足下の影
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
アシ視点です。
滞在自治体から仕事を受けていない期間であっても、ノマドは結構忙しい。
そもそも行政からの仕事を受けること、仕事を受けられることは、ノマドにとって身元保証という意味合いの方が強い。それだけで生活しているノマドはいるのかどうか。
ノマドと言えば、デジタルノマドという生き方はビフォアの世代に生じたのだったか。もともとの意味は、リモートワークを続けながら旅を、特に全く知らない外国を旅し続ける人間のことだ。
自分が働きたい場所で、働きたい時間に働けるという、このライフスタイルに新しさと自由を感じてか、飛びついた人も多かったらしい。
けれども、日本国内ではあまり発達しなかったようだ。パンデミック前のことだから、あまりよくは知らないけれども。
国内企業は退嬰的な姿勢を示した。とりわけ、デジタルノマドの直接雇用には消極的だったという。
どんなに腕の良いフリーランスよりも、ほどほどの腕でいいから管理下に置きやすい方が好まれる。面倒事を避けたいからだ。
想定内で十全に動く歯車を求める以上、不定要素は――それがたとえ不定住というだけでも――嫌う。
組織とはそんなものなんだろう。
IT土方という言葉があったように、正社員という身分さえ与えてしまえば、安く使い潰せる人材が手軽に使えたこともあったのかもしれない。
社会保障制度の問題もあるだろうか。
仕事をするというと、企業に就職をするか自営業というロールモデルしかない社会保障制度下では、デジタルノマドたちに与えられたのは働けなくなった時のセーフティネットどころか、人を受け止められないほど弱いくせに雁字搦めになりそうな蜘蛛の巣だったという。国民皆保険精度が保険金未払者の急増により有名無実化し、医療保険が一時支払いの肩代わりとなり、最終的には全額を本人が負担しなければならなくなったのは、パンデミックの何年前の話だったか。
クラウドソーシングシステムを介して仕事を受発注するのにも、いくつかの壁があったという。
第一に、物価の高さだ。
もともと円高な日本国内では、生活費がかなりかかるのだ。たとえ同額の報酬を受けとったとしても、国内よりも他国で生活したほうが、かなり安く上がる。
つまりそれは、たとえ国内企業の依頼をうけるにしても、国外に出た方が生活の質を上げることができるということになる。
海外ノマドという言葉が生じるほど、日本国内にデジタルノマドが居着かず、優秀な人材が海外に流出していった理由の一つだろう。
第二に、報酬の低さだ。
移民難民の多い国で発達してきたデジタルノマドには、能力が低くても、未経験であっても最初の一歩を踏み出せるという敷居の低さがあった。
だがそれは誰でもできる仕事ということでもある。そういった仕事はどうしても単価が低い。量をこなせなければ生活ができない。できる限りの仕事を詰め込んで、スキルアップし、より単価の高い仕事を受けられるほどになるのは、やはり並大抵の努力ではかなわない。
だが――、それらもすべてはパンデミック前の話だ。
パンデミックの広まりにより、外国どころか国内ですら、他の自治体から移動してきただけで要注意人物扱いだ。相次ぐ検疫と隔離期間の長さに、もともと束縛を嫌う性質の強いデジタルノマドたちは業を煮やし……逆説的に定住を選んだ。
今なおデジタルノマドという呼称は使われているものの、実態はまるで違う。
ネットワークを通じ様々なコミュニティに参加、ビッグデータならぬスモールケースを積み重ねてオーダーメイドな仕事をこなす人間のことをさすようになった。
俺もそのうちの一人、ということになるだろうか。
コワーキングスペースの椅子はどこも座り心地が悪い。
ずっと同じ姿勢で固まらないために、伸びやストレッチをしたくなるようにしているという都市伝説は……どこで拾ったんだったっけか。
「あ゛~~~~~~」
ごきごきと首を回していると、思わず声が出た。我ながらおっさんくさい。
もう伝承者がいない地方特有の古典芸能の記録、なんてものと向き合っていたせいで、ずいぶんと気が滅入っているのだろう。
伝承者が高齢化し、消滅の危機を迎えるってことはよくあることだった。
周囲の、特に次の世代は継承に熱心じゃないからだ。誰もが他人事には関われるほどの余裕も時間もない。
価値を知れと地域史学習だとかで授業時間に詰め込まれるというのは俺にも覚えがある。
が、押しつけられたものに興味が湧くわけもなく。そのせいで授業が遅れてるからといろいろ無理を押し込んだ学習内容にひいこらしていた記憶だけがある。
どんなに高い価値があろうと、求めるものでない限り、不要と判断していたのだろう。
……動画を上げたあいつの行動が、その流れを変えたのだったか。
大人達はずいぶんと慌てた。
ずっと同じ土地に住んでいた自分の親が俄マニアみたいになったのには笑ったが、その時にはもう遅かった。
最後の伝承者が介護施設に入り、後に残ったのはおままごと程度に仕込まれた子どもたち。
パンデミックがさらに加速させた。
――仕事のせいで、どうにも気が滅入っているようだ。
昔のことを思い出せば落ち込むのはわかっている。
臨終を看取るのはバイタルチェッカー、陰圧室から出るときには完全にパッキングされて、そのまま棺に収められて密閉。斎場や霊柩車、棺によって何重に隠されても、だからいっそう死のかたちは見た者に拒絶をつきつけてくる。
そのまま荼毘というより、焼却処分された家族。
今のようにワーカーというものはなく、貨物自動車よりも大きな自動重機がゆっくりと車線を一つつぶして走っているのが、施設から施設へとシャッフルされながら垣間見た風景だった。
倒壊の危険性ありという建物を壊すための巡回は威圧的で、そのくせ安全確保のためだとかで、解体作業中はセンサの感知範囲内に人が入るとそれに反応して止まる。
施設周辺ではいかにバランスの悪い形で止めるかという遊びが流行ったこともある。
くだらない、おまけにはた迷惑な事だが残念なことに注意する大人というのはいなかった。大人自体がいなくなっていたから。
どうしようもないあの時代。子どもだけの夜。
男女別生になる前の、クラスメイトに彼女がいたあの時。
……こういうときには気分転換だ、気分転換。
俺はゴーグルディスプレイを切り替えた。




