邪神ロキの日常
邪神ロキの日常
海に向かってなだらかに下る丘の草原には、薄紅色のコスモスにも似た山野草が広がり、朝の陽ざしの中うねる様に風にたなびいている。
それらの、背の高い花々に埋もれる様にしゃがんで何かを懸命に探していた少女が、おもむろに立ち上がる。
少し離れた所で、草花を摘んだ手籠を持ち農婦が被るような日よけ帽をかぶった女に声をかけた。
「ロキ様! 見つけました。ノコギリソウです。イッパイ生えています。」
嬉しそうに満面の笑みで声を上げる。
帽子の女に褒めて貰えることが、まるで嬉しくて待ちどおしい子犬のように。
「おお! 見つけたか。でかしたぞ。リーゼロッテ! その薬草は、傷薬に使える。ポーションに煎じては、鎮痛、解熱、毒消しと万能な薬草なのだよ。」
リーゼロッテの手に、ギザギザの長い葉をつけた紫の花の薬草が揺れている。
今のリーゼロッテにとって、ロキの役に立てることがこの上なくうれしいのだ。
優しさが溢れる様な美しい笑顔、全知を知り尽くしたかのような、それでいて自愛の眼差し、その眼差しを投げかけられるだけでリーゼロッテは、すべてをこの主に捧げられると思った。
何時の日か遥か遠い昔、神々の一柱として存在していた事もあったロキ。
天上の神と同じ姿を持つ地上に住まう人間たちを愛し、神々の権限に置いて、その力を余すことなく使い、地上の人々に様々な恩恵を与えていた。
あまりにも人間のみを愛しすぎた余り、人々の作る作物は、豊穣を約束され、狩においてはその弓は、神の力を得たかのように容易く獲物を仕留めてしまう。
ロキに与えられた神の加護により容易く、田畑は広がり、作物は食べきれぬほどの豊穣を実らせる。それにも関わらず贅沢を求め、たくさんの動物たちを狩り、その数を減らしていった。
人々は、その豊かさで生まれた時間を自堕落に過ごし、その生きる力を自分自身の力、自分達だけが特別な能力を秘めているのだと勘違いしてしまう。
人間だけが繁栄を広げ、森林も他の生き物も小さく息を潜める。人間には慢心が生まれ、其れがその時の世界を覆いつくしていた。
人のみが繁栄を謳歌し、その慢心によって食いつぶされるかの様に疲弊していく地上を、他の神々は許してはおけなかった。
此のままロキに任せては、様々な生き物が溢れ、多種多様性に満ち溢れていた地上が、人のみに溢れバランスが保てなくなってしまう。神々の創った地上をまるでアメーバにでも侵食されるように人間に覆いつくされてしまう。そして最後には、侵食するモノのなくなった地上で、一時の謳歌を誇った人々でさえ生きる事など叶いはしない。
神々は、ロキの力を奪った。
ロキの加護を受けていた人々もその力を失う。
作物は、人の手で自ら耕し知恵をふり絞り、水を与え肥料を作り出し、手厚い手間をかけないと実りを結ぶこともない。
人の手で引かれた弓の矢は、風を受け地上の力に遮られ獲物にも容易には、当たる事もない。
自らの腕力を振りしぼり、技術を携えるものだけが、其の獲物の肉の一片をようやく口にする事となった。
人間を愛するあまり、甘やかし、自堕落に落とし、ひいてはすべての生き物を滅亡へと導いてしまいそうになったロキは、邪神の汚名を浴びて地上へと追放されてしまった。
その時、ロキと愛馬を乗せて地上へと落ちた流れ星から、天界の物質が溢れ出る。
人々から魔素と呼ばれる光の粉が地表へと共に降り注いだ。
其れは、此の世界セラを覆いつくす。
動物、人の思念が物体に、自然現象に直接の影響を与え、魔法となり現象を作り出す元となる天界の魔素。
永く生きるほどに、呼吸と共にそれを取り込み魔物となる強い動物も現れる。
その子孫からは、生まれながらの魔物となる生き物たちも出来上がった
更に永い年月が生き物を変える。
