第140話 霧魔法
相良甚之助。
齢十七を前に二度目の死に際に立たされている。一度目はトリカブトを誤って口にした際に中毒死しかけた。二度目は戦地で功を逸り、名のある古い剣術家に挑んだ際だ。
譜代衆、家老の長子として、武門に身を置く者ならどうしても欲しい大きな戦首。
所詮は老齢に差し掛かり、噂に尾ひれがついただけのものだろうと侮ったツケは、殊更に大きかったのを覚えている。激しく打ち合う中、互いの剣は折れて使い物にならなくなり、組伏さんと飛び掛かったが、相手は落ちていた折れた槍を持ち散々に俺を叩きのめしたのだ。
相手は剣術だけでなく、棒術も備えていたという事だ。
油断、侮り、慢心。
うつ伏した俺は、同じく落ちていた折れた刀で何とか相手の脛を打ち、そのひるんだ隙を見て味方が剣術家の首をはねてしまったという何とも情けない出来事である。
結局、負わされた怪我のお陰で戦功は上げられないまま戦線離脱し、しばらく猪武者だと嘲笑されたのだ。
◇
三体の魔人を前にして、前世の記憶が一瞬で頭に流れる。
「嫌な事を思い出させてくれる…」
だが、これは記憶であり予言ではない。考えようによっては、自らへの警告とも取れるだろう。
夜桜の鯉口を切り、再度敵戦力の分析を行う。
斧術士に魔法師…魔法術師もしくは陣魔法師、いや、ここはより厄介な魔導師だと思っておくべきだろう。そしてあと一人は弓だけを携えている。やはり先程の魔法は無属性魔法を矢の形にして放ったものに間違いはないようだ。戦い方としては弓術士になると予想する。
そして落ちている大盾。どうやらアッガスさん達が倒したのは盾術士だったようで、敵の布陣を見る限り、魔導師を守るのは斧術士の役目に変わりそうだ。
何にせよ、まず倒すべきは魔導師の魔人。開いた記憶のお陰で、緩んだ口元はしっかり結んである。
接戦なんて演じてやらん。
「―――獅子の心」
ィィィン―――
大地魔法を掛け、夜桜を抜くと同時に強化を全開。星刻石の魔力核が薄赤の魔力光を放った。
「参るっ!」
ドンッ!
地を蹴り、一直線にソルムへ斬り掛かったジンの動きを予想していたのはゴドルフだけではない。アッガスもウォーレスも含め、ジンはまず魔導師を倒すべく動く事は、その場の全員が予想の範疇だっただろう。
「―――地の隆起!」
だが、初撃を止めるべくジンとソルムの射線に素早く入り込もうとしたゴドルフの目の前に、突如土壁が現れる。
夜桜を通して発動される魔法の威力は数倍に跳ね上がる。これまで自分の実力が測りにくくなると避けてきた手段だが、今はそうも言ってられない。遠慮なく相棒の力を借りる事にする。
ガコン!
「なにっ!?」
ゴドルフは進路をふさぐ土壁を一撃で払うべく三日月斧を振り抜くが、思わぬ硬度に刃は土壁に食い込み、一撃で破壊する事は敵わず。ソルムへの援護が遅れたゴドルフは、相対する冒険者がこれほどの魔法を扱うとは到底想像だにしなかった。
これで魔導師を守る者はわずかの間いない。俺の急襲を受けつつある魔導師は表情を変えることなく後ろに飛びのき、両手から小さな魔力を放出。瞬間、俺の目の前と左右に魔法陣が発動した。
「陣魔法か!」
「―――大火球陣魔法」
三方向の魔法陣から大火球が放たれる。やはり相手は魔導師だったようだ。いつの間に魔法陣の構築を終わらせたのか定かでは無いが、上位魔法を三発も放てる魔力を瞬時に魔法陣に込めるなど、並の魔法師には到底不可能。魔人になる事で得た力だったとしても、元より優れた魔法師だったのは間違いない。
迫りくる大火球を前にして足下に風を集中。地を蹴り飛び上がると同時に渦巻く風は軽々と俺を上空へ加速させ、火球の衝突範囲から即座に離脱させた。
上空に回避した後、予定調和の如く見えざる矢が無数に放たれるがこれも想定内。風渡りを使用し、未だ爆発の衝撃が止まない地上へ急降下。火球など直撃を避ければ恐るるに足らない。炎熱の残る空間へ戻ると同時に耐性魔法の明滅を見るが、同じく炎熱をものともせず斧術士が三日月斧を構え、突進して来た。
ギャゴッ!
振り下ろされた一撃を受け流さず、あえて受け止めると地面が足の形に窪むが、身体にダメージは無し。
「その武器と違って、黒王竜の一撃には及びませんね」
「ふっ、お前の剣はどうなんだ?」
刹那睨み合い、互いに一歩後ろへ。同時に横から見えざる矢が頭めがけて飛んでくるが、これを首を後ろに振って回避。首を戻す反動を加えて、右袈裟に夜桜を振り下ろす。斧術士は俺が首を振ったタイミングでその場で一回転、そのまま回転の勢いを利用し、俺の一閃を迎え撃った。
ガチュンッ!
