子どもと希望
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
「……あーくっそ、しんど……」
ソウの悪態に以下同文な気持ちだ。
「なんだ、たかかハーフタイムサッカーでばててんのか。体力ないなーおまえら」
体育教師の長谷川がなんか言ってるけど、そんなわけあるか。
「気持ちわりぃ……」
「酔った……」
「あー……VR酔いか。吐くなよ。落ち着いてから動け。そんじゃ終わる」
「……ぁーりたぁましったー……」
「挨拶ぐらいちゃんと言えよ」
苦笑しながらVR対応ドームをでていく長谷川を見て、おれたちはぐでっとのびた。
スクーリングは集団でないとできないことにしかしない。つまり体育が本日のメインイベント。
だけど授業用に試合時間を半分にしても、おれたち三人で試合ができるわけじゃない。
この時間だけ他校との合同、VRで視界を合成、低反発素材で作られたデコイにぶつかればラフプレイも体感できる。
だが、おれたちがのびてんのはVR酔いのせいじゃない。
ずっとぜーぜー言ってたガクが目を押さえながら寝返りをうった。
「おい、大丈夫かよ?」
「んー……あんまりだいじょばない。あんだけ密集するとか。異常だろ」
「デスヨネー」
ぐてっとソウが人工芝になついた。
10人以上の人間と行動することは滅多にありえない。
なのに、20人を超える人間と、仮想空間とはいえ、長時間同じフィールドに立つなど異常事態だ。
おれたちはVRではなく人に酔ったのだ。
「ハセンもなーんで毎度毎度VR酔いだと思うかねぇ」
「年の差ってやつなんじゃね?」
昔は、と言うがおれたちの知らない近現代では、学校は40人近い人間が一つの教室にぎゅう詰めで授業を受けるのが普通だったとか、一つの高校に1000人近い生徒が通っていたとかいう。
都市伝説だって言われた方が信じられる気がする。
教室の並びの空き教室は巨大な個人用ロッカーだ。
いや、ウォーキングクローゼットっていうやつか。
私物をいくらでも置けるが、清掃ロボットのために壁面をじゅんぐりに空けておくのと、設定を毎回しないといけないのがめんどくさい。やればほこりはなくなり汗の匂いも消える。清潔になるから感染症のリスクも減るってのはありがたいけどな。
ゴーグルディスプレイをかけ直すと、気分がようやく落ち着いた。
校内だから表示はしないが。
スクーリングの後はだいたいいつも図書室を利用したりしている。だけど、やっぱりあの泣き声が気になる。
それはガクたちも同じだったらしい。
特に待ち合わせもしていないのに、一斉に玄関を出た。
「あーくっそさーめーなぁ」
朝方ほどじゃないが、それでも風が冷たい上に強い。海が近いことをほんのり恨むのはこんな時だ。
「…ーちゃーーん」
風に飛ばされてきた甲高い声に振り向けば、わらわらと三四人の子どもたちが遠くから手を振りながら走ってくるのが見えた。目線がソウまっしぐらだ。
「なにこの子ら」
「あー」
ソウはぺちりぺちりとこどもたちの手をはたき落とすしぐさで相手をしてやりながら、一瞬ゴーグルディスプレイの下で目を泳がせた。
「今いっしょのとこに住んでる連中」
「ああ」
ガクが納得したように頷いた。
これまであったことのない人間がいるというだけでテンションが上がったのか、子どもたちはぴょんぴょんジャンプしながらソウの周りに集まった。
「ねーねーにーちゃん、この人たちにーちゃんの友達?」
「「にーちゃん?」」
なんつー呼ばせかたをしてるんだとガクともどもガン見したら、ソウは照れくさそうな顔をした。
「名字で呼べって教えたら、これだよ」
「あー」
「新居、がなまってにーちゃんか」
「やめろって言ってんだけどな」
「じゃあ。なんて呼ばせんの?」
しばらく考えてた子どもがクリティカルを叩き出しやがった。
「にー?」
「猫かよ!」
ぶは、と、ガクが吹き出したらしい。おれだって似たようなもんだ。
190cm近い身長で、顔のムダ毛が髭の剛毛になりかかってるソウに、こう、猫耳と尻尾がついてるとこをうっかり想像しちまったせいだ。
「し、死ぬほど似合わねぇぇぇ」
ゲラゲラ笑っているうちに、ソウにじゃれてる子どもたちは、はたき落としからハイタッチに変わっていた。
ソウはソウで、手をひょいと触れるわけもないような高さにまで上げてやる。……意外と子どもの相手がうめーな。
見ているところにガクも加わったのだが。
「あ、ザッツそいつそれ駄目」
ソウの制止は遅かった。
焦れたのか、子どもの一人がガクによじ登ったのだ。
悲鳴が街に反響した。
「おいタク。知らん人に上るな」
