはり栞の瞳がそれをさせてくれない。

 涙に驚いて気が付かなったが、改めるとその瞳には確固たる決意のようなものも見て取れた。


「そうか……分かったよ」


 決意を感じた凪紗はそれ以上聞くことはなかった。

 凪紗の中にもある決意。生半可な言葉で変わるものではない。

 それは当の凪紗が良く分かっていた。


 栞の死がきっかけになった医者になるという決意は、栞と再会できてからも一切揺らぐことはなかった。


『ごめんね。私には耐えられそうにないから……』


 再び凪紗の胸に顔を埋めた栞が何かを呟いたのは分かったのだが、凪紗にはなんと言ったのかまでは分からなかった。

 これまで類を見ない程に弱々しい栞を抱きしめて慰めたい衝動に襲われるが、結局最後までそれはできなかった。


『さ! 行こう凪君!』


 離れる頃にはいつも通りの栞に戻っていた。

 引っかかりは相変わらずあるものの、旅を最後まで楽しく過ごせるように凪紗は心の奥底にしまい込み、栞の後に続いて歩き出した。


 その後無事に登山を終え、余った時間で周れるだけ周り、最後の宿で眠りにつく。


 どうか最終日も何事もなく楽しく過ごせますように。


 そう願い意識を落としていった。


 ――そして最終日、目を覚ますとそこに栞の姿は無かった。



 ――――――――――



 目が覚めた凪紗がいつも通り栞のことを起こそうと、隣のベットに目を向けたが、そこに栞の姿は無かった。

 何処かに行っているのだろうと気にせずに自身の準備をするが、それが終わる頃になっても栞は戻ってこない。

 流石におかしいと思い探しに行こうとしたが、何か当てがあったわけでもなく、どうすることも出来なかった。


 一度落ち着いて考えてみることにした。

 まず脳裏を過ったのは、消えてしまったということ。

 消えたというのは表現でもなんでもなく、そのままの意味でだ。

 性格には成仏してしまったとでも言えばいいのか、幽霊である栞の状態を考えればあり得ない話だとは到底思えなかった。

 そこまで考えたところで昨日のことを思い出す。

 まるで別れを惜しむような何処か弱々しい様子の栞と、同時に感じた嫌な予感。

 もし栞自身に明確な制限時間があり、それを栞が自覚出来ていたとしたら。


「もしそうだったとしたら……、僕はまた何も伝えられなかったのか?」


 旅の終わりに凪紗は栞に自身の中にある想いを伝えようとしていた。

 今考えたことが正解なのだとしたら、()()何も伝ることが出来ずに終わってしまったことになる。


「そんなこと……」


 許容出来るはずがなかった。

 後ろ向きな考えだけではなく、別の可能性を模索する。


 成仏とはそもそも満足した幽霊がすることだ。栞がこんな中途半端で満足するわけがない!


 本当にそうなのかどうかは置いておいて、凪紗はそれをほぼ確信した。

 つまりは栞はまだ成仏などしておらず、必ずどこかにいるという考えだ。

 昨日の会話をもう一度思い出してみる。


『この楽しい旅も、もう終わりなんだね……』


 まだ少し早いと感じてしまうセリフ。


『もう、そんなこと聞かなくても分かるでしょ? さいっこうの旅だったよ!』


 旅はまだ終わっていないのに栞は()()()と言った。


『大丈夫。もう、凪君に迷惑は掛けないから』


 栞はこの旅も凪紗の迷惑になると言っていたが、もう迷惑は掛けないと言った。


『心配しないで? 私は本当にもう大丈夫だから』


 泣きそうな顔で行ったあの言葉。


 成仏という選択肢を外した時に考えると、また別の意味が見えてくる。

 凪紗が新たに思い至った可能性が自意識過剰等ではなかったとしたなら……。


「別れが辛かった、のか? 今日を終えて満足し成仏する可能性、しなくても迷惑を掛けない為に僕の前から姿を消そうと思っていた可能性も……。面と向かっては別れられないからこうして姿を消した?」