互いの自慢の得物が生み出す金属ならぬ合奏は、かくも鈍い音である。
「ぬっ!?」
夜桜の刃先が三日月斧の刃に食い込み、さしもの斧術士の魔人も驚いた様子で飛びのいた。
俺は最初に三日月斧を見た瞬間に、鈍く黒光るそれは黒王竜の素材だと勘付いていた。
そして今、目の前で見て確信した。斧にさほど使い込まれた様子は無く、最近作られたものだと。まさか帝都で自分が売りに出した素材が相対する敵の手に渡るとは…因果なものだと、溜息をつかざるを得ない。
だが二度打ち合って気付いたことがある。それは相手の三日月斧の風を切る音が大きい事だ。武器自体の厚さも影響しているだろうが、そこではない。
恐らく、同じ黒王竜の鱗で作られているが逆毛で作られている。刃に向かって毛が生えているので、斧を振った際に毛が風を受けてしまっているのだ。一見滑らかに仕上げられてはいるが、製作者は鱗の毛の向きを把握していなかったか、最悪竜の鱗が密集した毛であることすら知らないかもしれない。グリンデルさん、カルマンさん、ドヴァシさんらドッキアの三名工には到底及ばない職人である事がこれだけで伺える。
飛びのいた一方のゴドルフも、感じるものはほぼ同じ。
武器の優位性どころか、敵の剣は黒王竜の素材以外の強力なものが使われている事は、赤く散りばめられた魔力核で容易に想像できた。いくら魔力核で強化魔法を強化しているとは言え、本来、魔力核それ自体の脆さを補える程のものでは無い。
(まさか三日月斧が打ち負けるとはな)
金属製の武器ならば、刃先に刃が食い込んだ時点でそこからヒビが広がり、程なく武器としては使い物にならなくなる。ゴドルフの三日月斧にその弱点は無いものの、ジンの持つ剣に更なる警戒を抱いた。
武器で劣る事はないと改めて確信した俺は、斧術士が飛びのいたのと同時に放たれた見えざる矢を躱し、未だ魔力の残る三つの魔法陣から大火球の発動を背中越しに感じ取る。
これに対し、夜桜を地に突き刺し再度地魔法を発動。土壁と大火球の衝突により舞い上がった砂塵を魔力反応を頼りに突き抜け、邂逅した魔導師を真向斬り下ろした。
シュアッ
斬った。音も無く。
視覚情報では、両断された魔導師は表情も声も無く、静かに消えていこうとしている。
「―――幻霧魔法」
だが、二つに分かれた魔導師は魔法を発動。消失と共に霧が爆発的に発生し、瞬く間に濃霧が辺り一帯を包み込んだ。
「最期の言葉が魔法とは…その心意気や」
失われた視界。俺は焦ることなく遠視魔法を発動し、敵に称賛を送りかけたその時、死んだはずの魔導師の声が濃霧に紛れて耳に届いた。
「―――幻像陣魔法」
「っ!? 馬鹿なっ!」
「まさかこれをたった一人、しかも人間を相手に使う事になるとは思いませんでしたよ」
「これでいい。こいつは強い」
「女王はあっさり終わっちゃったし、こいつで鬱憤晴らしたい!」
無機質な声が再度響き、濃霧から斧術士と弓術士の声も聞こえてくる。続いて魔導師は敬意を表すかのように、濃霧の中名乗った。
「我々は静寂の狩人。リーダーのソルム」
「ゴドルフだ。見事な剣だな小僧」
「僕はエンリケ! ドルムさんをやった冒険者達は絶対許さない!」
魔導師が生きていた事、名乗ってきた事も驚いたが、今俺が最も驚いているのが濃霧の中、魔導師の魔力反応が五つある事だ。しかも霧自体が魔力で作り出された物なので探知の邪魔をし、魔力の発生源であるソルムの反応もおぼろげな状態なのだ。この中で魔力反応を頼りに戦うのはかなりの危険が伴う。
耐性魔法が反応を示していない事から、毒の類では無い事は分かる。霧ならば風で飛ばせるかもと試みるが、揺らぎもしなかった。間違いなく、外的要因で霧散しないイメージで霧を構築している。
「参ったな…たった今ソルムさんの魔力反応が五つから六つになりました。このような魔法は初めて見ます。霧から出ようとすればどうなるのです?」
聞きながら夜桜を鞘に納め、再度鯉口を切る。
―――共感覚陣魔法
「たった今、その手段は絶たれました」
俺の質問に魔法で返したソルムの魔力反応は三つに減っている。斧術士のゴドルフと弓術士のエンリケの魔力反応も感じなくなっており、恐らくソルムの作り出した霧に包まれた状態では、感じる魔力は上書きされてしまうのだろう。
もはや、遠視魔法も意味をなさなくなった。
「ふーっ。こういう展開が嫌だったので最初から飛ばしたんですが…やはり貴方には早々に退場して頂きたかった」
「それは残念でしたね」
ソルムの言葉の終わりと共に、再度魔人の圧力が発せられた。
腰を落とし、夜桜の柄に手を添える。
視覚と魔力反応を奪われた今、敵に達する手段は一つだ。
「私はジン・リカルド。あなた方を討伐します」
―――迅雷
ピシッ パチッ
雷を内包したジンの身体が淡く白光り、髪が揺れ立つ。