とうとう子どもを直接掴み、べりっと引き剥がしたソウが怖い顔を作ったが、本人ときたらしらっとしたふくれっ面だ。
「しらない人じゃないもん、にーちゃんのともだちだもん」
「それは屁理屈っての。知ってる人でも上るな。お前のやったことは悪いことだ。された人を嫌な気持ちにさせることだ」
いやなことをすれば嫌われる。自明のことだ。
珍しくソウが真剣な表情をした。……ちゃんとリーダーやってんじゃないか。
「謝れザッツに」
「いやザッツって名前じゃないから。いたいけであろうがなかろうが、物事の判断もつかない子どもに、嘘を刷り込むな嘘を」
投げやりにつっこんだガクは、ぷらんと掴まれている子どもに眼を合わせた。
「江尻学という。覚えたな?こういう時、なんて言えばいいかわかるか?」
「うん。マナちゃんごめんなさい」
「マナちゃんかよ!」
今度はソウが吹き出したが、子どもの方がきょとんとしていた。
かつて人口の急激な減少に伴い経済活動は落ち込んだ。らしい。
当然のことだ、消費も生産もできないのだから。
いや生産はロボットでできないわけじゃないけれども、価値の創造と消費という意味では人間にしかできないことが多すぎる。
一番簡単な景気回復政策はというと、出産と育児の支援策だった。らしい。
当初は産めよ増やせよとばかりにどんどん推奨された。減った人口を復元しなければもとの繁栄は取り戻せないという考えは、一面では間違ってはいない。
その一方でペット感覚で子どもを作り、出産の苦痛で恐怖を感じ育児に積極的になれなくなった女性が増加したり、おむつの中身や夜泣きに向き合えず虐待する傾向が急増したとかしないとか。
性別を問わず、子どもを作ったというだけでは親になれないということなんだろう。
……親、というものがおれにはいまいちよくわからない。この感想も今となっては存在自体が希少な年寄りに言わせれば、多分上滑りした薄っぺらいモノで、そんなことしか感じられないおれたちはかわいそうな孤児、ということになるんだろうな。
実際、言われたことがあった。あれは高齢者施設のリモート訪問だったか。
何がかわいそうなのかわからずにきょとんとしていると、年寄りはなおいっそう泣いた。自分がかわいそうなことがわからないことがかわいそうだと。
おれたちがかわいそうとか冗談だろうと思った気がする。幸不幸の物差しは自分で決めるものだろうに。
政策は育児のサポートから、育児の国家事業化へ変わった。
新生児の段階で集められた赤ん坊はかつて隔離された部屋を使って外界との接触を減らし、安全衛生的に育てられる。
病院症候群といわれるような問題が起きないようサロゲートが設置された。限りなく人間に近い外見をしたロボットが赤ん坊一人に一台つき、24時間見守る。見分けがつくようにちゃんと一体一体が違う顔をしている。
そのあたりはおれにもうっすらと覚えがある。
一人だけやけに汚いサロゲートがあると思ったらそれだけが本当の人間で、匂いがすることにびっくりしたものだ。
劣化してるのかとね。
いや、劣化なんて言葉は知らなかったから、古いとかこわれてる、と思ったのだったか。
サロゲートは5歳ぐらいまでつく。人間として基本的な道徳、身の回り、言語能力、知能、そういったものを育成した上で、これまでの歴史を説明する。
もうそのころにはサロゲートたちと人間の区別はついていたから、そういうものだと納得した。
血縁上の父親、母親については『見せられた』。
正直がっかりした記憶がある。
身なりもかまわず、汚い歯、髪、ぶよぶよした体型、少しでもなにか前進しようとする気概のない人間というのは、とことん醜悪になっていくんだろう。
……嫌悪感を抱かせることで、引き取り拒否をした親というものに対する執着を断ち切らせることで今後の人間関係のトラブルを事前に防止することまで織り込んでいるのなら、なかなか効果的だ。
おれも戸籍台帳データの基本設定は情報閉鎖にしてある。これで遺伝子の繋がりを追うことができるのは、おれ自身にしか基本的にはできない。するつもりもないが。
唯一卵子と精子の提供者たちに感謝するとするならば、妙な名前をつけないでくれたこと、だろうか。
名前は当人が気に入らないと思えば、何度でも付け直しができるそうだが手続きが面倒くさいらしい。遺伝子上の親からつけられなかった子については、名前辞典からランダムに選ばれているんじゃないか説があるそうだが、不思議と人格が崩壊しそうな名前の人間を見たことは、そういえばあまりないな。
ソウにまとわりついてる子どもたちも、サロゲートとの別れと、血縁上の両親の拒絶はとっくに済んでいるはずだ。