再会
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
「うぉおおおおおぉおおおおおおおおぉおおおお……」
寒い。
橋に近づくだけで、海からの湿った冷たい風が真横からぶつかってくる。たもとから川の真上に出れば、その勢いはますます強まり、おれは大きく蛇行した。
「ぅおおっおおおおおおぉぉぉおおおおおおおお……」
寒い。
こらえきれずに声が出るくらいに寒い。
ペダルを踏み下ろす足にどんどん力がこもるくらいに寒い。
「うぃぃぁああああああうおおおおおおおおぉぉ……」
寒い。
それでも今日は、特別な日だから。
「ぅぉぉぉぉぉぉおオオオオオオオオオオヲッッ!」
おれは吠えながら通学チャリのブレーキを握った。
「よー、サク。また吠えてきたんか」
「うーす」
「おいっす」
「さみーんだもん、しょーがねーべ」
おれは最後の一人に頭を軽く下げた。
「お久しぶりです、アシさん」
「よう。リアルじゃ久しぶりだな。また背が伸びたんじゃないか」
「ですかね?自分じゃよくわかんないんですけど」
「ザッツが髪の毛伸びたのはわかりやすいけどな」
「そらそうだ」
アシさんが活湖を去った後、状況はいろいろ変わった。
女性居住エリアでは、更迭された小早志さんの後任が来てから、物事の動きが早くなったと高端さんが言っていた。
後任の鈴来さんはずいぶんとやり手らしい。おれらが活湖市に持ち込んだ、羽立澧のオブジェを復活設置するという計画は、いつの間にかなんだかずいぶんと大規模で、しかも収入の見込めるものに化けていたが、それも鈴来さんがかんだせいらしい。居住エリアを飛び越えるとは、ずいぶんと柔軟な人なんだろう。
それにつれて、おれらの探究学習も、かなり変則的なものに変わった。
冒頭部分がアシさんとも資料を集めた、羽立澧という素性不明の芸術家とその作品についてまとめた考察なのは変わらない。
だけどその後半、オブジェの復活設置に関する内容は大きく変えざるを得なかった。
設置許可のためにでっちあげ、自治体に持ち込んだ、羽立澧の隠し財産をちらつかせた活湖市のPRもだ。
いつの間にか県を通り越して、地方庁の管轄にまで持ち上げられた話は、『魂の彫刻家・羽立澧再生プロジェクト』とかいう、めちゃくちゃだっさい名前のついた大がかりなものになっていた。
おかげでおれらが何もしなくても、活湖を流れる万淀川流域へのオブジェ設置は許可と製造は進んだ。今ではほぼレプリカといってもいい出来のものが、設置されつつある。
「そういえば」
アシさんがおれらを振り返った。
「なんで他の場所には、オブジェの設置許可が下りなかったんだ?女性居住エリアとか、海岸沿いにもあっただろう?あと日知山とかのスポットも」
アシさんが上げたのは、たしかに羽立澧がオリジナルのオブジェを設置していた地点だ。
「オリジナルの設置位置が道路の拡張にかかっていたとかか?それとも資金不足か?あ、いやでも君ら、クラウドファンディングの方で、全部モルタルなら作れるくらいの額が集まったとか言ってなかったか」
「取引なんですよ。おれらは作らないっての」
「取引?」
「おれらはおれらの、この探究学習で調べた成果を売る。それを商業ベースに乗せる許可を自治体が学校から得たって形になってんですよ」
「ま、オレとしては、探究学習が高校生のビジネスチャレンジモデルとしても優秀だって評価になったってんで、そこはいいっす」
「おかげで、おれたちには、かなりいろんな大学から進学勧誘の話が来てるみたいなんで」
高端さんにもけっこうなオファーが行ってるらしい。スカウトの話が学校に来るのは、なにも運動部だけじゃないのだ。
「おれらに便宜を図ってくれるかわりに、あえて今期のプロジェクトでは、万淀川流域だけモルタル製のオブジェを置くんだそうです。ほんでもって、他のエリアにオブジェを置く権利を、自治体が推し地納税で返礼品にするんだとか」
「は?」
アシさんは口を開けた。
おれらも最初聞いた時は、めちゃくちゃ驚いた。いくら自治体が金欠だからってそこまでするかなと思ったくらいだ。
「おれら高校生が復元できたのは全部じゃなかった。だから君もプロジェクトに参加してみないか、復元できてない部分を自分たちの手で作り上げてみないか、どうせなら完全復刻で石彫りのオブジェを置いてみないか、的な煽りを入れたら、めちゃくちゃ今年度の納税額が伸びてるとか」
「そいつぁ……。なかなか活湖市も県も抜け目がない」
「ですよねー。おれらにも多少還元してくれればいいのに」
「それな」
「ちょっと同意したくなるな」
頷くアシさんから、ガクが目をそらしながら呟いた。
「女性居住エリア内への設置権が天井知らずのオークションにかけられるって言われても、驚きませんけど」
おれらは思わず頷いた。
柔軟すぎる鈴来さんは、プロジェクトで耳目を集めるため、イベントで女性居住エリアをダシにしたのだ。そこもまたかつて羽立澧作品が設置されていた場所であり、活湖全体の一体感を高めるなんちゃらという理屈をつけて。
数秒だけ公開された画像はプライバシー保護のため、生身の人間の姿をいっさい排除した無人空間のものだった。だけどわざと流したのかどうななのか、それが女性居住エリア内の情景だという情報が流された直後から、すさまじくアクセスが集中したという。
もちろん、女性居住エリア内に男性が立ち入ることは禁じられている。
けれども、いやだからこそ、足を踏み入れることのできない場所に踏み込み、隠されている物を暴きたがるのは人間の心理行動だったっけか。
個人的には、鈴来さんのそのやり口はあまり気に食わない。けれども、その手法が注目を集め、活湖に相当な経済効果をもたらし、おれらにもメリットのある情報を招き寄せたわけなので、あんまり文句は言えない。
「羽立澧の本体だった人の遺品が見つかったってのも、そういう流れだったみたいで」
「黒鳥豊氏のか」
羽立澧であったと――少なくとも、その中心人物であったと目される黒鳥という人の石材店はすでにない。人口再生産増進制度が確立する前の話だったから、彼の遺伝子や遺産を受け継ぐはずの、死後出生児も存在しない。
ならば、死者の財産は国庫に徴収されるのが当然だ。
当然のことながら石材店は更地にされた。
もちろんその前に、すべての資産価値のあるものが運び出され、売却されたらしいのだが。
「作品案が遺されてたって記述が文献の中にあったな、そういや。それか。実物模型みたいな感じで作ったものがあったとは知らなかったが」
「なんか、変則的な形の置物兼オカリナ扱いで売られてたらしいです。一応値打ち物じゃないかって鑑定生会議に出したら、裏にうっすらサインが入ってたってわかったとか」
「そりゃまた、よく持ち歩いててくれたもんだ」
基点から基点を転々とする、今のおれらの生活様式では、それほど多くの物を所有し続けることはできない。
けれども、手の中に収まるサイズのものなら、ずっと持ち歩くことはできる。
どれだけの愛着があったかはわからないが、その持ち主も驚いたことだろう。
その模型も3Dデータを撮らせてもらい、作品案の記述から正しい大きさに拡大複製するらしい。
が、今回の発表には間に合わないのが、ちょっと残念だ。
――雑談を交わしながらも、おれらのボルテージは静かに上がっていった。
おれらの探究学習の発表が、ある意味始まる。