 可能性としては弱いと凪紗も思うが、少しでもその可能性があるのならば取る行動は決まっていた。

 幽霊とはいえ、移動速度などは普通の人とそこまで変わるわけではない。

 瞬間移動が出来る訳でもない、飛べるといっても限度があるのは知っていた、つまりは追い付くことも出来なくはない。


 まずはこの仮説が正しいか確かめるべく行動を取る。

 泊っている宿のロビーに行き、カウンターに立っている従業員の元へ向かった。


「すいません、ちょっといいですか?」

「はい? 何でしょうか?」

「朝早くに僕と同室の女の子が外に行くのを見かけませんでしたか?」


 この宿はそこまで大きいものではなく、泊っている人もそこまで多そうではなかった。

 つまり外に出るためのここを通ったのであれば、目撃させている可能性も大いにあった。


「確かに朝早く出ていくのを見かけましたね。そういえば戻ってきていませんね、何かありましたか?」

「ああいえ、そういうわけではないので大丈夫です。ありがとうございました」


 どうやら凪紗の予想は正しかったようで、朝早くに栞はここを出ていったようだ。

 直ぐに部屋に戻り出発の準備をすることにした。


 次に考えるべきは栞がどこに向かったかだったが、こちらに関しては殆ど正確だと言えるほどの予想が出来ていた。

 旅に必要な金に関しては凪紗が全て管理していた。

 凪紗の金なのだから当然なのだが、栞に多少渡そうとした時に断られていたというのもある。

 そんな訳で栞は移動に必要な金すら持っていない状態なのだ。


 理由はそれだけではない。

 栞が成仏していないという考えに至ったのもこの理由なのだが、栞がこの旅を最後まで終えずに満足するとは到底思うことが出来なかったのだ。

 凪紗とここで別れ一人で周り、静かに終わることを選んだのだろう。


 急がないと……。


 適当に荷物を詰め込み急ぎ足で宿を出た。

 一番近くにあったコインロッカーに荷物を入れて、本来の今日の予定を確認する。

 最後に行く予定だった場所以外は栞と話し合ったことなので、決めていた通りに周ればどこかで出会うことが出来るだろう。


「まずは鶴ヶ城からか」


 福島の観光マップをスマホで開き、移動だけの効率を追求したルートを参照する。

 移動の時間を最小限にして、なるべく一ヶ所に留まれる時間を多くする。

 栞は指導も徒歩に頼り切りになるので、何処かで先回り出来る計算だ。


「こんな終わり方、僕は認めないからな……」


 何処かに居るはずの栞に向けそう言って、行動を開始した。



 ――――――――――



 時刻は昼を過ぎた。栞とはまだ会えていない。

 計算では追い越しているくらいなのだが、長めに待ってみても栞の姿は一向に見えない。


「仕方ない、次だ」


 そんな調子で移動を繰り返すが、時間だけがただ悪戯に過ぎていく。

 もしかしたらこのままもう会えないのではないのかと、焦る気持ちが大きくなっていた。


 途中から徒歩による移動に切り替え、視野を広げて探すことにする。

 本来なら観光をするために目を使うのだが、今はどんなに綺麗な光景も歴史を感じさせる建物もただの背景にしか見えない。


 少し立ち止まり、再び歩き出そうとした時軽い眩暈がした。

 朝から何も食べていないのでそれが原因なのだが、気にしないフリをして歩みを進める。

 一分一秒も無駄にする気はなかった。


 そうしているうちに大内宿、栞と予定していた最後の場所に辿り着いてしまった。

 疲れを感じる身体に鞭を打ち、歩きながら栞を探すことにした。

 既に日が沈み始めていたので、ここで見つけることが出来なかったら絶望的だろう。


「頼む……居てくれ!」


 祈るように吐き捨てて探す。

 しかし、殆ど日が沈む頃になっても栞を見つけることは出来なかった。


 凪紗は疲労と喪失感で座り込んでしまった。

 頭の中には無くなっていたと思われた栞と再会する前に抱いていた感情の数々、栞が死んでしまった直後の感情すらあった。

 むしろ前よりも暗いものだったかもしれない。

 栞と再会出来て、今度こそは悔いのないようにしようと思っていたところにこれでは仕方がなかった。

 何もする気力が起きずに、ただ地面を見つめていた。


 どうすれば良かったんだ……? 栞は本当にこれで良かったのか? 僕は……満足出来てないぞ。前も、今だって栞は突然……、勝手すぎるじゃないか!


