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【第27話】あがきを続けるのは



 外に出ている月は、真円の形をした満月だった。私は、ベランダにいた。降り注ぐ光は歪みなく、全ての屋根を、人をほのかに照らしていた。それでもその光は、とてもしっかりしていて、狼男が変身するのも頷ける。私も唆されてしまい、スマートフォンを手に取った。連絡帳の画面を表示する。一番上にある番号に電話をかけてみる。かつては毎日のようにかけていた番号。だけれど、今はかけることのなくなった番号。消去することはできない。


 聞き慣れた呼び出し音が聞こえる。一回、二回、三回。一向に呼び出し音は終わることはなかった。話していないのに喉が渇く。何を話そうかが浮かんでこない。やがて、呼び出し音は鳴り終わり、


「おかけになった電話番号への通話は、お客様の希望によりお繋ぎできません」


 というアナウンス。私はスマートフォンを耳から離す。ぶら下がった腕に夜風が当たる。雨が降りそうな風だ。もう一度、月を見る。欠けていればいいのにと思ったのに、丸々とした満月に変わりはなかった。窓を開けてベランダから出る。私の悪あがきは、今日も実を結ばなかった。







 部屋には暖房が入り始めて、気怠い温風が俺の顔を撫でた。熊谷が着てきたカーディガンが、椅子の背もたれに被せられている。俺は尿の採取を終えて、結果を待っているところだった。今週からホットになったコーヒーは、少し酸味が強く、俺の好みではない。だけれど、高咲さんは美味しそうに飲んでいた。マグカップから立ち上る湯気が、顔の前で揺れていた。


 その高咲さんは、今は六角と話している。二人はこのプログラムに参加しているただ二人の女性同士ということもあり、あっという間に仲良くなっていた。二週目には、二人で映画を観に行った話をしていて、他の全員が驚いたほどだ。おそらく二〇歳くらい年は離れていると思うが、二人が話している姿を見ると、まるで姉妹のように思える。


 俺はスマートフォンで、SNSを見ている。すると、磐城が話しかけてきた。俺が向くと、マメが潰れた手を振っていた。足が長く、単純な身長は熊谷よりも低いのに、存在感では引けを取っていない。それでも、座っている俺の目線まで腰を曲げて、目を合わせてくれた。


「どうですか、弓木さん。もう一か月以上経ちますし、だいぶ慣れてきたんじゃないですか」


「まぁ、そこそこって感じです」


「でも、最近は正直に薬物を使いたくなった日があった、ということができているじゃないですか。いい傾向ですよ」


「そうですかね……。使いたいと思わないことの方が、いいんじゃないですか」


「弓木さん、依存症からの回復の過程で、使いたいと思うことは必ずあります。大事なのはその悩みを打ち明けることができるかです。人に話すことによって、悩みを共有できて互いに 励ましあうことができますからね。依存症からの回復ではそれが何より大切なんです」


「そうですか。ありがとうございます」


 まだ、検査結果は出ない。熊谷がクッキーに手を伸ばして食べていた。


「あの、今回のプログラムって『一人で引きこもっている時間が危険』という話だったじゃないですか」


「一人で何もしないとつい薬物のことを考えてしまいますもんね」


「僕、一人暮らしなんですけど大丈夫ですかね……」


「あ、俺もそれ聞きたかった。同じ一人暮らしだし。磐城はどうしてんの」


「私はダルクで回復途上の方たちと一緒に暮らしていますよ。皆さんいい人たちです」


「ダルクって俺も東京にいたとき、聞いたことあるけどさ、実際何してんの?」


 クッキーを食べながら熊谷が尋ねる。俺も頷いて、磐城の返答を待つ。高咲さんと六角は、俺たちをよそにまだ楽しげに喋っている。


「ダルクは、主に就労移行支援事業所で日中は働き、午前と午後と夜間の三回のミーティングを通して、薬物依存症からの回復を目指す場所ですね」


「あの、ミーティングというのは何を話すんでしょうか」


「主に自分の薬物体験を話して、それを全員で認めて、そこからどうするかを考えるような感じです」


「ミーティング以外は何をやってんだ?」


「主には農作業ですね。毎年お米を作っているんですけど、今年は特に豊作で。いいお米ができそうです」


 磐城は淀みなく話す。きっと今まで何度も同じ質問を受けているのだろう。


「興味があればいつでも相談に乗りますよ。ちょうど、来月の二十七日に紅葉狩りがあるので、よろしければ」


「まぁ考えとくわ」


 と熊谷が言ったところで、乃坂が俺を呼んだ。尿検査の結果が出たらしい。検査結果は陰性だった。俺は乃坂に「ありがとうございます」と言い、リュックの紐に手をかけた。帰ろうとして、顔を上げると高咲さんと六角が近くにいる熊谷に話しかけていたのが見えた。


