第174話 武運つたなく
ゴクリと息を呑む。
額を伝う冷えた汗が、目の前の存在の大きさを改めて認識させていた。
王都全域を襲った雷柱。それはルイを中心に放射線状に広がりを見せたがゆえに、至近にあった王城は見事に崩壊した。ジオルディーネ王国の権威の象徴たる王城は呆気なく瓦礫に代わり、掲げられていた王国旗は国王エンス・ハーン・ジオルディーネの墓標となった。
災害をまき散らし、正真正銘王国を終わらせた九尾大狐は未だ中空で雷光を放っている。俺は力の象徴を見上げる事しか出来ないでいるなか、
「ははは…魔力もないのに、これをどうしろと? いっその事逃げるか」
選択するはずも、できるはずも無い選択肢を口に出し、改めて己に覚悟を問うてみる。
やるしかない。戦いの中で活路を見出すしかない。
ルイの放った雷柱は魔素へと還り、王都全域が魔素だまりと化していた。元々王城周辺にあった魔素だまりの魔素に加え、ルイ自身の魔力も魔素へと還ったのだ。範囲が広がったにも関わらず、むしろ魔素濃度は上がっているかのように感じられた。
これだけの魔素濃度があれば、魔力の使用を極力控えて戦えばある程度魔力の回復は見込める。さらにその中でルイの弱点を見つけ、回復後、一気にそこを突く。それしかない。
「それまで生き残る事ができるかどうか…」
俺は夜桜を構えなおす。
『作戦は決まったんかいな。そろそろ行かしてもらうで』
扇状に広がっていた九尾が空から降り注ぐ。一本一本が大樹の様に太く、その先端は容赦なく尖っており、身体に当たれば大穴どころか四散するだろう。
立ち止まって受け流せるような攻撃ではない。俺は狙いを定められないようルイの真下に潜り込もうとするが、簡単に出来るはずも無かった。
ドドドドドド!
尾が落ちてくるたびに地面に穴が開いてゆく。
動き回る俺を串刺しにしようと、間断なく振るわれる尾をかわし、動きの先に落ちて来る攻撃を何とかいなし続けた。
そして動きの最中、ルイの攻撃にある一定の法則を発見する。数本の尾が行く先を塞ぐように振り下ろされた後、進路を変えた俺に向かって真っすぐに降ってくる攻撃がある。
俺はあえて行く手を塞がれて次の行動を迷っているかのように見せかけ、狙った場所に攻撃を誘った。
「(かかった!)はあっ!」
シュオン!
『いだっ!』
真上から降ってきた尾を身体をギュンと捻ってかわし、捻りの力に逆らわずに回転。勢いを利用し、そのまま尾の先端を斬り離した。
先を失った尾はルイの下へ戻り、白いもやを上げている。
『だからなんやのその剣! こないだの斧野郎の三日月斧も邪魔くさかったけど、どんだけ切れんねん!』
動揺から怒涛の攻撃を止ませるルイ。俺は肩で息をしながら夜桜の切先を向け、なけなしの威勢を振りかざす。
「はあっ、はあっ…両断してやるから、降りてこい」
『ほんまいっちょ前なセリフ吐くだけあんで、あんさん。武器頼みってワケでもないし、たかが人間のクセに信じられんわ』
褒められたところで、俺に言葉を返す余裕などもうない。油断すれば戦闘不能のダメージは免れない一撃をもらう事になる。
だが、俺の必死の動きを嘲笑うかのようにルイは攻撃のパターンを変え、さらに九本の尾に雷を纏わせた。
突き一辺倒だった攻撃に、横薙ぎと九本の尾を同時に振り下ろす範囲攻撃が加わり、打開策を見つけられないまま窮地に追い込まれる。
バチン!
「ぐっ!」
横薙ぎをギリギリで後方転回してかわすが、通り過ぎた尾の残雷が手足を駆け巡る。そして動きの鈍った隙を突き、背後からの薙ぎ払いが俺を襲った。
ドゴッ! バチチチチチ!
「ぐあぁぁぁぁっ!」
尾の質量に俺の身体が耐えきれるはずも無く、衝撃と電撃と共に、崩壊した王城の瓦礫に叩きつけられた。
たったの一撃で指一本動かせなくなる。魔力を通さないエルナト鉱糸の外套を着ていなければ、最高の硬度を誇るアヴィオール鉱糸の服を着ていなければ、俺は今頃肉片と化していただろう。
(いかん、死ぬっ! 息が出来ん!)
