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【完結】highest‘A’  作者: 輪形月
第三章
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身体が健全でも精神がどうかはわからない

本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。

 コワーキングスペースの利用者は俺以外いない。

 教育エリア(文教地区)に近い行政エリアのコワーキングスペースなんてそうそうはやりはしないのだろう。

 俺はイヤホンを耳に突っ込んだ。無人なのだから音を出してもいい気はするが、どこで失点をつけられるかわからない。

 いい年してどこかでつけられているらしい、評価表という名の通信簿に書かれるような気がして、内申点稼ぎめいた行動をついつい取ってしまう自分はつくづく小心者だと思う。

 さらなる他者への配慮を求めますと書かれているかもしれないな。ノマドになるような人間にまで、思いやりなんてもんがあるなどと期待しないでほしいものだが。

 

 インストゥルメンタルを大きめの音量にする。ツインギターがオクターブでハモって絡み合い、螺旋階段をどこまでも駆け上がっていくイメージとヤコブの梯子が重なり合う。なぜかそれがディスプレイに映し出した羽立澧(はだちれい)の作品群によく合っていた。別段高さのある造形でもない上に、形も素材もちぐはぐだったのだが。


 ステンレス製らしい滑らかな銀色の曲線のもの、墓碑の残った墓石をランダムに組み合わせて乱暴に風穴を開けた板のようなもの、ブーツというよりゴム長靴を逆さにしたような、ずんぐりとした形のモルタル。


「highest‘A’って、なんだと思います?」

「直訳すれば『至高のA』だよなあ。自身の到達した高みを誇示する、という解釈もあるようだけど、俺は何か作者の手に入らないものを示しているような気がする」

「自分のものにならないもの。羨望や嫉妬の対象ってことですか」

「あるいは憧憬かもな」


 あのサクとかいう彼はなかなかおもしろい。資料をいくら読んだところで作者の姿なんて捉えられるわけがないとあっさり割り切って、作品からアプローチしようとしている。俺より背の高い連れ君とはいい対照だ。


 羽立澧という名前の人間はこの世には存在しなかった。それはわかっている。

 作品のばらばらな様子を見ると、ひょっとしたら複数の人間が創作、設置、管理などにかかわっていたグループ名が羽立澧なのかもしれない。

 存命中、もしくはその可能性のある人間については、プライバシー保護の観点から情報は隠匿される傾向にある。

 そのせいか、どうにもこの間調べたことではあまり詳しいことがわからなかった。

 せいぜいが、羽立澧本人、もしくはその中核メンバーとみられる人間の名前、そしてその略歴がわかったくらいだ。


 七年ほど前、パンデミックが終熄しないものと世界中に諦めムードが漂いだしていた頃。

 仏具石材店で倒れていたところを発見された男性の名前は黒鳥豊という。その死亡が確認された時期と、羽立澧のすべての創作活動が停止した時期がほぼ同じとみられることから、おそらくは彼が羽立澧だったのだろう、という推測で資料は書かれていた。

 

 若い頃から芸術家志望だった黒鳥豊は、スペイン風邪で夭折した画家、村山槐多に私淑していたという。

 だが悲しいことに黒鳥には画才が、そして家産がなかった。

 少なくとも、美術系の学校へ進むことは諦めざるをえないほどだったらしい。

 彼は家業の石材店を継ぎ、その一方で塑像を独習した。立体の造形は家業にも役だったのか、それとも画家としての夢を諦めさせざるをえなかったためか、かなり奔放に黒鳥は創作に励んだ、ようだ。

 推定しかできないのはこのころの習作が一点も残っていないためだ。

 粘土いじりの趣味を持つ平凡な自営業者だった黒鳥もまたパンデミックに襲われた。

 石材店もパンデミック不況のあおりで、ほとんど閉店休業状態が年単位で続いたというが、それはそうだろう。

 新しく墓を建立しようにも、墓を作られる側だけでなく、施主として墓を作る側の人間まで、一家仲良く墓の下ということはよくあった。

 その結果増えたのは永代供養合祀墓、と言えば聞こえが良いが、平たい話が無縁仏をまとめた供養塔だ。今じゃ合祀墓に入れるか、自然葬として供養スペースに細かくした骨を撒くのが今の主流だ。故人一人一人に一基ずつ墓を建てていたら、こんな地方都市などあっさり墓地に埋まる。

