波は寄せては返す
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
子どもたちはわやわやとソウにひととおりまつわりついた後、勢いよく走っていった。
その後をサーヴィーがゆっくりと追いかけていく。
適度な距離をとっての集団行動ができるようになったら、サロゲートとの別れが待っている。かわりに一人一人につくのはサーヴィーだ。
多肢型の武骨なロボットを子どもたちのライフパートナーにすることにも、かなり賛否両論があった、というのは現代史のディベートでやった。
サーヴィー導入の肯定側に立ったガクが、当時のメディアから、サーヴィーについて歩く子どもたちの姿を『犬に散歩させられている人間のようだ』という表現を抽出してきて、子どもを守る忠犬のようにほほえましくみる目があったと主張したのだったか。
そしたら、ジャッジしてた綿鍋先生が誤謬と判定した。犬は高級品だろうにと不思議に思ったものだ。
ペットなどおれたち未成年者にはそうそう飼えない。例のパンデミック中に飼い主を亡くした動物たちもずいぶんと数を減らしたと聞く。野良になって生き延びたものも、雑種はかなり殺処分されたらしい。純血種より価値がないからだとか。
命の価値というものを大真面目に説くAIも大人も信じるのは無理だ。
どのみち、この世界に大人は少ない。
子ども園の先生は……あれはAIの疑似人格なんだろうな。
デバイス越しとはいえ、子ども全員、一人一人について、つきっきりで一般常識というか生活の基本を、しつけという形で身体知に仕立てることができるほど、世界には大人なんていない。
だからこそソウを含めておれたちの誰も、子どもたちのことなど心配はしない。
サーヴィーは水陸両用な上に瞬発力は高く構築されている。たとえ子どもたちが川に落ちるなんてバカをやらかしても確実に助けるだろう。
ま、ちょっと風邪はひくかもしれないが。
犯罪に巻き込まれるおそれなんてのも、まずない。
おれたちのいる教育エリアには、教師ぐらいしか大人がいないのが当然のことだ。直接接触で生じる種々の犯罪可能性を距離によって潰すためなんだとか。
そもそもどこにいても個人の位置情報は確実に把握されるようになっている。人間の安全確保が最優先となっている現状、この時代に犯罪ほど採算のとれないことなどないのだ。
ネットやSNSを介しての接触なんてものは、端末のGPSログと付き合わせれば、すぐに個人が特定される。
昔はよほど飼い主が神経質かペットが高価でなければ、個体認証用のマイクロチップなんて埋め込んでなかったらしい。
が、マイクロチップよりもさらに極小化の進んだフェムトチップを、身体のどこにいくつ埋め込まれてるか、なんて本人でも知らない情報を把握し、すべてのチップを破壊するのは困難だろう。
たとえそんなことができたとしても、監視カメラの画像を解析されたなら、そこで試合終了だ。
ただでさえ接触する可能性のある人間なんてほんの数人しかいないのだから、あっさりと容疑者は特定される。
だからこそ、聞こえるはずのない赤ん坊の泣き声、なんてものが軽くホラーになるわけで。
「なー、ソウ。アレ、どこで録ったんだ?」
「ここ」
ほい、とデータが送られてくる。川岸にほど近いところにある古いマンションだ。
「なんだってそんなとこに朝っぱらから……」
「だってよー、あんなもん聞こえりゃ不思議に思うじゃん?」
ガクに呆れた目で見られて、ソウはふてくされた顔になった。
気持ちはわからんでもないが、マジで道草するとか。子どもかよ。
ま、おれたちも18歳になってない以上は、一応子どもの括りに入るらしいが。
18歳というのはいろんな意味で境目にあたる。
一応そこまでは教育を受ける権利が労働の義務より優先されることになっている。昔風に言うと義務教育ということになるのだろう。年齢が定められているのは、平均年齢と教育コスト、あともろもろの社会的要因を鑑みても、それ以上教育を受けても学習レベルが上がらないのでは意味がないから、ということらしい。
ただ、教育を受ける間の収入がなにもないというのでは生活ができない、ということで、おれたちは仕事もしているわけだ。子どもの間は国に雇われている公務員ってことにもなるのだろう。
成人年齢に達した後の収入も職業もばらばらに別れるが、たいていは大学にも進む、といっても講義アーカイブスサービスを利用しながら働くことが一般的な生活スタイルのようだ。
教育関係の接続状態は優遇されている。おれたちのVR遠隔授業がほぼリアルタイムと同じ感覚で接続できるのはそのためだ。
だったら、どこの大学に進もうが話は同じ、おれたちの今いるような地方都市に住めばいいだろうにと思うが、どうもそうではないようだ。
首都圏はこの100年で最も人口密度が低下したとかいうが、それでも人口は集中し、一方こんな地方都市の人口密度は驚くほど低い。
だけどおれはそれも悪くないと思っている。地方は進学に不利だの何だのというが、どこでも全世界の大学の講義が一部とはいえ無償で受けられる時代に、教育の地域格差って問題は消滅しかけている。
だったら、このまま罹患危険率の低い環境に身を置いた方が長く生きられるんじゃないかとね。
「ふーん、あそこからねぇ……」
ガクは熱心に古いマンションを眺めた。
といっても、間近に寄ることはできない。ディスプレイデータにも黄と黒のテープが表示されていたが、騒音の方がはっきりと立ち入り禁止の理由を示している。
見上げれば、古いマンションにへばりつくように建っている、これまた古い雑居ビルをハツリが削り取るように壊している最中だった。
「まー、赤ん坊どころか人がいるとも思えねーな」
緑色の艶のあるタイルが壁ごと剥がされていくのに、おれは目を細めた。
耐震性がないとみなされた建築物は、所有権に問題がない限り速やかに、そして自動的に解体されていく。
占有権?
あるわけがない。占有というのは使おうとする主体――つまり人間がいなければ成立しないのだから。
「にしても、よく泣き声録れたよな」
「ハツリが動いてなかったからかな」
おれたちはもそもそとマンションを後にした。
建物が減り、空が広くなるぶん、街は見通しよく、そして川をわたる風は冷たくなっていく。
ふきっさらしの川岸で凍えるのを楽しむ趣味は、おれにはない。
死者が減ったからといって、ウィルスが死滅したわけじゃない。
パンデミックというやつは、波に似ている。退いては返し、繰り返し蔓延することがよくある。
カラオケや室内スポーツで増える若年層の不顕性感染者のせいでデイケアやデイサービスといった高齢者サービス系に飛び火することもあったとか。
パンデミック中期の映像を見たことがあるが、あれは瀕死の状態に陥った都市の姿だった。
無人の街に、赤のまま点滅し続ける信号。
ひび割れたアスファルトを勢いよく雑草や街路樹が割り砕き、その間をイノブタやタイニチザルといった野生化した交雑種が闊歩している。
おれたちのように少数とはいえ、人間がいるのといないのとでは、はっきりとその街の生命力というものが違うということを思い知らされた気分だった。