嵐の果てに
本日も拙作をお読み頂きましてありがとうございます。
「うおおおおおぉおおおおおおおおぉおおおお……」
寒い。
橋のたもとから川の上に出るほどに、海からの湿った冷たい風が真横からぶつかってくる。
ディスプレイゴーグルの隙間から入り込み、容赦なく視界を霞ませては抜けていく。
「ぅおおおおおおおおぉぉぉおおおおおおおお……」
寒い。
こらえきれずに声が出るくらいに寒い。
ペダルを踏み下ろす足にどんどん力がこもるくらいに寒い。
「うぃぃぁああああああうおおおおおおおおぉ……」
寒い。
それでも今朝はまだましなほうだ。横殴りの吹雪を食いながら走ったり、真冬の凍り付いた橋の上で全力ダッシュをするほどおれも無謀じゃない。
「ぅぉぉぉぉぉぉおオオオオオオオオオオオッッ!」
八車線二歩道。
車も人もいない街を見下ろし、おれは吼えながら通学チャリで出せる最高速度で橋を降りていく。
「よー、サク」
「うーす」
「おいっす」
がらがらの自転車置き場でソウが声をかけてきた。ガクもいっしょだ。
「まーた絶叫爆走してきたんかよ」
「さみーんだから。しょうがねえだろ」
「理由があっても、あほっぽく見えるってのは変わんねぇってば」
「黙って叫べ」
「さらっと不可能なことを言うな。……てか、そっちは相変わらずの重装備だな……」
ぱんぱんに膨れた上下ウィンドブレーカーを見ると、ガクは目を据わらせた。
「暖冬なんて予報はウソだそもそも暖冬という言葉が間違いだ冬は寒いにきまりきってるだろうが暖かい冬なんて自家撞着も甚だしいだから着膨れるのは生存戦略上正しいことなんだ」
「……出たよ、ガクのいつもの呪文」
「サクが吠えんのと同じ同じ」
「ほっとけ」
バッグを担いで歩き出せば、ソウもガクも距離を開けてついてきた。
同じ生徒玄関に向かう。といっても、使うドアはバラバラだ。
頭上のライトがグリーンに変わったのを確かめて中に入る。まずは手をアルコール消毒して、学生証を食わせた採血機の中に突っ込む。鋭い痛み。
「毎度毎度この痛いのだけはなんとかなんねえのかなぁ……」
ぺっと吐き出された絆創膏を貼りながら呟くとソウが笑った。
「毎度毎度同じことで愚痴れるサクもすげえけどな」
「ソウみたく痛いのが好きなわけじゃねえもん」
「おれだって痛いのはイヤだっての」
ガクが学生証を引き抜きながらぼそりと言った。
「無痛採血機ってのもあるらしいよ」
「「まじでか」」
「けど高いんで、金のある自治体にしかまだ入ってないんだって」
「うわー」
「せちがらー。あ、そだ」
げんなりした表情をぱっと崩して、ソウは携帯を取り出した。
「なあなあザッツ。このへんで赤ん坊のいるとこってあったっけか」
「なんだそりゃ」
人のいない街に、赤ん坊がいるわけないだろに。
「いやなー、学校の近くまで来たときに聞こえたんだよ。泣き声が」
「え。やだなにそれこわい」
「おれもびっくりしてさあ、慌てて録ってみたんだけど」
ほら、これ。
そう再生された雑音の中に、たしかに赤ん坊の泣き声のようなものが聞こえた。
おわかりいただけただろうか、おかわりいただけるだろうか、と声を作ってベタなボケをかますソウに突っ込む気にもなれず、おれは乾いた舌を動かした。
「……まじか、これ」
「マジマジ。だからザッツなら、なんか知ってんじゃないかと思ったんだけどなー」
「オレだって知ってることしか知らねーよ」
ガクは学という名前だが、どこで仕入れてくるんだか、おれたちもよく知らないような雑学蘊蓄をよく垂れてくれる。
だからザツガク。
略しておれはガクと呼び、ソウはザッツと呼んでいる。
ザッツってかっこいいだろとソウはいうが正直微妙だ。人間の名前じゃ、もとい、日本人の名前じゃないだろうとおれは思う。言わないけど。
だが、そのガクも知らないってのはよほどのことなんじゃないんだろうか。
「なあガク。帰りにソウが来たルート、辿ってみねえ?」
「ほーお。登校したばっかりでもう帰った後の計画かあ?いいよな、お前らはよぉ」
突然上から降ってきたガラガラ声に見上げると、ニヤニヤしながら体育教師の長谷川が階段から見下ろしていた。
「おはようございます」
「……ぃーす……」
「おう。HR終わったらドーム集合な。着替えとけよ」
「りょーかいしますったー」
ソウが敬礼の真似をすると、ちゃんと答礼して長谷川は人気のない教務室の方へと歩いていった。
スクーリングの日は校門の非接触体温計で発熱がないか確認された上に血液検査が義務づけられている。
健康だと証明できなければ校内施設は利用できない。
そんなわけで、南天高校の本日登校者は5名。
うち1年は3名、つまりおれらだ。
ネットワーク環境が5Gにも手が届こうとしていた万和元年、世界はほぼ未曾有のパンデミックに襲われた。
それまで日本の中でも地震や噴火がちょくちょく起こり、例年通りの不穏さはあったが、元号が変わることへの根拠のない期待感とオリンピック開催への期待から経済的見通しも明るいとされていた。
