スイングバイ
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
利用する人間がいない、利用価値の少ない建物がどんどん解体されるのは、相続人がすべて死亡、国有財産扱いになったりしていて、所有権に問題がないものだけじゃない。
占有者がいなければ、たとえ所有者不明という状況でも解体は強制執行される。都市の安全確保のためということなので、所有者が名乗り出て、所有権が正当なものであると証明された場合、その土地は新しい所有権者のものとなる。ただし、解体工事は代執行扱いなんで、工事費用が所有者に請求される。
結果、損をかぶるだけということで所有権を放棄する人も少なくはなかったらしい。
どんどんと繁華街だったところも更地に代わり、がらんと明るく何もなくなっていく街並みを見るのは、やはりなんともものさびしい気分になるものだ。
個性や情緒、風情を代償に、便利や安全、快適さが維持されてるんだぞとか、いつだったかハセンが言ってた気がする。
あのときには過去しか見てない感じがおっさんくせえと思ってたけど、意外と真理なのかもしれない。
街並みとは真逆のレトロさ漂う建物は、活湖市立教育行政エリア図書館別館だ。
かつては自治体の別の組織もいっしょに入っていたとかいうが、今では空いていない建物を探す方が珍しいのだ、どっちもスペースが潤沢にあった方が、利用者同士の距離を取るのにも都合がいいということで、あっさり袖を分かったらしい。
だけど、がらがらだったのも今は昔。
自治体の合併再統合のせいで、書庫はいくつもの自治体から受け入れた結果、重複する郷土資料の墓場となっている。らしい。
一揃いは保存用、残りは閲覧用というのはまだ活用されているといえる。
だけど死蔵した残りの資料をデータ化するにしても、した後の資料を整理するのも処分するのにも予算がない、というわけだ。
地方自治体の人口減少に歯止めがかからない、どころか、パンデミック前から減少しまくってるせいで、歯止めが摩耗しきってしまったというのが、経済アナリストがよくしたり顔でいう地方財政の困窮理由だが、だったらどんどん子どもを生産すりゃあいいじゃないかと思うのは自分だけではないだろう。
「まあ、文書類はそうそう腐るもんじゃないと思うから、それでもいいんだろうけどね……」
どんだけ塩漬け資産が多いんだか。ここの市の将来がちょっと気になる、とはガクではなく、ソウの話だ。
ソウも地元志向というか、このあたりに将来生活拠点を置くことを考えているんだそうな。
「あ」
「なに?」
ガクの目線を追ってみて納得した。
人がいた。それも成人男性だ。
テレワークもフレックスタイムも当然、休日も土日祝日無関係になって何十年かたつ。
だが、それでも昼間は職に就いている人間にとって、仕事のための時間であり、職に就いている人間というのは、要介護者を除いてほぼ成人すべてを意味する。
こんな午前中の早い時間に大人と――それも、おれたち未成年者にとって、唯一に近い機会である、学校以外でだ――同じ空間にいること自体、実に珍しいことだ。
ちらちらと目が行くのもしかたがない。
「……ひょっとして」
「どうしたザッツ」
「あの人、彫像公園で会った人かも」
「って、」
ノマド?
口パクでソウが訊くとガクがこくんと頷いた。
思わずおれも凝視した。
思ったよりも若い、んだろうか。薄いウィンドブレーカー姿は腹が出ているわけでも、膝や背中が曲がっているわけでもない。皺や白髪は……隠せるものは年齢の推測材料にはならない。
「どう、しようか」
「って、お礼言いたいとか言ってたのはお前だろ」
ガクは人間恐怖症だ。今だっておれたちとは数mは離れている。それでもコミュニケーションにたいして難がないのは、フキダシマリスを常時起動してるゴーグルディスプレイのおかげと……あと単に慣れだ。
「そもそも、ほんとにあれがその人?」
「そう言われると自信ないなー……。彫像越しに50mは離れてたから」
「確かめるのに声をかける……無理か」
「ごめん」
これがまったくの無関係者だったりすると、精神状態と身体症状が直結しているガクは今日一日使い物になんなくなる。
「だったら、先に本題を片付けてから、確かめてみるか」
「……ってのも、ちょっと無理みたいだぞ」
「なんでだよ」
ひょいと口をはさんできたソウを見ると、ほい、とデータが飛んできた。
「って、これ!」
「ああ。羽立 澧に関する資料……つーか、『highest‘A’』関係の資料は館内貸出中だと」
おれもガクも閲覧ブースを凝視した。
結局、じゃんけんに負けたのはおれだった。
「あの、すいません」
「……俺?なにかな」
「ちょっとお伺いしたいんですけど、……おとついに彫像公園にいた方ですか?」
「ん、ああ。あの子の友達?彼は大丈夫だったかい?」
「あ、はいありがとうございました。それで」
「それで?」
柔らかい電子音がブース内に響き渡った。
利用許可人数以上の人間がブース内に一定時間存在したり、会話の声が周囲の静寂を乱す大きさであると判断されたりすると、光信号とともに警告を発する。
今は黄色だが。
「……談話スペースに移ろうか」
そう言うと、さっさと男性はパーテーションの外に出た。
「すいませんでした」
「いや、気にしなくていい。高校生だろう?」
ならば自分の年齢の何分の一かしか生きていない相手だ。何分の一かの自分と思えばあまり腹も立たないと男は笑った。
「君を馬鹿にしたわけじゃない。納得がいかないんなら、逆に自分をちょっと割り増ししたって考えてみたらどうだい?大人なんてたいしたことないだろ?」
「……ですね」
やんわりと受け流されてしまうのは見てきたもの、過ごしてきた時間の差というものだろう。
「俺は名乗らんが、君たちにも名乗れとは言わないよ。個人情報の不正規取得未遂とか言われたくないからね。ノマドに世間の目は冷たいんだ」
口の端で皮肉げに笑った男はそれで、と切り出した。
「俺に話しかけてきた理由は?」
「あー……、友人が助けてくれたお礼を言いたいと。直接言うのが、ちょっとできないんですが」
「ああ」
ソウが飛ばしたフキダシマリスのスクショカットを見たんだろう、男は苦笑した。
「どういたしまして、だ。それで?」
「それで?」
どういう意味だろう。
「それで、用はすんだはずなのに、まだ話したりなさそうじゃないか。他にも用があるんだろう?……羽立 澧のこと、とか」