「熊谷さん明日の夜、空いてますか?」


 高咲さんの呼びかけに、熊谷が首を横に振っている。何かを言い渋るような表情だ。それでも、二人は続けて熊谷に話しかける。「NA」というどこかで聞いたようなアルファベットが飛び交う。俺は話の内容が気になり、机を回って、三人の話に割り入った。


「どうしたんですか?何の話ですか?」


「いや、この二人が一緒にNAに行こうって誘ってくるんだよ」


「あの、NAとは?」


「弓木さん、覚えてないんですか。先月にスマープで話が出たじゃないですか。『ナルコティクス・アノニマス』。薬物依存症の方々の自助グループですよ」


「高咲さん、前々からNAに参加しているみたいで。それで私もNAに行ったらどうかって誘われたんです。人数が多いほど私たちも安心ですし」


「そんなこと言われてもな、いきなり明日っていうのは急すぎるだろ。俺もうバイト入れちまったし」


 熊谷は、コーヒーを飲んだ。マグカップから口を離して、大きなため息をつく。高咲さんが、心配そうに熊谷を説得しようと試みていたが、熊谷は「シフトはもう変えられない」と申し訳なさそうに語っていた。


「なんならよ、お前ら三人でNAに行けばいいんじゃねぇか?弓木、明日の夜、暇だろ?」


「そんな決めつけられても……。まあ暇ですけど……」


「じゃあ、弓木さん一緒に行きましょうよ。きっと回復の役に立ちますよ」


「それなら、はい。せっかくですし、行ってみようかなと思います」


 高咲さんは、「ありがとうございます!」と大げさに喜んでいた。六角はほっと胸をなでおろしていた。一息つこうと、菓子に手を伸ばそうとした瞬間、深津と目があったように感じた。


「深津さんも誘って、四人で行きましょうよ」


 高咲さんに提案する。


「そうですね。深津さんもNAに行きませんか?ここみたいに落ち着いた雰囲気で話せますよ」


と誘った。しかし、深津はスマートフォンに視線を落として、


「僕はそういうのいいです」


 とぼそりと呟き、茶色のバックを持って席を立った。見えない壁がテーブルの上に、立ちはだかっているようだ。


「深津さん。いい機会ですし、一緒に行きましょうよ」


 そう高咲さんが再度声をかけても、


「大学のレポートやらないといけないんで。僕、皆さんみたいに暇じゃないんで」


 と、こちらを見ることなく素っ気なく返し、ドアへ向かって歩いていった。


「せっかく高咲が回復のために誘ってくれてんのに、深津、お前本当に大丈夫なのか」


 熊谷の声に、深津は答えることはなかった。ドアの閉まる音が部屋に響く。その音は逮捕されて、アパートを離れるときのドアが閉まる音とともに、俺の頭の中で谺していた。


「なんだよ、アイツ。せっかく善意で声かけてやってるっつうのに」


「まあ、深津さんも大学生ですし、色々あるんですよ」


 憤る熊谷を高咲さんが慰める。熊谷は残りのコーヒーを一気に飲んだ。怒りも一緒に飲み込んだようだ。肩が少し下がっていることに、俺たちは安心した。


「じゃあ、六角さん、弓木さん、NAは明日の十九時からなので。緊張しないで大丈夫ですからね。でも、時間厳守で。よろしくお願いします」


 そう言って、高咲さんも灰色のトートバッグを、肩にかけて帰っていった。俺はやることもないので、個包装のチョコレートに手を伸ばした。口の中で溶かしていると、六角と目が合った。まだ、すんなりと言葉が出てくるような関係ではなかった。


 乃坂の「弓木さん、検査結果出ましたよ」という声が聞こえる。俺は六角に軽くお辞儀をして、声の方へ向かう。六角は、軽くお辞儀をした後、天井の照明を見つめていた。検査結果は、陰性だった。



(続く)

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