大人が汚いというならとことん汚れろ
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
「『感情を害されたことに対する』謝罪……?」
ぽそっとサクくんが呟いた声をマイクが拾った。
ぴくりとディスプレイの中でそれぞれ大人たちが反応した。
それはそうだろう。
明らかになっているのは、『現在の所、小早志さんがサクくんの誘拐に関与したという証拠は挙がっていない』ということだ。『有罪である証拠が見つかっていない』=『証拠がない』=『無罪である』ということにはならない。
むしろ完全ホワイトでなければ完全ブラックぐらいの判断すら示す官公庁だ。今の状況はかえって疑いを強めるだけだろう。
誘拐への関与は早とちりではあったかもしれないが、誤認ではないのかもしれない。
そんなふうに周囲の空気が変わったのを敏感に察してか、小早志さんの顔はますます薄い氷のようになった。
ちょっとしたはずみで取り繕っている社交的な表情が砕け、その下からどんな激情が噴き出してくるかわからない。
だが、それをあえて割りに行くのが俺のスタイルだ。
「ところで、小早志さんが彼らに興味を抱かれたのは、たしか女性居住エリアの高校の生徒さんがきっかけだったとか?」
「……ええ、そうですが」
ちょっとひねってダブルコークを入れれば、表情はかすかに揺れた。
「探究学習で、南天高校の彼ら同様、羽立澧を取り上げたとか」
「その通りですが、それが何か?」
「その生徒さんに彼ら三人の存在を教え、女性居住エリア外での資料収集に助力された」
「……何を、おっしゃりたいので?」
怒りを表に表したような表情に、俺はにっこりと笑いかけた。いやらしい中年男の笑みに見えれば万々歳だ。
「いやあ、コンタクトを行った際、なんともすごい恰好を披露してくれたようじゃないですか」
「部外者にそんなことまで」
「詳しい事は聞いてませんがね。……彼らからは」
「なんですって」
「翠原高校1年生の高端瑞月さんからは、高校間のファーストコンタクトの際、男性が想像以上に人間らしくて驚いたと聞いていますが?どういう教育をしてるんですか?同じ人間の、性別が異なる者への認識をそこまで歪める必要があるんですかね?」
「自己防衛意識を高めるために、必要なことですから」
「そのくせ身体を露出させ、男子高校生を誘惑させようと?そうそう、彼女からは小早志さんの指示でアプリを入れたという証言も得られたそうですよ?」
「誰が、そんな嘘を」
「さあ。男子高校生なんぞ、そんなもんで簡単に動かせると思うような方じゃないですかね?――つまり、女性居住エリアと男性居住エリアを分ける前の世界を知っている方が」
小早志さんは大きく肩で息をした。
「何を考えようが、それは個人の自由ですが。事実でなければ妄想と呼ぶしかないのでは?」
「それをあなたがおっしゃる。生き延びた世界に偏見を植えるのも大概にしておくべきではないですかね?――そう。江尻愛菜さんの処置を考えれば、とうにやり過ぎておられる」
大きく息を呑む音が重なった。
本当なら、ジェンダーというセンシティブな問題に触れる事は避けたかったが、しかたがない。
事前に本人に許可を得ておいたとはいえ、十分な対処が必要だろう。
サクくんから聞いたことだが、彼ら三人組は幼馴染みで、同じ女性居住エリア、小早志さんが今管轄している人口再生産庁の管轄地で育ったという。
そして、二歳か三歳ぐらいの時に、不法侵入者があったそうだ。
彼らインファントと呼ばれる幼児たちの集められた棟に女性を襲う目的で侵入してきたというのは、誰にとっても運がないことだったか。
「江尻愛菜さん――今は防犯上江尻学さんという名前を使用されているそうですが、ケアをしないまま男性居住エリアに放り出したそうではないですか」
「大げさですわね」
唾棄するという言葉がぴったりあいそうな勢いで、人口再生産庁官僚は吐き捨てた。
卵子や精子の採取は第四の国民の義務とされているが、免除される場合がある。
遺伝子疾患が確認されている場合。まあこれは優生学的問題として取り沙汰されるようになったが、人口再生産――別名人間工場の効率化には必要なことなのだろう。
そして、もう一つ重要なのが、性別違和による拒否だ。
身体嫌悪感が軽度であればいいのだが、重度である場合、身体的性別に基づく性的対応は、FTMやMTFといわれる心と身体の性別が不適合の人物には、激烈な精神的ダメージを与えることになる。
ガクくん――と、これまで通り言っておくが――彼の人物が暖房の効いた室内でも着膨れたままなのは、身体のラインを出さないためだ。
性別違和を抱えている人間は自身の身体を忌避する傾向がある。その結果、肌の露出を極端に避けたり、厚着をしたりするようになると聞いたことがある。
世界的にはより多様性を相互に容認する方向に向かっている。人間が減少しているのだから当然だ。それはジェンダーにも及ぶ。
だが、人口再生産従事者には、とりわけヘテロセクシュアルを尊び、それ以外の性的マイノリティを切り捨てるべきその他とくくってしまう傾向が今でも残っているという。人口再生産に寄与しない者は害悪というわけだ。
二項対立で切り分ければこの世はとてもわかりやすい。自分を絶対的正義の執行者と見なすなら、ヘイトを向けるべき悪を自分以外に求めればいいのだから。
むろん、そのバイアスの危険性を小早志さんもわかっていないわけではないのだろう。
だが、人口再生産に関わる者にとっては、生殖の効率化がすべてだ。与えられた部署での成績により部局省庁での昇進度合いは変化していく。
彼女にとって江尻くんは非効率な存在ということになる。
だから、侵入者に襲われ、人間恐怖症になった、女性としてのメンタルを持つ彼を、ケアもおろそかなまま、男性エリアに――廃棄した。
行動背景を考えてみれば、彼女も哀れといえるのだろうが。
「ノマドのくせに……」
無言でいたその口から、言葉が漏れた。
教師たちが顔を見合わせ、巡察部長が目を細めた。
いくら自治体レベルの行政機能なら黙らせることができるとはいえ、その差別発言はあんまり迂闊にすぎるだろうに。
そんなことを考えながら、俺はへらりと笑ってみせた。
「ああ。俺たち行旅人は定住者のような仕事はそうそう受けられないんですがね。じつは行旅人にしか受けられない仕事というのもあるんですよ」
「どうせろくな仕事じゃないんでしょう?」
「まあ、定職ではないですね。臨時雇用職員という扱いになりますから。ですが、意外とそういう人材は引く手あまたでしてね。全国どこからでも仕事は受注できますし、なにより肌身の体感が売り物になる」
即座に噛みついてきた様子に、俺は口の端を吊り上げた。
「そういうわけで、行旅人を雇用するのは中央省庁であることも多いんですよ。しかも、能力の範囲内ならば重複して複数対象から雇用されることもできるんでね」
「て、まさか……」
サクくんが呟き、ガクくんがぎょっとしたように顔を上げた。
「改めまして。人権意識調査庁の臨時職員、浅野亜由夢と申します」