瓦礫に埋もれた顔面を起こす事も出来ない上、衝撃で肺が収縮してしまったのか、上手く呼吸が出来ない。
『コココココ…やっぱり人間は人間やのぉ。たったの一撃で。脆い脆い』
ビシャン! バリバリバリ!
薄れゆく意識の中、激しい雷鳴が耳に届く。
ルイは止めを刺すべく尾を束ね、巨大な雷玉を作り出した。
『あんさんはようやったよ。ほな、さいなら―――』
ドッ!
再度周囲が雷光に照らされ、まばゆい光を放ちながら全てを灰と化す雷玉が迫る。
だが、このジンの窮地を救ったのは、他でもないマーナだった。
パリィン!
雷玉とジンの間に張られた、見えない壁が割れる音と共に雷玉もまた霧散する。
『これは……』
ルイは雷玉を防いだ力に動揺らしい動揺の素振りも見せず、ジンのそばにパタパタと降り立った小さな翼狼を見つめた。
《 ジン、今助けるからね! 》
マーナは埋まったままのジンの身体を外套の裾を咥えて引きずり出し、瓦礫にもたれさせる。そして気付かぬジンの頬をなめるが、ジンは微動だにしなかった。
《 あわわわ…ジンが死んじゃうよ! どうしようどうしよう! 》
慌てふためくマーナは何とかジンを目覚めさせようと、前脚で顔を叩いたり脚に噛みついたりするが、それでも反応は無い。最後の手段だと、胸に向かって飛び込んだ。
《 おーきーてーよ! ジンっ! 》
ドムッ!
「ぐはぁっ! がふっ! がはっ!」
気道を塞いでいた血を辺り一面に吐き出し、呼吸を取り戻したジン。薄く開いたまぶたをのぞき込むマーナは、ジンの吐いた血で赤く染まった。
「ひゅーっ、ひゅーっ…マ、マーナ…なんでそんなに、血まみれ…なん…だ?」
《 ジンの血だよ! まったく、心配させないでよね! 》
見ると、俺は胸元から足にかけて真っ赤に染まっており、どうやらマーナが俺の吐血を浴びたのは間違いなさそうだ。いつの間にか瓦礫から出ているのも、マーナが引きずり出してくれたんだろう。
だが、相変わらず指一本動かない。ルイが沈黙している所を見ると、先程感じた強大な攻撃を万物の選別で防がれ、警戒していると言ったところか。
なんにせよ、まだ生きているようだ。それもこれもマーナのお陰だ。ついでにと、懐に忍ばせておいた風人の秘薬を取り出して口にねじ込んでくれと頼む。収納魔法を展開できなくなる可能性を想定しておいてよかった。
『はーい』と返事をしながらマーナに乱暴に懐をまさぐられる間、激痛でまたも死がよぎったが何とか口にすることができた。
どういう効果なのか、風人の秘薬を口にした瞬間に強力な睡魔に襲われる。俺は抵抗する事もできず、そのまま意識を手放した。
◇
《 ……おたくの出る幕でっか? 》
ルイは攻撃する事も怒りをまき散らす事も無く、ジンを守り、救ったマーナを見つめる。
《 んー、いちおう悩んだよ? 君は必要なんだ。気持ち悪くなっちゃったけどね。ジンが勝てば話は早かったんだけど 》
《 必要ねぇ…しゃーないやん。もう混ざってもーたんや。後には引けんし、ウチをこんなんにしたんは人間や。そこなジンはんも、人間も、みんな還す 》
《 だめだよ。させない。わたしジン好きだもん 》
《 コココココ…おたく戦えんタイプの聖獣でっしゃろ? そもそも今のウチ、おたくらとおんなじ力なん知らんのか? 》
マーナは毛を逆立て、尻尾をいきり立たせる。
『がるるるる! 《 カンケーねぇ! 》』
『なんじゃそら、もうええわ…。おまんの力ぶち破ったる! 覚悟せぃ、聖獣っ! 』
ルイも九本の尾を逆立て、ジンを襲った時とは比べ物にならない雷電を纏わせた。