それが一転、日経平均株価は一万五千円を割り込み、リーマンショックの底を抜く歴史的な大不況となった。
パンデミックを発生させたウィルスの感染力は強く、高齢者や持病のある人ほど致死率は天井知らずに跳ね上がった。
パンデミックの初期には、60代以上の人間と持病のある人が大量に亡くなったという。おそらくは免疫機能の衰えによるものだろうとされている。人間は身体機能的に見る限りでは平均余命は50前後なんだそうだが、それを考えると生体としては老衰期に入ったからこそ免疫機能も低下していたのかもしれない。
理由はともかく結果として、先進国、言い換えれば超高齢国といわれていた国々の、細長い釣り鐘型や長方形を通り越して、逆三角形になりかかっていた人口ピラミッドはそれぞれきっちり背の低い三角形へと変化し、出生率もわずかながらに上昇した。
成熟を通り越して老化しかかっていた超高齢社会の若返りと言えば聞こえは良い。要は多死によって少産社会が相対的に多産化したように見えただけではないかとも言われたが、社会保障が負担としてのしかかっていた若年層ががんばったということもあるようだ、というのが最近の学説だ。
たしかに、より低年齢層への保護が手厚くなったという理由で実際に出産率も増えてはいたらしい。
だが若年層の致死率もまたじわじわと上がり続けた。その原因の一つがサイトカインストーム、体内物質の嵐だという。
サイトカインは単純に言うと、感染症への防御反応として体内で産生される免疫物質の一つだが、過剰なレベルにまで増加すると、命に関わる症状を引き起こす。
自己免疫機能の過剰反応が死をもたらすサイトカインストームは、若くて健康な人間に起きやすいと言われるらしいが、それだけが若年層の死亡率が急上昇した原因ではないとする見方もある。
急激な経済活動の悪化に労働者不足が超長時間労働に拍車をかけ、過大なストレスと過労で免疫機能にダメージを喰らったところで、医療物資不足から劣悪になった衛生環境のせいでウィルスに感染する割合が増え、死亡者が増加したという説もあり、真実は不明のままだ。
いずれにせよ、高齢者の激減した社会で50代、40代、30代の人間がばたばたと倒れていったことは歴史的事実の一つだ。
20代から10代の感染者の死亡も珍しいことでなくなっていったという。最終的には世界規模で数億人の若者たちも死亡したのだったか。
問題は取り残された人間たちだった。
医療従事者の感染も拡大し、感染者の収容と治療にあたる病院は次々にパンク状態、医療システムは再構築と崩壊をくりかえした。
大都市圏ほど医療崩壊は急激にすすみ、じりじりと地方へ脱出する人間が増えていたが、何度目かの緊急事態宣言にあわせて法改正がすすめられ、日本で初のロックダウンが決定されとたん、閉鎖予定時間までに逃げだそうとする人々の群れがいくつもの交通事故を発生させ、炎上した首都高は閉鎖された。
じわじわとマンパワーが削られ続けて、とうとう機能不全状態に陥ったのは医療だけではない。司法だけでなく警察などの行政機能も麻痺と停滞の間をうごめいていた。
感染への恐怖から集団暴徒となることもできず、暴動すら起こせない人々は、それぞれ引きこもり自衛方法を模索した。
水道や電気といったライフラインは、「市民の生命線を断ち切ってはならない」という地方自治体の粘りによってなんとか機能し続けていたが、中には感染者が襲ってくるとでも思ったのか、ゾンビ系パニックホラー気分で自主的に武装し立てこもった人間も相当数出たらしい。
それも、臨時休業で閉鎖されたショッピングモール街でショーウィンドウを叩き割り、窃盗の現行犯で逮捕された人間はまだましなほうだとか。
郊外の一軒家への立てこもりを実況中継した上に、片っ端から通りすがりの通行人を殺害したことで、最終的には防護服を着た警官隊との盛大な撃ち合いにより射殺された、という人間が複数の国でいたというから、よほどに当時の世界は狂っていたのだろう。
自宅に立てこもる大多数に対し、施設に立てこもった人の中にはその環境を活用した人間もいた。
大学の研究室に大量の食料品とともに籠城した工学系の学生の一人は、モータ類センサ類をかたっぱしから掻き集め、ありあわせの材料で躯体を作成し、その運用状態の動画を『BSL4対応ロボ作ってみた』というタイトルでネットに上げた。
自分の代わりに外出するロボを通じ、感染の危険を冒さずに買い出しをしたいという、ただそれだけの目的で。
当時すでに大企業が作成したロボットはすでに実用化され、それぞれ洗練されたフォルムを誇っていた。だがそれらの大半が固定式であり、移動可能なロボットの多くは施設案内用ロボットや清掃用ロボットだった。