人間たちによって、駆逐されかけていた生き物たちの反撃が始まる。
魔力を得て魔法を使うモノは、現代の物理現象を越え、様々な思いもよらぬ攻撃で人々を恐怖に落とす。
森は、復活を遂げその範囲を大きく広げ始めた。
大自然に点在する人々の住まう町や村は、魔物の脅威から集まり街をつくり、その周囲を高い塀で覆いその脅威から人々の生活を守っている。
そんな魔物に怯える人間たちの中にも魔核と呼ばれる魔石を体内に持ち魔素を蓄え、魔力に変換し。其の思念を魔法として使うことが出来る者達もいた。
地上は、ロキを追放した神々の思惑に沿うように時代と共に変わっていく。
自然の守り神の様な強い魔物、それに抗う力として知恵と力を得た人間たちとの間に神々の天秤とも取れるバランスが生まれる。
大規模な見方の中での一方的な蹂躙は消え失せ、自然との調和に保たれているかのように見える。
神々は其れを見守る為に一頭の龍を生み出した。
極端な魔物の繁栄が起きると、それは火を噴き辺り一面を焼き尽くす。
その昔ある一つの大陸で、巨大に変形したバッタの魔物が異常繁殖を起こす。大草原の草も大木の生い茂る大森林さえ食い尽くし、其れさえ無くなると生き物にさえ襲い掛かる。
動物も魔物達も人族さえ巨大で辺り一面を覆いつくすバッタの魔物の大軍に飲み込まれていた。
黒雲のように、此の世界一面を覆いつくすかのように見えたその群れの中心から炎が立ち昇る。
巨大な龍が現れたのだ。
辺り一面を焼き尽くすかの様にその口から炎を吐きちらす。
吐いた炎は、魔物達を瞬く間に覆いつくした。
その力は衰えることなく、すべての厄災を燃やし尽くすまで消える事はなかった。
ある時には、人の国が繁栄を得ようと周辺の亜人の国々に侵攻し、攻め滅ぼしてしまう。その勢いに乗じた大国は、大森林の森を焼き領土を広げ他の動物たちの生きる世界まで奪おうとした。
戦の勝利の美酒に酔い謳歌に染まるその国の王都の上空に其の龍は現れる。
今度は、人族の街を炎の海に沈めてしまった。
隼人達が、生きる今の時代から数百年も昔の話だ。
恐ろしい龍の伝説として伝えられて、それは人々の心に恐怖を刻み込みこんだ。
其れが今の異世界セラだ。
この地へと降臨し、この異世界に魔素をもたらし、魔法を生み出し、数々の天変地異の厄災やドラゴンを生み出す原因ともなった神の一柱だった女が、この島で人の身なりでのんびりと暮らしていた。
村人たちも、気さくにポーションを売ってくれる丘の上の魔女が此の世界の成り立ちに大きく影響を与えた神の一柱だったなど思いもしない。
此処の村人たちに見せる俗世に塗れた其のその姿からは、想像もつきはしない。
地上へと落ちたとはいえ元は神、その力を振るえば有象無象の人の力など比べるべきもない。
だが、ロキは愛すべき人間たちの中に埋もれ、自らもその人の姿を得ると、人々の生活に馴染み、一人の人間としての生き様を楽しんでいるかのようだ。
其れは圧倒的な力を持つゆえに、まるで人が身の回りに可愛いペットを置き侍らせ、可愛がるそれに似ている。
それでも元の神としての力を取り戻す事は、忘れてはいない。
人々が自分への信頼をよせ信奉の心を寄せる事で、昔神だったころの様な感覚、力を僅かながらに感じる。
人々の我が身へと寄せる思いが強く多いほどその力を取り戻せるように思えていた。
ゆっくりと人の世を楽しみながらも其れを模索するロキ。
だが神への昇華など、無限の生きる時間を過ごすロキにっとって、すこしも急ぐ必要などないと考える。
眼の前の子供達を愛で、人間たちの食を楽しむ、人の生き様を眺めては面白がっている。
この島を拠点に、好き勝手にあらゆる場所に現れては、短い人生を足掻く様に生きる人間を眺める事がロキの楽しみの一つでもあった。