 巡る負の思考の中で、凪紗は小さな怒りの感情を抱いた。

 勝手な、八つ当たりのような怒りだったが、それが負の感情を徐々に押し流し、今の凪紗に確かな意志を確立しつつあった。


 一言言ってやらなきゃ気が済まない。このまま逃がすと思うなよ!


 今までは栞に対する気持ちや栞を優先する思いから、自信の感情の一部を無意識に押しとどめてしたが、ここに来て怒りにより生まれた凪紗の意思は、ようやく自分の都合による考えを強く押し出すことに成功した。

 普段であれば人間関係を円滑に形成するために、この気持ちがあったも多少抑えるのが一般的だが、今の凪紗にはそれがなかった。

 ただこの状況ではそれが上手く作用し、凪紗を再び立ち上がらせることに成功した。


 あの場所に栞はいるはずだ。予定してなくても来てる、絶対。


 先程までは予定に無いから来ていないと考えていたが、そんな細かいことは忘れて断定する。

 吹っ切れた凪紗の足取りは軽く、疲労が無くなったかのように最後の場所に足を進ませた。



 ――――――――――



 三春滝桜はかつて病弱な一人の少女が、自信の名前にも使われている桜の中で最も見に行きたいと渇望した場所だ。

 福島の中では最も早く咲き、それであり樹齢千年を超える老樹だ。

 三月下旬から開花した桜を拝むことができ、二人の青春を飾る最後の舞台としてはこれ以上ない場所と言って良いだろう。


 既に日は沈み、辺りが暗い中この場所に入っていこうとする人影があった。

 一人であるのにも関わらず、二人分の観覧料金を払って中に入っていく。

 まるで示し合わせたかのように人はおらず、静まり返っていた。


 ピンク色の花を鮮やかに咲かせた巨木の前にこの世の物とは思えない程の綺麗な黒髪を靡かせた少女が立っていた。

 桜に見入っているのか、後ろから人が歩いてきているのに気付かずに顔をあげている。


「栞!」


 この場に現れたもう一人の人物、凪紗はその少女の名前を呼ぶ。

 するとその少女は驚いた様子はなく、嬉しそうで寂しそうで、切なさを感じさせる憂いを帯びた表情で振り返った。


『やっぱり……来ちゃったんだね。そんな気はしてたんだ』

「言ってやりたいことがあったからな」


 凪紗は栞の隣まで歩いて行き桜を見上げる。

 桜ではなく隣の凪紗を見る栞は、何を言おうか、言葉に詰まっている様子だ。

 しばらくの静寂が流れ、先に口を開いたのは凪紗だった。


「どうして突然いなくなったんだ?」

『あ、あはは。……ごめん』


 穏やかな口調の凪紗に対して栞は謝った。

 凪紗は栞の声を聞いて少し気持ちが落ち着いたが、それでも無かったことにはすることは出来ない。


「栞は前もそうだ、突然いなくなって。少しは僕の気持ちを考えてくれてもいいんじゃないか?」

『……』

「本当に楽しい旅だった。初めは栞が楽しんでくれれば良いと思ってたけど、僕も全力で楽しもうって、そう思えたよ。最後まで二人で楽しめたらって」

『……ごめん』

「栞との別れは辛いよ。でも、一人で栞は終わって、僕はモヤモヤしたまま終わって、そんなのはもっと辛い」

『もう……時間が無くて、凪君と面と向かって別れるなんて耐えれそうになかったんだ』


 栞は桜の方を向き直り話し出した。


『幽霊って満足したら成仏するんだと思うんだ』

「それは、何となく分かってる」

『本当はね、私のお墓の前で凪君に会えた時に私は満足してたんだ。そのまま消えるはずだった。でも、凪君が旅に行こうって言ってくれて、嬉しくて、それがまた未練みたいなのになっちゃって、ズルズル引きずって、ここまで来ちゃった』


