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【第33話】夢と絶望について



 深津を連れて会議室三に入ると、そこには高咲さんがいて、ラックにダッフルコートを掛けていた。俺を見て、ギリギリになってすみませんと軽く頭を下げていたが、その後ろの深津を目にすると、高咲さんの態度は一変した。少しの間、目を丸くしたかと思うと、すぐに深津に駆け寄る。


「深津さん!よかった無事で!昨日スマープに来なかったからどうしたのかと……」


 NAの匿名性を無視して、思わず深津の名前を呼んでしまう高咲さん。深津を心から案じていたことが分かる。


「それは、すいませんでした……。なんか行きたくなくて……。親戚の家に泊めてもらっていました。本当に申し訳ありません」


「いえいえ、深津さんの顔をまたこうして見ることができただけで十分ですよ。本当によかった。あのそれで、深津さんは今日NAに参加するということでよろしいですか」


「はい……。よ、よろしくお願いします……」


「緊張しなくても大丈夫ですよ。深津さんは初めてのNAですよね。じゃあ説明が必要ですね。あの、NAというのはですね……」


 高咲さんが、俺たちにしたようにNAの概要を、深津に説明する。深津は下を向きながらも、耳だけは高咲さんに向けている様子だ。寒気が流れ込んでくるので、俺はドアを閉めた。ドアの前で話し続ける二人をよそ、俺はひとまず席に着いた。三ヶ月も会っているのに、まだスマープ外の参加者の名前は分からない。それでも、匿名であることの安全性に寄りかかるのは、俺にとっても気分がいいものだった。


 やがてファシリテーターの男が、ドアを開ける。高咲さんと深津は申し訳なさそうにドアから離れ、そして隣同士の席に座った。今年に入って三回目のNAが始まろうとしていた。


 今回のNAのテーマは「将来の夢」だった。ファシリテーターに近い参加者から当てられて、反時計回りですぐに俺の順番はやってきた。小学生みたいだとも思ったが、前の人も、その前の人も、実に真剣な様子で大層な願望を語っていた。ふざけることは許されそうにもない。俺は「社会復帰をして親孝行ができるようになりたいです」と模範解答をしてやり過ごした。実際に心の片隅では思っているから嘘にはならないだろう。部屋にいる全員から拍手が起こった。


 六角は「再び家族で暮らすこと」、高咲さんは「二週間ぐらいヨーロッパを回りたい」と、それぞれに語っていた。高咲さんがそんな浮かれたことを言うなんて、少し意外だった。そして、順番は最後の深津まで回る。遠慮深そうに立つ深津の背筋は曲がっていた。へその前で手をもじもじさせている。それでも、迷いながらも着実に口を開いた。


「僕は、将来はえっと……。先生になりたいです。それはなぜかと言いますと……。小学生のときに、僕は平均よりは成績が良かったんです。それで、クラスメイトに頼まれて勉強を教える機会があったんですけど、そのときに『お前、教えるの上手いな。将来、先生になれるんじゃないか』って言われて。本当に何の交流もないクラスメイトだったんですけど、だからこそ本心から出た言葉といいますか。そこで『僕は将来、先生になるんだ』とぼんやり感じたのが、今でも続いています」


 深津が今にも逃げ出したい気持ちを必死で堪えているのは、場にいる全員が感じていた。誰も深津の独白に口を挟むようなことはしなかった。


「あの、それで……。これは言っていいのかどうかわからないんですけど……」


「大丈夫ですよ。深津さん。ここにいる誰もあなたのことを否定しません。だからどうぞ安心して話してください」


 隣の高咲さんに促され、深津は話す決心を固めたようだった。一息ついて、語り出す。


「あの、僕は中学校のときにいじめを受けていたんです。毎日『キモい』だの『学校来んな』だの言われて、もう学校が嫌で嫌でしょうがなくて。死にたいってずっと思っていて。それでも学校に通い続けられたのは、担任だった浦島先生のおかげでした。浦島先生は僕なんかの話にも、耳を傾けてくれて。よく励ましてくれて。あるとき、僕が「将来は先生になりたいと思ってるんです」とこぼしたら、「深津君ならきっと立派な先生になれるよ」って言ってくれたんです。それが嬉しくて嬉しくて。だから僕も浦島先生みたいな、生徒思いの優しい先生になりたい。それが今の僕の、将来の夢です。本当、身の程知らずですよね……。こんな大それたことでごめんなさい……」


「深津さん、謝ることなんてないですよ。私なんかのきわめて個人的な夢よりよっぽど具体的で、立派じゃないですか。素晴らしいと思います」


 俺も高咲さんと同じ感想を抱いていた。深津が、そんな切実な将来像を描いていたなんて。ちゃんと市にある教育学部に入部しているのだろう。俺は、先ほどの聖堂で高圧的に深津に接してしまったことを、内心恥じた。


 いの一番に拍手をしていたのは、高咲さんだった。他の参加者も倣う。俺も拍手をしたけれど、場の雰囲気に流されてではなかった。深津への罪滅ぼしに少しでもなれたらと、大きい音が出るように力強く手を叩いた。深津は恐縮といった格好で、小さく頭を下げている。深津に新たな繋がりができたことが、自分のことのように嬉しかった。






 ミーティングは、この日も一時間半程度で終わった。俺は少しずつ慣れてきて、発言量も増えていたが、深津は結局最初の独白以外は、何もしゃべることができなかった。かつての自分を見ているようで、責めることは俺には出来ない。他の参加者も初めて参加した深津に暖かいまなざしを向けていて、ここは貶されることがない場であると改めて認識する。


「深津さん、初めてでしたけどどうですか?緊張しませんでした?」


 ミーティングが終わったところで、高咲さんが話しかけていた。高咲さんは、ミーティング中も深津の背中をさすり、リラックスできるようにしていたから、本当に頭が下がる。


「は、はい……。すごく緊張しました……。いきなりだったもので……」


 紺のアウターに手を掛けながら、深津は答える。言葉とは裏腹に、口角が上がっていた。


「まあ初めては誰でも緊張しますよ。これから少しずつ慣れていけば大丈夫です」


「そうですか……。ありがとうございます……」


「あの、深津さん。来週のスマープには来てくださいますか?深津さんがいないと寂しかったので」


「はい。来週こそはまた伺いたいと思います」


「そうですか。よかった。一週空いたとかそんなことは気にせずに、気軽に顔を見せてくださいね。みんな待ってますから」


 深津は来週は来てくれる。もうあの孤立感を味わずに済むかと思うと、溜飲が下がる思いがする。会話を続ける二人をよそに、俺は帰ろうとドアを開けた。


「弓木さん、もうお帰りですか」


「はい、そろそろ帰ろうかなと。今日はお疲れ様でした」


「こちらこそお疲れ様でした。ありがとうございます。深津さんを連れてきてくれて」


 俺は少し恥ずかしくなり、「ありがとうございました」とだけ言って、教会を後にした。道路では、雪が踏み固められて氷になっている。滑らないように慎重に歩く。


 足元を見ながら、翌週のスマープの光景をイメージしようとした。だが、思い起こされるのは過去の記憶ばかりだった。だけれど、それで構わなかった。五人揃って和やかな雰囲気で、プログラムを受けられるのなら、それだけでいい。他に何を望むというのだろう。俺の中でにわかに、翌週への期待が生じた。足取りもわずかながら軽くなる。


 だが、翌週のスマープにも深津が姿を現すことはなかった。



(続く)

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