ロキは、急いでリーゼロッテのそばへと駆け寄ってきた。
「おお! この群落だとかなりのポーションが作れるぞ。明日の朝には、浜の漁師どもに売りつけに行くとしよう。なにせ奴らときたら年柄年中に怪我ばかりしているし、大酒食らっては仕事をさぼるからな。いい魚が上がったならばせしめてこようぞ!」
神への復活を目論む高尚な意識など、微塵も見えない俗世にいきる元女神様だった。
褒められてリーゼロッテの顔もほころぶ。
「はい! ロキ様、其れは楽しみです。リーゼは、あのタコという魔物が好きになりました。北の領地では手に入らない珍しい珍味。コリコリとした触感に酸っぱい柑橘の汁がとても合うと思うのです。 レモリーナ婆に料理の腕を振るって作ってもらいましょう」
此方はこちらで、邪神の眷属となった今では食い意地に目覚めてしまっている。
「フム、あれは良いな。茹でた薄作りのタコに柑橘の酸っぱさがよく合う。北方の島国で手に入れたブランデーと呼ばれる酒精によく合いそうだ。フフフッ 酔いつぶれてみるのも一興。リーゼロッテにも飲ませてやる。楽しみにしておれ」
女神様、子供にブランデーを飲ませないでください。
プラディアで、隼人たちの前から姿を消したロキとリーゼロッテは、隣国アルタラスの海に浮かぶ島々サウス.フィールド諸島の最大の島ホルムランド島にいた。
邪神としての力をひた隠し、ポーション作りを生業とする魔女として、このひなびた漁村の村人たちの中に、溶け込むように一見質素な姿で暮らしている。
崇拝するロキが、港の酒臭い男達が言いそうなセリフで舌なめずりをするものだから、さすがに リーゼロッテから睨まれてしまった。
「うフォン! ……リーゼロッテよ。地に堕ち、力を落としたとはいえ我は神。此処の者どもなど、力で従わせようと思えば造作もないことなのだよ。
しかしだ、ただ言う事を聞かせ従わせるだけでは、神への信仰.思い崇める心からの思いなど得ることは出来ない。…分かるな…」
「人々の心からの崇める心、心の拠り所となり、信頼を得てこそ本来の神としての力を取り戻せる。特に此の南国の地に住まう者どもの信心を集めるのに力は無用じゃ。人々の苦労を分かち合い、その苦労から手助けし、人々の中に此の身を溶け込ませながら、其の心を懐柔するのが望ましい。」
「土地が変ればそこに住まう人々の性質.性格は違ってくる。他所の地では、また別のやり方もあろうが、此処での我は、土地の人々をケガや病気から守ってくれる魔女。只の便利なポーション作りの魔女」
「それでよいのだ。地の人々の中に溶け込み、肩肘張らずにこの世を楽しめばよいのだ」
危うく自堕落な女神が露呈して、リーゼロッテから横目で睨まれるところを、もっともらしいセリフを吐いてみるロキだった。
純真な少女は、その言葉を聞くとコクリと頷く。
「はい! ロキ様がたくさんの人々の信仰を集め、その輪の中心におられますように、此のリーゼもお手伝いいたします。ロキ様が昇華し、さらなる神となり、人々の争い、苦悩を少しでもなくす為に、心の平穏を人々に与えるロキ様を微力な私めがお助けいたします」
少女の口からほとばしる言葉は力強い。
眼の前のロキを信じるからこそに、純粋にその思いに迷いがない。
朝の陽ざしを受けて見上げるリーゼロッテの瞳には、清々しいまでの青い光が宿る。
ロキは、リーゼロッテの被る麦わら帽子を少しだけ後ろにずらすと、その艶のある亜麻色の髪をやさしく撫でつけた。
「……可愛い、私の子よ……」
海からの吹き上がってくる強い風が、草原の草花を揺らしていく。
その風を受けて髪をなびかせた二人が、一つの思いを抱き、遠く煌めく朝の海面を眺めている。
「さあ、港に船が帰ってくる頃間だ。 漁師どもから旨そうな魚をせしめてやろうぞ! 行くか」