 栞が言うには、元々の未練は凪紗にもう一度会いたい程度のものだったらしい。

 凪紗があの時旅に行こうと言わず、そのまま帰っていたら何事もなかったように成仏していたのだと。


「それは……辛い思いをさせたな」

『あ、勘違いしないでね。別にそれが辛いことだなんて思ってないよ。ただ、色々あったから別れは辛いけどね』

「まあ、そうだな」

『凪君が最後にここに連れてきてくれるのは、福島の観光を予定してる時に何となく気が付いてたんだ。凪君は優しいからね』


 はにかみながら言う栞はどことなく手術前に喋った時のような雰囲気を感じさせていた。


『もう少し、もう少しって旅を続けてきたけど、ここに来たら絶対成仏しちゃうよ。だから、辛い別れをするなら一人で静かに消えようって、そう思ったんだ』


 確実に栞との別れが迫っているのは凪紗も感じていた、それがどのような形になるかは分からなかったが、昨日感じた嫌な予感はきっと明確な別れを知らせるものだったのだろう。


「栞は自分勝手だ」


 凪紗が栞の方を向き話し出すと、栞も真っ直ぐに凪紗のことを見つめる。


「そんな理由で僕が納得するわけないだろ。僕だって、いや僕の方が別れが辛いんだ。前だってもうきつかったのなら何かしら言ってくれても良かったじゃないか」

『だって、凪君も手術前だったから心配かけたくなかったし』

「それが栞のいいとこだと僕も思ってる。でも僕には何でも言って欲しかった。だって――」


 凪紗は大きく息を吸い、伝えると決めていた想いをぶつける。


「栞のことが好きだから」


 凪紗は何も躊躇わず、ロマンチックな言葉選びもせずに真っ直ぐに燻る感情を伝えた。

 その真っ直ぐな感情を受けた栞は、まるで何が起こったのか分かっていないような、とても驚いた表情をしていた。


「感情がすぐ顔に出るところも、偶に見せるお茶目なところも、僕なんかの心配をしてくれる優しいところも、ただただ明るいところも、必死に隠そうとする弱いところも、夢を全力で語れるところも、全部全部愛おしいんだ」

『え、あ、その、ありがとう……』


 恥ずかしがっているようで、栞はその顔を真っ赤にして伏せてしまう。


「手術が終わったら伝えようって、そう思ってた。だけどそれは叶わなくて。今度こそはって思っても、起きたら栞はしなくて」


 内に秘めた想いを吐き出す凪紗の顔にはいつの間にか涙が流れていた。


「寂しい終わらせ方なんかさせないでくれ! 最後くらいちゃんと別れさせてくれ!!」

『……私だって!』


 栞が反論するように顔をあげた。その顔も凪紗と同様に涙で濡れている。


『私だって凪君のことが好きだった! 学校にもあんまり行けてなかった私に初めて出来た友達。優しくて、少し抜けてて、夢を真剣に聞いてくれる凪君のことを好きにならない訳がないよ』


 栞の余りの勢いに凪紗は言葉に詰まってしまう。

 そして栞の口から出た好きという言葉を聞いて顔が熱くなるのを感じる。


『もう自分の身体が持たないのは分かってたし、幽霊になっても長い時間一緒にいることは出来ない。本当は、もっともっと一緒にいたいよ! 大好きな人とこれからも色んな所に行きたい! でもそれは無理だって分かってるから、余計に辛いんだよ!!』

「栞……」

『何でこんな身体に生まれちゃったのって、凪君と出会ってからは何度も自分を呪ったよ!死ぬ直前、凪君にまた会いたいって心から思った! 幽霊になってまた会えて、これで満足だと思ったのにまた未練が出来て、それでも後悔はなくて! だから凪君の迷惑にならないように、辛くなる前に凪君の前からいなくなったのに!』

