表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/38

【第14話】いつかその時が来ることを



「あなたは、これからは法を遵守して、二度と罪を犯さないと約束できますか」


「はい、約束します」


 声が震えていた。弁護人は「以上で終わります」といって座った。俺は弁護人を見る。目が合ったが弁護人はすぐさま書類に視線を落とした。


「検察官の意見は以下の通りです。公訴事実については、その証明は十分だと考える。被告人が令和元年一〇月二〇日、覚醒剤を使用したこと及び、逮捕された令和二年一〇月二〇日まで覚醒剤を常用していたことは、取り調べ済みの関係各証拠により明白である」


 乾いた言葉が並ぶ。


「また、その犯行対応は悪質で、一年に亘る長期間の常用も考慮すると、再び同種違反を犯す可能性は極めて高いと言わざるを得ない。また、覚せい剤所持使用及び窃盗は、我が国の公序良俗に対する重大な侵害であり、一般予防の見地からも被告人を厳重に処罰する必要がある。以上、諸般の事情を考慮し、相当法条を適用の上、被告人を懲役四年六月に処することが相当だと思われる」


 冷たい口調から発せられた求刑は想像していた以上に長期のものだった。俺は刑務所に入る自分を想像する。青い囚人服を着て、刑務作業に従事する。早い消灯時間を過ぎると、硬い床に眠れずに、何度も寝返りを打つのだろう。それが四年六ヶ月も続くのだ。塀の中から出てきたときには三十歳手前になっているだろう。身震いがした。


「弁護人の意見は以下の通りです。公訴事実について変更はない。被告人が犯した罪は、社会的観点から鑑みても、その責任は重大で決して赦免できるものではない。しかし、被告人は当法廷において、正直に答弁しており、真摯に反省している。また、遵法の精神を持ち、再犯をしない旨も誓言している。さらに、早期の社会復帰の見地からも、被告人には厳罰ではなく、酌量の余地を持った対応が望ましい。以上を考慮し、被告人を懲役三年及び一部執行猶予に付すことが相当だと思われる」


 弁護人は留置所で俺に、「単なる覚せい剤取締法違反であれば、初犯の場合多くは執行猶予がつくが、窃盗との併合罪では、実刑は免れないだろう」と言った。つまり、俺が刑務所に入るのは確定していて、刑期の長短が争点になる。その言葉を聞いたとき、取り返しのつかないところまで来てしまったのだと、ようやく悟った。


 「被告人は前へ」という裁判官の言葉が上の空にいた俺を地面に引き戻す。


「以上で審理を終わりますが、最後に何か言っておきたいことはありますか」


「私は覚醒剤を使用している最中は、誰にも迷惑をかけていない、苦しむのは自分だけ、自分一人の問題なのだから別にいいではないかと考えていました。しかし、逮捕され留置場で両親と面会した際に、二人の泣き腫らした目を見て、覚醒剤使用という行為が、周囲をも苦しめていることを知りました。刑に服して何年後かは分かりませんが、出所した暁には二度と覚醒剤を使用しないと誓います。誠に申し訳ありませんでした。以上です」


 内容は留置所で考えてきたが、声になったのは一部分だけだった。刺すような視線に、思わず謝罪の言葉がついて出た。裁判官に謝罪したところで、刑期が短くなるわけがない。だが、それは紛れもなく俺が苦しい思いをさせた両親に、南渕先輩に、職場の同僚に、何より心の奥で泣いている俺自身への謝罪だった。


 判決言い渡しは二週間後の木曜日に決まった。「これにて閉廷します」と、裁判官が柔らかな声で告げ、そのままドアの向こうへと消えていった。それを俺たちは立って見送る。


 警察官が俺に再び拘束具を着ける。慣れた手つきだ。検察官と弁護人は書類にメモを書き込んでいた。検察官の方が先に書き終わったようで、書類を鞄に入れ始めている。拘束具が着けられ、警察官が立ち上がった。退廷しろとのことらしい。俺は立ち上がる。後ろ髪を引かれる思いで振り返ると、傍聴席には誰もいなかった。





「それでは、弓木峻被告事件について判決を言い渡します」


 車から降りると、空は晴れていた。冬の凍えさせんとする風を、日光が溶かしたかのように空気は穏やかで、黒く彫られた裁判所の文字が日光に照らされ暖かく光っていた。年が明けてから、初めて感じた心地良さだった。


「主文、被告人を懲役三年六月に処する。未決勾留日数中六〇日をその刑に算入する」


 入廷すると、二週間前よりも室温は高く、スウェットの袖を捲りたくなった。しかし、手錠を掛けられた手では袖を掴むことはできるはずもなく、俺は唇を噛む。横目で見た傍聴席には、腕に腕章を巻いた記者らしき男が一人いるのみだった。


「以下、理由を述べますが、長くなるので被告人はどうぞ座ってください」


 裁判官は判決に至った理由を述べる。事実を淡々と述べるその様子は紙芝居を見ているかのようだ。一文一文が長く、言い淀むこともない。脳に収まりきらないほどの言葉が、洪水のごとく流れていた。控訴についての説明もあったが、するつもりはなかった。留置所で考えていた。早く刑務所に入ってクスリから離れたいと。刑務所に入ってクスリを断てれば、俺は真人間になれると。


「被告人は、顔を上げてください」


 気づくと視線の先には、灰色のカーペットがあった。裁判官はとうに気づいていた。俺は顔を上げる。沈む気持ちの引力に逆らいながら。


「あなたは、覚醒剤取締法違反及び窃盗という罪を犯しました。これは法律上においては許されることではありません。刑務所でしっかりと服役してください。そして、出所したらあなたを許してくれる人を見つけてください。今は、依存症外来や自助グループといった場もあります。許してくれる人と繋がることが更生への唯一の道です。最も身近な、許してくれる人、それはあなた自身です。時間はかかるかもしれませんが、いずれはあなたが自身のことを許せるときが来ることを願っています」


 揺れる唇。震える両肩。頬を伝う感触。声にならない声。裁判官の口角が少し上がったのが見えた。


「では、言い渡しを終わります」


 裁判官が退廷のために起立する。周囲も起立している。俺だけが座ったままだ。肩を何者かに抑えられているかのようだ。だが、俺はその手を振り払い立ち上がる。電灯のついていない部屋に入っていく裁判官。俺は深々と頭を下げる。警察官が手錠を掛けるために俺の手を掴むまで、俺は顔から手を離すことができなかった。


 今までの人生で最も長い三年六月が始まる予感が、口を開けて待っている。



(続く)

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