 

 その一方で黒鳥にはかなりの資産が相続された。

 その後、彼はどうも独学を始めたようだという。

 美術系なら遅まきながら夢に向かって歩み始めたのだと納得がいく。

 建築工学系ならまだわからなくもない。耐震構造、石の組成といった知識は本業に有益だろう。

 だが――資料の著者も困惑を露わにしていたが――、黒鳥が学び始めたのは流体力学と器楽だったという。

 最初に読んだ時は俺も唖然としたが、何をしようとしていたのはともかく、家業の関係で石粉を吸い込んでいた黒鳥が肺を痛めていたこと、学途半ばにして、黒鳥の名前がパンデミック関連死者の列に付け加えられる遠因となったことは間違いがない。ようだ。


 ディスプレイでサインが点滅した。

 俺はコワーキングスペースを出ることにした。この後は健康診断が待っている。

 ノマドは自治体を移動するごとに抗体チェックをするよう義務づけられている。定住者も定期的に行うのは当然だが、今回は健康診断がついている。


 施設が病院に似せた内装なのはどこも同じか。

 清潔感はあっても個性のない建物の中は、消毒液の匂いが漂っている。

 といっても、今ではどこへ行っても消毒液の匂いのしない場所などない。

 違いがあるとすればそれはきっと、アルコールの匂いか、それとも塩素系のツンとするものかの違いなんだろう。

 さすがに今では次亜塩素酸系の消毒液の希釈濃度を間違えたなんて事故もあまり聞かなくなったが、それは発生件数が減ったからなのか、それともニュースとしての価値が低減してきたから取り上げられないだけなのか。どっちなのだろう。

 マスクで人はのっぺらぼうになり、効果があるのかどうか目には見えないからやるしかない手洗いやうがいにせっせと精を出すが、社会は活動を止めることはない。

 経済水準の維持は重要だと数値でしか死を知らぬ人間は口を揃えるが、身近に感染者や死者が出た途端に慌てだす。

 かく言う俺も、うっかり遺体袋から漂う異臭を嗅いでしまった時には、身体が裏返りそうなほど吐いたものだ。

 対岸の火事が燃え移り、火達磨にならないと我がことと思えないのは人間の悪い癖なんだろう。


 受付を済ませたところで消化器用カメラカプセルを飲み、あとは流れ作業のように検査室を移動していく。

 精神衛生に関する項目とかいうやつはマークシート方式で、その結果を見ながら問診が行われる。画面越しとはいえ生身の医師を使うあたり、ここの行政はわかっているのだろう。

 

「ストレス耐性の値はそれほど高くないですね」

「そんなに低いんですか」

「ええ、定住している普通の人たちと変わりませんね」


 大学生かと見紛うような若い医者は練習したような笑顔で応えた。

 分かってないのは行政じゃなくてこいつ(医者)だったか。

 

 定住者が普通で、ノマドは異常と言いたいのかと一瞬腹の中に熱くなるものがあったが、俺は無言を通した。

 リモート問診である以上、直に胸ぐら掴んでぐらぐら揺さぶってやるわけにいかないってこともあるが、問題を起こせば失点がつくのはこっちだ。

 どのみち、この状況も録画されているんだろう。

 とっとと裁定されちまいやがれ。


 検査の合間に献血なども求められる。ノマドに限って言うならば、これも義務だ。

 善意の搾取は強制的だが、何度も採血針を刺す必要もない。効率的だ。常識の範囲内ならありだろう。

 俺はどうやらこのパンデミックを引き起こしているウィルスには強いらしい。

 病原体に感染してもきわめて軽く済む人間を「自然の隠し子」というそうな。遺伝子レベルで病原抵抗性がある存在というのは、少数ではあるがいるものらしい。それが生存に有利になるのは今のようなパンデミックでも起こらないとわからないことらしいが。

 今回は糞便すら、提供協力要請という名のやんわりとした強制により提出することになった。

 精子ドナーの義務は……五年ほど前に済ませてある。一度やれば十分なはずだが、人口減少曲線がえらい急カーブになってきているらしいから、あれもいつかは何年かに一度課せられる義務になるのかもしれない。

 自分の子どもなんてやつは想像もつかないが。

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