人間大の大きさであり、平面床しか移動も清掃もできず、設置場所が限定されていた商用ロボットに対し、多肢型躯体のそのロボットは、階段の昇降も可能な上、大きさも大型犬サイズとコンパクトな上、買い出し用なだけあって重みのある、かさばる荷物も背面に収納ができるようになっていた。塩ビ管で組み上げられた骨格が不格好に見えるのはご愛敬だろう。
発表されるやいなや、凄まじい反響が起きた。だが発想者は欲がなかったのか、それとも自分の症状から死を悟ったのか、オープンソース的手法をとると声明し、すべての素材と作成過程の動画も公開した。彼のチャンネルが更新されることは二度となかったが、今でもそのデータのすべてはテクニカルレガシーアーカイブツリーの基部に敬意を持って収められている。
結果としてロボットは世界のあちこちで作られた。
人間体型ではなかったため、人間では入り込めないような狭いところにも入り込むことができるその躯体は、もはや動ける人間がほとんどいなくなり、人海戦術がとれなくなっていた消毒作業を大きく変えた。
搭載した消毒液ボンベの中身を三次元に360度散布するよう設定すれば、ボンベが空になるまで倦まず弛まず単純作業をし続けるロボットの姿はひとつの光だったのだろう。
競うように、次々に改良が加えられた。
電池で動く低出力のラジコンに近い構造であったものに、軽量太陽光パネルとバッテリーが加わることで運用時間を延ばした。
アームを接続することで、細かな作業を行うことができるようになった。
モーターは高出力のものにバランスよく変えられ、より重い負荷にも耐えられるようになった。
そして何より、人間の操作を学習し、データを蓄積することでロボットの自律活動の効率が大幅に上昇した。
政府は非常事態宣言国民健康特例措置法に、所有者に許可を得ずして私有地へのロボットによる立ち入りの許可、およびやむを得ない場合における、ロボットによる私有財産の破壊についての規定を追加した。
引きこもり状態で発症し、意識不明に陥った人間は少なくない。搬出作業が始まれば、すでに死亡していた人々の遺体も発見された。
どれも、そのままにしておくわけにはいかないという判断だった。
非常事態宣言特例措置法はなし崩しに国民の権利をおびやかしていったという批判がある。
確かに、財産権の扱いは変わった。
それまでも非常事態宣言により、所有者の同意を得ずして私有財産を使用することが可能だったが、特例措置法は非常事態終息宣言後、生存が確認されるまでという条件を付与したことがもっとも大きな変化だろう。
だがそれにも理由がある。所有者がパンデミックにより死亡していることが極めて多かったからだ。
持ち主不明のまま放棄され、老朽化により周囲に危険が及ぶ不動産なども、行政側の失踪宣告申し立てより7年が経過した時点で国庫に納められ、さっくりと処理されるようになった。
地権者の突き合わせなんてやってられなかったんだろう。
特別失踪扱いで、行方不明というだけで死亡したと見なさないだけまだマシなのかもしれない。
最終的に、パンデミック初期における死亡者は、日本国内だけでも百万人を越えた。これは人口との割合を考えても第一次世界大戦前後に発生したスペイン風邪よりも悪い数値だ。
全世界の死者は約三十億。直前に発生した蝗害などによる食糧危機が、世界各地で勃発するテロ行為が、陰謀論が、ヘイトクライムが、向け合う銃がさらに被害を拡大したという。
だが、パンデミックは殺し合いではおさまらない。ウィルスなどの病原体が全世界に蔓延し、病原体に対する抗体が各個人の体内に備わることでのみ終息する。
感染症が撲滅されなくても、その犠牲者数が社会構造の崩壊を引き起こさない程度の相対的少数にとどまることが常態となるなら、それはおわりのはじまりということになる。
万和元年末から始まったパンデミックがようやく終息した時、世界に取り残されていたのは18歳未満の青少年がほとんどだった。パンデミック初期には新生児だった者も多かったという。
かろうじて生き残っていたそれより年上の政治家達は、医療などの破綻すると国家や人類の滅亡に直結する社会インフラの冗長化を最優先した。らしい。
結果、インフラ工事を低コスト化する技術開発が並行して行われたこともあってか、人間の四分の三が意識不明に陥っても社会が崩壊しない仕組みを作り上げられたという。
試したことはないらしいけど。
一握りの良心に満ち満ちた最後の大人たちに隔離処理されていた子どもたちに、集団学習の機会はほとんどなく、教師はいなかった。
生き延びること、それが何より優先されていたからだ。
最年長者も大学生になるかならないかぐらいの学生がほとんどだった彼らに、収入を得るほどのスキルを完成させている者は少なく、スキルのない子どもたちに収入源はなかった。
そして、隔離施設に集められていた子どもたちが消毒液の匂いとともに自宅に戻されても、その家族が帰ってくることはめったになかった。
パンデミック終息から十数年。社会は大きく変化した。
――おれたちは、今の、変化したあとの社会しか肌身で知らない。