「栞!」


 泣きじゃくる栞を凪紗は堪らず抱きしめる。

 お互いに涙でぐしゃぐしゃだが、そんなことはもはや気にならない。


「好きだ! 栞、愛してる!」

『私も大好きだよ凪君! ありがとう、こんな私を好きになってくれて!』


 凪紗が抱き留める栞の身体が軽くなる。


「栞?」

『もう、時間みたい。ごめんね、凪君にはまた辛い思いをさせちゃう』

「僕のことはいいんだ。満足出来たか?」

『うん! 夢を叶えてくれて、私と出会ってくれてありがとう! 私はもう十分だから……』

「そっか」

『あ、そうだ! 凪君に渡す物があるの』

「ん?」


 そう言うと栞はポケットから何かを取り出した。


「それは?」

『私が小さい頃から使ってる桜の花を使った栞だよ。ほら私、桜木栞って名前でしょ? お母さんがぴったりだねって言って買ってくれたの』

「いいのか? そんな大事な物貰っても?」

『大事な物だから、凪君に貰ってほしいんだ』

「分かった、大切にする」

『それともう一つ』


 栞が突然身を乗り出したかと思うと、凪紗の唇と栞の唇が重なった。

 触れるだけの小さなキス、顔を離した栞の顔はこれまでに無いほどに真っ赤だった。


『何度も何度も本当にありがとう! 私はもう行くね』


 恥ずかしさが込み上げてくるが、呆けている場合ではないので凪紗も直ぐに我に返る。


「ありがとう栞。いつになるか分からないけど、土産話でも持ってそっちに行くから」

『うん! 楽しみにしてるね! ――凪君!』

「ん?」

『頑張って!』

「ああ!」


 最後はお互いに笑顔で別れを終えた。

 栞の身体は霧のように霧散し、その面影は無くなってしまう。

 一人残された凪紗は、桜の花で出来た栞を握りしめ、目の前の桜を見上げる。


「頑張って、か。栞らしいな」


 もう栞の顔を見ることは無い、声を聞くこともない。


「栞……」


 ただ静かに涙を流しながら、凪紗はしばらく桜を見つめていた。



 ――――――――――



 もうじき春になるだろうという頃、僕はある一人の女の子の患者の容態を見ていた。

 身体が弱く、度々病気に罹っては入院を繰り返すその子は、精神的にも大分参っている様子だった。

 何度も顔を合わせているが、笑った顔を見た記憶がない、偶に乾いた笑いのような表情をするが、それが笑えていると言わないことなど、僕は理解している。


「君、夢はあるかい?」


 何の脈絡もなくそう説いてしまった。

 子供は困ったような表情を見せているが、しばらくした後恥ずかしそうに口を開いた。


「元気になったら、色々なところに行って、色々な物を見たいです……」

「いい夢だね」


 かつて同じ夢を持った少女とその姿が重なる。

 僕がこうして医者になることを決意したきっかけでもあり、一つの夢を持つきっかけにもなった少女だ。

 ある日突然会うことが叶わなくなり、再開した時は何も変わらず青い日の姿のままに現れた。

 僕の灰色の青春時代に色を付け、本人はまた青い日の姿のままに消えていった。


 目の前の女の子も本来であれば青い日々を送っているはずだ、しかし病気のせいで普通の人達が過ごすであろう日々は奪われる。

 僕はそんな境遇の人を救いたいと願ったのだ。


「僕に任せて。その夢が叶うよう君を直してみせる」

「本当ですか!?」

「ああ。だから君も……()()()

「はい!」


 机の上に置いてある桜の花で出来た栞を流し目で見つつ、僕はそう言った。













最後まで読んでいただきありがとうございました。

いかがだったでしょうか。人によってハッピーエンドなのかバッドエンドなのか意見は分かれるところだと思います。

各々の捉え方で判断していただければ大丈夫です。

感じた事、思ったこと等感想で教えていただけると嬉しいです。

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